──結論から言おう。
『──レグルス。君は、キヴォトスの七つの古則をご存じかい?』
『……意味が分からないな、レグルス・コルニアス。君が何を前提にその結論へ辿り着いたのか、私には理解ができない』
『……全ての考えが滅茶苦茶だ。レグルス』
『レグルス、いくら君がそう願ったところで、残念ながら今の状況では分が悪いことに変わりはないと思うよ。願望と現実は、必ずしも同じ方向へ歩いてくれるわけではないからね』
『安心したまえ。何も、彼女に洗いざらい話したわけではないよ。ただ、君が戻ってくる前に、こちらから少しばかり説得はしておいたんだ。そうでもしなければ、君はミネにいつまでも追い回される羽目になっていたかもしれないからね。それはそれで一つの喜劇として眺めてみるのも、悪くはなかったのかもしれないが』
『──歌を、聴いてくれないかい?』
──トリニティ総合学園所属のティーパーティーの元ホスト、百合園セイアに、擬似心臓が寄生することはなかった。
「いい加減、強欲の権能について、もう少しくらい深く考えてみる必要があるだろうね。いつまでも同じところで立ち止まって、何一つ進まず、導き出せないままというのはさすがに興醒めしてしまってもおかしくないことだからさ」
レグルスは帰路を辿りながら、比較的小さな声でそう呟いた。
朝日が昇り始めてから、まだそう長い時間が経ったわけではないが、それでも街には獣人やロボットといった市民たちの姿がちらほらと見え始めていた。
──せめてもの救いは、生徒らしき人物が一人も見当たらないことだろう。
これならば、流れ弾に巻き込まれる可能性も、理由もなく襲われる可能性も大幅に低くなる。
本当なら、もっと早い時間に帰路へ就きたかったが……あんな出来事があったのだから仕方がない。そう割り切るしかないだろう。
「……」
──誰かに聞かせるわけにはいかない。
聞かせるわけにはいかない内容だからこそ、誰かと共有することも叶わず、結局はすべてを自分一人で抱え込まなければならない。ただ一人、おそらく権能の全てを知っているであろう生徒……かつて白鶴と名乗った、連邦生徒会長を除いて。
平穏を求めてやまないレグルスは、身の安全を確保するために仕方なく権能を発動しているが、肝心の本人が、その権能の性質を未だ完全には把握しきれていない。
これは、実によろしくない。本当によろしくない。
だからこそ改めて、整理するべきだろう。
自らの身を守るための力だというのに、なぜ当の本人がその力のすべてを理解できていないというのか。
「『獅子の心臓』については、『強欲ムーブ』とやらをしていれば発動可能。つまり、『レグルス・コルニアス』であることが条件……いや、こうして口にしてみると改めて思うんだけどさ。『強欲ムーブ』って何なんだよって話だよね。僕が僕として振る舞っている限り発動する。身を守るためには、『レグルス・コルニアス』であり続けなければならない……あのさあ、僕が僕であることに、どうしてそんな制約が付きまとってくるわけ?」
まあ、もちろん自分自身を否定するつもりなんて毛頭ないよ。僕は完璧で、完成された人間だからね。
『ンギッ!?!?』
『見たか?ビビってやんの!』
『イキってたくせに、このザマかよ!』
『撃ってみろよ、だってよ、プッハハハ!』
──それこそが、『レグルス・コルニアス』だ。
「僕は心が広いからね。一度や二度の過ちくらいなら、まあ、許容してやれなくもない。人は誰しも失敗するものだけど、その失敗から学び、次に活かそうと努力する。そういう姿勢こそ、人間として当然のものじゃないか。その上で、自分の私財を大切にしようとする精神性まで持ち合わせている人間ともなれば、それはもう貴重だよ。貴重であるがゆえに、儚くもある。だからこそ、そんな人間が他者の権利を侵害するなんてことは、当然だけどあるはずがないよね」
『獅子の心臓』に関しては、『強欲ムーブ』の有無で判断していいだろう。
簡単な結論ではあるが、ほぼ間違いはないと言っていい。
──問題は、『小さな王』の方だ。
「原理が違うというかなんというか……人によって性質そのものが変質する権能だなんて、扱いにくいったらありゃしないよ。僕が権能を持つというのであれば、それを僕自身が扱いやすい形で行使する権利だって、当然あって然るべきだ」
自分自身の権能でありながら、本人の意思とは関係なく、その性質が変化する。自分が使う力だというのに、自分が使いやすいようにはできていない。
本当に、全くもって意味が分からない。
──と、今更ながらに憤慨するレグルス。
