魔王バルドVS勇者セージ ~極悪非道なバーコードハゲ魔王をフサフサ勇者がやっつけるお話~ 作:ナオ3
朝が来た。
現実が続いていることに、まず絶望した。
目を覚ました瞬間、世界が終わっていることを思い出した。
昨日は泣きじゃくって、ベッドに突っ伏したまま、気絶するように眠った。
夢すら見なかった。
現実が、すでに悪夢だったからだ。
視線をそっと横に向ける。
枕は湿っていた。涙と、よだれと、たぶん絶望で。
首筋がムズムズする。
(ああ……やっぱり……)
重たい、異質な“何か”が頭部にへばりついている感覚。
それは彼女のものなのに、明らかに“異物”だった。
意を決して、ベッドから這い出す。
足を引きずるようにして洗面所へ。
鏡の前に立つ。
――そこにいたのは、人間の尊厳をすべて投げ捨てたフォルムだった。
絶望的なフォルム。
スパイラルを描いた、大ぶりな茶色のツインホーン。
髪は自然と“ねじれ”、天を衝くように二本立ち上がり、さらに尻尾のように垂れ下がる。
美しさの片鱗など、どこにもなかった。
そして色は、茶色。
完全に――うんこだった。
どこからどう見ても、
どんな照明で見ても、
本当にどう見ても、うんこだった。
昨日――彼女の髪は、“呪い”によってうんこヘアーになった。
そして――今朝。
「……」
再度、彼女は、ゆっくりと鏡を見た。
「……ッ!!」
思わず後ずさる。
自分だ。
間違いなく、自分だ。
なのに、こんな姿を受け入れろというのか。
「……寝ぐせ、ついてんじゃん……ッ!!」
昨日よりも悪化してそこには、想像を超える惨状があった。
元々あった“うんこヘアー”の形状が、寝返りによって微妙に崩れていたのだ。
本来は綺麗に巻かれていた渦が、
今は右に傾き、先端がふにゃりと折れ曲がり、
見る者に対して“斜め45度からの暴力”を叩きつけていた。
その歪みが、“成形ミスされたソフトクリーム”にしか見えない。
そしてそこに、寝ぐせが加わっていた。
後頭部から無造作に飛び出した髪の束が、
“まるでリアルな排泄物のテクスチャー”を再現するかのごとく波打っている。
いる。
鏡の前で、彼女は思わず震えた。
「…………は?」
言葉にならなかった。
そして、次の瞬間――
彼女は鏡の自分に殺意を抱いた。
「……なんで、あんたそんな形してんの?」
声が震えていた。
感情を押し殺していた昨日とは違う。
今の彼女は、完全に“切れていた”。
「……なんで茶色なの?」
「ねえ、なに、茶色って……」
「照明の加減で赤茶に光るの、やめてくんない……?」
「匂いしないのに、臭い感じがするって何……!?」
昨日までは、確かに普通のサラッとした茶髪ロングだった。
染めたわけではない。元々この色だった。
地味でもなく、派手でもなく、ちょっと明るめのブラウンヘア。
それが今――
茶色のねじれた悪夢と化して、彼女の頭を占拠していた。
鏡から漂ってくる“幻臭”。
それは当然実在しないはずなのに、
自分の頭から発せられていると“脳が勝手に錯覚している”。
そう、臭いの“幻覚”が発生しているのだ。
ただそれだけで――
彼女は再び涙を浮かべた。
昨日泣きすぎて、もう泣かないと思っていたのに。
枯れたはずの感情が、また滲み出てくる。
そして、女は思い出す。
かつて、魔王が言った――
「女にバーコードはさすがに酷すぎる。
だから……うんこヘアーにしてやろう。慈悲だ」
慈悲?
慈悲――だと?
鏡に映る自分の顔が、歪む。
歯を噛み締め、拳を震わせ、唇が怒りでぴくりと動く。
「慈悲って言ったな……? それが……これ……?」
口元が笑う。
だが、目は笑っていなかった。
「どの口が慈悲だと……!? ふざけんな、あのバーコード野郎ォ!!」
殺意が、湧いた。
感謝なんて感情は、微塵も残っていなかった。
慈悲?
