「うわぁ⋯」
「さすがに止めたけど⋯しつこかったら、はっきり嫌だって言っちゃいなさいよ?」
「そうする。でも私が心配かけちゃってるし、あんまり強くは言えないかな⋯」
「あたしが言っても意味無いのよ!唯華がガツンと言ってやらなきゃ!」
「そっか⋯同じ部屋は嫌か⋯入るのもダメ?」
「着替え中とかじゃなきゃいいよ。」
「わかった。じゃあ今日から寝顔だけ見に行くよ。」
「⋯⋯そっか」
「緊張してる?」
唯華の兄⋯迅悠一は、訓練室の入口でおちょくるようにニヤニヤ笑っている。
「そりゃ初めてだから⋯でもちょっとだけ。」
「ふ~ん⋯」
彼女はあくまでも正直に答えたが、迅には虚勢を張っているように見えたのだろう。
唯華は過去視の能力を用いて、戦闘を兄の視界越しに何度か視たことがある。
斬っても斬られてもお互い死なないことも、それが成長速度を早めることも。
とは言ってもガチの斬り合いは普通に怖い。
これから行うのは死なないだけの殺し合いなのだから。
迅の案内に付いて行き、唯華は訓練室へと足を踏み入れる。
そして中に入ると、視界が白色に覆い尽くされた。
床も白いタイル、壁も白いタイル、天井も白いタイル⋯実に面白みのない場所だ。
「マップは市街地、仮想戦闘モードでいいよな。」
迅はポチポチとモニターらしき機器を操作しながら、唯華に問いかける。
「え⋯いいんじゃない?」
「了解」
そして彼らが少しの浮遊感を感じた次の瞬間、
無機質だった部屋がよくある住宅地に変貌していた。
「えっ!なにこれすごい!」
「だろ?はいこれトリガー。」
唯華が謎の超技術に驚いているうちに、迅は黒い
「それじゃお先に、トリガー
青色のトリガーを握った迅がそう口にした直後、彼の体を淡い光が包み込んだ。
「変身⋯した⋯」
「う~ん惜しい!生身を置き換えてるから、正確に言うと換装だな。
ま、とりあえず起動してみなよ。」
押せそうなボタンもレバーもない⋯やはり起動するには声に出さないといけないようだ。
「⋯とりがあ、おん。ってうわ!」
身体がふわっと浮くような感覚と共に、世界が少しだけ遠く感じる。
そしていつのまにか唯華は、白いC級の隊服着ていた。
「よし⋯じゃ、はじめよっか。」
「は⋯始めるって何を⋯」
うろたえる彼女に、迅はあたりまえのように言い放つ。
「戦闘訓練。
「いや、お兄は人間じゃん。
お兄と戦っても意味は薄いと思うけど⋯」
そのとき唯華が視たのは、宮殿で逃げ惑う人々と血を流して倒れ伏す何十人もの人の姿。
そして⋯自身の兄が誰かを刺し殺す姿だった。
(
「まぁ、まるっきり役に立たないってわけじゃないもんね。」
唯華は動揺を巧妙に隠しながら、適当に自分で納得したフリをする。
「動けるか?」
訓練室の中央、距離を置いて立つ迅が声をかける。
淡々とした口調の裏に、微かな緊張を孕んだ気配があった。
「うん、大丈夫……」
手を開いては閉じ、開いては閉じ⋯
動こうとした足は、少しだけ浮ついた。重力のかかり方が、生身とはわずかに違う。
それでも生身より軽い。芯から力が湧いてくる感覚は、トリオン体の証拠だった。
唯華は右腰に装着された弧月の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。
現れたのは迅と同じ金色の刃。
少しばかり重かったが、軽く振ってみた感じ使いやすそうだ。
「ここでは斬っても斬られても、お互い死なないからな。」
迅が口を開く。軽い調子だったが、その目は真剣だった。
「この仮想空間じゃ、どれだけ刺しても肉体には傷一つつかないし、痛みもほぼない。
だから、遠慮しないで思いっきり動いてくれ。」
唯華は黙って頷いたが、どこかで引っかかりを感じていた。
「斬る」という行為の重さが、まだ感覚として消えない。
目の前にいる迅は体こそトリオンで形作られているが意識は本物だ。
包丁で野菜を切るように、彼女に指導をした叔母のようにやすやすとは斬れない。
黙っている唯華が焦れったかったのか、不意に迅が前に出た。
「やっぱ信じらんないよな〜じゃあ、証明しようか」
彼は自分の弧月を引き抜くと、無造作に胸のあたりへと突き立てようとする。
「――やめて!」
唯華は思わず叫び、駆け寄って腕を押さえた。
「自分で確かめるから……それで、いいでしょ?」
迅は少しの間だけ目を見開いた後、ふっと笑って了承の意思を告げる。
『カウントダウンを開始します。開始まで3、2、1⋯』
街の一角を模した仮想空間。
両者が相まみえてお互いを牽制するように弧月をかまえる。
『0、戦闘開始。』
張り詰めた空気を突き破るかのように、ブザーがけたたましく鳴り響いた。
「――いくぞ」
迅が鋭い踏み込みを見せ、一気に距離を潰しにかかる。
(来る!)
