魔王バルドVS勇者セージ ~極悪非道なバーコードハゲ魔王をフサフサ勇者がやっつけるお話~ 作:ナオ3
とある青年とはまた違うバーコードヒストリーがまた一つ…!
※完全オリジナル作品です。某巨大ロボ作品とは関係ありません
もし運営から注意を受けたらタイトルを変えます。
――ある青年の、二十歳の朝
朝の光が、古びた部屋の窓から差し込んでいた。
ひときわ静かなその朝、青年は鏡の前に立っていた。
二十歳になった日だった。
昨日まで、何もなかった。
確かに髪は少し重たくなっていたし、寝癖もついた。
けれど、そんなものはいつものことだった。
だが、今日は――違った。
鏡の中に映るのは、見覚えのある顔。
でも――まるで別人のようだった。
頭の上部から広がる、妙な透け感。
薄くなった髪が、皮膚の上をかろうじてなぞっている。
光が当たると、まるで滑稽な模様のように浮かび上がる。
額のラインは妙に広く、両脇の髪だけが生々しく残っている。
――まさに、“バーコード”だった。
青年は無言のまま、その頭を見つめた。
(……なんだよ、これ)
自分だ。顔は間違いなく、自分だ。
なのに、見ていると、どこか知らない他人を見ているようだった。
ひどく惨めで、
ひどく中途半端で、
なにより――哀れだった。
(こんなふうになるなら、いっそ……)
青年は洗面台の下から、使い古しの剃刀を取り出す。
迷いはなかった。
バリバリと音を立てて、髪が落ちていく。
残っていた側頭の髪も、首元の後ろも、ためらいなく剃り落とす。
床には細い髪がちらばった。
最後に額の前を撫でると、そこはもう、何もなかった。
冷たい感触が、直接皮膚に響いた。
鏡の中の男は――見違えていた。
“禿げかけた男”ではない。
“剃った男”だった。
潔い。
無駄がない。
そして――ほんの少しだけ、強く見えた。
青年は、ふっと息を吐いた。
(……少しだけ、マシになったな)
それだけだった。
髪を失っても、何も変わらない。
生活も、仕事も、未来も、何も保証されてはいない。
それでも――この中途半端な姿で、怯えていた自分を、捨てられたことだけは確かだった。
「……よし」
そう呟き、青年は鏡から目を離す。
今日も、日常が始まる。
髪があってもなくても、戦わなければならない世界は、変わらない。
だけど。
それでも。
少しだけでも、自分で選べたことがあるなら――
それは、誇っていい。
たとえそれが、“全部剃る”という選択でも。
スキンヘッドになったその朝、青年はゆっくりと階段を下りた。
家はいつも通りの香りだった。
焼いたパンの匂いと、スープの湯気。
父の足音と、母の静かな鼻歌。
しかし、階段の最後の一段を踏みしめた時――
視線が、止まった。
キッチンから振り返った母の目が、大きく見開かれた。
そして次の瞬間――優しい笑顔が浮かんだ。
「……ごはん、できてるよ。先に座ってて」
声は、いつもと変わらなかった。
だが、目の奥に宿っていたのは、わずかな震えと……悲しみだった。
父は新聞を読んでいたが、息子の姿を見るなり、ゆっくりと立ち上がる。
「……いい面構えになったな」
その一言に、青年は肩の力が抜けた。
「そ、そう? バーコードのままよりはマシかなって」
「間違いない。お前は“自分で選んだ”んだ。えらい」
父は、ゆっくりと頭を撫でてくれた。
それは、かつて幼い頃に熱を出した時と同じ手だった。
朝食は、いつもよりも静かだった。
スープは優しい味がした。
食後、父がカップを置き、低く声をかけた。
「――しばらく、家にいなさい」
「……え?」
青年はスプーンを置いて父を見た。
