「そうなんですよね。今度行方不明だった叔母さんに会いに行くんです!」
「へぇ、そいつはめでたい」
「というわけで来週の勉強会は中止です。自力でがんばってくださいね」
「えぇ⋯?来週小テスト祭りなんだが⋯どうしてくれるんだよ」
「勉強教えてくれるお友達とかいないんですか?」
「いるに決まってるだろ。つっても最近、みんな切羽詰まっててさ」
「そりゃ小テストミスったら成績に響きますもん。当然のことでしょう」
「論破されそうだから話題変えるけどさ、お前た「たけのこ派ですよ」
「先輩はどうなんですか」
「⋯どっちも同じくらい好きかなぁ」
「つまり中立ですか⋯まぁよかったですね、これでまた家族に会えますよ」
「そういうセリフは、俺に勝ち越してから言えよ。
あとお前さ、
「たしかに⋯!すみません、不謹慎でした⋯」
「わかればよろしい。今後ともショージンせよ!」
唯華が着ているのはボーダーの隊服ではなく、普段着のカーディガンとスカート。
いつもの訓練や任務とはまるで違う、日常の空気がそこにはあった。
「見てよお兄!菜の花があんなにいっぱい!」
「知ってるか?菜の花って和えるとおいしいらしいよ」
「ほんとにさぁ⋯風情ってものがないよね」
「ゆりさんが前に言ってたの、覚えてるだろ?」
迅は小さく息をついてから、窓際に体を寄せる。
唯華はうれしそうに身を乗り出し、車窓に映る黄色の絨毯をじっと見つめた。
「……なんかね、変な感じがするの。叔母さんたちに会うのに興奮してるっていうか⋯
ずっと夢みたいだったけど、ほんとに会えるんだなって思うとうれしくって。」
「うん」
「唐沢さんってすごいよね。
こんな早くに見つけてくれるなんて思ってなかったなぁ。やっぱり悪い人じゃないよ」
迅はその言葉に、視線をわずかに逸らすだけで、何も返さなかった。
「⋯そうだな」
唯華はそんな兄に気づかず、首をかしげて、
「……お兄、今日ずっと静かだよ? もしかして電車酔い?」
「唯華のかわいさに酔っちゃったみたい。だから少し寝るかも」
そう言いながらも、迅の指は膝の上で小さく震えていた。
それを見た唯華は、彼の手に自分の手を重ねる。
「大丈夫だよ。お兄は事情があったから、仕方がなかったってちゃんと伝えるから。
誤解が解けたらさ、叔母さんたちの家でご飯とか食べて…なんなら泊まってもいいんじゃない?」
「唯華」
「なに?」
「……何があっても、俺が守るからな」
「なにそれ、プロポーズ?」
「ちげぇよ」
思わず笑った唯華の頬に、朝日が射し込む。
列車は山間のトンネルを抜け、平野に出た。
---
数時間後──
最寄り駅からバスに揺られ、そして細い道を歩いて、二人は小さなアパートの前に立っていた。
外観は年季が入っていて、エントランスの自動ドアは開閉の音を少し軋ませていた。
それでも、陽の光が降り注ぐなか、唯華の瞳はきらきらと輝いていた。
「ここ⋯だよね。」
彼女はカバンからメモを取り出し、手書きの住所を確認する。
「……あった。444号室」
唯華は階段を駆け上がり、軽くスカートの裾を直して、胸の前で両手を合わせた。
「よしっ!」
そのままインターフォンの前に立ち、振り返って迅を見た。
「お兄、準備はいいよね?」
「……あぁ」
唯華は笑った。
そして、指を伸ばして──
ピィンポォォン……と、呼び鈴を鳴らした。
『はーい、今いきまーす』
金属のかすれた音とともに、アパートの古びた扉がゆっくりと開いた。
唯華の心臓が、ひとつ大きく脈打った。
掌の中で震えるような感覚。体が自然と前のめりになる。
出てきたのは──
唯華の記憶の中にある“叔母さん”より、少し太った中年の女性。
毛先が伸び放題の、派手な金髪がうねり、
頬の肌には乾燥と時間の荒れが刻まれていた。
間違いない、唯華の“叔母”である。
「
三門市の事件知ってるでしょ!?私⋯なんとか生き残って今はボーダーで働いてるの!」
唯華はいつもより数段大きな声を上げ、叔母に現状を説明しようとする。
女は目を細めて、まじまじと唯華を見つめた。
しかしなぜだろう。その視線に優しさのかけらも無いのは。
「……あんた、誰?」
声が、氷のように冷たかった。
唯華は何かがゴリゴリと削られるのを感じながらも、必死に言葉を紡ぐ。
「えっ、私、唯華…だよ!迅唯華!」
言葉を選ぶことも忘れ、唯華の口は勝手に動いていた。
自分の名であるその3文字に、希望を込めて。
その瞬間、女の表情がわずかに動いた──
驚き……のようなものがほんの一瞬、まるで波紋のように顔に浮かび、
すぐにそれは、ねじれた笑みに変わった。
「……は?まさか⋯あんた、死んだんじゃなかったの?
