魔王バルドVS勇者セージ ~極悪非道なバーコードハゲ魔王をフサフサ勇者がやっつけるお話~ 作:ナオ3
風が心地よく吹いていた。
木々はさざ波のように揺れ、鳥のさえずりと小川のせせらぎが交互に耳をくすぐる。
標高の高い森に囲まれたリゾート。
空気は澄み、温泉は香り高く、ベッドは雲のように柔らかい。
料理は魔導栄養管理士と星付き料理人が手がけ、ドリンクは飲むたびに体力を回復させるという徹底ぶり。
ここは“癒やし”の全てを約束する場所だった。
そしてそのすべてを——青年は享受していた。
だが、心はどこか、冷めていた。
三日目の朝。
青年は帽子を深く被って、小道を歩いていた。
頭皮に触れる風は、どこかくすぐったかった。
そして、被った帽子の中では、今まで確かにあった感覚がなかった。
「…………」
ふと、思う。
(……こんなに贅沢してんのに、なんでなんだろうな……)
部屋は完璧だった。
サービスも非の打ちどころがない。
スタッフは誰ひとり、髪を笑わない。むしろ一切触れないよう細心の配慮すらある。
それでも、ぽっかりと空いた感覚があった。
(足りない……何が……?)
木漏れ日が帽子の縁を抜けて、顔に落ちる。
“髪があった頃”なら、整えた前髪が風で揺れていたはず。
鏡の中で「今日は少しまとまってるかも」と思えた日もあった。
その“些細な満足”は、今はもう、どこにもなかった。
(でも……それだけじゃない)
髪だけじゃない。
日常も、人との関わりも、仕事のなかでのやりがいも。
そういう「自分を認めてくれる何か」が、ごっそり抜け落ちている。
どれほど高級な施設でも、それは埋まらなかった。
「……なんか、心が“ゲーミング”みたいに光らねぇんだよな……」
自嘲気味に呟き、ふと立ち止まる。
目の前には、小さな花壇と、ベンチ。
花の名前は知らない。だが色とりどりで、風に揺れる様子が少しだけ心を和らげた。
青年は帽子を取った。
そして、そっと指で額をなぞった。
「……なぁ、俺はさ……
これから、何を見ていけばいいんだろうな……」
答えはなかった。
けれど、旅はまだ終わっていない。
彼の“心の散歩”は、まだ始まったばかりだった。
森の遊歩道を抜け、視界が開けた先にあったのは、
芝生の広場と、その向こうに広がる湖。
風が吹いた。
木々がさわさわと音を立て、湖面に小さな波が立つ。
青年は、歩く足を止めた。
向こうから、ひとりの青年が歩いてきていた。
同じような年頃。
同じような服装。
そして——帽子を深くかぶっていた。
一歩、また一歩と距離が縮まっていく。
目が合った。
その瞬間だった。
——脳に電流が走るような衝撃。
まるで、自分自身を向こう側に見たような錯覚。
言葉を交わしたわけでもないのに、全てを理解してしまったような、そんな感覚。
“お前もか”
“ああ、お前もか”
互いの目が、すべてを語っていた。
二人は、無言のまま歩み寄った。
そして——
帽子に、そっと手をかける。
一瞬のためらい。
けれど、もう迷いはなかった。
ふたりは、同時に帽子を取った。
そこにあったのは、
まぎれもない“戦友”だった。
同じ痛み。
同じ喪失。
同じ哀しみ。
だから、言葉はいらなかった。
青年は、目を細め、ほんの少しだけ笑った。
もうひとりの青年も、かすかに口元を緩めた。
そして——
無言で、抱き合った。
強く、でも優しく。
苦しく、でも温かく。
長く、でも一瞬のような。
何も語らないまま、ただ“自分以外の誰か”が、
同じ場所にいると知れたことが——救いだった。
その抱擁は、
笑われなかった日々への弔いであり、
許されなかった自分への赦しであり、
今日を生きている自分への、祝福だった。
風が、ふたりの背をそっと押した。
何も変わらないこの世界で、
ほんの少しだけ、心が強くなれた気がした。
抱擁を解いたあと、ふたりはゆっくりと距離を取った。