「いや、もう気持ちは切り替わってるし。確かに最初はショックだったけど……剃ってみたら案外スッキリして。
俺、外にも出られるっていうか――逆にちょっとテンション上がってるんだよ」
父は何も言わなかった。
ただ、青年の目を見つめていた。
「……理由は?」
「いいから。ここにいなさい」
それは、**拒絶できない“父親の声”**だった。
いつもは穏やかで、冗談を言って笑う男が、今日だけは異様に強く、はっきりと言った。
その目の奥に、何かを知っている確信があった。
青年は、言い返すことをやめた。
「……わかった。今日くらいは……うん」
その横で、母がそっと立ち上がった。
皿を片付けながらも、何度も彼を振り返る。
その目は、やはり――悲しげだった。
何かを伝えたいようで、何も言えない。
まるで、自分の中にだけ答えをしまい込み、沈黙を選んだ人のように。
青年は、その視線の意味がわからなかった。
ただ、父の“理由を告げぬ圧”と、母の“言えぬ悲しみ”だけが、
家の中に、言葉にならない緊張を生み出していた。
(……なんだろう)
青年は、テーブルの上の皿を見つめた。
自分の決断は、きっと正しかった。
けれど――この家の空気は、何かが変わってしまったように思えた。
それが、魔王の呪いのせいなのか。
それとも、自分が何かを失ったせいなのか。
今はまだ、わからない。
ただ――この日を境に、青年の“日常”は、静かに歪み始めていた。
自室に戻ってから、1時間ほどが経っていた。
青年はベッドに腰を下ろし、窓の外をぼんやりと見ていた。
空は、どこまでも穏やかだった。
風も、光も、変わらない。
けれど、父のあの強い言葉と、母の沈黙。
あの二人が揃ってあの反応をすることが、今までにあっただろうか。
「……家にいろ、って言われたのは、初めてだな」
ぽつりと呟く。
その声音は、ほんの少しだけ震えていた。
理由はわからない。ただ、あの言葉は、どこか引っかかっていた。
(……それにしても、なんであんな目をしてたんだ)
母の目の奥に宿っていた、あの“諦めにも似た哀しみ”。
まるで何かを――失う覚悟を決めた者のようだった。
考えれば考えるほど、胸の中に小さな靄がたまっていく。
息が苦しくなりかけたその時――
ふと、立ち上がる。
「……今の、自分の顔……どんなだっけ」
無意識に洗面台の前へと向かい、鏡を覗き込んだ。
そして――
「…………うわっ……ッ」
息が詰まった。
そこに映るのは、さっきよりも“ひどい自分”だった。
頭部全体は剃っているはずだった。
けれど、細かく残った産毛のような髪が、照明の角度で浮き出る。
特に後頭部と右耳の上――
わずかに、だが明確に、“まだらな毛”が浮いていた。
それは、視覚の暴力だった。
整っていない禿。
選ばれた者の潔さではなく、失敗と失態の象徴のようだった。
まるで「剃ることすらまともにできない惨めな存在」と、鏡が語っているようで――
青年は、心臓を握り潰されたような衝撃を覚えた。
(見られたら、死ぬ……)
(親に見られたのは……奇跡だった……)
(これで外に出たら……いや、誰かとすれ違ったら……俺は、たぶん……)
足が震えた。
喉が詰まる。
逃げ場がなくなった。
「……だめだ……これは……だめだ」
震える手で再び剃刀を取り出す。
深く息を吸い、鏡の中の自分を睨みつけた。
「……お前は、ちゃんとやれよ……」
震えた声で、自分自身に言い聞かせる。
「中途半端なままじゃ……生きていけないんだよ……」
丁寧に、ゆっくりと、手を動かす。
皮膚が張りつめる音。
剃刀の刃が産毛をかすめる感覚。
何度も、何度も。
剃り残しが許せなかった。
