魔王バルドVS勇者セージ ~極悪非道なバーコードハゲ魔王をフサフサ勇者がやっつけるお話~   作:ナオ3

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ついに魔王バルドと対峙する勇者セージ。


八話 なんでもない約束

朝の光が、カーテン越しにふわりと差し込んでいた。

魔王城の朝は静かで、そしてどこか清らかだった。

 

その静けさの中——セージはベッドの上でぐぅ〜っと伸びをしていた。

 

「ふあぁ……久々に寝た気がする……」

 

魔王城に来て初めての夜。

不安もあったが、それ以上に“眠りの質”が段違いだった。

ふかふかのベッド、心地よい魔力循環の空調、外敵ゼロの超安全空間。

 

 

(……あの研究所に比べたら、天国だな)

 

 

セージは身体を起こし、腕を回しながら軽く屈伸。

髪に手をやって、いつも通りの“フサ”を確認して小さく頷く。

 

 

「うん、今日もある」

 

 

さりげないその確認が、今や世界的に重要な行為になっているとは、本人はまるで気にしていない。

 

コンコン。

 

 

「セージ様、失礼いたします。魔王陛下から、伝言を預かっております」

「どうぞー」

 

 

返事をすると、ドアが静かに開かれた。

入ってきたのは魔王直属の側近のひとり、重厚な黒装束を纏った威厳ある魔族だった。

 

 

「陛下より、今朝のお目覚め後、可能であれば……お話がしたいとのご意向がございます」

 

 

一瞬の間もなく——

 

 

「はい、行きます!」

 

 

即答だった。

 

 

「えっ早ッ!?!?」

 

 

想定していた「熟考」「戸惑い」「質問」などが一切発生しなかったことに、魔族の目が丸くなる。

 

 

「ま、待たれよ、セージ様……よろしいのですか? か、かの陛下ですよ?

 世界の覇王にして、300年の支配者、“感情震度”で国が揺れる男……!」

「うん、でも話したいなって思ってたんで。むしろありがたいです」

「な、な……!?」

 

 

その返答に、魔族は震えた。

“ありがたい”という言葉を、魔王との会話に使う人間がいたことが、ただの事実として衝撃だった。

 

 

「いったいどんな……どんな精神構造を……!」

(いや落ち着け……これは感情分析案件だ……絶対強者と個人的に話すというのにこの動じなさ……!

 感情耐性:MAX……!?いったいこの男……)

 

 

セージはそんな魔族の葛藤を横目に、シャツを整えながら言った。

 

 

「じゃ、案内お願いしまーす。話、楽しみなんで」

 

 

その一言に、魔族の心の中で静かに震度4.2の地殻変動が起きた。

 

 

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魔王城・第三応接室。

 

そこは、王族や外国の要人にしか使われない、特別な部屋だった。

漆黒の絨毯に金糸の装飾、壁にかかる魔族画家の抽象画。

そして中央には、王専用のソファと、来客用の席。

 

その王専用のソファに——

 

魔王バルド・コードが座っていた。

 

端正な横顔、いつも通りの黒装束。

額のバーコードも、今日に限ってやや“きれいに整っている”。

 

そしてその男は今——

 

とんでもなくソワソワしていた。

 

 

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「………………」

 

背筋を伸ばし、脚を組んだまま微動だにしない。

だがその手は、膝の上でわずかに震えている。

視線は真正面を向いているが、明らかに数秒ごとに時計をチラ見している。

 

そして何より、呼吸がやや浅い。

 

 

(……まずい……緊張……している……ッ!?)

 

 

この男が。

あの、神をも焼き払った“災厄”が。

完全にテンパっていた。

 

 

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その傍に、そっと控えるひとりのメイド魔族。

年若いが鋭い観察眼を持つ、名はキルナ。

彼女は、主の様子を横目で見ながら——内心こう思っていた。

 

 

(え、いや……いやいやいやいや……

 初デート前の童貞男かよ……!?)

 

 

あまりの挙動不審っぷりに、彼女の脳内ツッコミスキルがフル回転を始める。

 

 

(足の組み替え6回目、時計チラ見9回目、襟元直しすぎて皺できてるし!!)

(しかも今日に限って、バーコードのライン、微妙に左右対称になってんのなんなん!?お手入れした!?)

(いやもう、完全にデート前の男子高校生やん……しかも相手男なんですけど!?)