別に、その力を持って無双したいわけでもない。何か大それたことを成し遂げたいわけでもない。
本当に、ただ平穏に暮らせれば、それでいい。
それなのに、自分の身を守るために与えられたであろうはずの権能が、肝心の自分にとって扱いづらい代物になっている。
「どうして僕は、自分自身の権能にまで権利を侵害されなきゃいけないんだッ!」
人目を憚るように、小声で叫ぶレグルス。
──変なところで器用な男である。
「はぁ……」
……『小さな王』とは、他人の心臓に小さな自分の擬似心臓を寄生させるというもの。
その寄生の条件とは、自分の王国に迎えたという判定をした花嫁であることだ。
『顔だよ。顔が可愛い、愛なんてそれが全てでしょ?』
などと真顔でほざき、手当たり次第に何十人もの女性を自分の王国へ迎え入れ、挙句の果てには、ある女性へ向かって──
『花嫁に不適格だッ!』
──などと叫んでおきながら、なぜかしっかり王国には迎え入れ、自分の身の安全を確保するという、理屈も倫理も置き去りにした保身まで披露した。
そして何より恐ろしいのが、本人はそれら全てを一切矛盾だと思っていないことだ。
顔が良ければいい。可愛ければいい。自分が気に入れば王国の住人。気に入らなければ花嫁失格。
と、王としてどうなのかと問われれば、王以前に人としてどうなのかと問い返したくなり、価値観を煮沸して濃縮した結果、残ったものがノミ以下であった男──レグルス・コルニアスは、そんな調子で『小さな王』を駆使し、数多の花嫁を己の王国へ迎え入れ──そして、あまりにも呆気なく、その生涯を終えた。
……と、ここまで少々長く『小さな王』について語ってしまったが、結局のところ、現在のレグルスを悩ませているのは、その擬似心臓を寄生させるための条件が未だにすべて明確になっていないという一点に尽きる。
その根幹とも言える条件が不明瞭なままでは、今後この権能を扱う上で、あまりにも不確定要素が多すぎる。
──今後、擬似心臓を寄生させるつもりは毛頭ないが。
「……まあ、これだけは確実に寄生させるための条件の一つなんだろうってことくらいは、いい加減、僕も理解したつもりなんだけどね」
そう言いながら、レグルスは自身の手を見つめる。
……そう、手だ。
擬似心臓を寄生させるための条件の一つだろうと仮定する。それは、自身と相手の手が触れ合うことではないかと。
頭でも、腕でも、足でもない。手と手が触れ合うことで、『小さな王』は相手を自らの王国へ迎え入れたと判定し、擬似心臓の寄生へと繋がった──おそらくは、そういうことなのだろう。
最初、権能について何一つ理解していなかった頃。ヒナと邂逅した際、記念という意味で握手を交わしたところ、結果として擬似心臓を捧げることになった。
そして次は、強引なアツコによる、あまりにも強引な花の押し込みの際に、手と手が触れ合い、やはり擬似心臓を捧げることになった。
そして、連邦生徒会長は──
「…………?」
──いつ、手に触れた?
そういえば、当時は怒涛の勢いで擬似心臓の寄生が発生していたせいで、そこまで深く考えてはいなかった。
だが、改めて考えてみれば妙である。連邦生徒会長は、いつ、レグルスの手に触れた?気付かぬうちに触れていたのだろうか。
それとも──擬似心臓が寄生するためには、手と手が触れ合うこと以外にも何らかの条件が存在するのか。
……分からない。
そもそも、権能そのものが人によって性質を変えている時点で、分からないことが多すぎる。
一つの条件を見つけたと思えば、別の事例によって簡単に覆される。考えれば考えるほど、余計に分からなくなっていく。しかも、条件を見つけたといっても、それが正しいという確証がどこにもない。
──駄目だ。これ以上考えても、これに関しては答えなど出せそうにない。考えるだけ考えて、最後には考えることそのものを放棄したくなってくる。
「訳が分からないよね、まったく。君たちだって、この世界は僕に対してあまりにも厳しすぎるだろうと思わないかい?何の説明もなく勝手に放り込まれた挙げ句、銃弾が飛び交うような場所で生きろだなんて、そんなの土台からして無理な話だよね?しかも困ったことに、僕の権利を平然と侵害──」
レグルスさん、こっち向きながら喋るな。あっち向いてください。
……とまあ、長々とそんなことを言いつつも、考えていることは、やはり『小さな王』のことだった。
擬似心臓を寄生させる条件が従来と異なっているのもそうだが、寄生させた後も異なるところがある。