何も言わずに、芝生に腰を下ろす。
湖面に映る空は青く、風は穏やかだった。
沈黙は、苦しくなかった。
むしろ心地よかった。
しばらくして、ふと片方の青年が口を開いた。
「……髪、どんなだった?」
声は低く、けれどどこか優しい響きだった。
もうひとりの青年は、ちょっと笑って答えた。
「……センターパート。クセ毛だったけど、ワックスでなんとか誤魔化しててさ」
「へえ、似合いそう」
「……ありがとう。でも……あの日、最後に鏡を見た時さ。
“今日、うまくいったかも”って思った瞬間だったんだよな……」
「わかる。俺も、だった」
もうひとりの青年が、少し俯いたまま呟く。
「……俺は、マッシュ寄りのショート。前髪で目が半分隠れるぐらい。
小顔に見えるって言われてて、……正直、気に入ってたんだよ。かなり」
「……それ、絶対似合ってたな」
「……だろ?」
ふたりの間に、かすかな笑いが生まれた。
笑ったのは久しぶりだった。
いや、“誰かと一緒に”笑ったのが久しぶりだった。
「変な話だけどさ……
“似合う髪型”って、たぶん“自分で選んだ初めての鎧”だったんじゃないかな」
「うん……そうかもしれない」
「それがさ……突然、剥がされてさ。しかも笑われてさ……」
「…………“俺”ごと消えたような気がしたんだよな」
沈黙。
でも、それも苦しくない。
ふたりは、分かち合えていた。
「……帽子って、便利だけどさ」
「うん」
「風が吹くたび、“頭皮大丈夫かな”って気になるようになったのは、俺だけじゃなかったんだなって思うと、ちょっと……安心するよな」
「あるあるすぎて泣きそう。
俺、帽子の中で汗かくと、髪がさらに薄くなる気がして、たまに脱ぎたくなる」
「でも脱ぐと“そうじゃない視線”が突き刺さるっていう」
「だから散歩中の帽子はもはや防具。しかも初期装備」
「ドラクエの“ぬののふく”感」
「わかりすぎてつらい」
二人の笑い声が、芝生の上でやさしく揺れた。
話は止まらなかった。
誰にも話せなかったことを、
誰よりも理解できる相手がいた。
それだけで、空気が違って見えた。
湖も、空も、風も、
まるで「大丈夫だよ」と言ってくれている気がした。
帽子をかぶったままでも、脱いだままでも、
ふたりは少しだけ、自分を取り戻していく。
「なぁ……お前、制度、使った?」
片方の青年がふと切り出した。
「……使った。即申請。速攻通った。
ってか、申請ボタン押した瞬間、旅行の予約まで完了してた」
「わかる……なんかもう、“お察し済み”って感じだったよな……」
ふたりは、芝生の上で呆れたように顔を見合わせる。
「でもさ、あれ……魔王の私財なんだよな」
「それな……俺、それ知った瞬間、
“あ、これ呪いの埋め合わせだ!”って確信したもん」
「もはや罪滅ぼしじゃん……“髪罪”だよあれ」
「罪ってレベルじゃないよ。もはや戦争犯罪。
俺たちの前髪に対する無差別攻撃だよ、あれ」
「で、反省の証として、旅行とメンタルケアをばっちりセット。
何それ? 急に“癒しの魔王”キャラ始めてんの??」
「しかもさ、“旅先で泣いても大丈夫です”って書いてあったパンフ……読んだ瞬間、泣いたわ」
「情緒ぐちゃぐちゃなんよ!!!」
ふたりは、声を殺して笑った。
でも、その笑いには確かに“共感”があった。
「なんだろうな……
ありがたいんだけど、許せないんだよな」
「そう、“やさしいんだけど、てめぇのせいだろ!!”が混ざってて……頭がバグる」
「あとさ、用意されてる帽子も、めちゃくちゃ上質だった」
「わかる。シルクと魔糸の混紡で通気性抜群、魔導冷却付き。
むしろ、俺の髪より高性能じゃね?」
「俺の髪、負けてたまである」
「しかも洗えるし、魔力リフレクターまでついてるから光で禿げが目立たない設計……」
「くっそ腹立つ……でも……でもありがてぇ……」
「なにこの気持ち!?!?!?!?」