(うわ、だめだ、髪以外で笑うの初めてかも……笑ってまう、笑ってまう……)

 

プルプル……

 

唇が震える。

魔王の隣で笑うことのリスクは、言うまでもない。

 

だが今日の魔王は違った。

 

笑いにアレルギーレベルで敏感な魔王はいつもなら瞬時に察知する。

しかし、今日は——察知すらしていない。

 

完全に“セージのことで頭がいっぱい”。

 

 

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「……なぜ私は……このような感情を……」

 

魔王は誰に言うでもなく呟いた。

それを聞いたキルナの脳内では、再び爆笑の波が押し寄せる。

 

 

(うわあああああああ思春期〜〜〜〜!!!)

(これもう心がゲーミング光ってるわ!!)

 

 

キルナは口を噛み締め、全力で己の職務に集中することを誓った。

 

彼女の中で、“髪以外で笑ってしまったぜ魔王様”という記録が刻まれた。

 

 

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そして。

数分後、扉の向こうから足音が聞こえてくる。

 

魔王の呼吸が、一瞬だけ止まった。

 

 

(来た……!)

 

 

世界最強、魔王バルド・コード。

今、ひとりの青年と話をすることに、心臓が爆裂しそうである。

 

 

魔王城・第三応接室。

 

重厚な扉が静かに開かれ、セージが中へと通された。

 

 

「失礼します」

 

 

部屋の奥。

漆黒のソファに座る魔王バルド・コードは、まるで静止画のように動かなかった。

だが、その瞳だけが一瞬、わずかに揺れた。

 

セージと視線が合う。

 

ほんの一瞬の間。

けれど、そこに言葉以上の何かがあった。

 

 

(……、緊張してる?)

 

 

セージはふと、そんな違和感を覚えた。

 

昨日見たときの威圧感は、確かにあった。

でも今日はどこか……ぎこちないというか、張り詰めているというか……

 

 

「魔王陛下、本日もお美し……ゲフン、失礼いたします」

 

 

傍らで給仕をしていたメイド・キルナが、思わず喉を詰まらせる。

彼女の内心はというと——

 

 

(え、ちょっと待って今日の魔王様……目の動きが乙女じゃない!?)

(てかなんで沈黙してるの!?言いたいことあって呼んだんじゃないの!?今なんで見つめ合ってんの!?何のドラマ!?)

 

 

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沈黙がほんの数秒続いたあと、

セージが自然に、言葉を切り出した。

 

 

「……俺の、何が気になってますか?」

 

 

魔王の目が、わずかに見開かれる。

 

 

「……っ」

「いや、ほら、昨日“話がしたい”って言ってたじゃないですか。

 何か気になることとか、聞きたいことがあるのかなって」

 

 

魔王は、返答に一瞬迷った。

 

 

(……なんと……話を、切り出された……!?)

(私のほうから“聞きたいことがある”と言ったのに……なぜ……)

 

(しかも、全く臆していない……)

 

 

胸の内に広がる困惑は、彼にとっては未知のものだった。

 

質問に対して答えが出てこない。

自分がいま、何を知りたいのか——はっきりわからなかった。

 

昨日までなら、明快だった。

“呪いに逸れた理由”

“この異常が世界に与える影響”

 

だが、今は違う。

 

セージという存在そのものが、気になるのだ。

 

理由も、因果も、目的もなく。

ただ、知りたいと思ってしまった。

 

 

(……これでは、まるで……)

 

 

メイド・キルナは、魔王の視線の泳ぎと沈黙に耐えきれず、心の中で地鳴りのように叫んでいた。

 

 

(いや迷うなぁぁああああ!!!)

(言葉に詰まるとか初めて見た!!これはヤバい、これは来てる……もしかして本気で“個人”として話そうとしてる!?)

 

 

セージも気づいた。

 

 

(……この人、俺の“異常性”じゃなくて……俺自身に話しかけようとしてる?)

 

 

彼は、相手の心を読むつもりはなかった。

でも、昨日からずっと、自分を一人の人間として見てくれたことだけはわかっていた。

 

だから今度は、自分がその目を受け止める番だと思った。

 

 

________________________________________

 

 

「もし、“陛下”としてじゃなく、“バルドさん”として話したいことがあるなら……

 俺、普通に聞きますよ?」

 

 

魔王の瞳が揺れた。

 

キルナの脳内が爆発した。

 

 

(やばい!!!やばいってこのセリフ!!!少女漫画やん!!男だけどヒロイン力高すぎる!!!)

