目が覚めたとき、自分の状況がよく分からなくなったことがあるだろうか。パソコンを起動した時のような、自分の記憶を読み込むのに時間がかかるようなあの感覚と表現出来るかもしれない。
「誰?」
そんな感覚に包まれつつも瞼を上げると、そこにあったのは知らない天井、知らない壁、そして鏡を見れば知らない自分の顔。ここも何処か分からないし、なんなら酷く調子が悪い。
頭が割れるような、実際割れているのではないかと錯覚するほどの頭痛が何も分からない自分を苦しめている。読み込むべき記憶が存在しない、脳がエラーを吐いて機能不全に陥った様は微睡の中とは真逆の心地悪さだ。
「…いや本当に誰?」
ここはどこ、私はだあれ。これには困ったと頭を抱えてのたうち回っていると、何やら足音が聞こえてきた。
「俺は誰なんだァ〜!?」
「大丈夫っスか、ボス!」
「ボスなの!?」
ガラの悪そうな男はボスと言った、つまり自分は少なくともそう呼ばれるだけの人間ではあったということだろうか。
「ボスはボスですよ、俺たち赤牙組の組長っス」
「そっかぁ…悪いけど今の状況を教えてもらっても?」
「瓦礫が頭に当たったんで医者に見せたんスよ、今は安静にってことでベッドに」
「なるほど、なるほどねぇ…」
完全な記憶喪失か、それにしては何かボスと呼ばれる人物以外の記憶があるような気もする。例えるならば記憶が混線したとでも言えば良いのだろうか、一度落ち着いて考えなければ結論は出ないだろう。
これからどうするべきか分からないなら、まずは情報収集からだ。様子を見に来た彼の言葉を聞くだけでも、ある程度は周囲の状況くらいは分かるかもしれない。
「俺が倒れている間は何かあったか?」
「いえ、特に何も。俺たちの縄張りには異常ありやせん、猫又が見回ってるんで大丈夫かと」
「そうか、何か見れる資料はあるか」
「ええ、つっても簡単なものしか無いッスよ」
机の上に置かれた書類は乱雑なものだったが、組の運営に必要なものを購入した際の伝票やらは多少の役には立つだろう。何かの輸送ルート、そしてその売却益、組の人員配置…兎に角様々な情報が奥から出て来る。
「怪我のおかげで記憶が曖昧でな。少し確認したい、最近のことを聞かせてくれるか」
「共生ホロウ周りで暴れ始めたホロウレイダーが居たんで、ボスの指示でシマを荒らされねぇように組員で見回り始めたのが一週間前ッス」
「ホロウレイダー…ホロウ…ちょっと待ってくれ、思い出す」
ホロウ、突如現れる巨大な黒い球体。全てを飲み込み巨大化し続ける空間異常であり、内部の地形は迷路のように歪み、長時間の滞在は死に直結する。人類の生存域が大きく減った原因であり、根本的な対処方法は未だ無い。
「俺の頭は辞書か、単語が無いと分からねぇ癖に思い出すとやけに細かい」
「えーっと、大丈夫っスか」
「いい、気にするな」
辞書というより、まるで説明文かWikiか何かを読んでいる気分だ。頭痛は治って来たが、不可思議な記憶の状態に理解が追いつかない。だが理解するためにも記憶を呼び起こさなければと思い、ホロウの次に語られたホロウレイダー、それが何かを脳の中で検索した。
ホロウレイダーとは、ホロウの中で違法に活動する犯罪者のことを指す。ホロウ内では貴重な資源が産出されるため、一攫千金を狙う者達は後を絶たない。ホロウ内資源の盗掘は非常にリスクの高い行為であり、常に死と隣り合わせだ。
「なるほど、中々厄介な奴らが増えてるわけだ」
「ボスや俺らの殆どはその、ホロウの耐性が無いんで手出し出来ませんし」
「耐性持ちは確か…レアなんだっけか」
「ええ、ええ」
ホロウの内部では人体に侵食症状という物が発生し、最終的にはエーテリアスという名の化け物に変わってしまう。侵食症状の進み具合には個人差があり、耐性が高いほど長時間ホロウ内での活動が可能だ。無論薬や防護服等はあるようだが、それでも耐性の有無は非常に大きい。
「大体は分かった、今はどうなってる」
「そのホロウレイダーとの小競り合いでちょいとやり合ったんですが、建物が崩れて瓦礫がボスの頭に…当たったんス」
「マジか」
「勿論小競り合い自体には勝ったっスよ。ボスは真正面から斬りかかって押してましたし、猫又が不意打ちを決めてくれたんで!」
色々あったらしい、しかし時折話に出て来る猫又とは誰なのだろうか。記憶を覗けば分かるだろうと思い、自分の脳裏に猫又という名の人物を思い浮かべた。便利なのか不便なのか、我ながらなんとも言い難い脳味噌だ。
「猫又か」