「……そう、僕自身が権利の侵害なんていう愚かな真似をするわけがない。だからこそ、相手の私財だってきちんと守られる。そうして互いの権利を尊重できるからこそ、対等な関係というものが築けるんだ……だから、一人だけに負担を押しつけるような真似なんて、とてもじゃないけど僕にはできないね。僕は慈悲深くて寛大な心の持ち主なんだからさ」
──従来の条件とは違い、『小さな王』によって王国に迎え入れた彼女たちには、例外なく擬似心臓が寄生されている。誰一人欠けることがなく、だ。
……『小さな王』は、自身の王国に迎え入れた人物たちの中からランダムに一人、擬似心臓が寄生された状態となる。
そして、仮にその人物の心臓が機能しなくなった場合──擬似心臓は、まるで無様にしがみつくかのように、その場から別の人物の心臓へと寄生先を移す。
何人だろうと、何十人だろうと関係ない。王国に迎え入れた人物が多ければ多いほど、擬似心臓は次から次へと寄生先を変えていく。
……ここまで聞けば、何となく分かったかもしれないが、そもそもとして、擬似心臓が寄生している状態となるのは一人だけ。
そして、存在する擬似心臓もまた、一つだけなのだ。
当の本人には、その一つの擬似心臓が誰に寄生しているのかすら分からないらしいが──
「……」
無意識に自身の手で胸元を掴み、そのまま服に皺ができるほど強く握りしめ、目を閉じた。
「──」
──そんなものは嘘でしかない。
現に、『レグルス・コルニアス』は、擬似心臓が現在どこの誰に寄生しているのかを感じ取ることができる。
しかも、それだけではない。一人につき一つの擬似心臓が寄生している状態だということまで、なぜか分かってしまう。
その感覚を言葉にするのであれば……自分自身の心臓が刻む鼓動音とは別に、他人の心臓の鼓動音までが混ざり合っているような感覚だろうか。
おそらくは、擬似心臓を介して、その相手の心臓の鼓動までも感じ取っているのだろう。
それは、自分の身体の中にあるはずの心臓が、もはや自分一人だけのものではないような──そんな、奇妙な感覚だった。
「でも、『コル・レオニス』とは違って相手の居場所が分かるわけでも──いいや?僕は相手の居場所なんてこれっぽちも興味ないけどね?そんな野暮で不躾なことを、この僕がするわけがないでしょ?そもそも、僕は穏やかで、無欲で、他人のことなんて必要以上に気にしない完成された人間──」
変に言い訳すると見苦しくなるよ、レグルスさん。
……いくらつらつらと言葉を並べたところで、事実が変わるわけではない。
過程がどうであれ、理由がどうであれ、レグルスが、まるですがりつくかのように擬似心臓を寄生させたことだけは紛れもない事実だ。
最初に擬似心臓を寄生させた約二年前のあの日から、その事実は今もなお脳裏にこびりつき、消えることなく一つの事実として残り続けている。
──だが、それによって今の自分がある。
理不尽なことばかりだった。訳も分からないままこの世界へ放り込まれた。
その中で、幾度となく危険に晒され、それでもなおこうして五体満足で生きている。そして今、平穏を享受することを願いながら、自分の足で立ち、歩くことができている。
それこそが、これまでに受けてきた数々の理不尽を乗り越えてきた証明なのだろう。
全部、『獅子の心臓』と『小さな王』のおかげだ。
「…………………………」
──癪でしかないな。
「ああ、そういえば、今後に備えて準備しておきたいものがあったんだった。せっかくこうして、物騒な銃声も爆発音も聞こえてこない、実に平穏な時間を過ごせているんだ。こういう貴重な時間を無駄にする理由もないし、平穏が平穏であるうちに、僕がやるべきことはきちんと済ませておこう」
権能の話はこれで終わり、ここまで簡潔にまとめてやったこの僕に感謝すると良い。
……と、本人は言いたげなのだが、別に簡潔にまとまっているわけでもなければ、何ならしなくてもいい補足まで散々付け加えている。
そんなこちらの心情などお構いなしに、レグルスはある場所へ向かって歩き始めた。
「……いらっしゃい」
訪れたのは、古くから営業を続けている老舗の雑貨店だった。
店内には、日用品から用途の分からない道具まで、さまざまな品が所狭しと並べられている。時間帯のこともあってか、店内に客の姿は一人もない。
「ここなら取り扱っていそうだ」
周囲の棚に置かれた道具や、無造作に並べられた謎の置物を眺めながら、レグルスは確信する。ここなら、自分が求めているものがあるかもしれないと。
時間は掛けていられない。世間が穏やかなうちに、やるべきことは済ませてしまおう。
