魔王バルドVS勇者セージ ~極悪非道なバーコードハゲ魔王をフサフサ勇者がやっつけるお話~ 作:ナオ3
鏡の前に、一人の青年が立っていた。
その姿は微動だにせず、ただ、じっと、己の顔を見つめている。
目元には疲労の色。
口元は引き結ばれ、蒼白い顔色に血の気がなかった。
だが何よりもその瞳が——
まるで、最愛の誰かの最期を看取る者のようだった。
鏡の中に映るのは、青年自身。
そして——彼の髪だった。
青年の右手が、震える指先でそっと前髪を撫でる。
それは愛おしむようであり、別れを告げるようでもあった。
(……今日が、来たんだな)
時計の針は、容赦なく進む。
あと数分。
あと数分で、青年は二十歳になる。
「……こんなに静かな夜に、髪の命日を迎えるとは思わなかったな……」
誰に言うでもない呟きが、部屋の空気に溶けた。
時間が進むにつれ、彼の表情は、
恐怖でもなく、怒りでもなく——ただ、深い哀しみに満ちていった。
そして。
——その時は、来た。
ピクリ、と。
前髪が、わずかに浮いた。
次の瞬間、一本、また一本と、静かに落ちていく。
青年は、動かなかった。
ただ、見ていた。
自分の頭から失われていく毛髪を。
まるで、大切な人の命が、
指の隙間から零れていくかのように。
彼の肩に落ちた髪は、やがて床へと散り、
何も言わずに、消えていった。
青年の目元に、涙はなかった。
あるのは——覚悟と、祈りに似た静けさだった。
「……さよなら、俺の青春」
月が、静かに差し込んでいた。
――髪が落ちる音など、聞こえはしない。
けれど、その一筋一筋が、青年の心を確かに削っていた。
鏡の中の自分が、徐々に、確実に、変わっていく。
彼はその過程を、ただ黙って見つめることしかできなかった。
だが、変化は止まらない。
前髪が消え、横が薄れ、頭頂に残ったわずかな髪が、
抗うように、しかし無情に離れていく。
気づけば、鏡に映るのは——バーコードだった。
それを見た瞬間、
青年の中で、何かが静かに、音を立てて折れた。
「……っ……なんだよ、これが、俺の……顔かよ……!」
鏡を両手で支え、俯いた。
肩が震えている。
「なんで……なんでこんなタイミングなんだよ……!」
彼の声は、怒りに震えていた。
でも、その怒りの奥には、取り返しのつかない何かを失った痛みがあった。
「二十歳って……人生で一番、“自分”が形になる時だろ……!?
男としての意識が、しっかり芽生えて……大人として、社会に立って……
ようやく、“これが俺だ”って言える年だろ……!?」
彼は拳を握りしめた。
額の髪が揺れ、重なり合ったバーコードの影が、部屋の壁に映る。
「……だったら、なんで……!」
「なんで“その瞬間”に、お前は俺から“髪”を奪ったんだ、バルド・コード……!」
呟きではなかった。
魂の奥から絞り出した、叫びだった。
「もし……もし、まだ子供の頃に……物心つく前にバーコードになってたら……!
ここまで苦しまずに済んだかもしれない……“これが俺なんだ”って受け入れられたかもしれないんだよ……!!」
「でも、今の俺はもう知ってる。
髪をセットする喜びも、風に揺れる感触も、
鏡の前で“今日の自分、ちょっといいかも”って思う瞬間も……全部、知ってるんだよ……!」
「だから……!」
彼は拳を机に叩きつけた。
音が部屋に響く。
誰も答えない。
「だから今、これを奪われるのが……地獄なんだよ……!!」
青年は、そのまま崩れ落ちるように座り込んだ。
「……なんで……こんなにも、悲しいんだよ……」
その涙は、髪とともに、
彼の誇りと自尊心を静かに洗い流していった。
遠く遠く、誰にも届かないその声は、
どこかで眠る“王”の胸に、いつか微かに触れるかもしれない。
だが今はただ——
一人の青年の人生が、“バーコード”という形で折れた夜だった。
——それから、青年は部屋から出なくなった。
朝も昼も夜も、カーテンは閉ざされたまま。
天井を見つめる時間が長くなり、
食事は必要最低限で済ませ、鏡はタオルで覆った。
バーコードになった自分を見ることが、どうしてもできなかった。
彼は今まで、身だしなみに気を使っていたわけではない。
特別オシャレだったわけでもない。
それでも、“自分の顔”があった。
“自分の髪”があった。
それが、消えた。
それだけで、“自分という存在の輪郭”が、わからなくなった。
仕事先からは連絡が来た。
直属の上司が、やさしい声で言ってくれた。
「無理しなくていいよ。最初の一ヶ月は、誰でも落ちるから」
「皆、通る道だよ。しっかり休んで、少しずつでいい」
そこに、悪意はなかった。
むしろ本気で、気遣ってくれている声だった。
だけど——
(……“皆、通る道”……か)
その言葉が、青年の心に鈍く響いた。
皆が通るから、自分も通る。
皆がそうだったから、当然のようにそうすればいい。
(……じゃあ、俺のこの苦しみも、怒りも、悲しみも……)
(全部、“当たり前”なのか?)
