足元に優しく光る行灯。
和紙越しの光が天井に滲み、ゆったりとした空間にぬくもりを与えている。
唐沢は、唯華の前に置かれた湯呑みに静かにお茶を注いだ。
「協力してくれてありがとう。そして始めての特別任務お疲れ様。
君のお願いとは別に、私からささやかなプレゼントのつもりだよ。」
スパイ捕獲作戦実行後、唯華と唐沢が訪れたのはとある料亭。
彼は軽く笑って姿勢を正す。
唯華はうなずくと、まっすぐ彼を見つめて言った。
「ありがとうございます!これってその⋯かいせき⋯料理ですよね。
私、マナーとかほとんど知らないのですが⋯」
「そう固くならなくていいよ。君の頭のようにやわらかでいてくれ」
季節の草花が生けられた床の間と、畳に沈む低めの膳。
二人の前には、色とりどりの懐石料理が順に並べられていた。
最初に運ばれてきたのは、前菜五種の盛り合わせ。
「胡麻豆腐に、鴨ロース、蟹の酢の物……君の苦手なものがないといいけれど。」
いただきます、行儀よく手を合わせた唐沢は手際よく箸を取り、胡麻豆腐を一口含んだ。
「イタダキマス⋯」
唯華はおずおずと彼の動きを見て、真似するように胡麻豆腐を箸でつまむ。
ふるりと揺れた白いかたまりが、口の中でとろけた。
「わぁすごい。まるで、プリンみたいな舌触りですね」
「練り胡麻にだしと葛粉を混ぜてるからかな。品があるでしょ」
「すごいですね!食べただけでそんなにわかるなんて⋯」
「ここには何度か来たことがあるからさ。
基本板前さんが教えてくれるし、それをそのまま口にしているだけだよ」
(板前がいたら大惨事だったな⋯)唐沢は柔らかく微笑み、箸を進める。
次に酢の物へ箸を進めようとしたが、彼はふと気づいたように動きを止めた。
唯華が、彼の手の動きをぴたりと真似ていたのだ。
「クックッ⋯いや失礼」
抑えきれずに、唐沢が短く笑った。
唯華はきょとんとして箸を止める。
「えっ、なにか……変でした?」
「いやすまない⋯ハハッ⋯」
唐沢は軽く首を横に振った。
「なんか、君……緊張してるのか、僕の動き全部真似しようとしててさ。
小さい頃に、弟がよく同じことしててね。少し懐かしくなっただけだよ」
唯華は恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線を落とす。
「……すみません。こういうお店、初めてで……。
でも……唐沢さんの真似すれば、食べ方を間違えずにすむかなって……」
唐沢はその言葉に、ふっと柔らかい目を向ける。
「大丈夫。懐石って、礼儀の形式より、心の持ち方が大事だから」
やがて、椀物が運ばれてきた。
蓋を開ければ、透き通った出汁の中に、鱧と冬瓜、ゆずの香り。
唐沢が手を添えて蓋を丁寧に横に置くと、唯華も真似て蓋を取る。
そして、湯気をふうと吹いて一口──
「……あ、これもおいしいですね。なんて料理なんですか?」
「鱧の椀だね。骨切りしてあるから、口当たりがいいだろう」
唯華はうなずきながら、にこにこと椀を両手で包み込むようにして持つ。
その仕草は、まるで熱い飲み物で手を温めるようだった。
「それで⋯叔母様と叔父様の捜索だったね。」
「はい、探していただけると嬉しいのですが⋯」
お椀を慎重に置いてから話を進める。
その声は震えていたが、意志は確かだった。
「あまりこういう事は言いたくないが⋯
「いいえ、それはないですね」
唐沢は少し驚いたように目を細め、理由を尋ねる。
「大規模侵攻のとき、2人ともたまたま旅行に行っていて。
だからきっと無事だと思うんです。
でも帰る場所がなくなってしまって……きっと困ってると思うから⋯」
「この際警察に相談してしまうのもありだと思うけれど⋯
きみはどうしてそういった正攻法を用いないのかな?」
「それは⋯叔母さんに警察や市役所には行くな、と言われたからです。
行ってしまったら最後、2度と会えなくなってしまうらしいので」
唐沢は深妙な顔で頷きつつ、手元の小型端末を開いた。
「……旅行場所や身なりはわかるかな?」
唯華は、少し考え込んで──やがて顔を曇らせた。
「旅行場所は⋯わかりません。
でも叔母さんたちの顔や服は…あれ⋯?どうして⋯?」
なぜか唯華は、2人の容姿を思い出せなかった。
思い出せるのは怒鳴り声と痛みだけ。彼女の瞳が見開かれ、呼吸が浅くなる。
唐沢はそれを敏感に察し、あえて少し話題を逸らす
「……叔母さんのことは好きかい?」
唯華はほっとしたように笑みを浮かべ、語り出す。
「はい、好きですね。
私はいつも迷惑ばっかりかけてしまったときに、叔母さんはきちんと私を叱ってくれるとことか!
