「太刀川先輩と終わらせたからもうないよ」
「なんで⋯なんで宿題やっちゃうの!?」
「は?????」
本部基地から呼び出された唯華は、あるスーツ姿の男と向かい合っていた。
彼の名は唐沢克己――ボーダー営業部部長。外交交渉、スポンサー対応、
さらには諸外国の諜報担当者との折衝まで一手に担う、いわば「ボーダーの外交官」。
人好きのする柔らかな笑み、清潔感のある服装、そして人の目をまっすぐ捉える目。
見かけも雰囲気もダンディであり、まさにジェントルマンと言えるだろう。
「ま、そんな固くならないでよ。今回は“任務”ってよりも、お手伝いって感じだからさ」
集中しているのだろう、目を細めて慎重に紅茶を注いでいる。
だが唯華は礼を言うのも忘れて、彼の背後に見えた“記憶”に意識を奪われていた。
(何この人…人の顔を思いっ切り踏んでる…)
目を閉じなくとも視える。
そこは暗い部屋、苦しむ誰かの首を足で押さえつけ、冷静に札束を1枚ずつ数え上げる唐沢。
彼の意識が紅茶に向いているのを確認し、唯華は両目を閉じる。
聞こえた声は静かで、ひどく無機質だった。
誰かに命じられるでもなく、自分の判断で、手段を選ばず――
(闇金? いや……それだけじゃない。これは脅し…拷問…?)
「どうかしたのかな?顔色が悪いようだけれど。」
「いえ、昨日あまり寝られなくて。少しばかり眠いだけです」
唯華が口を開くと、彼は紅茶を啜りながら微笑んだ。
「やはり過去が視えているんだね。それで?君には何が視えたのかな?」
「⋯⋯!」
「そう驚くことじゃない、人はそこにいるだけで情報の塊だからね。
君ほど鮮明じゃないが、かなり人のことは視えていると思うよ」
唯華は紅茶を少し飲んでから、視えた過去を話す。
「あぁ⋯昔ちょっと“特殊な債権回収”をやってたときかな」
「“特殊”って⋯それ、普通の仕事じゃありませんよね⋯」
唯華の目は揺れていた。
恐怖ではなく、“理解してしまったこと”への動揺。
唐沢はカップを置き、指を組んだ。
「唯華隊員。君の力は、軍事にも外交にも“使える”んだ。
たとえば――ある国の交渉官が誰に会ってどんな書類を作成したか⋯
スパイが今どこにいて、どのボーダー隊員に接触したか、それも“記憶”を見れば一発だ」
「中学生にさせることでは無いと思いますけど⋯」
「私がしたいのは、君が視た過去から情報を引き出すことだけ。
それに⋯聡い君ならわかるだろう?この国も、ボーダーも、“綺麗事”だけじゃ守れない」
唯華は黙ったまま、彼の記憶をなぞっていく。
別に視たいとは微塵も思わないが、勝手に流れてくるのだから困り者だ。
指を捻じ曲げられ悶絶し、震えながら土下座をする男。
男は何かを喋っているようだが、目を閉じなければ聞こえない。
タバコの煙が吐き出され、唐沢は右のポケットからナイフを取り出す。
そして男に暴行を加えて動けないようにしてから⋯無表情で刃を胸に突き立てた。
(お兄の言っていた通り⋯この人やばい…)
実は何日か前、唯華は兄である迅悠一に警告されていたのだ。
「唐沢という男に気をつけろ」と。
「…人殺し」
口に出てしまった瞬間、唯華はバッと両手で口を塞ぐ。
それを聞いた唐沢は肩をすくめた。
「俺は“そういう役回り”ってだけさ。今の三門には、少なくとも5人のスパイが暗躍している。
彼らの目的はわからないが、だいたい前の奴らと同じだろうね。」
「⋯あの、私やるなんて一言も言ってませんけど。
そんなにペラペラ話してしまってよいのですか?」
「別にいいさ。それで⋯前の奴らの目的を教えよう。
ボーダー関する情報をできる限り集めること。
しかし迅悠一によって、被害は彼のみで収まって⋯」
兄の名を聞いた瞬間、唯華は急激に体が冷えるのを感じた。
「迅悠一は自分の有益性⋯未来視をチラつかせてC級隊員と交換条件で数時間だけ拉致された。
まぁ実行犯5人のうち4人はそのまま捕まえたのだけれど、
1人は裂傷を与えたものの逃がしてしまってね。