(てか名前呼び出た!?“バルドさん”!?陛下って呼ばれてたのに!?)

(あああああこれ絶対このあと魔王様照れる!!!これ照れたら私死ぬ!!!)

 

 

________________________________________

 

 

静かな朝の応接室に、

魔王とセージ、ふたりの空気がゆっくりと交差し始めていた。

 

魔王とセージの視線が交わる。

 

世界の覇者と、ただの青年。

けれど今この瞬間、二人はただ、“人”として向き合っていた。

 

少し沈黙が続いたのち、セージが口を開いた。

 

 

「……じゃあ、先に俺から聞いてもいいですか?」

 

 

魔王の眉がわずかに上がった。

その問いに、一拍置いて、静かに頷く。

 

その仕草を見たメイド・キルナは、内心で感動の嵐だった。

 

 

(はっ……今、自然に頷いた……!威圧もなく、威厳でもなく、ただ“普通の人”として……!

 なにそのさりげない気づかい!?陛下……いま全力で優しさ出してない!?)

(まってむり、私その優しさに感激して泣きそう……いや鼻血出そう……)

 

 

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「……バルドさんは、どんな生活をしてるんですか?」

 

 

その問いに、魔王は完全に固まった。

 

 

「………………」

「えっと……普段はどう過ごしてるとか、趣味とか、好きな食べ物とか。

 そういう、なんていうか、“バルドさん”自身のこと」

 

 

魔王は言葉を失っていた。

横のキルナも、声には出さないが顔がすごいことになっている。

 

 

(生活!?好きな食べ物!?

 いやいやいや、何聞いてんのこの子!

 王のプライベートにそんな直球!?そんな真顔で!?しかもめっちゃ優しい声で!?)

 

 

セージは続けた。

 

 

「だって俺、“魔王バルド・コード”のことは知ってても……

 “バルド”って人のことは、なにも知らないですから」

 

 

その一言が——

 

 

バルドの心を撃ち抜いた。

 

 

(………………!)

 

 

世界の誰もが「魔王」として彼を見た。

世界の誰もが、バーコードとして彼を笑い、あるいは恐れた。

けれど、ただの「バルド」として、何を好きか、どう過ごしているのかを尋ねた者など、一人もいなかった。

 

今、その問いを向けられた瞬間、

彼の中にあった“絶対の孤独”が、音もなく小さくひび割れた。

 

 

「……私は……」

 

 

魔王は言葉を紡ごうとする。だが、声が震えていた。

自分でも、何をどう伝えていいのかわからない。

こんなふうに問われた経験が、人生で一度もなかった。

 

 

________________________________________

 

 

横のキルナは、もう限界だった。

 

 

(な、なんだこの空間は……!)

(私、今たぶん……乙女ゲーのサブヒロイン視点に突入してる……)

(てかこの会話……甘酸っぱすぎて鼻血でる!!)

(この流れで魔王様が“チョコが好き”とか言い出したら私失血死する!!!)

 

 

________________________________________

 

 

魔王の瞳が、静かに揺れていた。

彼は、世界にただ一人だけ、自分を“魔王ではなく”見た青年の問いに、

どう答えるべきかを、必死に探していた。

 

そしてその問いは、彼自身がまだ知らなかった「自分自身」にすら届いていた。

 

魔王は、静かに、けれど苦しげに視線を落とした。

 

 

「……私は……」

 

 

言おうとした。

 

“好きなもの”を。

 

だが、何も出てこなかった。

 

 

「……趣味など……ない」

 

 

一拍置いて、さらに言葉が続く。

 

 

「食事も……必要ではない。栄養も魔力で補っている。

 嗜好品も、無駄と判断して久しく摂っていない」

 

 

語る言葉は、淡々としていた。

けれどそこに宿る“空白”が、あまりに大きく、深かった。

 

 

「私の時間の大半は……バーコードの治療研究に費やされている。

 あとは……国の政、魔族の統制、秩序の維持……」

 

 

魔王は言い淀んだ。

その先に何があるかを、考えて——

 

そして気づいてしまった。

 

自分には、「語れる自分」がひとつも無い。

 

 

「…………」

 

 

静かな沈黙が落ちた。

 

まるで、誰かが何か大切なものを失ったような、

いや、もともと持っていなかったと気づいてしまったような、重たい空気。

 

 

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メイド・キルナは、内心で完全にパニックだった。

 

 

(やばいやばいやばいやばいッッッ!!!)