え⋯生きてたの?うっそ〜やだ〜」
彼女は笑っていた。
再開を喜んでいるとはとても思えないほどに醜悪な笑みで。
「おい、お前なんてことを⋯」
迅悠一は怒りに顔を歪めるが、唯華の制止により煮え切らないまま口を閉ざす。
「ねぇママ……また一緒に暮らそう?
わたし、今度もちゃんとするし、何でも手伝うから。
邪魔もしないし、我慢もする。だから──」
「はぁ?あんた何言ってんの?」
女はあきれたように目を細めた。
「あんたはね、とっくの昔に用済みなのよ。
邪魔しないってんなら、さっさと帰ってくれない?」
その言葉の意味を、唯華の脳が理解するのに、数秒かかった。
「ようずみ⋯?それ⋯どういうこと⋯?」
彼女の視界がにじむ。
ぐちゃぐちゃになったのは
過去の視界は気持ち悪いほどに透き通って視えた。
けれど、それは涙じゃない。困惑と動揺が、身体の芯を揺らしているからだ。
(泣いちゃダメ⋯泣いたら
唯華が懸命に自分を支えながら、次の言葉を口にしようとすると⋯
「マーマーッ!」
部屋の奥から、小さな赤ん坊の泣き声が響いた。
女が振り返り、ぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら室内に向き直る。
「はいはい〜、ママが行きますよ〜♡」
「ったく、うるさいわね……ねぇ見て、この子が今の“私の子”よ。可愛いでしょ?」
女は赤ん坊をあやしながら、唯華に顔を向けた。
「私はこの子のママなの。あんたは用済み。おかげで支援金もらえたわ〜ありがとね〜♪」
下卑た笑い声が唯華の穴という穴を突き刺していく。
それは意地の悪い残酷で鬼畜な所業だったが、それでも唯華は笑ってみせた。
唯華は唇を引きつらせ、震える手で口元を押さえる。
涙が出そうになるのを、必死で抑えながら──それでも、手を伸ばした。
「私の⋯弟⋯?妹かな⋯」
「は?何いってんの?」
「ねぇ、ママ……わたしのこと、好きだよね……?
あのとき、愛してるって言ってくれたよね……ワタシ、信じてたよ…だから⋯」
手を握りしめ、震える声で懇願する。
それでも──女は笑った。
「ママ? 知らないわよ。あんた誰?wwwもう他人なんだから、話しかけないでくれる?」
世界の輪郭が溶けていく。
唯華の顔から色が消え、血が引いていった。
「いや⋯いや…!何でも言うこと聞くから!
お手伝いもさせてよ!今までみたいに殴ってよ!
ご飯くれなくてもいいから……全部、全部我慢するから……だからママをやめないで!」
喉の奥が詰まり、胸が焼けるように痛い。
それでも唯華の足は動かず、ただただ懇願するしかなかった。
「やめる?何言ってるの?そんなことしないわよ」
女がうんざりしたように言って、扉をさらに開く。
「ママ⋯!」
唯華の顔が歓喜に満ちたその直後。
「あなたの“本当のママ”は、もういないでしょ?」
唯華の世界は音も立てずに崩壊した。
「いや…ママまでいなくならないで⋯!私を一人にしないでよ!」
彼女は、ここまで大きい声を出したことがなかった。
自分のものとは思えない叫び声の中に咳をしながら、唯華は跪いて訴え続ける。
「私⋯ママのことずっとずっと大好きだよ!