もし生き延びてしまったら、間違いなく迅悠一は追われ続けるだろう。」
「⋯スパイを放置した場合、具体的に何が起こりますか」
「まずは隊員の拉致、それから技術が少しずつ盗まれていって⋯
なんやかんやあって最終的には第3次世界大戦勃発かな。」
まるで危機感を感じていないような口調で、淡々と予想が語られる。
「⋯やります。私がやります。」
最悪の事態を想像した唯華は渋々頷いた。
ボーダーに入隊した隊員が次々消えたとしたら、
世間は当然ボーダーを批判し、政府は調査に便乗して国営の組織にしようとするだろう。
これは正義じゃない。綺麗事でもない。
でもその先に「守れるもの」があるのなら⋯唯華はうれしかったと同時に悲しくなった。
迅はスパイのヘイトを自分に向け、
彼らの行動を予測しやすくすると同時に始末しやすく⋯
(いや⋯お兄はそんなことしない⋯)
「ひとつだけ、お願いをきいていただけますか」
「いいよ」
彼は即答だった。唯華は少し懐疑的な視線を向けてから、口を開く。
「私の叔母である
叔父である
「別にいいけれど⋯行方不明者なら行政を頼ればいいじゃないか」
「⋯調べていただけるのなら協力します」
唐沢は目を細め、口の端をわずかに吊り上げた。
「……了解。じゃあそれでいこう。
なに、君は俺よりずっとクレバーで、ずっと賢いんだ。きっとうまくいくさ」
その言葉に、どこかぞくりとするような“含み”を唯華は感じていた。
けれど後戻りをするつもりはない。
(この人も、過去を視られても拒絶しなかった⋯いや、心象を保つためか⋯)
「じゃあ早速来てくれ。ついさっき捕まえた、活きのいい奴がいるんだ」
「やり方は君に一任するよ」
四角い空間。窓も時計もない。
照明は、ただ一つ――唯華の頭上から、白く光を落としていた。
金属製の椅子に拘束された男は、目の前に立つ少女を一瞥し、鼻で笑った。
鋭い目つきと、うっすら笑った唇。
それは“沈黙と皮肉”で生きてきた真正の諜報員の顔だった。
対面の椅子に、換装体の唯華が静かに腰を下ろす。
「こんにちは。……寒くはありませんか?」
「もう少し胸のデカい女がよかったな。
尋問ってのは、色気で情報を引き出すもんじゃねぇのか?」
トリオン体は非常に便利だ。翻訳機能により、言語の壁をぶち破ることができる。
「私はまだ13歳ですから、そこは期待しないでほしいですね」
唯華は、首を傾げたまま、目を細めて笑った。
「13?
男は小馬鹿にするようにふっと鼻で笑う。
「さっさと質問しろ。貧乳と馴れ合うつもりはない」
「ええ、もちろん。では、あなたの氏名、出身国を教えてください」
男は何も答えない。
唯華の瞳がわずかに揺れ、彼女は片目を閉じた。
視界の奥に、浮かぶ――男の“記憶”。最初に目についたのは1枚の紙だった。
(書類が英語で書かれていてよかった⋯
でもこれは本当の情報じゃない、おそらくスパイ用の『設定』かな)
唯華の口がゆっくりと開いた。
「……アレックス・ウォーカー。マサチューセッツ工科大学卒。
ロサンゼルスでフリーランスのセキュリティコンサルタント。独身。
両親は健在で、父親は退役軍人、母親は教師。趣味はバイク」
男の眉がぴくりと動いた。
「へえ……ジャパンはスパイの温床だって聞いてたが、よく調べたじゃねぇか」
「……すみません。さっきのは“嘘”ですよね」
唯華の声が、ほんのわずかに震えた。だが彼女は視線を外さない。
「……本当のあなたは、ユージン・リヴェラ。シカゴ南部出身。
スラムで育ち、十七歳で第一回目の逮捕歴があり……
二十二歳で、アレクサンドリア・インスティ?テュートからスカウトされ、
以後は偽名で渡米・渡日を繰り返していた」
脳裏に浮かび上がった2枚の書類を読みながら、彼女はそこで言葉を切った。
男の顔色がわずかに変化し、口元をゆがめて息を吐いた。
「……ああ、本当に……完璧な経歴だったはずなんだがな。