それは――最悪の呪いに対する、最も雑な言い訳だった。
「ふざけんな……マジで……」
「殺す……」
ぼそりと、呟く。
誰を殺すのかは、もうわかっている。
この世に“うんこヘアーの呪い”をばらまいた――あの、バーコードハゲの魔王。
“男にはバーコード”、“女にはうんこ”。
この絶望の二分化を、なぜ笑って許せようか。
「どこが慈悲だよぉおおおおおッ!!!」
思わず洗面台を殴りかけるが、拳を止める。
壊れてしまえば、また鏡に向かうことすらできなくなる。
ならば、せめて。
せめて――寝ぐせだけでもどうにかしよう。
彼女は決意した。
シャワーを浴びれば、きっと“普通”の形に戻るはず。
そう信じて、浴室へ駆け込む。
熱めの湯を頭からかぶる。
頭皮から伝わる水圧。
流れ落ちるお湯が、髪を真っ直ぐに、自然に下へと伸ばしていく。
(……やった)
思わず、笑みがこぼれる。
湯気に包まれた鏡の中に映るのは、
まるで以前の自分のような、柔らかく肩にかかる茶髪。
「……助かった……」
安堵とともに、浴室を出る。
だが。
その数分後――
事件は、起きた。
キュポッ……ッシャァァァァァン!
音がした気がした。
髪が――水をはじいたのだ。
「……え?」
振り向いた鏡の中には――
シャキーン!!!
空に突き刺すように、完璧な“うんこヘアー”が再臨していた。
まるでセットされたかのような精密さ。
湯気で膨張した髪が乾ききり、形状記憶合金のごとく元の形へと戻っている。
そして、寝ぐせは確かに消えていた。
そう、それは――
寝ぐせのない、“きれいになった”うんこだった。
「……ッあは、あははは……きれいって……は? 誰が喜ぶんだよこんなの……!!!」
彼女は再び絶叫した。
鏡に写る自分に、
いや、“慈悲深き呪い”に対して。
美しく整ったその“何か”を前にして、
彼女は確かに悟った。
これはもう、戦いだ。
日常を取り戻す戦いではない。
自尊心の生き残りをかけた、魂の抗争である。
拳を握りしめ、洗面台を見つめる。
衝動的に切りたくなる。
燃やしたくなる。
剃りたくなる。
でも――
何をしても、この形は戻ってくる。
それが、呪いなのだ。
彼女は理解している。
変えられないことを受け入れるには、あまりにも理不尽すぎる現実。
だけど、今日もまた生きるしかない。
このおぞましい髪型のままで。
この、“うんこ”を頭に載せた状態で。
朝は、始まってしまった。
また一日、笑われないように過ごさねばならない。
誰のせいでもない。
でも、許せるものではない。
鏡の中の“自分”が、そっと揺れた気がした。
風もないのに、髪がふわりと波打った。
それが、まるで――「うふふ」と笑っているように見えた。
「やめろやぁああああああああああああああ!!!!」
その言葉とともに、彼女の新たな朝が始まった。
惨めで、屈辱的で、笑えないほどにシュールな――
うんこヘアー初日の朝が。
絶叫してからしばらく、彼女はただ天井を見ていた。
乾いた髪は、まるで意志を持っているかのように“シャキーン”と天を突いていた。
完全なる“整髪されたうんこ”だった。
――否、寝癖を直し、艶まで出した“きれいなうんこ”だった。
もうだめだと思った。
せめて寝癖を……とシャワーを浴びたあの一縷の希望を、数分後に裏切ったこの髪。
水を弾いて立ち上がる様は、まるで「希望を絞った雑巾」からもう一滴も出ない瞬間のようだった。
(……だめだ、職場には行けない。絶対に)
鏡に映る“整ったうんこ”を見た直後、彼女の理性はほぼ壊れかけていた。
寝癖で歪んだそれは、シャワーで一度は整ったものの――
乾くと同時に、**シャキーン!**と威風堂々と天を指した。
それはもはや、髪ではなかった。
信念だった。
「……はあ……」
死んだ魚の目で溜め息をつきながら、彼女は職場の通話につなぐ。
相手に出たのは、総務の“事務員のおばちゃん”だった。
『あら、○○ちゃん? どうしたの、元気ないわね』
「……ちょっと、すみません。今日……というか、しばらく……」
『ああ、うん。上司のほうからもう聞いてるから、大丈夫よ』
「……へ?」
『特別有給が出るから、少なくとも一ヶ月はお休みしなさいって。上からよ。』
「い、いや、でも私何も……えっ、なんで……?」
『理由は、聞かなくていいって言われてるの。上司も“今回は事情が特殊だから”って』
「……」
沈黙。
言葉が、出なかった。
(……把握されている)
完全に。
誰かが、私の惨状を知っている。
(嘘でしょ……?)