ママの言う通りにする!もっともっといい子になるから⋯
だからママをやめないでよぉ⋯私のママでいてよ⋯」
女の目は優しくなるどころか、鋭さをましたようにさえ思える。
「うるっさいのよ、クソガキが──これ以上騒いだら……殺すわよ!」
唯華はわずかに後ずさる。必死に目を開くが、目の焦点が合わない。
怒鳴り声とともに、拳が振り上げられた。
──その刹那。
「ガシッ!」
肉を叩く音は鳴らなかった。
その腕を掴んでいたのは、迅悠一だった。
彼は何も言わなかったが、その目には燃えるような怒りが宿っていた。
「なによ!あんたまでこいつと同じ事言うつもり!?」
女は嘲るように笑いながら叫ぶが、迅は答えない。
そして唯華のほうに視線を向け──
「……もういい。行こう、唯華」
その言葉に唯華は唇を噛み、
喉の奥で何かが詰まるのを感じながら、『首を横に振った』。
涙は──まだ、流れていない。
「本当の
私は
「そうね⋯靴を舐めたら⋯って気持ち悪い!さっさと野垂れ死ね!」
唯華の目に宿されていた、最後の光が消えていく。
パタン──。
金属が噛み合う冷たい音が耳を、彼女らを揺らした。
たった1つの音で、たった1枚の壁で、唯華と叔母は断絶される。
閉ざされた扉をただ見つめたまま、唯華は動けなかった。
もう何も映らない扉の前に立ち尽くし、
足の感覚も、指先の震えも、自分のものではないように感じたまま。
心臓が冷たい水に沈められていくような、おどろおどろしい感覚があった。
何かが胸の奥からゆっくりと崩れていく。
それが何なのか、彼女にはもうわからなかった。
膝が勝手に折れ、その場に崩れ落ちる。
重力に引かれるようにその場にへたり込むと、
冷たいアスファルトの感触がスカート越しにじんわり伝わってきた。
泣いてはいけない、唯華の頭にはそれしかなかった。
ここで泣いたら、きっとまたママを怒らせてしまう。
喉の奥に何かが詰まって、呼吸すらうまくできなかった。
(……いやだ。なんで……私っていらない子だったの⋯?)
声にならない問いが、頭の中で何度も反響した。
あの人に会いたかった。ただ、それだけだったのに。
「唯華……っ」
背後からそっと伸びてきた腕が、彼女の身体を支えようとした。
しかし──
「やめて!」
唯華は反射的にそれを振り払う。
「ママは⋯ちょっとだけ機嫌が悪かっただけなのっ!
だから⋯治るまで⋯それまで⋯動かないから⋯」
自分でも信じられないほどの声が出ていた。
喉が焼けるように痛いと感じていたが、それでも彼女の言葉が止まらない。
「あぁごめんなさい⋯ごめんなさい⋯許してください⋯何でもしますから⋯」
彼女は手で顔を覆い、思いっ切り膝に額を押しつける。
爪が掌に食い込んで痛かった。頭がガンガンして気持ち悪かった。
呼吸が浅く、熱くなった瞼が痛かった。
唯華は完全に正気を失っているのは、誰の目にも明らかだった。
迅は、それ以上言葉を挟まず、ただゆっくりと唯華の肩に手を添える。
そしてもう一度抱き起こそうとする⋯今度は唯華も抗わなかった。
おそらく、その力さえも残っていなかったのだろう。
「もう⋯いや…」
迅の胸に、唯華の身体が崩れるように預けられる。
重さではなく、感情の残骸だけがそこにあった。
そのまま、二人は静かにその場を離れた。
夜風になりかけの夏の温風が、彼女らの頬を無機質に撫でる。
街灯の下でさえ、少女の涙は見当たらなかった。
チェックインを終えたホテルの部屋には、
既に林藤支部長から受け取っていた「未成年宿泊許可証」の写しが受付に届けられている。
迅は段取り良くフロントを済ませ、部屋の鍵を受け取り、唯華を連れて入る。
「唯華……ご飯、買ってきた。食べられそうか?」
コンビニの袋をテーブルに置き、声をかける。
唯華はうつむいたままベッドに座っていた。
「⋯⋯いい」
そして数秒後、ふらりと立ち上がり、無言で布団に潜り込む。
温かいおにぎり、カップ焼きそば、そしてどろりとした柔らかいプリン。
きっと普段の彼女なら、丁寧に礼を言ってプリンに舌鼓を打つのだろう。
「⋯わかった」
迅はその一言と唯華の分のご飯を残してから、
箸を取って、ゆっくりと焼きそばを食べ始める。
麺をすすって咀嚼し、ジャンキーなはずの味を感じてから飲み込む。
お茶を飲んで⋯アイスをちょっとずつ食べて⋯
たったそれだけの行為に、迅は恐ろしいほどの重たさを感じていた。
迅が食事を終え、風呂に入り、換装を解いて着替えを済ませ、ふと唯華に向き直る。
時間が止まったように静かな部屋の中で、唯華は隅で肩を震わせていた。
一言、声をかけるべきか。
それともこの沈黙ごと、抱きしめてやるべきか。
そのときだった
「……ぅ、ぁ……」
ほんのかすかに、かすかにだが喉の奥から音が洩れる。
声帯の奥で絡まった痛みが、掠れたまま漏れてきたような音だった。
慣れない大声を出し過ぎたせいで、喉が痛むのだろう。
彼女の声は聞き取れないほどに小さかった。
「……っ……ん、ぅぅぅっ……」
その音が、少しずつ大きくなっていく。
最初は、自分でも声を出しているつもりはなかったのだろう。
でも、こぼれ始めた涙は、一度流れ出すと止まらなかった。
「……私⋯わたしっ⋯あぁうっ⋯」
嗚咽に混じって聞こえるのは、壊れた玩具のような独り言。
喉から漏れる声は、しゃっくりのように引きつれ、時折言葉にならない嗚咽に変わる。
「……ネイバーが……攻めてきたから……!」
突如として、声が上ずった。
「家が……壊されたから……叔母さんとの生活が、壊れたんだ……!」
まるで誰かに説明するように、懸命に言い聞かせるように、彼女は言葉を重ねる。
「きっと、そうなんだよ……!だからあんな言い方したんだ……!