猫又、フルネームは猫宮又奈。猫のシリオン、つまり人の体に猫の特徴を有する人物である。頭に猫耳、腰に2本の尾を持つ少女だ。戦闘スタイルは機敏、俊敏、返す刀に放つ反撃は見かけに見合わず強力だ。我々赤牙組のシマにふらりと現れ、組員を打ち負かしてからはいつの間にか構成員として働いている。
「ひとまずやるべきはホロウレイダーへの対処か、使える奴と…後はホロウレイダーに詳しい奴が居れば呼んでくれ」
「もう動くんスか、怪我は」
「これで死んだとでも思われりゃ奴らは調子に乗りやがるぞ。赤牙組の組員だろう、気張れや」
「…ウッス!」
赤牙組、スラム街の互助組織として誕生したギャング。しかし組の成長により幹部達の思想が変わり、いつの間にやら利益を得るために力を振い始め支持を失う。組長であるシルバーヘッドことミゲルも思想が変わり利益至上主義へと走った一人であり、こともあろうか人身売買にまで手を出す。しかし最終的には共生ホロウへと転落、死亡する。
この記憶は明らかに未来のことまでも網羅している、組長である自分の死すらも。自分は組長のシルバーヘッドその人だ、手にした資料がそう告げている。しかし自分はまだその悪事には加担していないようだ、まだ間に合うということだろうか。
「行くぞ、シルバーヘッドここに有りだ」
「無理はせんで下さいよ、また倒れられちゃあ俺達お終いです」
「そうなりゃ這ってでも行くさ」
足掻けるなら足掻くしかない。自分が組長ミゲルである自覚など一つもない、記憶も頼りにはならない、だがここは自分達のシマだ。ホロウレイダーが何だ、好き勝手を許す気は毛頭ない。
ーーー
ーー
ー
ホロウレイダーとの小競り合いが始まってから数週間、組長ミゲルはとある女性と話し合いの場を設けていた。彼女の名はニコ・デマラ。ピンク色の髪、ホロウに入るにしてはファッション性を重視した衣服、得体の知れないアタッシュケース型兵装…兎に角他とは違う雰囲気がある。
「で、邪兎屋に何の用があるって?」
「単刀直入に言おう、あのホロウでの違法エーテル資源採掘をアンタに手伝ってもらいたい」
「…ちょっと、本気で言ってるワケ」
「本気だ、そちらの戦力なら可能だろう」
赤牙組に足りないのはホロウ内での活動が可能かつ、経験豊富な戦力だ。ホロウレイダーとの戦闘で遅れを取る気はないが、ホロウ内へ逃げ込まれてしまえば何も出来ない。それにこのまま違法採掘が進めば、治安局やホロウ調査協会といった公権力が出張って来るのも時間の問題だろう。
「このまま余所者が暴れれば治安局を呼び込む羽目になるだろう。我々が互助組織として力を付けられてしまうほどの状況でも彼らは動かないが、ホロウでの犯罪となれば目の色を変えるだろうな」
「私達も余所者よ、背後から刺されるような仕事は御免なんだけど」
「背後から刺す前にこちらが死ぬ、その二人も相当な腕前だろう?」
「…分かるなら多少話が出来るわね、流石はシルバーヘッドとでも言えば良いのかしら」
「少し変わったがね、そちらの事前情報とは違うか」
「ええ、いつ泣き始めるのかと思ったけど」
泣きながら話す様から"シルバーヘッドの涙"なんて逸話もあったらしい、なんでも自分はよく泣くキャラだったとか。どんなキャラ作りだよと突っ込まざるを得ないが、そういった狂人仕草が有利に働くような環境ということか。
「我々赤牙組からは猫又を出す、ホロウ内での活動には彼女を同行させてくれないか」
「足手纏いを連れて行っても命の保障は出来ないわよ」
「実力は本物だ、そこは信用してもらって構わない」
こうして心強く、そして油断ならない協力者を得ることに成功した。記憶を失ってからの赤牙組運営は至難の業だったが、引き継ぎ資料も何もないのが一番の問題だった。それもそうだ、頭を打って別人になるなんて前の自分が想定していない。
「ホロウ内で採掘する部隊の護衛を外部に委託するなんて、大胆ね」
「報酬は必ず払う、君からの信用は得られるよう努力するつもりだ」
「そう、出来れば末長く利用し合いたいものね」
「ああ、よろしく頼む」
邪兎屋、従業員は社長である彼女を含めたった三人。しかし全員がホロウへの耐性を持ち、戦闘能力は高い。ネット上での評判こそ悪いが、自分の記憶内では何故かかなりの高評価だ。自分の死因にも絡むと記憶は告げている、どこまで信用して良いのかは悩みどころだが。
「大丈夫なんスか、こいつら使って」
「話が分かるホロウレイダーを抱き込んだ方がマシだ、裏切られるようなら俺もそこまでだな」
「…猫又は邪兎屋への出向で、良いんスね?」
「ホロウレイダーのやり方を学んでもらおう、無論支援は惜しまん」