(えっ!?陛下が……自分に“何もない”って気づいちゃった!?)

(誰か!!誰かセーブして!!あたしじゃ無理ィィ!!今の私はただのガヤ!!!)

(なんかバランス崩れた椅子見てる気分なんですけど!?お願い支えてセージくん!!)

 

 

________________________________________

 

 

そのとき、セージがゆっくりと口を開いた。

 

 

「……俺、トマトスープが好きです」

 

 

唐突すぎて、魔王は顔を上げた。

キルナは「え、今!?」と絶叫しそうになったが、ぐっと堪えた。

 

セージは、笑っていた。

 

 

「それと、チーズトースト。とろけるチーズがちょっと焦げてるのが好きで。

 あれにトマトスープつけて食べると……最高なんですよ」

 

 

魔王は、呆然としたまま黙っていた。

けれどセージは続ける。

 

 

「何が言いたいかっていうと……“好き”って、そんなもんなんじゃないかなって」

「大層な理由なんて、別になくてもいい。

 ただ、“ちょっとこれ好きかも”って思えることが、ひとつでもあるなら、それで十分だと思うんです」

 

 

そして、ふっとやさしい笑みを浮かべる。

 

 

「今度、一緒に食べてみませんか?

 俺、作れますよ。チーズトーストとトマトスープ」

 

 

魔王の瞳が、大きく揺れた。

 

まるで、自分がまったく知らなかった世界を、

今、誰かがそっと差し出してくれたような——そんな感覚。

 

 

「…………」

「……ああ」

 

 

短く、しかしはっきりと頷いた魔王の声に——

 

キルナの内心が爆発した。

 

 

(ッッしゃあああああああああああああああああ!!!!!!)

(食事のお誘い承諾ーーーーーーッ!!)

(これは……進展!!大進展です魔王様!!!)

(絶対陛下今「食べてみたい」って心から思ったじゃん!?よっしゃああああ!!!)

 

 

________________________________________

 

 

魔王はまだ、自分がなぜ「はい」と答えたのか、完全には理解できていなかった。

 

だが、今までになかったこの“答え方”が、

どこか——ほんの少しだけ、嬉しかった。

 

セージも、それを責めず、押し付けず、ただ微笑んでいた。

 

ふたりの距離が、また一歩近づいた。

 

第三応接室。

朝の柔らかな光が、窓から差し込んでいた。

 

テーブルを挟んで向かい合う、二人の姿。

 

魔王バルド・コードと、セージ・クローネ。

 

奇跡のような光景だった。

誰もが口を噤み、背を低くして接する絶対者と、

一人の青年が、ただ自然に、穏やかに“言葉を交わしている”。

 

それは、世界が震えなかった奇跡の時間。

 

 

________________________________________

 

 

「子供のころ、よく父と山に行ってたんです」

 

 

セージは、何気ない語り口で話し始めた。

 

 

「母はいなかったんですけど……その分、父がよく遊びに連れてってくれて。

 山菜採ったり、沢ガニ捕まえたり、で、よく二人でお昼にしてました。

 そのときによく食べたのが、チーズトーストとトマトスープで……だから、今でもあれ食べると、なんとなく、落ち着くんですよね」

 

 

バルドは、黙って頷いていた。

 

その表情は真剣で、けれどどこか柔らかく、

視線はまっすぐにセージへ向けられている。

 

 

「……それから、冒険者になって、色んな町に行って……

 小さい集落で、酒場の親父と一緒にヤギの世話したこともありました。

 角で思いっきり頭突きされたけど、焼いたヤギ乳のチーズが美味しくて……変な話ですよね、痛い思い出なのに、あったかいんです」

 

 

そう言って笑うセージに、魔王はぽつりと問いを返す。

 

 

「……なぜ、痛かった記憶を“あたたかい”と言えるのだ」

「たぶん、誰かと一緒だったから、ですかね。

 俺、基本ひとりだけど、なんだかんだ色んな人に構ってもらってきたんで……」

 

 

バルドは再び、深く頷いた。

 

そう。

彼は、**「誰かと話す」**ということ自体が、ほとんどなかった。

 

問われるのは常に命令。

語るのは指示と威圧。

理解されることも、許されることもなかった。

だから今、目の前の青年が紡ぐ、

なんでもない日々の話が——まるで宝石のように、心に響いていた。

 

 

________________________________________

 

 

 

そんな二人を、距離を取って見守っていたメイド・キルナは、

ついに口元を押さえた。

 

 

(……あっ、やばい……涙……出る……)

(なにこれ……あの魔王様が……“うんうん”って頷いてる……!?