下校時刻の報告を忘れたりとか、夕飯の準備が遅れたりとか⋯
私のせいだとはっきり言い切ってくれるんです。怒られるのは少し嫌ですが、
きちんと怒ってくれて、罪を償わせてくれて……そういうの、ありがたいと思っています。」
唐沢は、湯呑みをゆっくり回しながら、じっと唯華の横顔を見つめていた。
彼女の言葉の節々に、異様な“耐性”を感じてながら。
「お母さんが亡くなって、叔父さんも……お兄も家を出て行って。
すごく寂しかったですけれど……叔母さんは、叔母さんだけはずっとそばにいてくれました。
だから好きです。」
しばらくの沈黙。箸で小鉢の一品をつまんだ唯華が、ぽつりと。
「あ、これ、おいしいですね。なんて料理なんですか?」
唐沢は、その無邪気な言葉に一瞬まばたきをし──
すぐにいつも通りの柔らかい笑顔を浮かべた。
「それはね、蒸し鮑と百合根のあんかけ。
私も食べたことはないから、また真似をされても困ってしまうかな」
「そうなんですね⋯ってウソじゃないですか!ばっちり記憶に残ってるし⋯」
「おっと、過去視はウソも見抜けるのか。これはやられたねぇ」
唐沢は、茶を口に運び、少し目を伏せて言った。
「……君の兄、迅悠一は──君の生活を知った上で、逃げたのかもな」
その言葉は、音としては柔らかいのに、刃物のようだった。
「ちがいます!」
唯華は思わず声を荒げた。
自分でも驚いたように口を押さえ──すぐに頭を下げた。
「あ⋯ごめんなさい⋯
でも、お兄は逃げてなんかいません。
旧ボーダーに入隊して、やらなきゃならないことがあったんです。
それに、たまに会いに来てくれましたから寂しくもなかったです!」
その言葉には、真実と自己暗示が入り混じっていた。
唐沢はしばし黙って──やがて、ふっと口元だけで笑った。
「……そう。君はお兄ちゃんが大好きなんだね」
その微笑みは、ただの笑顔ではなかった。
あらゆるデータを読み、計算ずくで物事を進め、
相手の脆さと強さの境目を観察する者の──冷静な笑みだった。
「そんなブラコンみたいに言わないでくださいよ⋯」
唯華はすがるように湯呑みに手を伸ばす。
「それ、もう空だよ。注いであげるから貸しなさい」
「ありがとうございます⋯」
料亭を出た時、夜の街はしんと静まり返っていた。
石畳を踏む草履の音が小さく響き、唯華の後ろを歩いていた唐沢は、
微笑を崩さないまま、ふと足を止めた。
「それじゃ、今日はどうもありがとう。
叔母様の所在はすぐ調べて連絡するよ」
手を軽く上げて別れを告げる唐沢の声は、
まるで仕事帰りの同僚にかけるもののように軽かった。
「本当ですか!?ありがとうございます!」
唯華も、ぺこりと丁寧に頭を下げた。
「礼には及ばないさ。君が頑張ってくれたからね。報いるのは当然だ」
唐沢は軽く笑って、タクシーを呼ぼうと携帯を取り出す。
その直後だった。
暗い道路の向こうに、誰かが立っているのが目に入る。
唐沢が見えたのは、青いジャージに白いシャツ、
黒いズボンとブーツを着ている青年の姿だった。
風に揺れる茶色の髪が、街灯の光をぼんやりと受けている。
「お兄……?」
唯華が呟いた瞬間、迅悠一の足がアスファルトを離れ、
あっという間に彼女のそばに立ち並んだ。
「唯華!無事だよな!?何もされてないよな!?」
その声には、どこか掠れた怒気が混じっていた。
迅は、彼女の肩を強く掴む。
「……唐沢には気をつけろって、言っただろ……!?」
「えっ……?」
唯華の表情が揺らいだ。
まるで、予想もしていなかった言葉に打たれたように。
「それは覚えてるけど⋯なにを……そんな、唐沢さんは……」
「よく知りもしない大人についていくな!誘拐でもされたらどうする!?」
その声は、明らかに焦っていた。
怒りと不安が滲んだ顔で迅悠一は肩を揺する。
だが、迅の肩越しに、唐沢の姿が見えた。
携帯をしまってから、彼は微笑みを湛えたまま迅に諭す。
「あまりそういうことを言ってはいけないよ、特に本人が近くにいるときは」
それは迅とは対照的に、とても落ち着いた柔らかな声だった。
「誤解を与えてしまう。私にも、君たち兄妹にも」
「……!」
迅の目が鋭く光ったが、唯華が一歩前に出て、間に割って入った。
「お兄やめて。ここはお店の前なんだよ?」
唯華の声は凛としていたが、どこか懇願するようでもあった。
迅は言われた通り、唇を噛んだまま黙り込む。
ひとまず黙った迅を見てから、唯華は深く頭を下げた。
「兄がすみません。本日は、本当にありがとうございました。それでは失礼します」
唐沢は静かに頷いた。
「こちらこそ。……それじゃあ、気をつけて帰ってね」
彼が闇の中に消えると、空気が一気に冷たくなるような気がした。
***
二人は並んで歩いていた
住宅街の静けさが、さっきまでの料亭の空気とあまりに違って、唯華は思わず口を開く。
「お兄に何があったかは知らないけど⋯唐沢さんは悪い人じゃないよ。
むしろ、私の願いを叶えてくれようとしてる、優しい人だと思う」
「……願い?」
唯華は素直に話すべきか少し迷ったが、一拍おいて口を開いた。
「叔母さんと叔父さんに……会いたいって言ったの。ずっと気になってたからさ。
大規模侵攻の時、旅行でどこかに行ってたでしょ?