そう考えたレグルスは、他の道具には一切興味を示すことなく、レジカウンターに座る店主の獣人へと歩み寄った。
「失礼、ちょっと良いかな?」
「……何か?」
そして、今後に備えるための、あまりにも注文の多い要望を口にした。
「──とても丈夫で、伸縮自在で、数キロ越えの長さがあって、視認するのが難しいぐらいの細さを持つ……そんな糸が欲しいんだ」
◆
「──これで、一段落したかしら」
ゲヘナ学園、そのとある部室の一角。
ひたすらに書類を捌き続けた末、ようやく手を止め、山のように積み重なった書類を見上げながら額に浮かんでいたわずかな汗を拭った。
「……誰も居ない」
周囲を見渡しながら、ぽつりと呟く。
その人物こそ、ゲヘナ学園風紀委員会の委員長、空崎ヒナ。
どうやらヒナは、近日開催されるエデン条約に関連する書類をはじめ、数多くの仕事を今の今まで捌き続けていたらしい。
それを証明するかのように、その顔には、こちらから見ても分かる程度のわずかな疲労が浮かんでいる。
ここまでの激務ともなれば、睡眠時間が削られ、精神的にも疲弊し、意気消沈してしまっても何らおかしくはないが……ヒナには、そういった様子がほとんど見られなかった。
疲れてはいる。間違いなく疲れてはいるのだ。
それでも、仕事に追われて心が折れたような様子もなければ、今にも倒れそうな様子もない。むしろ、やるべきことを終えたという事実だけを静かに受け止めている。
まったくもって、不思議である。
「あ、そっか」
ここで、ヒナは思い出した。
──そういえば、アコたちが私に代わって、学園内で起きた騒動を鎮圧しに行ったんだと。
『委員長が忙しい時に騒動を起こすだなんてっ……!イオリ、チナツ!今すぐ鎮圧に行きますよっ!』
『アコちゃん、行くのはいいけど……なんでそんなに率先して向かおうとしてるんだ?ちょっと前までは、そこまでじゃなかったような……』
『……そういえばアコ行政官は、彼……レグルスさんが、最近ゲヘナ学園で騒動が起きた場所の付近に出没していると聞いて、半分はレグルスさんを確保するために、率先して騒動の現場へ向かっていると聞いたような……』
『げっ、委員長がたびたびあいつと会ってるなんて知ったら、アコちゃん発狂するぞ……』
『──レグルス・コルニアスと、委員長が、たびたび会ってるのですか?』
『あっ』
『うわっ!?』
『委員長っ!?まさか、とっくの昔に私には飽きてしまって、私を置いてレグルス・コルニアスと秘密裏に会って話をしていたなんてことは……!』
『久しぶりにレグルスと話せて、嬉しかった』
『おのれレグルス・コルニアスううううッッ!!』
──どういうわけか、アコは発狂しながら部屋を出ていったんだっけ。
騒動の規模が規模だったこともあり、他の風紀委員たちも追従するようにして騒動の現場へ向かっていった。
その結果、偶然にもヒナは一人きりで仕事をすることになった、というわけだ。
「……どうしよう、想定より早く終わっちゃった。これなら私も付いていった方が良かったかな」
別に、仕事を好んでいるわけではない。むしろ、やらなければならないから仕方なくやっている。そう自分に言い聞かせながら、ヒナは書類を片付けていた。
けれど、いざ手が空いてしまうと──それはそれで、何とも言えない気持ちになる。
そんなときは、コーヒーでも飲んで、少し気持ちをリセットしよう。
「……………………うん」
そう思って口にしたコーヒーは、何とも言えない味であり、これでは気持ちのリセットも何もあったものではない。
確か、このコーヒーを淹れたのは、アコだったような気がする。
「どうしよう」
休めばいいと思う。
が、ワーカホリックであり、先ほど飲んだコーヒーでも気持ちをリセットしきれなかったヒナは、すっかり手持ち無沙汰になってしまい……逆に困るという事態に陥っていた。
もう一度言うが、休めば良いと思う。
「──あ」
そんなときだった。
ふと、ヒナが窓の方へ視線を向け、短く声を上げると、椅子に座っていたヒナはそのまま立ち上がり、窓際へと近づいていく。
……そして、窓に手を添え、外の景色を眺める。
「──虹……綺麗ね」
──青空に、鮮やかな虹が架かっていた。
そういえば、少し前まで雨が降っていたような気がする。その後に雨が上がり、晴れた空に偶然にも虹が架かったのだろうか。
自然に虹が架かるには、それなりの条件が必要になるが、それでも今日は運が良かったのか、青空の中には、色鮮やかで綺麗な虹が浮かんでいた。