唯華は一瞬だけ目を閉じ、過去視で迅の視界を覗く。
頭に浮かぶ映像はたった1つの未来。
「ここ!」
唯華はその一撃を、横に跳んでギリギリ回避した。
風を裂く音が彼女の耳を揺らす。
ブレードの縁がギリギリ頬を掠め、唯華の髪を一筋だけ切り落とした。
「ナイス横っ跳び、はじめてなのによく反応したな」
驚きの声を上げる迅。その隙を見て、唯華は大きく踏み込む。
全身を振り絞るようにして刃を振り下ろす――が。
「遅いな」
弧月は見事なまでに空を斬り裂き、いつのまにか迅は真横に張り付いていた。
「やば!」
彼の弧月によって右腕を飛ばされ、唯華は武器を取り落とす。
そのまま流れるように胴体が寸断され、あっという間に視界が光に包まれた。
トリオン体が弾け飛び、最初の位置に戻される。
「まずは一本。このまま慣らしていこうか。」
迅の笑顔は優しげだが、容赦は一切ない。すべては妹を強くするためだから。
二戦目。
再構成されたトリオン体で構える彼女に、迅は一言だけ言った。
「考えすぎるな。動きはシンプルでいい」
その言葉を合図に、また戦いが始まる。
唯華は全神経を集中させてまたしても初撃を躱した。
正面の振り下ろしを弧月で受け止め、足払いを跳んで躱す。
「いいね、ちゃんと見えてる。でも⋯空中はキツイだろ」
受けを無に返すほどの、すさまじい剣速を宿した逆袈裟が跳ね上がる。
声を上げる暇も無く、唯華の体はまたしても斬り裂かれた。
しかしこれはまだまだ序の口、訓練はここからが過酷だった。
迅の剣技は練り上げられており、見事な体捌きにより隙も少ない。
唯華は必死に受け、受け、弾き、逸らすが――それでも流れを掴むことはできなかった。
「――ぐっ!」
何十回目になるのだろう。胴に入った一太刀が致命となり、視界が真っ白に染まる。
仮想空間であるにもかかわらず“倒れる感覚”だけが妙にリアルに伝わっていた。
トリオン体が崩壊して、再び光に包まれる。
(お兄の視界を視てたら攻撃は避けやすい⋯けど連撃で死ぬ。
だからって視なかったら純粋に実力で負ける⋯)
頭の奥がジリジリと焼かれるような感覚がある。
「⋯ちょっとやり方を変えようか」
迅が提案したのは、戦いのようで戦いではなかった。
「おれの攻撃を受け続けろ」とだけ唯華に告げられる。
ただひたすらに、迅の斬撃を“受け続ける訓練”。
「防御だけでも、やることは山ほどあるからな」
唯華は正面に立ち、迅が繰り出す斬撃を一つひとつ受け止めた。
さっきと比べて剣速が遅い(それでも十分速いが)。だいぶ手加減しているのだろう。
唐竹割りを受け止めた弧月が音を立てて押し込まれる。
トリオン体の筋力に差はない。だからこれは単純に技量差である。
何度も負け続け、さすがにメンタルが悲鳴を上げそうになった。
それでも唯華は何度も何度も挑み続けた。
「目線が下がってる。剣筋がブレるぞ」
迅の斬撃が、真上から押し潰すように迫る。
「自分の腕で受けるんじゃなくて、剣で“捌く”」
「っ、うああ!」
膝が折れそうになったが、それでもなんとか持ち直す。
息が荒い。痛くはないはずなのに、意識が遠のきそうになる。
それでも、立ち続けた。
――兄の背中が、ずっと遠かったから。
その背を、唯華は追っていた。追いつくために、ここに来た。
何度も攻撃は弾かれて、腕と共に剣を落とした。何度も斬られては、体は崩壊し続けた。
だが彼女は最後まで、決して目を逸らさなかった。
「……ふぅ。よし、終わりにしよう」
ようやく戦闘終了の合図がかかり、唯華はその場に膝をつく。