もう二度と、“中途半端”で鏡の前に立ちたくなかった。
やがて――
鏡の中の青年は、完全なスキンヘッドとなった。
もう何も残っていない。
産毛すらも、指先に感じられないほどに剃り上げられた頭部。
「……ふう」
ようやく息を吐く。
恐怖も羞恥も、自分で押し潰すしかなかった。
それでも、どこかに残るのは、ただひとつ。
“これでやっと、まともになれた”――という、
哀しくて、切ない、自己防衛の安堵だった。
一時間――ただ、何をするでもなく過ぎた。
青年はベッドの上で、天井を見つめたまま動かなかった。
背中に吸い付くような汗の感触だけが、時間の経過を教えてくれる。
(……やっぱ、確認しなきゃ)
そう思ってしまったのは、ほんの一瞬の気の緩みだった。
気持ちを切り替えるため。
確認して、安心するため。
「もう大丈夫だ」と思うため。
けれど――鏡に近づくその一歩が、
まるで断頭台に首を差し出すかのような、処刑台への行進のように重かった。
(……見たくない)
そう思った。
でも、見なければならなかった。
これが自分だと、言い聞かせなければならなかった。
(どうか、もう“別人”になっていませんように)
そして、鏡を――見た。
「…………っ」
呼吸が詰まった。
そこには、先ほど以上に惨めな自分がいた。
哀れで、惨めで、どうしようもなく弱い自分だった。
剃ったはずの頭には、もう“うっすら”と黒い影が戻ってきていた。
スキンヘッドの頭皮には細かい剃り残しが浮き上がり、
微妙にまだらな光の反射が、余計に不自然な陰影をつけていた。
肌に貼りつくような産毛。
手入れからわずか一時間しか経っていないはずなのに、
その存在感は、あまりにも強烈だった。
何より、鏡に映るその顔――
目元には疲労と諦めが宿り、
口元には言葉にならない虚無が浮かんでいた。
もう、何をしても覆せない“敗北”を突きつけられたような顔だった。
完璧に剃ったはずだった。
でも、照明の角度、鏡の角度、そしてなにより気持ちの角度が違えば、見えるものは変わる。
それは、“整えられた自分”ではなく、
“無理やり取り繕った失敗の産物”だった。
(……ちがう)
(ちがう、こんなはずじゃ――)
目を背けようとして、できなかった。
なぜなら。
――父の言葉が、脳裏に響いたからだ。
『しばらく、家にいなさい』
『いいから。ここにいなさい』
父は、知っていた。
この“呪い”が、
この“姿”が、
この“現実”が、
どれほど残酷で、容赦がなく、
日常を破壊するものかを――父は最初から、知っていた。
その時はただ“過保護”だと思った。
悲しんでくれているのだと思った。
あるいは、ただ心配しているのだと。
けれど今――この姿を見た今なら、わかる。
父は、自分の姿を見て、全部わかっていたのだ。
そして、自分が“まだ気づいていない”段階で、
この絶望に足を踏み入れたことを――
見抜いていた。
だから言ったのだ。
**「いいから、家にいなさい」**と。
理由も言わず、説明もせず。
ただ、黙って“閉じ込めよう”とした。
それが“守るため”だったのか。
“逃がさないため”だったのか――今は、わからない。
この頭では、外を歩けない。
自分でも耐えられない。
他人の目にさらされれば、心が壊れると、知っていたのだ。
(そうか……そういうこと、か)
涙は出なかった。
代わりに、頭の中がひどく静かになっていった。
あの優しさは、ただの慰めではなかった。
“逃げ場を作ってくれる、最後の砦”だった。
無理に強くあろうとしていた自分を、
ただ家に囲って、“守ろう”とした。
理由を言えば、傷つけると知っていたから――あえて黙ったのだ。
