ホロライブラバーズ 『冥追の魔法使い』 作:錦坂
時は少しさかのぼり、入学式の朝。
学園が独自に管理する訓練場に、誰よりも早く現れた人影があった。
その人影は、今この学園で最も注目される魔導師だった。
「よし……今日の日課も…おしまいっ!!」
最年少の魔導師として格上に打ち勝ち、前例のない魔術や魔導を独自に開発し、『難題』の一つを解決し、ウィースヘルムに主席入学。
紫咲シオン。
これほど満たされた『魔の道』を往く者も、そう多くはない──。
その計り知れない実力と才覚は魔法省からも高く評価され、世間では『天才』『神童』と称される存在となった。
「……やっぱり、杖無しだとコントロールが鈍るな」
だが、紫咲シオンにとって『天才』という言葉は、思考停止の美辞麗句に過ぎなかった。
真に『天才』と呼ばれるべき領域に辿り着くには、相応の積み重ねが必要だ。
凡人の羨望は、しばしばその努力を見落とし、研鑽を無視して才能だけを語る。
彼らの目には、血の滲むような試行錯誤も、己を削って積み上げた日々も映らない。
そうして『天才』という言葉だけが、すべてをまとめてしまう。
天才という一語で、彼らの努力を帳消しにしてはならない。
努力の果てに極致へ辿り着いた者は、『秀才』と呼ぶべきだと私は思っている。
だから私は──紫咲シオンは、『天才』を知らない。
私の周りにいた猛者たちは、誰もが例外なく、常人には耐えられぬほどの鍛錬と努力を積み重ねていた。
彼らの努力から、研鑽から、目を背けるな。
故に私は、『天才』という言葉を嫌悪する。
それでも、私を知る者は皆、私を『天才』と呼ぶ。
だが、私は
才能だけで立っている者など、結局は努力を惜しまぬ猛者たちに喰われて消えていくから。
私にとって『天才』という言葉は、現実ではなく、ただの絵空事に過ぎなかったのだ。
あの日までは。
「では次、受験番号──006089」
推薦入試も後半に差し掛かった頃のことだ。
アナウンスが試験会場に響いた瞬間、紫咲シオンは一歩前に出た。
まっすぐに張った背筋。どこか無機質な無表情。けれど彼女の内には、熱い確信があった。
人生のほとんどを魔法に捧げる傑物たちとしのぎを削った日々──それが、今の私を形作った。
幼少期から名門を転々とし、幾多の魔術理論を自分のものにしてきた。
生まれ持ったセンスを喰い潰されないように、血のにじむような努力の果てに手にした実力。
私はそうしてここまで登ってきた。
けれど。
──だからこそ。
私は『天才』ではない。
「この試験では召喚されたゴーレムを他の受験生と共に協力して倒してもらいます」
試験監督の声が響く。バインダーを抱えたままの監督が事務的に進めていく説明作業に、会場の受験生全員が耳を傾けていた。
「ウィースヘルムの推薦入試を通過してきた受験生の実力を鑑みて、今回は“そこそこ”強力なゴーレムを召喚する予定です。共闘するバディをくじ引きで決定しますので、こちらの箱から引いてください。紫咲シオンさん、前へ」
試験管はバインダーを放り、隣に置いてあったくじの箱を抱え上げた。
ボックスの穴からはみ出たくじの棒がじゃらりと鳴る。本数はここにいる生徒の半分…つまり二人一組のバディで、この後のゴーレムを討伐するということ。
シオンを除く受験生一同が、息を呑む。
「くじは私が引くの?」
試験監督が静かに頷き、耳打ちする。
「今のところ、試験の暫定一位はあなたです。あなたに任せても事故は起こらないと判断しています。ただし、あまりにも強力すぎる組み合わせが出た場合には、こちら側の判断で引き直させていただきます」
「ふーん…というかシオンが最初でいいんだ?」
「えぇまあ。実戦形式の本格的な試験ですので──実戦経験豊富なあなたが一番手だと、他の受験生の模範になってよろしいと思って、」
「なになに、えらくシオンのこと買い被ってくれるじゃん」
「無論です、あなたは今じゃ知らない人はいないほどの
「……そ、」
表情ひとつ変えず、シオンは無言でくじを引いた。
「……受験番号006104」
その瞬間だった。
「受験番号006104、俺か──フロイト・ルーチェ、よろしく頼む」