訓練用のトリオン体は再構成されたまま、呼吸だけが激しく続いている。
「初日にしては、よく粘ったよ。明日は攻撃面を鍛えよう。」
不思議と迅の声が心に染みる。
普段のおちゃらけた態度からは想像もできないほどに、彼は真剣だった。
唯華は返事もできないくらい気持ちが疲れていたが、その言葉を胸に刻んで立ち上がる。
「明日は1本だけでも⋯取ってみせるから!」
「ふ~ん⋯ま、期待してるよ」
果たして彼の目に、その未来は視えたのだろうか。
炊き立ての白い湯気が、ふわりと唯華の顔を撫でた。
彼女がいるのは玉狛支部のダイニングスペース。
訓練後の夕刻、テーブルには大皿に盛られた唐揚げと山盛りのサラダ、
そして炊飯器からよそわれたばかりのご飯。味噌汁の香りがふわりと鼻腔をくすぐっていた。
照明の下、食卓は柔らかい光に包まれている。
「いただきまーす!」という小南の声が響く。
続いてレイジ、迅、ゆりが順に手を合わせ、各々いただきますを口にした。
唯華も少し遅れて、ぎこちなく挨拶をする。
目の前の味噌汁をひと口すすると、塩気と出汁の優しい味が舌に広がる。
からあげをひとつ口に運ぶ。表面はカリッと揚がり、中はふわっと肉汁が溢れた。
(……美味しい)
唯華は驚いていた。いや、それ以上に――これは、自分が知っている“食事”ではない。
給食で温かいご飯に触れることはあっても、そこには家庭の匂いなどはなかった。
目の前で料理を取り分けてくれる人も、食卓越しに自分の顔を覗き込んでくれる人もいなかった。
「でさ、どうだった? 初めてのトリオン体!」
小南が唐揚げを頬張りながら声を弾ませる。
「うん……動けるようにはなった。でも、まだぜんぜん……」
「そう?途中から見てたけど、結構やれてる方じゃない?」
唯華はちら、と迅の方を見た。
そんな兄はというと、白ごはんをもりもり食べながら
「反応は良かったけど、まだ身体がついてきてないな」と淡々と返す。
「にしても迅、あんたの訓練厳しすぎない?」
「受け太刀訓練を連続100本。
せめて休憩を入れるべきだ⋯という俺の通信は聞こえていなかったか。」
小南は口をとがらせ、レイジは目を細めて迅に告げる。
「本人がやるって言ったからさ〜」「言ってないけど!?」
唯華は慌てて否定を挟む。
「どっちかわかんないけど⋯言われてたって手加減しなさいよ。
ねぇ!ゆりさんも何か言ってやってよ!」
小南が発した声の先には、台所から味噌汁を注ぎ足していた林藤ゆりの姿があった。
呼ばれた彼女はふわっと笑いながらも圧をかける。
「……やりすぎよ、悠一くん。
だいたい、トリオン兵を倒せるようにするのが先でしょ?対人戦はまだ少し先。」
おたまの動きは止めずにゆりは話す。口調は柔らかいが、ぱっちりお目々は真剣だった。
まるで「母親」のような声音⋯唯華はそう感じてしまった。
迅は苦笑しつつ、ご飯の入ったお茶碗をテーブルに置く。
「唯華が音を上げる未来は無かった、本人が望むなら俺はそれに応えるだけさ。」
ボーダーの任務はだいたいトリオン兵の掃討だ。
結局、訓練開始直前に出てきた唯華の意見は的を射ていたわけである。
「論点を逸らしたわね。」
「さすがゆりさん正論パンチ」
「ゆ⋯ゆりさん⋯すごい⋯です」
怒涛の援護射撃とドレッシングが迅とサラダにふりかかる中、唯華は箸を止めたまま黙っていた。
(……逃げない)
きっと兄は私を信じてくれていた。なら、自分も応えなきゃいけない。
でも今、自分の目の前にあるこの食卓が、なぜだろう――