「……親って、ずるいな」
ぽつりと呟いた声は、思っていたよりも震えていなかった。
もう、誤魔化せない。
自分の姿が、
心が、
すべてが、“壊れている”ということを認めざるを得なかった。
そして今――
青年はようやく、“父の言葉の真意”を、痛いほどに理解してしまった。
日は傾き、部屋の中に長い影が差し込んでいた。
扉の向こうから、小さくノックの音。
青年は顔を上げない。
ベッドにうつ伏せのまま、何も考えられずにいた。
枕元の鏡はタオルで隠した。
もう見たくなかった。
だが、目を閉じていても、脳裏に焼きついた“あの姿”は消えてくれなかった。
ノックが二度、三度。
そして父の声。
「……夕飯、持ってきた。……いいか、開けてくれ」
声は、やけに優しかった。
懇願するように、静かに、丁寧に。
その声音が、余計に胸に刺さる。
青年は動かなかった。
が、少しだけ遅れて、足が床に降りる。
ゆっくりと、重たい身体を引きずり、扉の前に立つ。
扉に手をかけるまでに、三度、息を吐いた。
震える指先で、ノブを回す。
――カチ。
わずかに開いたその隙間から、温かな食事の香りが流れ込む。
そして父の姿。
静かに立っていた。
驚きも、戸惑いも、表情にはなかった。
一歩、父が中に入る。
その瞬間、部屋の空気が、ゆっくりと動いた。
青年の頭部には、完全なバーコードが戻っていた。
剃ったはずの部分すべてに、かすかに艶のある“呪いの毛”が生えていた。
不自然に残る両脇の毛。
無様に光る頭頂部。
まるで嘲笑のように形を成したその姿は、
“魔王の呪いが容赦なく働いている”ことを証明していた。
しかし、父は何一つ言わなかった。
息子のその姿を見ても、眉ひとつ動かさず、
ただ、いつも通りの手つきで小さな盆を机の上に置いた。
「……温かいうちに、食え」
そう言って、ほんの少しだけ、青年の肩に手を置いた。
優しく、強く、揺らがず――“父親”として。
青年は、視線を合わせられなかった。
何か言葉をかけようとしても、喉が震えて声にならない。
目元が、熱かった。
父の指先の温度が、やけに沁みる。
扉の向こうにあった“静かな拒絶”も、
鏡の中の“酷い現実”も、
今この部屋にある“無言の優しさ”も――
全部が、痛かった。
「……なあ、父さん」
ようやく、かすれた声が出た。
「……これが、俺の人生ってやつなのか」
父は、やはり何も言わなかった。
ただ、小さく頷いたように見えた。
まるで、それが**“自分も通った道だ”と告げるように**。
青年は、何も言えず、何も聞けなかった。
ただ――そのとき、初めて。
父の背中に、“同じ呪いを背負った者”の重みを見た気がした。
部屋の空気は、静かすぎるほどだった。
食事の香りはもう冷めて、ただの温もりの残滓になっていた。
その中で、再び扉がノックされる。
今度は、食器ではなかった。
手にしていたのは、小さな徳利と、二つの杯。
「……飲め」
そう言って、父は盆の上にそれらを置いた。
青年は一瞬だけ戸惑った。
だが、次の瞬間、ふと思い出す。
(……そうだ。俺、もう二十なんだ)
呪いが始まったその日、彼は大人になったことを、思い出した。
青年は無言で頷き、杯を取る。
父が徳利を傾け、透明な液体が静かに注がれた。
香りは強く、鼻をついた。
そして、口に含んだ瞬間――
「……っ」
舌に広がったのは、何の味もしない液体だった。
苦くも、甘くもない。
温度すら、記憶できない。
何も感じなかった。
父は隣で、自分の杯を一口飲み、低く呟く。
「……味、わからんだろう」
青年は、驚いた顔を向ける。
父は、何も表情を変えずに言った。