ねぇママ⋯そうなんでしょ……!? 」
溜め込んだ涙は、まるで際限などないように止まらなかった。
ぎゅ、と無意識に腕が自分の膝を締めつける。
爪が皮膚に食い込んでも、激情の中で痛みは感じなかった。
「……もしかして私……愛されてなかった……?」
目を見開いて、その言葉が口からこぼれた瞬間⋯
唯華は、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて──声を上げて、泣いた。
「うあぁぁぁあああああああああぁっ!!」
その叫びは、魂を裂くような悲鳴だった。
嗚咽につられて感情が引き出され、
心も喉も張り裂けそうな声をあげて、身体をくの字に折って泣いた。
「やだ……やだよ……ようやくママって呼べるようになったのに……!
ずっと……ずっと⋯⋯信じてたのに……!」
涙と鼻水がごちゃ混ぜになって、喉の奥が詰まって、呼吸さえ苦しくなる。
それでも、身体の奥底から湧き上がる叫びを止められなかった。
いつもそうだ。過去の視界は気持ち悪いほどに透き通って視える。
叔母の過去に、唯華の顔も体もまともに映っていない。
いるのはぼやけた黒い影⋯(あぁそっか⋯私、愛されてなかったんだ⋯)
泣いても、泣いても、涙が尽きない。
唯一知っていた“家族”に拒まれた事実が、心の奥で何度も波紋のように広がっていた。
「わたしが……悪い子だったから? わたしが、産まれたのがいけなかったの……?」
答えなど返ってこないと知っている。
でも、問いかけずにはいられなかった。
「漢字テストで満点取ればよかったの?包丁で刺されてたらよかったの?
蹴られて泣いたから?全部直すから⋯だからママをやめないでよぅ⋯」
唇を震わせて、目の端を押さえながらも、
次の瞬間には冷たい涙が熱い頬を伝う。
膝と膝の間に顔を埋め、声を押し殺して泣く。
でも、嗚咽は漏れた。枕が濡れ、髪が汗と涙で絡まり、熱で頬が赤く染まっていく。
「……“愛してる”って……言ってくれたじゃん……。あれはうそだったの……?」
静かに、絞り出すように漏れた言葉は、まさに懇願⋯誰かに縋るようだった。
「なんだっていいから⋯もう何もいらないから⋯だから私を見てよ⋯!」
全てが壊れ、ガラガラと音を立てて崩れ去る。
抱いてきた幻想も、期待も、記憶も、全てが消えてしまった。
“ママ”はもういない。
最初から、どこにもいなかったのかもしれない。
そんな現実を、たった一晩で突きつけられた少女には──涙を止める術などなかった。
迅は、ただ黙ってその隣に座る。
今の彼女に触れるどころか、慰めの言葉を送ることすら憚られた。
しばらくしてひとまず落ち着いた唯華は、ベッドで死人のようにように眠った。
迅はそっと布団をかけ、自身もその中に入り込んで目を閉じる。
避けられぬ未来を噛み締めながら⋯やがて彼も意識を落としていった。
自分の作品だからかもしれないですが、書いている途中に涙が出てきました。
叔母さん対して叔父さんが空気ですが、
絶対悪が2人もいるとややこしいのでこのままでいいや
メモ:唯華が迅を視た場合
普通 彼の過去
片目閉じ 彼が見ている景色
両目閉じ 彼の過去or彼の見ている景色&彼の視ている未来 ⋯が視える
叔母さんたちを再登場させるか(唯華の給料目当て)
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登場させて恥をかかせよう
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登場させてボロクソ言ってやろう
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不快なので登場させないで
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迅悠一が裏で殺す