『──こうして、何気なく静かに虹を眺めている。争いもなく、誰かを押しのけることもなく、些細な美しさに心を寄せる時間。それが続けば、どこまでも平穏で、優雅な世界が成り立つというのにさ……』
「──」
ヒナは、即座に自身のスマートフォンを起動した。
そして、こちらが思わず見逃してしまいそうなほどの速度で、虹を写真に収め、そのままモモトークを開き、『先生』とのメッセージ画面を開く。
『見て先生、虹が架かってる、綺麗』
爆速で文字を打ち込み、送信。すると、それから間もなく、爆速で既読がついて先生からの返信が届いた。
『"虹、幻想的で綺麗だね!少し前に雨が降ったから架かったのかな?送ってくれてありがとう!これで私も仕事を頑張れ──"』
先生からのメッセージを確認したあと、そのままレグルスにも写真を送って、メッセージを打って……写真と、メッセージを送って──
「……む」
そこで、ヒナの手が止まった。
──なんということだ。レグルスとモモトークを交換していないではないか。
いや、そもそもとして、レグルスがモモトークをやっているのかどうかすら分からない。それ以前に、連絡先の一つすら交換していないのは、いかがなものだろうか。
今まで、何度も会ってきたというのに。
どうしてモモトーク──いや、せめて連絡先の一つでも交換しておかなかったのだろうか。過去の自分に問いただしてやりたい。
「……一番送りたかったのに」
だからなのだろう。無意識のうちに、一番最初に先生のメッセージへ写真を送り、文字を打ち込んでいたのは。
レグルスの連絡先を持っていないから、先生へと送っていたのだろう。
「……」
試しに名前で検索をかけてみても、当然のようにヒットすることはない。
ヒナはスマートフォンの画面を眺めたまま……ほんの少しだけ、悲しい気持ちになる。
「……」
何かの間違いで、レグルスの名前が出てこないかな。
そんな淡い期待を抱きながら、ヒナはモモトークの友達一覧を指でスワイプしていくと──ふと、その指が止まった。
「──ミカ……」
少し前にモモトークを交換した、トリニティの生徒、聖園ミカ。
レグルスと久しぶりに会話をしたときに偶然出会い、そのまま別れて……後日、ゲヘナ学園内を巡回していた際に、また偶然出会って、そのまま喫茶店でお茶をしたんだっけ。
──近くで騒動が起きて、意図せず別れる形になってしまったけれど。
「そういえば、ミカとモモトークで何もやり取りしてない……」
これといったきっかけがなければ、モモトークを送るというのは意外と難しいものだ。
だからヒナも、先生は別として、モモトークを使うときは風紀委員のメンバーへ事務連絡をするときが圧倒的に多い。
──だからこそ、これは良いきっかけになるのではないだろうか。
「──よし」
ヒナはミカとのメッセージ画面を開き、先ほど撮った虹の写真を添え、文字を打ち込んでいく。
『ミカ、すごく綺麗な虹が架かってる。トリニティからでも見えそう?』
「……ふふ」
そして、小さく微笑みながら、送信した。
自身が所属するゲヘナではなく、トリニティで初めてモモトークを交換した友達。
どんな反応を返してくれるだろう。良い返事が来てくれると嬉しいな。
そんなことを思いながら、スマートフォンの画面を閉じた。
──しかし、既読はおろか、メッセージが返ってくることすらなかった。
◆
キヴォトスという学園都市において、次なる大きなイベントは何かと問われれば──誰もが、エデン条約と答えるだろう。
それほどまでに世間からの注目を集めており、興味がある者も、ない者も、エデン条約というゲヘナとトリニティの間で結ばれる不可侵条約については、誰もが一度くらいは耳にしたことがある。
まあ、元々は連邦生徒会長が発案したものだったということもあり、自然と世間へ広まっていったという事情もあるのだが。
「──レグルス」
そんなエデン条約の締結も、あと数日後に迫っている。
きっと、歴史的な瞬間となるだろう。良い意味でも、悪い意味でも。
それほどまでに、エデン条約の締結は、キヴォトスの歴史に刻まれることになる一大イベントなのだから。
「君の契約に基づいて、私は──いや、変な言い回しをしても仕方がないね……君だからこそ、単刀直入に言いたい」
大きな騒動が起きることなく、平穏に終わってくれればいい。
それこそ、命のやり取りのような物騒な事態さえ起こらなければ、それだけで世界の平和は保たれるのだから。
「レグルス」
──世の中、そんな上手くいくはずがない。
それは、今までの経験から嫌というほど分かっているはずではないか。
「──ナギサが、危ないんだ」
──『レグルス・コルニアス』。