「バルド……お前、いったい何してくれてんだよ……」
ふたりはそのまま、顔を覆って笑い出した。
笑いながら、どこかで泣きそうになっていた。
「……一番つらいのはさ」
「うん?」
「こんなに支援されてるのに、“これでいいのか”って思っちゃう自分なんだよ」
「……なぁ、俺たち……“癒される”って、こんなに難しいもんだったっけな……」
ふたりは同時に、深く息をついた。
風が吹く。
遠くで木の葉が揺れる音が聞こえた。
風だけが通り抜けていく。
しばらくの沈黙のあと、ひとりが口を開いた。
「……帰ったら、どうする?」
もうひとりは答えずに、湖を見つめた。
答えが出ないままの時間が、また少し流れていく。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……戻る場所はあるよ。職場も、友達も……みんな、優しい」
「……ああ、俺も。
バーコードになってから、誰も笑わなかった。
休んでる間も、気遣ってメッセージくれたりしてさ……」
「……それが、つらいよな」
もうひとりの青年が、苦笑いのような顔で言った。
「うん、そう……
優しいからこそ、“変わらなきゃいけないのは自分だけ”って突きつけられてる感じがする」
「みんな変わらず笑ってて、普通に過ごしてて……
でも自分だけ、“もう戻れない気がしてる”っていうか……」
「戻れる場所があるのに、戻れないのは――
たぶん、自分が“前みたいに笑えない自分”になってるから、なんだよな」
ふたりとも、帽子をかぶったままだった。
どちらからともなく、風に揺れる木々を見上げる。
その沈黙には、怒りでも絶望でもなく――
ただ、“わかる”という静かな共感があった。
「……俺、ほんとは職場好きなんだ。
気の合うやつもいるし、昼休みにくだらない話して、コーヒー飲んで……
そういうの、居心地よかったんだ」
「うん。俺も。
でもさ、“戻ったら、今の自分を見てほしい”のか、
“見ないでほしい”のか、どっちなのかすらわかんなくて……」
「優しさが、こわいよな」
「うん。刺さらない刃なんだけど、抜けないんだよ」
空気は澄んでいて、風は静かだった。
それでも、ふたりの中にある“悩み”は、雲のように漂って消えなかった。
「……でもさ、ここに来て、お前と話せて、ちょっと楽になったわ」
「……俺も。少なくとも、誰かに“全部見られても大丈夫だった”って思えたのは、初めてかも」
「この旅行、思ったより意味あったな」
「まさか“バーコードリトリート”になるとはな……」
笑い合いながら、それでもふたりは、心の奥に問いを抱えたままだった。
「これから、自分はどう生きていくのか」
簡単な答えなんてない。
でも、もう“ひとりじゃない”ことだけは、はっきりしていた。
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旅行の五日目。
ふたりの青年は、すっかり意気投合していた。
食事も散歩も温泉も、全部一緒。
完全に「この旅、ツレと来てます」状態だった。
帽子の下には秘密を抱えたまま――でも、もう隠す気はなかった。
そんなある日。
宿のバーラウンジで、同じような年齢の男が二人に声をかけてきた。
「あの……もしかして、特別有給……っすか?」
帽子。
どこかぎこちない姿勢。
そして、目の奥にある妙な共感の輝き。
ふたりは顔を見合わせたのち、無言でゆっくりと帽子を取った。
その瞬間——
「うわあああああああああ!!!同志ィィィ!!!!!!」
まさかの大声で抱きついてくる青年。
「俺も!!!俺もその時刻で!!!」
「スケジュール通知来た瞬間から風呂場でガクブルでした!!!!」
続いて、もう一人、また一人……と、同じような青年たちが集まってくる。
全員、帽子。
全員、20を越えて呪いに沈んだ同志たち。
全員、一度は絶望したけれど、支援制度にブチギレつつ利用しまくっているヤツら。