だから今はどこにいるのか、無事なのか、それを知りたいと思ってね」
その瞬間だった。
迅は思わず足が止め、髪を乱暴にかきむしり始めた。
「やめろよ……頼むから……そんなことしないでくれ⋯⋯」
その声には、苦しさと懇願が詰まっていた。
唯華が振り返ると、迅はその場にしゃがみ込むようにして、頭を抱えていた。
「どうして⋯どうしてあんなところに戻ろうとするんだよ……」
「えっ、お兄⋯どうしたの⋯?大丈夫…?」
唯華は、彼の背中にそっと手を置いた。
不安と戸惑い。兄の反応の理由が、まったく分からない。
それでも、なにかひどく大切なものを、今踏み越えてしまった気がしてならなかった。
「お兄……わたし、なにか、変なこと、言った……?」
迅は何も答えなかった。
ただ異常なほどかすかに震えているばかり。
「⋯叔母に会うってんなら、おれも付いて行く」
「えっほんと!?よかった⋯叔母さんもきっと喜ぶよ!」
唯華の手がそっとその背を撫で続ける中、迅は返事をしない。
そのときの彼には、ある未来が視えていた。
しかし彼女はその未来が視えていない。
過去視による未来視の覗き見は、
両目を瞑って自らの視界を閉ざさないと処理落ちしてしまうからだ。
今の彼女には、漆黒のアスファルトと、見慣れてしまった迅の過去しか視えていなかった⋯
あれから1週間後⋯
スマホが小さく震えているのに気づいた唯華は、
すぐさまバッグの中を探って、慌ただしくも慎重に取り出す。
画面に表示された名前を見て、顔がぱあっと明るくなった。
「唐沢さん!」
思わず口に出してしまったようだが、彼女の声は見るからに⋯いや聴くからに弾んでいた。
周囲の雑踏の音も、射し込む日差しのまぶしさも、今の唯華にはただの背景。
画面をタップし、流れるように通話ボタンを押す。
「はい、迅唯華ですっ!」
『やあ、元気そうで安心したよ』
唐沢の落ち着いた声が耳に届いた。
それだけで、胸の奥がふわりとあたたかくなるような気がした。
「はい、すごく元気です!それで、あの……叔母さんと叔父さんのこと、分かりましたか?」
思わず前のめりに尋ねる唯華。
その顔は期待に満ちていた。頬はほんのり赤らみ、声にも喜びが滲む。
『ああ、分かった。君の叔母さんと叔父さんは、新しい名字になって、
今は小さな街に暮らしている。再婚して、子どももいるそうだ』
「新しい名字⋯?子ども…?」
唯華は驚いた拍子に少しだけ目を見開いたが、それでも笑顔は崩れなかった。
むしろ嬉しそうに、小さく息を吸う。
「じゃあ……本当に、生きてたんですね……!」
過去視でわかっていたとはいえ、無事だと明言されたのは嬉しい。
『君が言っていたように、大規模侵攻のときは旅行中で、偶然難を逃れたようだ。
今は中規模の街で、落ち着いた生活をしているみたいだよ。
住所と地図はメッセージに送っておこう』
唯華は思わずスカートのすそを握りしめた。
「ありがとうございます!本当に⋯うれしくて⋯」
言葉が詰まるほどに、胸がいっぱいになる。
唐沢の声は、少し笑って続いた。
『迅悠一も一緒に行くんだろう?危険は少ないと思うが、十分気をつけるように』
「はいっ!本当にありがとうございますっ!」
唯華はぴょん、とその場で小さく跳ねた。
周りの通行人がちらりと見たが、そんなの気にならないくらい、彼女の胸は弾んでいた。
『それじゃ、私はこれで失礼するよ』
「はい、よい休日を!」
通話が切れると、唯華はスマホを胸にぎゅっと抱きしめた。
「……ふふっ。お兄、やっと……やっと会えるよ。私たちの
彼女の声は柔らかく、夢見るように。
このときもこれからも、唯華の世界は希望の光で満ちていた。
今更すぎますけど、未来視とそれを把握する過去視って扱いづらすぎますね。
お気に入りが1つ増減しただけで心が踊ったり落ち込んだりするお豆腐メンタルですが、
どうか今後ともよろしくお願いします。
叔母さんたちを再登場させるか(唯華の給料目当て)
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登場させて恥をかかせよう
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登場させてボロクソ言ってやろう
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不快なので登場させないで
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迅悠一が裏で殺す