鏡に映った“整ったうんこ”の造形美が、脳裏をよぎる。
あれを、誰かが見た?
誰かが察した?
いや、誰かが“前提として準備していた”??
あまりにも完璧な準備と、あまりにも無言の配慮。
それらは、まるでこう言っているかのようだった。
「あんたがうんこでも、居場所はちゃんとあるから」
彼女は震える指で通話を切った。
再びシャワーを浴びようと、浴室へ向かう。
だが、すでに知っている。
シャワーで髪を濡らしても――
数分後には、また“整って”しまう。
まるで、誇り高き王冠のように。
だが今は、せめて水を浴びて目を覚ましたかった。
この現実が“悪い夢”でないなら、
せめて、もうちょっとマシな夢にしてほしいと願いながら。
シャワーを浴び終え、忌々しい髪が再び天を貫く完璧なうんこヘアーに戻ったその瞬間、魔道通信端末が静かに光を放った。
シャワーの水滴が肩を伝って落ちていくのを感じながら、彼女はまだ濡れたままの指先で魔道通信端末を開いた。
画面には公務員専用番号の通知が浮かび上がり、淡々とした文字が踊っている。
差出人は「中央生活支援庁・市民福祉局女性支援課」。
(……なんだよ、その“狙い撃ち”みたいな部署……)
タップすると、以下の文が表示された。
「うんこヘアーの呪い」発現を確認した成人女性の皆様へ
このたび、あなた様に対して
・魔王城認定支援物資
・基本動作講習及び心理的ケアのガイド
等をお渡しする準備が整いました。
つきましては、担当公務員が直接お渡しに伺いますので、
ご自宅または外出先での面会希望の可否について、ご返信をお願いします。
※本通信は魔道省公認の専用回線を通じてお送りしております。詐欺等ではありません。
女は、口元を引きつらせるように歪めた。
(詐欺じゃない……この番号、官公庁専用チャンネル……)
そしてスクロールすると、最後に選択肢が二つ出てくる。
□ 自宅での面会を希望
□ 外出先での面会を希望
彼女の指は、ほぼ反射的に上の選択肢をタップしていた。
(こんな頭で外に出られるかボケが)
タップ後すぐに、自動返信の確認メッセージが届く。
ご自宅での面会を承りました。
明日10時、担当者が魔導的転送にて玄関前に訪問いたします。
※訪問時、うんこヘアを見ても動揺しないよう訓練された女性職員が伺います。
「うんこヘアを見ても動揺しないよう訓練された」
という文言に、彼女は思わずスマホを投げかけた。
「……何その訓練!? 私の人生って、そんな対応を求められるレベルなの……!?」
頭をタオルでぐしゃぐしゃ拭きながら、女はベッドに倒れ込んだ。
すでに乾きかけたうんこが、枕に「こんにちは」とばかりに突き刺さる。
(いや、もう……逆にちゃんと対応してくれてるのムカつく……)
憎しみと安心感の狭間でぐらぐら揺れる感情。
寝返りを打つたびにふにゃりと潰れそうになる希望。
最後に、彼女は布団をかぶった。
午前十時ちょうど――ピンポーン。
電子音が玄関に響いた瞬間、彼女は心臓が跳ねるのを感じた。
(来た……)
半信半疑だった政府の“うんこヘアー支援”は、どうやら本物だったらしい。
恐る恐るドアを開ける。
そして、視界に飛び込んできたのは――
完璧に整った“うんこヘアー”を掲げる女。
それはもはや造形美だった。
芸術的なカーブを描いたツインホーン。
ねじれも対称、艶も申し分なく、両サイドには風除け用の黒いレースが“高貴さ”すら演出している。
(すげぇ……プロのうんこ……)
そう思ってしまった時点で、すでに何かを失っていた。
「魔道福祉課のエステラと申します。本日のお約束に参りました」
彼女は軽く会釈したが、その角度は絶妙で、頭部のうんこがまるで“礼儀正しいうんこ”として優雅にしなるような美しさを見せつけてきた。
「本日は“うんこヘアー専用魔道具セット”の配布と、使用方法の説明にまいりました。よろしくお願いしますね」
(……よろしく……!?)