 え、なんでこんな穏やかで優しい表情できるの!?誰この人!?)

(あああ……陛下……お話聞いてる顔が……良すぎる……)

(セージくん……ありがとう……うちのバルドが……立派に人と話してるよ……)

(って、え、私……今、内心“うちのバルド”とか言った!?やばい親目線になってる!!!)

 

 

________________________________________

 

 

セージは言葉を続ける。

 

 

「……俺ね。たぶん“すごくない人生”なんですよ。

 冒険もしてるけど、目立った功績もなくて、どこにでもいる青年で。

 でも、そういう“普通”が、すごく愛しく思える時があるんです。

 だからこそ、忘れたくないんです。ちっちゃいこと、いっぱい」

 

 

魔王は、その言葉に静かに目を伏せる。

 

 

(忘れたくても、そもそも“なかった”私は……)

 

 

けれど、次に上げた視線は——どこかあたたかく、やわらかだった。

 

 

「……その話を、聞けてよかった」

 

 

セージは、すっと笑う。

 

そして、その笑顔に、魔王は心から思った。

 

もっと、話を聞きたい。

もっと、この青年の世界を知りたい。

 

 

________________________________________

 

 

ふたりの声が交わり続ける静かな朝。

重苦しい呪いも、王の責務も、誰もいないこの部屋には存在しなかった。

 

ただ、ひとりの男と、もうひとりの男が、

互いの“存在”を感じ合っていた。

 

メイドの袖が、そっと濡れていたことに、誰も気づかない。

 

 

________________________________________

 

 

セージと魔王の会話は、止まることなく続いていた。

少年時代の思い出、旅先で見た景色、何気ない失敗談。

魔王はただ黙って聞き入り、ときおり短く質問しながら、

その一言一言をまるで宝石のように大切に受け取っていた。

 

魔王城の応接室。

時間が流れているはずなのに、不思議と時計の針の音すら聞こえなかった。

 

しかし——

 

セージがふと、壁の時計を見て、言葉を止めた。

 

 

「あ……そろそろ時間だ。そっか、もう……」

 

 

魔王の瞳が、微かに揺れた。

 

 

「……帰るのか」

 

 

その声には、明らかな名残惜しさがにじんでいた。

自分でも気づかぬほど、自然に、素直に。

 

 

(……あまりにも楽しかった。

 だから、“終わりが来る”ということを忘れていた)

 

 

魔王は今、自らの心に小さな穴が開くような寂しさを覚えていた。

 

 

________________________________________

 

 

セージは立ち上がり、笑顔を向ける。

 

 

「でも、また会えばいいじゃないですか。ね、バルドさん」

 

 

魔王はきょとんとした顔で、彼を見つめた。

 

 

「会えば……? また……?」

 

 

セージは、くすっと笑って言った。

 

 

「……俺の家、来ません? 今度、休みの時。

 チーズトーストとスープ、用意して待ってますよ」

 

 

魔王は、その言葉をすぐに理解できなかった。

 

 

「……それは、つまり……招待か?」

 

 

「うん。遊びに来て、ってこと」

 

 

魔王はしばし黙った。

その言葉の意味が、本当に掴めなかったのだ。

 

その瞬間、横で様子を見ていたメイド・キルナが、ついに助け舟を出す。

 

 

「ご案内申し上げます陛下! それは、“友人として”会う約束、でございます!」

「……“友人”」

「はい、友情に基づいた利害なき口約束! 信頼と絆を育む魔力級イベントにございます!!」

(あっやばい……言ってる自分で泣きそう……今のセリフ、自分で言ってて超しみる……!!)