誰かがそう言ったわけではない。
でも、この社会の空気が、そう語っているように感じてしまう。
彼はまた、ベッドに沈んだ。
部屋の壁に掛けられた小さなカレンダーだけが、
時間を忘れずに進んでいた。
今日も、昨日と同じ。
何もせず、何も進まず。
ただ一つ、違うのは——
青年の髪が、確かに“あの日”から、もう戻ってこないということだった。
そして、誰にも言えない思いだけが、胸の奥で繰り返される。
(……いつになったら、“これが俺だ”って思えるんだろう)
(……そもそも、そう思える日が来るのか)
(それとも、ただ“慣れていくだけ”なのか)
沈黙の中、答えは返ってこなかった。
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引きこもり生活は、もう何日目か分からなくなっていた。
天井を見つめ、食事もろくに摂らず、ただ呼吸をして日々が過ぎていく。
スマホが再び震えた。
また職場からの通知かと思っていたが——内容は、予想外だった。
「20歳を迎えた社員の皆様へ」
—「特別有給休暇のご案内」—
青年は無意識のうちに身体を起こし、内容を読み込む。
そこには、驚くべき文言が並んでいた。
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・最大3ヶ月の特別有給休暇を付与(自動取得)
・支給額:基本給×1.5倍(勤務実績問わず)
・3ヶ月未満での職場復帰時は未消化分を3倍換金
・メンタルケア、カウンセリング、必要器具の支援費全額支給
・傷心旅行支援:通常数年待ちの高級リトリート宿泊施設を即時予約可
________________________________________
青年は読みながら、眉をひそめた。
(……これ、冗談じゃないのか……?)
彼が今まで受けてきた制度のどれよりも、異様に手厚い。
だが、それはつまり、**“それだけ多くの人が呪いで崩れてきた”**という証明でもあった。
働いてもいない人間に、通常以上の金額を支払う。
復帰を急がせず、むしろ“ゆっくり壊れないように”と制度が整っている。
旅行プランの一覧を開くと、名だたる温泉郷や魔法リゾート、
空中島のスパ施設、幻獣との森林療養などがズラリと並んでいた。
どれも、普通の社会人が予約を取るには年単位で待たされるプラン。
それが今、ボタンひとつで“すぐに行ける”。
「…………」
青年は、思わず笑った。
自嘲でも、怒りでもない。
ただ……本当に、ただ少しだけ。
「……なんだよ、それ。優しすぎるだろ……」
突き放された世界だと思っていた。
呪いという絶望を、“笑い”にすり替えて逃げるだけの世界だと思っていた。
だが——違った。
この社会は、少なくとも、“呪いに苦しむ者のために”
本気で制度を作り、本気でケアしようとしていた。
自分が何もしなくても、何も失わなくても、
ちゃんと誰かが「大丈夫」と言える仕組みを残してくれていた。
それが、救いだった。
※本制度は、魔王バルド・コード陛下のご意向により制定されました。
費用はすべて、魔王城・特別会計(魔王陛下の個人資産)にて運用されております。
「…………」
時が止まる。
青年、無言で目を細める。
口を開いたその瞬間——
「ふざけんなよバルドおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
魂の叫びが部屋にこだまする。
「バーコードの元凶てめえじゃねぇか!!!!!!!!!!!!」
「お前がッ!!この惨状を生み出した張本人がッ!!
慈悲ヅラして何やってんだよおおお!!!!!
慰める側の顔すんなぁああああ!!!!」
「矛盾! 矛盾しかない!! なんだよこの福祉国家の極致みたいな対応はよォ!!
呪ってから支えるな!支えてから呪うな!!統一しろよ!!!」
「どの面下げて作ってんだよこの制度!!!!!お前が呪っておいて慰めまでセット販売か!!
悪の組織が泣きながら“これで癒されてください……”とかやってんの見たことねぇよ!!」
「なんで希望を奪ってから優しさで包むんだよ!!!
先に包め!!!!バカなの!?!?バーコードなの!?!?!?」
「何!? お前“個人資産”って!?
何その表記!?!? “城の金”じゃなくて“私財”って!?!?」
「“バーコード治療基金”? “悲しきハゲ補償制度”?!?!
名義:バルド・コード!?!?!? 自分の名前で!? 優しさアピール全開じゃねえか!!!」
「誰のせいで俺の毛根がバグったと思ってんだコラァ!!!
しれっと旅費出してんじゃねぇええええ!!!お前が旅させたのは俺の髪だろうがあああああ!!!」
「しかもこの制度、めちゃくちゃありがたいのがさらにムカつくんだよおおおお!!!」
「この制度のおかげでちょっと救われかけてたけどさぁあああ!!!
でもお前だよ!?!? 救ったのも!!壊したのも!!!全部お前だろがぁぁああああ!!!!」
「そこまでやるなら!!!
最初から!!!
呪いを撒くなぁぁあああああああああああ!!!!!!」
青年、力尽きて床に崩れ落ちる。
「……くそ……完璧な福祉が……
最悪の加害者から来てるという絶望感……ッ!」
窓の外は青空だった。
だが、青年の心はまだ曇りのまま。
「……使ってやるよ……ありがたくなァ……バルドの金をなァ……」
彼の旅は始まる。
髪を失った青年の、魂の再生の旅が——
魔王の懐を空っぽにしながら。
女性もまあ似たような感じですねw
この青年、ツッコミ能力検定があれば1級は取れますね。