まるで、それが普通のことであるかのような態度。
彼女は軽く会釈したが、その角度は絶妙で、頭部のうんこがまるで“礼儀正しいうんこ”として優雅にしなるような美しさを見せつけてきた。
(なんで……そんなに……堂々としてんの……?)
女の胸中に、唐突に湧いた疑問。
(いや、知ってた……皆こうなるって、わかってた……二十歳になれば誰でも……)
知識と実体験の乖離。
“他人の不幸”として見るそれと、“自分が不幸の当事者”になったそれの、深すぎる落差。
言葉に出せないまま、彼女はただ頷いた。
玄関前で簡易テーブルが展開され、ハルミが荷物を開けていく。
「……どうぞ、中へ」
ようやく絞り出した声。扉を開けると、エステラは手慣れた動きで鞄を開き、中からいくつもの魔道具を取り出し始めた。
「こちらが『ウンクリーナー』、乱れた形状をスキャンし、呪いに干渉せず“元のうんこフォルム”に戻す自動整形魔道具です」
取り出されたのは小型の魔道櫛。先端から青白い光が出ており、ゆっくり近づけると“ふにゃ”っと曲がっていた彼女のうんこが――“シャキーン”と美しく立ち直る。
「そしてこちらが『ウンスタビライザー』。この玉を頭部に触れさせると、風や湿度による暴走を抑え、形状を維持してくれます」
見た目は宝石のように美しいが、その名は“安定うんこ”の意を示していた。
「色味を変えるにはこちら。『ウントーンチェンジャー』。触れることで色彩魔素を伝導し、望む色に髪色を変化させます」
赤、青、紫、パステル、虹色まで。“こんな色のうんこ、見たことない”という色合いのパレットが展開された。
「なお、全て国家認定済の魔道具です。ですが取り扱いは慎重にお願いします。魔力の乱れや過剰使用により、ツインホーンが分裂したり、回転を始める事例が報告されています」
「……分裂……?」
「はい。最悪の場合、四本になります」
彼女は小さく震えた。
「それと――」エステラは一拍置いて、彼女を見た。
「……あなたが初めて“他人のうんこヘアー”を、当事者として見たのは今日が初めてですね?」
「……え?」
「視線の揺れ方で、わかりました。みなさんそうです。“自分”がなって初めて、他人の姿を“実感”するものです。だから、こうして来てるんです」
(……なるほど……)
胸が、ほんの少しだけ、軽くなった。
エステラのうんこヘアーは、圧倒的だった。崩れもなく、色艶まで選び抜かれ、もはや“芸術”の域。
そのうんこが――胸を張っているのだ。
(……いや、“うんこ”が胸を張ってるんじゃない。あの人が、胸を張ってるんだ)
“自分のうんこヘアー”を受け入れているからこそ、堂々としていられる。
彼女はそれを理解しつつも、まだ心に折り合いをつけられずにいた。
「どうして……そんなに堂々とできるんですか……? こんな……笑われるような、形なのに……」
エステラは、一瞬だけ微笑んだ。
「……“皆が笑う”のは、“自分が笑われると思っている自分”です。
でも、誇りを持っていれば、誰も笑いません。
それでも笑うなら、そいつはただのバカです」
静かに、強く、芯のある声。
「それに……これ、結構良いんですよ。雨の日でも形が崩れないし、何より――夜道でめっちゃ目立ちます」
「それ、メリットなんですか……?」
「命守れますよ? 頭の上で“輝く目印”になるから」
彼女は思わず吹き出してしまった。
笑った自分に驚いた。
でも、そこには確かに――微かな希望が芽生えていた。
明日も、この頭で生きていく。
その“補助輪”を、彼女はようやく手に入れたのだ。
部屋の鏡に映る二人の女。
一人は“完成されたうんこ”。
もう一人は、“成り立てうんこ”。
それでも、どちらも――立派に、“今日”を生きていた。
そして、“胸を張るうんこ”は、いつかきっと――笑われるものじゃなくなる。
そう思えた。少しだけ。
彼女は魔道具を見つめ、初めてそれを“使おう”と、自然に手を伸ばした。