赤牙組はあくまで互助組織、ホロウが近く治安も悪いこの地域を生き抜くために求められた集団だ。そう有り続けるためには資金が必要だ、支持してくれている庇護下の住民達とは関係ない調達手段で。
「調達は順調か?」
「多少貯蓄は切り崩しやしたが、なんとか」
「後は優秀なプロキシとの伝手がありゃ良いんだが、ホロウ周りは専門外なのが痛いな」
邪兎屋に紹介してもらうというのもアリだが、紹介料をどれだけ取られるかが不安だ。やはりある程度は自分達でやるしかないだろう、勢力圏内で使えそうな人材を探す他ない。
プロキシというのはホロウの観測データを分析し、空間異常によって迷路のように入り込んだホロウを迷わずに探索するための道案内をする職業だ。ホロウ探索に必須の技能であり、その道案内データは何故かキャロットと呼ばれる。
「物資の場所は?」
「所定の倉庫です、確認しやすか」
「ああ」
用意したのはホロウ内で使うための装備と、今まで使っていたものより大口径の銃火器だ。小口径の拳銃弾を使う拳銃や短機関銃が多かったが、これはより大型だ。これから先を考えると、一部の部隊にだけでも一線級の武器を持たせるべきだと判断した。
「治安局が抑止力になり得ないのであれば、俺達がなるまでだ」
「つっても、訓練を受けた奴なんて居ませんが」
「そこは元軍人がゴロゴロ居るんだ、何人か雇えばいい」
旧都陥落、過去に起きたホロウによる災害により人類は都市を一つ失っている。それがエリー都、今は都市機能を新設された新エリー都へと移設してなんとか生活水準を維持しているのだ。何故こんな話をしたかというと、その旧都陥落時に少なくない数の部隊が離反したのだ。
「反乱軍は傭兵にまで身を窶した、帰れる場所を提供出来れば…と思ってな」
「現状に納得出来ていない者も多いと?」
「全員が日常生活を捨てられると思うなよ、帰りたいと思う人間は多い筈だ」
事実、募集をかけたところ少数ではあるものの応募があった。管理の手が行き届いていない共生ホロウの自治、犯罪ではあるが彼らのアイデンティティを考えると魅力的に映るのだろうか。
「リスクの高い近接戦は出来るだけ避けろ、銃も消音器で銃声を響かせるな」
「それは、何のために必要なんです?」
「カタギをビビらせて何になる、俺達は組の暴力装置だが派手に暴れ続けて良いワケじゃねぇ」
支持を得続けるにはどうするべきか。それは組の運営方針を維持すると同時に、配慮をし続けるという行為が必要になる。どれだけ今の評判が良くとも、活動が大きくなれば見る目も変わるだろう。
「邪兎屋はホロウ内、俺達はホロウ外で役割を分担する。エーテル適応体質…ホロウ内の活動が可能な組員で資源採掘を行うぞ」
そう言って用意した資料を部下に渡すと、彼は目を泳がせつつも文字を読み始めた。長い文や桁の多い数字を見るのには慣れないと言わんばかりだったが、彼はとある場所で読むのを止めた。
「予想される収益は…コレっすか?」
「邪兎屋と元防衛軍への報酬、ホロウ内で採掘に当たる組員への手当、ホロウ外でレイダーと戦った組長への手当でギリギリ赤字だな」
これは予定通り最低限の採掘作業が行われた前提である、リスクを避けるために予定されている作業を避けた場合赤字は膨れ上がる。
「ある程度の貯蓄は…まあ、使い切るだろうな」
「大丈夫なんスか」
「なんとかするさ」
ホロウ内で採掘されるエーテル資源は高値で取引されるとはいえ、それを非合法で売ろうとすれば利ザヤを取られるというわけだ。ホロウレイダー達による違法採掘が横行しているとはいえ、新参者では買い叩かれるのがオチだろう。
「派手に売り捌けばお縄一直線だ、お目溢しされる範囲で稼ぐしかない」
「ええと、それは一体」
「この地域一帯は共生ホロウの侵食で滅茶苦茶だ、特に昔の交通インフラはホロウに飲み込まれて寸断された」
「はい」
「ホロウ内での物資移動まで治安局は追えねぇ、表沙汰にならない輸送ルートを開拓するぞ」
「マジッすか!?マジで!?」
こうして、赤牙組の生き残りを賭けた大事業が始まった。この地域一帯に競争力と呼べるものはなく、事業を起こすにしても融資一つ受けられないのが現状だ。ならば子供の学費は、老朽化した建物の改築は、ホロウに家を飲み込まれた難民は、この地域はお先真っ暗だ。
ならばカンフル剤になるのみだ、互助組織の面目躍如と行こうではないか。
評価、感想などもらえるとはしゃぎ倒します、よろしくお願いします。
イラストは柴川氏(https://x.com/r5bl69os3lz8yoy?s=21&t=xCzPr3rqmimoVNINgFPG5w)です。