まさか、ガキ一人に引き剥がされるとは……」
唯華は優しく微笑んだ。
「完璧でしたよ。どちらの経歴も、
アメリカ合衆国という“本国”の枠組みを崩さずに成立していて。
一方は“表の顔”、もう一方は“裏の実務”――。
……どちらが暴かれても、もう片方が“本物”として通用するように設計されている。
本当に、見事な二重構造です」
男は拍手の代わりに手錠をガチャガチャと鳴らす。
「それで?俺のことがわかったから何だって言うんだ?」
「あ、日本に家族がいるんですね」
男の目が見開かれたのをぼんやりと眺めながら、唯華は続ける。
「7歳のかわいい息子さんで⋯黒髪に彫りの深いハーフ。へぇ、動物園によく行くのですね。
だから大きなライオンのぬいぐるみを抱いて寝ているというわけですか。
正確な住所はわかりませんが⋯テキトウ第1小学校に通っていて……
あなたが家を開けるときは毎回涙を流す⋯愛されてますね。
奥さんは数ヶ月前に胃の手術をして、退院したばかり。これから心配ですね。」
男の顔から色が失せていく。唯華の目は彼の過去を視ながら淡々と話す。
(お兄が拉致されるなんて⋯そんな未来は全部潰す⋯)
その目に光は宿っておらず、ただ目の前のスパイを追い詰めることしか考えていない。
「……彼らのこと、ずっと考えてるんですね。
でも――嘘を重ね続ければ、今後“帰れない”可能性が高くなります」
「気持ち悪ぃな……なんだお前。なんなんだよその目。まるで俺の脳を覗いてるみたいだ。
あぁそうか。未来視がいるんだったらありえねぇ話じゃないか⋯気持ち悪い。
得体の知れない、イカれたサイコ野郎だな」
唯華の指が、膝の上でわずかに震えた。
「……そう思ってもらって構いません。仕事ですから」
彼女は静かに吐息をつき、言葉を選ぶように続けた。
「私は、あなたを傷つけたくありません。だからお願いです。
……教えてください。本当のことを。そうすれば、またご家族に会えます」
「……脅しか?家族を人質に?」
男が呻くように言った。だが唯華は止めない。
「あなたがしたことも、連絡手段も、協力者も……全て視ました。
今ここで協力してくれれば、私は“これ以上”あなたの家族を視ませんし、彼らに近づきません。
約束します。だから、どうかお仲間の情報をお願いします」
しばしの沈黙。
男の息が荒くなり、口を開いた。
「……隠れてる仲間は、あと1人。ここから少し離れたセーフハウスにいる。住所は⋯⋯」
唯華は深妙な顔でうなずき、メモ用紙に情報を書き留めていく。
(これでお兄を守れる⋯)
うれしさから手際は早い。だが、ペンを止めた瞬間、指が震えていることに気づいた。
男は、ふと目を伏せたままつぶやいた。
「俺をどうするつもりだ⋯」
唯華は立ち上がり、無言で立ち去ろうとした。
だが、ドアの前で一言だけ残す。
「ヒロトくんは、あなたの帰りを信じて待ってます。
――だから、あなたがこの国で何をしたかより、“これから”を考えてください」
ドアが開き、閉まる。
静寂が戻った部屋に、男の低い嗚咽が微かに響いた。
唯華の端末に情報が送信される。
──捕縛対象、20代後半の男性。黒髪。身長174cm。
現在地、予測地点と一致。セーフハウスより数百メートル。
唐沢からの通信が小さく耳元で鳴る。
『一度やってみたかったんだよ、オペレーターの真似事だけれどね。
唯華隊員、距離100。通信はこのまま開いたままにしておきます。こんな感じかな』
「……好きにしてください、すぐ終わらせるので、体験はあまりできないと思いますが。」
声は静かだが、芯がある。
相手はプロで生身の人間だ。
だからと言って慢心できるわけではない。警戒心を引き上げつつも、唯華は呼吸を整えた。
---
スパイの男は、唯華が十メートルまで近づいた時点で、すでにこちらに気づいていた。
(ボーダーの人間か⋯アレックスさんは撤退を命じていたが⋯ここで確保できれば大きなアドだ)
それは若さと焦燥が混じった判断だった。