「……色、変えてみようかな」
静かに、今日という現実を、塗り替えるように。
「こちらも、ご自宅用の設置型魔道具になります」
エステラが鞄の底から取り出したのは――一見、ただの銀色の輪っかだった。だが、その中央には魔道文字が刻まれており、魔力の通電とともに淡く青く光り始める。
「これは『ウンドア・ガードリング』といいます。扉の上枠に取り付けておくと、出入りの際、うんこヘアーがぶつかっても弾性フィールドが展開され、怪我を防ぎます」
「……それ、そんなに必要なんですか?」
「多くの方が“勢いよく玄関を開けて、うんこを角に強打”する事故を経験しておられます。軽度の衝撃でも、意識が吹き飛ぶほどの痛みになるとか」
「……私も昨日、やりました……」
「あら、もうご体験済みでしたか。では必須ですね」
エステラは小さく頷き、手際よくドア枠に魔具を設置していく。軽い音と共に、“パチン”と固定され、魔力のフィールドが一瞬だけ光った。
「次に、こちらが『ウンピロー』。うんこヘアー用快眠枕です」
彼女が取り出したのは――見るからに特殊な形状の枕。中央にぽっかりと穴が開いており、その周囲が緩やかに湾曲し、まるで“ツインホーン”の差し込みを計算した設計になっている。
「睡眠中、うんこヘアーが圧迫されると“自己修復機能”が働いて形が乱れます。それによって眠りが浅くなる方が非常に多いのです。これなら、自然な形でフィットし、魔力の乱れも最小限に抑えられます」
「……もう、なんか……全部うんこ前提なんですね……」
「ええ。うんこヘアーは人生において“環境そのもの”になります。私たちは、そこに順応する術を提供しているにすぎません」
冷静な口調で、事務的にうんこヘアーを語るエステラの姿は、もはや神職者のような厳粛ささえ漂わせていた。
「そして、こちらをご覧ください」
彼女が広げたのは、豪華な製本カタログ。金の箔押しで“UNICROWN BED COLLECTION”と記されたその表紙には、ツインホーンが天にそびえる女性がベッドに横たわる姿が描かれていた。
「うんこヘアー専用ベッドです。無料配布対象となっております。現在の寝具では、うんこの角度が崩れたり、回転・暴発などの恐れもあります。こちらはヘッドレストに“うんこ空間”を確保した特殊設計になっており、中央に魔力緩衝ゾーンを配置しておりますので安心して寝返りも打てます」
「……無料って……なんでここまで……」
「我が国は“髪に生き、髪に殺される者たち”の福祉を第一義に掲げていますから。
……そして、この制度を確立したのは――バルド・コード陛下です」
「…………」
彼女は黙り込んだ。
またか、と。
どこへ行っても現れるあの男の名――バーコードの元凶。
だが、同時に……この枕、このドアガード、このカタログ。どれも“本気で救済の手”なのだ。
忌まわしい呪いの使い手が、同時に――その被害者を守る制度の制定者であるという皮肉。
「……矛盾してる……けど……これが、現実なんですね……」
「ええ。そして、これらはすべて“あなたの尊厳のため”にあると、私は信じています」
その言葉に、何かが揺れた。
ふざけたような形の枕と、神々しいうんこヘアー。
ギャグのようでいて、現実の中に溶けているそれは――今や彼女の“日常”になろうとしていた。
彼女はそっと、カタログを手に取った。
「……このベッド、選ぶのに悩みそう……デザイン全部ツインホーン前提なんですね……」
「もちろん。寝室に誇りを持ちましょう」
魔道福祉課、エステラの静かな笑顔が、今日一日の中で一番優しかった。
「さて……魔道具のご説明は以上となります」
カタログを閉じたエステラが、ほんの少しだけトーンを変えた。少し柔らかく、けれど“重要事項”であることを感じさせる口ぶりだった。
「次は、公共サービスのご案内に移ります」