遠くから軽やかに声が飛ぶ。間を置かず、快活に駆け寄ってくる少年。
その姿に、シオンは自然と眉をひそめた。
フロイト・ルーチェ。
これまでの試験で彼にはとくに目立った成績がなかった。魔力量や魔法制御も平均的。
推薦組は、魔素量や魔法のバリエーション、単純な戦闘センスなど、何かしらの特筆すべき点を持ってここに来る。失礼だが、彼の成績はどこにでもいそうな『凡人』と変わらない。
正直、どうして推薦入試に出願できたのか分からない。それほど目を惹く素質の無い人間。
……のはずだった。
「紫咲シオン。得意魔術は闇魔術に雷の属性を付与する複合で…あと空飛べる」
一番手として試験監督たちに手本を任された二人。
待機の教室を抜け、ゴーレムが召喚される空間までのわずかな距離を、談笑で縮めていく。
「それ『
「おかげさまでね。そっちは?」
「俺? 俺は一般攻撃魔法全般と、回復ちょっと」
「……マジで?それでここまで?」
思わず、シオンの目が見開かれる。
聞いてあきれると言わんばかりの落胆しきった視線が、フロイトの心に突き刺さる。
フロイトを覗き込む虹色の瞳が、先の一言で明らかに動揺しているとわかるほどに泳いでいた。
「……弱すぎじゃない? 扱える属性は?」
「全部だ」
「…………え?」
一瞬だけ言葉を失った。けれどすぐに表情を戻し、そっぽを向く。
「──なら、まあ……いいけど」
「あのさ、さっきからなんでそんなに不安そうな訳」
「強いのか弱いのか分かんないんだもん、君。フロイト…だっけ?」
「さっき名前言っただろ。あと、くれぐれも俺のこと
「端からそんなつもりないし大丈夫」
呆れにも近いシオン溜息と、気の抜けたフロイト声が木霊する。
フロイトの第一印象は『弱すぎる』こと──だがシオンは、心のどこかで小さな違和感を覚えていた。
具体的には、彼の表情だろうか──明らかに余裕がある。ただの“凡人”なら、彼の実力が額面通りだったら、絶対に出せない余裕──。
──そしてその予感は、数分後に的中する。
『ただいまより共闘試験を開始します。該当する受験生は開始線から数歩下がって待機してください。』
アナウンスと同時、前方で召喚陣が光を帯びる。
その直後、大地を震わせて顕現したのは、鉄塊のようなゴーレムだった。身の丈は三メートルを超え、魔素の反応はどの試験よりも濃密。
試験監督の設定した
アナウンスの直後、待ってましたと言わんばかりに放たれる右のストレート。
2トントラックのように膨れ上がった異形な右腕がうなり、2つの人影へめがけて躊躇なく飛び込んできた。
「っ来たよフロイト、一旦いなすから二手に散っ──」
咄嗟に魔術を展開しようとしたシオンよりも、一手、いや──二手、速く。
走り出したフロイトが杖を振る。
無数の魔弾が空を裂き、狙いすましたかのようにゴーレムの腕の関節を穿つ。
それはまるで、
「嘘っ!? ってか速っ……!」
ゴーレムは魔法の連撃に体勢を崩したものの、魔素で作り出した岩石を振り放って反撃。
フロイトは、散弾するそれらを次々に見切って回避し続け、コンマ数秒にも満たない隙から魔弾の連射を繰り返した。
シオンは、その光景に息を飲んだ。
彼の詠唱速度。反射神経。戦況の読み。そして魔法の
しかし、シオンはその光景を前に刹那の順応を果たす。
彼の能力がシオンにも追いつけるものだと分かった瞬間、対等であると認識した刹那、
彼女は
「シオン飛べ!」
「もう飛んでるよ!!!!」
「フロイト!……今からアレの右胸部を貫通させて!!同時にシオンが炸裂魔法を叩き込むから!!」
視界を奪われたゴーレムの錯乱状態、猛攻──シオンは全てを宙で避け、フロイトは地で相殺を繰り返した。
「行くよフロイト──今っ!」
言われるがままに魔力を集中させ、炸裂魔法の座標を設定──数秒後、貫通とほぼ同時にゴーレムの心臓のコアがはじけ飛んだ。
為す術もなく畳みかけられたゴーレムが力無く地面に崩れ落ち、試験終了を知らせる鐘が鳴る。
試験通過を知らせるアナウンスと共に、フロイトは杖をしまい込んだ。
ゴーレムの顕現から討伐までの時間、約9秒。