(……泣きそうになるのは、何で)
唯華は俯いた。
温かいご飯。人の声。箸がぶつかる音。
当たり前のはずなのに、こんなに心を満たすものだったなんて知らなかった。
(やめなきゃ)
自分で自分を戒める。
(普通は、これぐらいで泣いたりしない)
ぐっと奥歯を噛んで、瞼を押し上げた。
代わりに、ご飯を大きく口にかきこんだ。咀嚼のリズムで、感情を押し込めるように。
「……唯華ちゃん?」
ふと、隣からゆりの声。手に何かを持っている。
「大丈夫?はいこれお水。」
「……ありがとう、ございます」
彼女の一言が、喉の奥で震えた。
唯華の声はかすかに震えていたけれど、その瞳には確かな光が宿っていた。
迅は無言でその様子を見つめていたが、やがてふっと笑った。
「明日はトリオン兵とも戦ってもらうが⋯受けじゃなくて、攻めを教えてやる。」
「何でも詰め込めばいいってものじゃ「わかった。」
唯華は迷うことなく即座に答える。
「とりあえず食え」
レイジは迅兄妹を心配しながらも、おかわりのご飯をよそい直していた。
湯気の向こう、夕食は笑いとともに進んでいく。
唯華の胸の奥に居座っていたしこりは、ご飯の温もりと一緒に、少しずつ溶けていった。
「はぁ⋯ほんと陽太郎くん様々だわ⋯」
唯華は基本的に眠れない。
過去視によって平常時でさえ意識が乱されるというのに、
目をつぶろうものならまるで他者の過去を追体験するように飲まれてしまうからだ。
いくら目を閉じても、目の前に明るい電灯があると眠るには相当苦労をするだろう。
もっとも唯華の場合はその比ではないのだが⋯
視えてしまうのは最後に会った者か、彼女自ら意識した者のみ。
迅の場合は未来視ごと視えてしまい情報量の多さで脳への負担がすごい。
しかしまだ幼い陽太郎の場合、視える過去は少なく刺激も限りなく少ない。
ほとんどが誰かの顔と服であり、ぼやけているところも多々存在している。
そのため両目を閉じて追体験のように感じたところで大した問題はなく、
むしろ誰かに抱きしめられている分安定した睡眠を取りやすいほどだった。
「眠れるって素晴らしい⋯」
自然と涙がこぼれるが、この場に指摘する者はいない。
迅の悪意なき襲来により、唯華の安眠が不眠へと変貌するまで、あと30秒⋯
今の唯華のトリオンは6です。第1次大規模侵攻で、トリオン兵が荒船の足止めに無関心だったのは唯華のトリオン量が当時の彼より多かったから⋯という理由を思いつきました。
2025/06/17 誤字報告を受けて、空白含めて下から7行目の脱字を修正しました。
ほとんどが誰かの顔と服であり、ぼやけ『て』いるところも多々存在している。
誤字報告ありがとうございました。今後はよりいっそう気をつけて制作したいと思います。
⋯細部まで呼んでもらえている気がして、正直うれしかったです!
叔母さんたちを再登場させるか(唯華の給料目当て)
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登場させて恥をかかせよう
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登場させてボロクソ言ってやろう
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不快なので登場させないで
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迅悠一が裏で殺す