その日から――
彼らは、一団となった。
「おいおい、お前、バーコードにしては毛残ってんじゃん!羨ましィィ!!!」
「この“てっぺんにだけ希望が残る型”な!?哀愁ってレベルじゃねぇから!」
「俺、“つるぴかスタート”だったんだけど、逆に清々しくて草生えた」
「草はえても髪は生えねぇんだよなぁ……」
――悲しみから始まった旅は、いつしか全員の笑いで満ちていた。
食事のたびに帽子をテーブルの中央に重ねる。
温泉では“湯気でごまかせるからワンチャン”と突撃。
夜は部屋でゲームを持ち寄って、“ゲーミングハゲナイト”開催。
悩みも、不満も、過去も、みんな似ていた。
だからこそ、誰も傷を見せるのが怖くなかった。
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旅行の最終日。
全員で記念写真を撮ることになった。
並んだ青年たち。
その全員が、帽子を外していた。
誰一人として、それを笑う者はいなかった。
シャッターの直前。
一人が言った。
「また、会おうな」
「もちろん。また“生えない仲間”で集まろうぜ」
「お前それ、若干の暴言な」
「愛情表現です」
シャッターの音が響いた。
そこには、希望と、笑顔と、確かな仲間たちが写っていた。
帰り道。
最初の青年が、ふと呟いた。
「……不思議だな」
「ん?」
「髪がなくても……“俺”って、ちゃんと残ってたんだなって」
もうひとりの青年が、笑って答えた。
「そりゃそうだろ。
髪があったときより、今のが笑ってる気がするぞ?」
そう言って、二人は空を見上げた。
風が、帽子の中を通り抜けていった。
帰りの朝が来た。
集合写真を撮ったあのベンチの前で、
一人、また一人と、仲間たちが去っていった。
「じゃあな! 帽子の下は戦友だぜ!」
「次のゲーミングナイトは俺の部屋な!」
「育毛魔法、ダメ元で試したら逆に眉毛抜けたから気をつけろ!」
それぞれが笑いながら、
けれどどこか名残惜しそうに、
それぞれの帰路についていく。
ふと気づけば、残っていたのは――最初に声をかけた、あの青年とふたりきりだった。
帽子越しに目が合った。
「……気づけば、最初と最後まで一緒だな」
「なぁ、変なこと聞いてもいい?」
「うん?」
「この旅、楽しかった?」
沈黙。
そして――
「……正直、めっちゃつらかった。最初は、ね」
「だろうな」
「でも……」
青年は、少しだけ笑って、空を見上げた。
「髪はなくなったけど、友達ができた。」
それは、冗談のようでいて、本音だった。
「お前と会えてよかったよ。
誰かと“わかり合えた”って、こんなに救われるんだなって、初めて思った」
「……俺も。あの時、声かけてもらってなかったら、たぶん今も部屋で寝腐ってた」
互いに微笑みながら、拳を軽く合わせる。
「また、会おうな」
「もちろん。また、“髪ないな”って笑い合おうぜ」
ふたりは笑い合いながら、
それぞれの送迎車へ向かっていく。
そして——最後の別れ。
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送迎の魔導馬車の窓から、青年は外を見ていた。
行きと同じ、ひとりの帰路。
だが、不思議と寂しくなかった。
気持ちが重くもなく、苦しくもない。
むしろ、晴れ晴れとしていた。
帽子の中の頭皮に風が抜ける。
「……悪くないな」
ふっと笑って、窓の外に目を向ける。
心の中に、小さな“希望”が残っていた。
それは、髪ではなく――誰かと繋がったという記憶だった。
旅は終わった。
でも、これからは始まる。
もう一人じゃない。
もう笑われない。
もう、笑える。
豪華な食事、快適な部屋よりも人との交流が何よりもの薬になる。
プランを選択する形になってるのも同じ傷を抱くものと接触しやすくするためにしています。