破砕されたゴーレムの肉体が崩れる音が、まるで2人の試験通貨を祝う拍手のように響いていた。
戦闘が終わり、試験官が結果を告げる声が遠くに響く。
けれどシオンは、それを聞いていなかった。
フロイトはシオンの数歩前で立ち止まり、満足げに笑みを浮かべながら拳を掲げた。「上手くいったな」とでも言いたげな表情で。
「お疲れ、いやあ…上手くいったな!」
「お疲れさま」
やがて、戦場は静寂に包まれた。
フロイトはもう一度、崩れ落ちたゴーレムをじっと見つめていた。
その背中を見つめたシオンは、息を呑みながら先の戦闘を思い返している。
数分前までフロイトに抱いていた評価は、この瞬間に大きく覆る結果となった。
それにしても、
「これが…魔法……?」
手のひらに残る魔力の感覚。心臓の高鳴り。
勝利の興奮とは違う、もっと奇妙な感情が胸を満たしていた。
これまでの人生。シオンはあらゆる猛者から魔法を学び、その度に対峙してきた。
彼らは研鑽の果てに到達した極致で天才と呼ばれるようになり、シオンもまた彼らと同じ道を辿って名前を轟かせた。
──けれど、フロイトは違う。
理論では説明がつかない。
訓練では到達できない。
天才という言葉さえ当てはまらないような、異質さと速さを兼ね備えた魔法使いだった。
(フロイト・ルーチェ……魔法の
一緒に戦った今だからこそ分かる。
彼の動きには意図がある。戦い方にも理論がある。しかし、誰かから教わった魔法にしては粗雑で、純粋な魔素の出力や効率はここの生徒より数段劣っている。
しかし、彼の欠点や理論がどうであれ、彼の持つ圧倒的な
時間でも止めたかのような速さで繰り出される波状攻撃を見てから、興奮冷めやらぬ状態が続いている。
ひたすら嫌悪した『天才』の定義──それが、彼との邂逅によって、軋み始めていた。
…久しぶりだった。自分以外の魔法を“美しい”と思えてしまったのは。
ゴーレムに気を取られた彼を、一瞥。
「…知りたい」
シオンが静かに魔素を練ると、宝石のような虹の瞳に黄金が宿る。
この心の躍動は、ただの興味じゃないことを確信する。
天才と呼ばれた少女が息を呑むほどの凄みを持つ人間など、後にも先にもそう現れないだろう。
──フロイトの事をもっと知りたい。そのためには、フロイトの傍にいる必要がある。
(…そうだ、バディ制度…!)
それは、学園公認の制度ではあるが、実際に利用している生徒が少ない形骸化された制度。
行動を共にすることで自由が制限されて、成績次第では命を賭けた任務に駆り出される過酷さを持ち、バディ生徒の死亡事故も起きている。
まさに『ハイリスクローリターン』が相応しい性質であるため、学園の生徒には人気が無い。
おまけに、一度組んでしまえば簡単には解消できないと来た。
けれど──
「ねえ、フロイト」
呼びかける声は、自然と弾んでいた。
彼が振り向く。軽く首を傾げ、次の言葉を待っている。
「バディ、組まない?」
まっすぐに告げた。
迷いはなかった。
「……は?」
フロイトの眉がピクリと動く。
明らかに困惑した表情。でも、シオンは知っている。
これは、絶対に手放しちゃいけない出会いであると。
「どうせ一人でいるつもりだったんでしょ? シオンと組むの、悪い話じゃないと思うけど~?」
「いやまあ…悪くはないけど……お前本気?」
「本気だけど」
フロイトは、驚きつつも『何かの冗談だ』と思い、笑ってみせる。
しかし、瞬き一つさえしないシオンの真剣な顔を見て、彼は表情を引き締めた。
激しく動揺するフロイトに対して、シオンの提案は全く揺るがなかった。
(さぁ…どう出る、フロイト?)
紫咲シオンは、自分の直感を信じることに決めた。
彼の傍で、すべてを見極めるために。
・杖
魔法触媒の一つで、人間の脳機能を強める働きがあり、魔素の操作や魔法の精度を上げる。
大抵の魔法使いは杖無しに魔法を扱うことが出来ない。
・
紫咲シオンが開発し、彼女以外が使用することのできない『帰属魔法』の一種。
魔術の内容は『杖などの魔法触媒を使わずに浮遊の魔法を実行する』もので、慣性の法則の影響を受けない。