鞄から取り出されたのは、小さな金縁の封筒と、魔道通信端末の転送カード。中には――数枚の煌びやかなチケットと、魔法印が施された案内書。
「こちらは、『ウンキャブ・フリーパス』です。うんこヘアーの女性専用タクシーに乗車できる無料チケット。計十枚、お渡しします。予約時に番号を伝えるだけで、どこへでも即時配車されます」
「……タクシー……ですか?」
「はい。呪い発症後、最も多い事故の一つが、“公共交通機関におけるうんこ接触事故”です」
「……うんこ接触事故……」
「主に、突発的な角度変化、進行方向の誤認、車両のドアに挟まれるケース、他者の視界遮断などが原因です」
彼女は呆然と聞きながら、自分の頭をそっと撫でた。それは確かに……“人間の髪型”の想定から逸脱している。
「バスや電車のドアに挟まれて……」
「――そのまま引きずられた方もいらっしゃいます。結果、角が折れて入院となりました。整形魔導師による再形成には3週間以上かかります」
「角が折れるって……それ、髪ですよね……?」
「……“うんこ”は、髪です。だが――髪ではないのです」
名言のように言われ、何も言い返せなかった。
「ですので、交通は専用のものをご利用ください」
そう言って、エステラは一枚の案内図を広げた。
「このエリアには“ウンバス”“ウン電”と呼ばれる専用交通が整備されています。車内の天井が高く、天を指す髪型にも対応。座席にはツインホーンを収めるための魔力緩衝空間があり、接触事故もありません」
案内図には、通常の路線に並行して引かれた“うんこルート”が示されていた。各駅には“うんこヘアー推奨マーク”が刻まれ、乗り降りにかかる制限時間も通常より長く設定されている。
「もし専用路線が近くにない場合は、ウンキャブをご活用ください。チケットが切れても、通常のタクシー料金の約三分の一で利用可能です。これは国費――つまり魔王バルド・コード陛下の個人資産から補助されています」
「またあいつか……」
心の中で呟いた。
どこまで徹底してるんだ、あのバーコード。
(いや、ここまで来ると……執念?)
それとも、“呪いの代償”をわずかでも埋めようとしているのか――
「ちなみに、バイクや自転車は?」
「禁止です」
即答だった。
「風圧により“うんこが旋回”した事例があります。周囲への物理的損害が発生しました。最悪の場合、角が折れて貫通する事故も」
「うんこが貫通する……」
言葉の暴力だった。
彼女は震えながらも、理解していた。
これは、もはや“社会現象”なのだ。
自分が特別なわけでも、異常でもない。
ただ、国民の誰もが受け入れざるを得ない“呪いの世界”に順応しているだけなのだ。
「……あの……笑ってもいいですか」
「どうぞ」
エステラは淡々と返した。
彼女は、そのまま――笑った。
ずっと張り詰めていたものが、音を立てて崩れていった。
うんこヘアー専用タクシー、うんこ接触事故、回転うんこ、貫通するうんこ――
それら全部をまとめて、現実として認めるしかない。
そうして、ようやく“生きる”ことができるのだ。
「……私、まだ慣れてないんです」
「皆さん、そうです。最初は……笑いながら泣きます。でも、ある日ふと、“それでも外に出ていい”と思える日が来ますよ」
「……そんな日、来るのかな……」
「来ます。その時、あなたのうんこは――美しく立っています」
崇高な宣言だった。
彼女は涙を拭きながら、配布されたチケットを鞄にしまった。
うんこヘアーでも、生きていける世界。
いや、うんこヘアー“だからこそ”成立している社会が、ここにあった。
カウンセリングの案内資料を渡されたのは、夕方近くのことだった。精神回復サポート、魔力制御訓練、自己肯定感向上プログラム――分厚いパンフレットには、それぞれ美しいツインホーンの女性たちの笑顔が並んでいた。
そして、エステラは名刺を差し出した。
「もしもの時は、こちらの番号にどうぞ。私の業務用魔道通信端末に直接繋がります」