「俺も、同じだった」
その言葉に、青年は息を止めた。
喉が詰まりかけていた酒が、ようやくゆっくりと腹に落ちる。
「父さんも……?」
「――ああ。お前と同じだ」
それだけの言葉に、すべてが詰まっていた。
父は、自分の過去を語らない人だった。
でも今、たった一言で、自分と同じ苦しみを経験していたことが伝わった。
青年は、なんとも言えない安堵を覚える。
理解された、ということが、こんなにも救いになるとは思わなかった。
しかし――
次の父の言葉が、その救いを吹き飛ばす。
「……俺はな」
一呼吸の間を置いて、父は杯を見つめながら、続けた。
「剃ったその日、スキンヘッドのまま……外に出ちまったんだ」
「――え?」
青年は、目を見開いた。
「……嘘だろ……?」
「……自分ではな、整えたつもりだった。完璧に剃ったつもりだった。
でも――甘かったんだよ。」
父の言葉は、どこまでも淡々としていた。
まるで、他人事のように。
けれど、それが余計に――痛かった。
「どうなったと思う?」
青年は、首を振れなかった。
想像すればするほど、胃の奥が重くなっていく。
父は、自分の杯を空にしながら、ゆっくり言った。
「通行人の子どもに笑われて、犬に吠えられた」
「……」
「それでも、そのまま仕事に行った。上司は目を逸らした。
同僚は、何も言わなかった。
……でも、全員、“見てた”よ」
青年は、拳を強く握りしめた。
視界の端が、歪んだ。
「なんで……外に出たんだよ……父さん……」
父は、その問いに、初めて顔を上げた。
そして、真っ直ぐな声で言った。
「出なきゃいけないと思った。
出なきゃ、“消えてしまう”と思った」
その言葉が、胸に深く突き刺さる。
青年には、まだそこまでの覚悟はなかった。
だが、父は――その先を、既に通っていた。
「……いいか」
父は、最後にもう一杯を注いだ。
「今は、出るな。お前には、まだ……心を守る時間が必要だ」
青年は、頷いた。
わかっている。
けれど、心の奥では、もう答えが出ていた。
自分も、いつか――
あの日の父のように、外に出ることになる。
でも今日はまだ、それを恐れていい日だと思えた。
父と息子は、無言で最後の杯を飲み干した。
窓の外に、夕闇が滲みはじめていた。
夜は静かに更けていた。
飲み慣れない酒が体に残り、頭が重い。
青年はベッドにもたれながら、ぽつりと呟いた。
「……せめて……カツラでも、かぶりたいなぁ……」
心からの、本音だった。
鏡に映る惨めなバーコード姿。
どうあがいても、どう取り繕っても、
“呪い”という現実は、皮膚の上から離れなかった。
せめて――
せめて、人並みの見た目だけでも。
そんな願いだった。
すると、黙っていた父が立ち上がった。
何も言わず、部屋を出る。
青年はぼんやりとその背中を見送る。
(……怒らせたか?)
不安が胸をよぎったが、すぐに父は戻ってきた。
手にしていたのは、カツラだった。
「……これを、使え」
そう言って、そっと差し出す。
青年は、驚いた。
「え、父さん……なんでカツラなんて持って……?」
父は答えなかった。
ただ、どこか遠くを見るような目で、青年にカツラを差し出した。
青年は深く考えず、それをありがたく受け取った。
慎重に、慎重に――
頭にかぶせる。
位置を整える。
鏡を見る。
そこに映ったのは――
フサフサな自分だった。
「……ああ……!」
思わず、涙がにじんだ。
整った髪型。
バランスのいい額。
失われたはずの“普通”が、そこにあった。
(大丈夫だ……! これなら、これなら外にも――!)
胸の奥に希望が灯った、その時。
――バチンッ!!