 

 

魔王は、ぽつりと呟いた。

 

 

「……“なんでもない約束”など……したことがない」

 

 

それが、どれだけの孤独を語る言葉か。

部屋の空気が、ふと止まる。

だが次の瞬間、魔王はふっと小さく笑った。

 

 

「……だが、なるほど。“約束”か……」

 

 

そして、ほんのわずかに——ほんの一瞬だけ、

セージのように、やわらかな微笑みを浮かべた。

 

 

「ならば、交わそう」

 

 

________________________________________

 

 

 

セージはその笑顔に嬉しそうに頷くと、

右手を差し出した。

 

 

「じゃあ、“また会う”ってことで。握手、します?」

 

 

魔王は、一瞬、何をすればいいかわからなくなる。

差し出された手を見つめ、ほんの少し戸惑って——

 

おずおずと、自分の手を伸ばす。

 

セージの手が、魔王の手を優しく包むように握った。

 

魔王の指先がぴくりと動く。

驚きと、戸惑いと、わずかな緊張。

 

だが——

 

ぎゅ。

 

魔王も、握り返した。

 

それは、不器用で、でも確かに込められた“初めての”握手だった。

 

 

________________________________________

 

 

 

その瞬間、メイド・キルナは死んだ。

(ああああああああああああああ!!!!!!!!!)

(握手したああああああああああああああああ!!!!!!!!!!)

(“人として”初めての握手!!今この瞬間、私は目撃者ッッッ!!)

(もういい……もう私の魔族生ここで終わっても後悔ないッ!!!)

 

 

 

________________________________________

 

 

静かに手を離しながら、セージは言った。

 

 

「じゃあ、また。……楽しみにしてます」

 

 

魔王は小さく頷いた。

 

 

「……ああ。約束だ」

 

 

それは、魔王という存在が、**初めて自ら進んで交わした“ただの言葉”**だった。

 

そしてその言葉は、セージの胸にも、

傍らで涙を堪えるメイドの胸にも——深く、温かく刻まれていた。

 

昼下がりの空に、白い雲がゆっくりと流れていた。

魔王城を背に、セージは歩いていた。

 

歩みは穏やかで、速くもなく遅くもなく。

けれどその胸の奥には、確かな熱が宿っていた。

 

——帰路。

 

今日という日を経て、世界は何も変わっていないように見える。

だがセージの心は、はっきりと何かを感じていた。

 

 

(……バルドさんって、本当に“魔王”なんだな)

 

 

誰よりも強く、誰よりも孤独で、

そして、誰よりも繊細な人だった。

 

その心の中にある寂しさも、迷いも、

自分に向けられた不器用な優しさも——全部、見えた気がした。

 

 

「……また会いたいな」

 

 

そう、自然に思った。

 

あの人のことを、もっと知りたい。

もっと話したい。

もっと笑わせたい。

 

――“また”が、こんなに楽しみなのは初めてだ。

 

 

________________________________________

 

 

一方その頃、魔王バルド・コードは、ひとりで応接室に戻っていた。

 

セージと対話を交わしたあの場所。

今はもう、誰も座っていないはずのその空間に、まだ余韻が残っている気がした。

 

彼は静かに、セージが座っていた椅子に視線を落とす。

 

 

「……誠実な男だ」

 

 

気づけば、そう口にしていた。

 

あの青年は特別ではない。

特別な力も、血統も、魔力もない。

 

けれど、あの笑顔も、言葉も、

“魔王”である自分に届いていた。

 

遠慮も恐れもなく、

ただ真っ直ぐに、バルドという一個人を見てくれた。

 

 

(優しさとは……ああいうことか)

 

 

初めて触れた“無償の好意”に、

バルドの心は、ほんの少しあたたかくなっていた。

 

そして、自然に思う。

 

 

「……次は……どんな話をしようか」

 

 

――“次”が楽しみだと思ったのは、いつぶりだろう。

 

 

________________________________________

 

 

そしてその頃、同じく応接室の隅に佇むメイド・キルナはというと……

 

 

「ひっ……ふっ……うっ……へくしゅ……ぐぅ……」

 

 

椅子の影に座り込み、鼻水と涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。

 

 

(ああ……尊い……尊すぎて……もう無理……)

(手を差し出されたあの瞬間……

 うちの魔王様が……初めて“繋がった”の……見届けちゃった……)

(もう……こんなに幸せなことがあっていいの……?)

(わたし……虫の息です……)

 

 

メイド・キルナは、文字通り命の限界を迎えていた。

けれど、心は満ち足りていた。

 

 

________________________________________

 

 

それぞれの場所で、

それぞれが、今日という日を噛みしめていた。

 

魔王と、青年と、そして見守る者と。

 

胸の中には、ひとつの**“約束”**。

 

ただ、それだけで——

 

明日が楽しみになる。

 

それはきっと、世界を変えていく、最初のやさしい一歩だった。

 

 




勇者セージの攻撃、クリティカルヒット!
魔王バルドとメイドさんに会心の一撃!


補足
メイドさんはクールな表情で淡々と給仕してました。
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