名刺にはシンプルな文字でこう書かれていた。
エステラ・ハインツ
魔道福祉課 うんこ髪部門専任補佐官
『いつでも、貴女のうんこと共に』
「……このキャッチコピー、どうにかならなかったんですか……?」
「異動願いは何度も出してます」
そんなやり取りを終え、エステラは帰っていった。
日も暮れきり、室内の明かりがじんわりと薄暗さを溶かしていた。
紙袋の山、魔道具の梱包、カタログ類、そして説明を詰め込んだファイル……全ては部屋の隅に積み上げられていたが、女はそれを片付ける気力すらなくしていた。
疲れきっていた。精神も、身体も、魂すらも。
――何もしていないはずなのに。
いや、違う。
“うんこヘアーと向き合った”一日だったのだ。
この異形を前提とした現実に、正面から“適応”を強いられたのだから、当然だった。
彼女は浴室のドアを見つめる。けれど、足は一歩も動かなかった。
「……もういい。今日はもう、いい」
そう呟き、ベッドへと向かう。
その上には、今日初めて使用する魔道具――ウンピローがあった。
天に向けて見事に“差し出す形”で中央に空洞を持つ特製枕。
冗談のような形をしているくせに、生地は極上の魔獣毛で編まれており、触れただけで蕩けるような感触。
彼女は、ゆっくりとそこに頭を沈めた。
ツインホーン型のうんこヘアーが、まるで“帰るべき場所”を得たかのように、ぴたりと嵌まった。
浮力のような支えがあった。柔らかいのに、形を乱さない。
それは……もう、完璧だった。
「……なにこれ……なにこれ……なにこれぇぇぇ……っ」
呻くように声が漏れた。
快適すぎる。
今までの枕がすべて“間違い”だったと思わされるほどに。
頭が浮き、首が解放され、髪が安定し、思考が沈んでいく。
(これ……寝れる……全然寝れる……むしろ……寝たくなる……)
心が溶けかけた、その瞬間。
――ふと思い浮かぶ。
顔を見たことすらない。
話したこともない。
ただ一方的に、“呪った存在”。
バーコードの魔王、バルド・コード。
すべての始まり。
すべての、うんこの。
彼の顔を、見たことなどないはずだった。
――だが今。
なぜか、浮かんでしまう。
ツルッと反射するバーコードハゲ。
口元がニヤリと歪み、上から見下ろすその笑顔。
ふざけた笑み。
人を試すような目。
「快適だったろ?」と言わんばかりのドヤ顔が、脳内に再生されて止まらない。
「ちがうッ!! お前の顔なんか知らねぇのにッ!! 脳内で勝手に作った顔にムカついてるの何でぇえええッ!!」
無意味な叫びを枕にぶつける。
うんこヘアーは微動だにせず、気持ちよさそうに枕に収まっている。
それすら――余計にムカつく。
「……ッ……!!」
彼女は唐突に叫んだ。
「ここまでやるなら最初から呪うなバルドォオオオオオオオッ!!!!!」
うんこヘアーがウンピローに完璧に固定されたまま、ベッドの上でのけ反った。
しかし――枕が完璧すぎて、微動だにしない。
その姿は、まるで“怒りを固定された女神”だった。
「……誰だよ……誰がこれ設計したんだよぉ……!!なんで……なんでこんな……負けた気分に……なるの……ッ!!」
声は震え、目元に涙すら浮かびそうだった。
この“完璧さ”が、逆に許せなかった。
だって、こんなにも快適だなんて。
最初からこれが前提で、社会が用意されていて、制度も整っていて、ケアも完璧で。
まるで――
「……最初から、全部“うんこになること”が正しいみたいじゃんかよ……」
その口惜しさと、怒りと、情けなさの中で。
彼女の呼吸は、次第に穏やかになっていった。
ウンピローの抱擁は、あまりに優しく。
この夜、彼女は涙の代わりに、僅かないびきを吐いて眠りについた。
――うんこヘアーのまま。
――世界で一番、快適なうんことして。
よし、ギャグを書けたな!
…何故、僕は11000字も作っちゃったんだろ?
多分、ここまでうんこというワードが飛び交う話を書いたの僕だけだよなぁ?