鋭い音と共に、カツラが弾け飛んだ。
空中で一回転し、床に無惨に落ちる。
青年は、呆然と立ち尽くした。
鏡に映るのは――
再び現れた、誇らしきバーコードの自分だった。
希望も誇りも、すべて砕けた。
膝が震え、力が抜ける。
「……っ……っぐ……」
堪えきれず、青年は顔を覆った。
涙がこぼれる。
父は、そんな青年を黙って見ていた。
叱りもしなかった。
慰めもしなかった。
ただ――
その視線は、誰よりも深く、優しかった。
父もまた、かつて、
同じようにカツラにすがり、同じように打ち砕かれたのだ。
だからこそ、今は何も言わず、ただ寄り添うだけだった。
青年は、ようやく気づいた。
この道は、自分だけのものじゃない。
この絶望も、悲しみも、
何十年も前に、父が辿った“道”だったのだと。
涙に濡れた顔で、青年は小さく、声にならない声を吐いた。
「……くそ……魔王の、ばかやろう……」
父は、その言葉に微かに微笑んだ。
そして、静かに――杯をもう一つ、満たした。
絶望の中でも、
立ち上がるために。
部屋の空気は、重かった。
青年はベッドに座ったまま、うなだれていた。
父は、何も言わず隣にいた。
ただ静かに、そこにいてくれた。
(……もう、どうでもいいや)
そんな諦めにも似た思いに、心が飲まれかけた時――
コン、コン、と扉を叩く音。
「……入っても、いいかい?」
母の声だった。
青年は一瞬、迷った。
(この頭を……母さんに見せるのか……?)
羞恥と絶望と、どうしようもない自己嫌悪が胸を締めつける。
だが――
「……いいよ」
かすれた声で、許可を出した。
扉が静かに開く。
母が、そっと中に入ってきた。
手には、小さな紙袋を抱えている。
青年は、顔を上げた。
バーコード状に髪が残った、自分の姿を――母に晒す。
息が詰まる。
目を逸らされるかもしれない。
笑われるかもしれない。
泣かれるかもしれない。
だが――
母は、平然としていた。
いつも通りの、穏やかな顔だった。
それだけで、青年の胸の奥にあった何かが、少しだけ緩んだ。
(……助かった)
言葉にはできない感情が、胸の中で波打った。
「どうしたの?」
そう尋ねると、母はにこりと微笑んで、息子に何かを手渡した。
包装は地味だった。
飾り気のない紙に、控えめなリボンが結ばれている。
「……誕生日、おめでとう」
父の声は、少しだけ震えていた。
青年は戸惑いながらも、慎重に包装を解いた。
中から現れたのは、一つの帽子だった。
シンプルな、深い灰色のキャップ。
地味だが、手に取った瞬間、すぐにわかった。
(……これ、すごくいいやつだ)
縫製の精密さ、生地の質感、手触り。
見た目には普通でも、触ればわかる。
それは間違いなく、一級品だった。
「……ありがとう」
自然に、言葉が出た。
心からだった。
父が、珍しく言葉を重ねる。
「魔王の呪いは、髪型を偽る“カツラ”を弾く。
だが、帽子やヘルメット――“隠すもの”は、弾かない」
静かに、しかし力強く告げられたその事実に、青年は少しだけ口を開けたまま、固まった。
(……そんな、中途半端な慈悲が、あるのか)
情緒が、どうにかなりそうだった。
苦笑いとも、涙ともつかない表情が浮かぶ。
それでも、頭を下げた。
「……本当に、ありがとう」
父も母も、微笑んで頷いた。
それだけで、すべてが通じた。
青年は、帽子を手に取る。
慎重に、優しく、頭にかぶる。
深く――しかし不自然にならない程度に、額を覆うように。
そして、そっと鏡の前に立った。
そこにいたのは――
少しだけ、恰好をつけた自分だった。
剃ったばかりの頭部も、戻ってきたバーコードも、すべてが帽子の下に隠れていた。
鏡に映るのは、何も知らない誰かが見れば、
「ちょっと地味だが、普通の青年」にしか見えない。
それが、たまらなく嬉しかった。
(……まだ、俺は、歩けるかもしれない)
そんな気持ちが、胸に小さく灯った。
帽子をくれた両親。
隠すことを許してくれた小さな慈悲。
そして、それを受け取ることができた自分。
すべてが、今日を生き延びる理由になった。
青年は、もう一度鏡の中の自分に微笑んだ。
恰好つけたまま、
まるで何もなかったように、
少しだけ、胸を張った。
おかしい、ギャグを書くつもりだったのになんでしんみりとした家族物語になってるの?(困惑)
しかも8700字...