男は足音ひとつ立てず、物陰から飛び出し――唯華の背後へと飛びかかる。
ナイフが夕陽を反射してきらめいた。
そのまま刃が風を切って唯華の首を薙ぐ⋯
男はそう思っていただけに、現実を受け入れられなかった。
「は⋯?なんで効かないんだ⋯?」
唯華は振り向いて、後ろ蹴りでナイフを弾いた。
男は驚きも見せず、すぐに体勢を立て直して低い体勢から切りかかる。
だが、その連撃のすべてを唯華は一歩先でかわす。
(なんだこいつ……!?反応が人間のレベルじゃねぇ……)
トリオン体の身体能力は生身のそれとは比較にならない。
反射速度、動体視力、重心制御、筋力、すべてが“別物”なのである。
「無駄です。大人しく降伏を⋯」
「ちっ、じゃあ……こっちはどうだ!!」
男は口を開け、奥歯の裏に仕込んだ細い針を、空気と一緒に唯華へ吹き出した。
漆黒に塗られた極細の金属針は、到底肉眼では捉えられない。
だが――
パチン。
唯華の頬に、針が当たり、はじかれる。
(嘘だろ?かすり傷すら⋯?)
「ごめんなさい」
男が絶句した次の瞬間。
唯華の右拳が、男の腹部に沈んだ。
「がっ……!!」
低く、くぐもった呻き。
男の全身から力が抜け、そのままがっくりと膝をつく。
唯華は構えを解かずに、男の動きをじっと見つめる。
やがて、唐沢の声が通信に戻ってきた。
「――捕縛完了、でいいかな?」
「はい。無事に終わりました」
「さすが。そちらへ回収チームを送るから。それまで待機でよろしく頼むよ」
了解、と返事をした後、唯華は立ったまま深呼吸をした。
かすかに震えていた手が、次第に落ち着きを取り戻す。
男は完全に動けず、意識も朦朧としている。
厳重にトリオン製のワイヤーで縛っているため、捕縛処置は万全だ。
「お兄⋯私⋯これでよかったよね⋯」
兄である迅悠一を守るため、叔母と叔父に再び会うため、そして名も知らぬ一般隊員を守るため⋯
生まれて初めて明確な敵意を持って暴力を振るった。
家族を人質に情報を引き出した。
『唯華隊員。君のおかげで情報流出は避けられ、迅悠一もしばらく安全だろう。
あまり大っぴらに言える任務ではないけれど、君はたしかに人の命を救ったんだよ』
尋問されたスパイたちは記憶封印措置を受けて何事もなかったかのように復帰する。
始末されることもなく、捕虜にされることもない⋯なんて優しい組織なのだろう。
「ありがとうございます。お疲れ様でした。」
『お疲れ様。さて、君の願いとやらを詳しく聞こうか⋯』
唯華は車に揺られてその場を後にした。
唯華が叔母たちの捜索に行政を利用しないのは、
「児童相談所は悪魔の施設」という叔母の教えを曲解して信じているからでもあります。
担任の先生の尽力により虐待の証拠はあるので、児相に行けば一発で保護なのですが⋯
それは唯華が最も望まない展開なので実現はしないでしょう。
他の夢小説と違ってキュンキュンとしたシチュエーションもないし、
シリアスが多いので読み手を選ぶと分かってはいるのです。
しかしどうしても他の作者様の作品と比べてしまうのが嫌だなぁと思う今日このごろ。
お気に入りをしてくれる人がいて、感想を送ってくれる方がいて、
誤字報告をくださる読者様がいるというのに⋯私って強欲なんだと気付かされます。
叔母さんたちを再登場させるか(唯華の給料目当て)
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登場させて恥をかかせよう
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登場させてボロクソ言ってやろう
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不快なので登場させないで
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迅悠一が裏で殺す