ホロライブラバーズ 『冥追の魔法使い』 作:錦坂
ガチャは悪い文明
件の殺人未遂に関わる『暗殺説』のほとぼりが冷め、バディ制度の申請受付期間が佳境に差し掛かった頃。
4月もそろそろ終わり。学園に漂っていた険悪な雰囲気やお通夜ムードに代わり、学園が本来の活力を取り戻しつつあった。
そして、学園規模で行われる
『バトルロワイヤルについて(1年生限定)』
ウィースヘルム魔法学園で、毎年5月の明けに行われるこの催しは、ただの腕試しや意味のない学園行事ではない。
入学試験後、緊張感を忘れて意識がたるんだ生徒に喝を入れるだけでなく、学園側が生徒の実力と今後の指導の指針を一度に見極めることが出来る貴重な機会として、バトルロワイヤルは開催される。
特別な結界によって学園全体が戦場へと変わり、脱落しない限り参加者同士の戦いが延々と続く選抜戦が行われるのだ。
そして、そこで勝ち残ることができた者には、実力に応じた
この
──報酬には前例がある。
学費の免除。
バトロワでの戦績が成績や評定に与える影響も大きい。さらに魔法開発に関する研究の支援や『騎士団』および『賢者の祠堂』内部の設備の使用権など、生徒のスキルアップを助ける特典がもりだくさんなのだ。
さらに一部の“特例”では、記録上存在しない極秘任務への志願権や、魔法省への推薦状といった魔法使いの将来を大きく左右する報酬が与えられたこともある。
「…そういうわけで、」
ざらついた声が、喉の奥からこぼれ出る。
ひとしきり説明を終えた彼は病室の丸椅子から徐に立ち上がると、熱に浮かされたような笑みを浮かべて杖を抜いた。
「てっきり死んだと思ってたんだがよォ、生きてるとなれば話は別だ──アイツは必ず
暴風のように押し寄せる魔素が、病室を瞬時に引き裂く。
カーテンは天井ごと引き剝がされ、鉄柵が悲鳴を上げて捻れる。
「腹の傷は間違いなく致命傷だったはずだ。二度と直立できないくらいには
丸椅子が歪み、鉄球サイズに圧縮する。床も天井も亀裂まみれで崩落寸前。強力な魔素の波が及ぼす影響は、ものの数秒でピークに到達していた。
そして、鏡には無数のひび割れが走り──その亀裂の奥から
『
実体を持ち、術者の思考を読み取って自律的に行動する万能型の分身魔法。護衛、索敵、陽動、閉所戦、奇襲──状況を選ばず無類の強さを発揮する万能さを誇る。ケイの切り札の一つだ。しかし──同時にそれは、発動に術者の魔素を大幅に削る、諸刃の剣でもあった。
長期戦には向かない。相手がフロイト1人であることを想定し、刺し違えてでも『
「お前がいりゃァ計画全部水の泡じゃねえか──なんでここにいるンだよ、紫咲シオン!!!!!」
不幸にも紫咲シオンに遭遇してしまう。
この想定外こそ、ケイの練り上げた作戦の全てを台無しにする。最悪の異分子なのだ。
「なんでって?」
声はいつもの調子。けれど、彼女の眼差しは空っぽだった。
シオンが学園から姿を晦ませて以降、ケイはケイなりに彼女の行動パターンを掴み、フロイトのもとから離れる時間を探っていた。今日であれば今、この時間帯がそう。
しかし──光を失い、使命のためだけに動く紫咲シオン──講義にも現れず、学園から姿を消したと大騒ぎになった彼女が、どうしてここにいる?
理由は単純だった。
シオンは言う。微塵の揺らぎもない声で。
それを聞き、ケイの肩が大きく震えた。
「バディだから」
シオンの魔素が空間を伝う。魔素放出の余波が、暴風のように立ち込めていたケイの魔素を抑え込むと、病室全体が紫紺の炎に焼け焦げた。
「今すぐ消えてくれるなら見逃してあげるけど」
「オイオイ、俺はコイツの見舞いすることも許されねェってのかよ?」
「見舞いじゃなくて殺しに来たんでしょ? 悪いけど、面会相手はシオンが決めることになってるから──“
刹那、シオンの影から魔術が伸びる。
虚空から現れた魔女帽子がパキンと音を立てて割れ、そこから黒水晶のような質感の“ヒト型”が姿を現した。
合計十体の人型水晶。どれもシオンに似た風貌だが、それらは命を持たない。ただの抜け殻として、生み落とされていく。
『
分身の手段を前に、シオンがどうしてこのカードを切ったのか。ケイが自力で真相に辿り着くことは無い。
「橙音ケイ、面会謝絶ね。今のアンタに出来る選択は『ここから消える』か『今すぐ死ぬ』の2つだけ。」
「なァ、盛大に歓迎されちゃあ帰るの勿体ねェだろ? あと悪いんだけどさ、俺の選択は3番目の『全員殺す』だ。二度と間違えンなよ」
「…シオンの話聞いてた?」
「あァ聞いてたよ。面会謝絶だろ? 知ったことか」
彼の言葉に一蹴されたシオンは、呆れの混じった表情でほくそ笑んだ。
左手に握る杖を振り、完成直前の複製水晶に魔術を重ねる。
「じゃあお前は敵ってワケね」
「そうなるなァ…で、殺すか? 俺の事」
「無用な殺生は嫌いな方だし、ケイ次第かな──“
詠唱の終わっていない魔術に詠唱を重ねる行為は、全ての詠唱の失敗率を格段に跳ね上げる。
しかし、シオンの魔素が高まると、形成を終えた黒水晶の傀儡たちが震えた。
本来ただの物体であるはずの複製、そこへ、魂を流し込むような至高の闇魔術。
命を宿さぬ“器”に動きを与えるその魔術は、古の遺物。今では
「重複詠唱…?」
「そ、シオンなりの敬意」
揺れ動くケイの視線が、シオンの表情と杖の間を往復している。
杖から立ち上る魔素の残滓は、線香の煙のようにか細い──死んだ目を据えた彼女の表情からは想像もつかないほど精密で、卓越した魔素の操作技術だ。
魔法の行使には、『魔素の知覚』、『術式の構築』、『魔素の増幅』という三段階のプロセスがある。魔法使いは皆、この三段階のプロセスを触媒──例えば杖なんかを頼りに実現させる。
魔法使いは『魔素の増幅』や精確な『魔素の知覚』が出来ない。これは人間が血液の巡りを知覚できないことに似ている。
『魔術の祖』によって生み出された原初の魔法たちを除き、今日に至るまでに発明されてきた魔法や魔術は全て、触媒と切り離して行使することはできない。
だが、シオンは違った。天凛を磨き上げた結果、知覚も制御も自己完結させた。触媒を持たずに魔法を扱うことが出来る彼女にとって、触媒とはもはや足枷でしかない。
「シオン用にチューニングしてもらった杖を振ったことがあるんだけど、触媒はどうしても魔素の巡りを狂わせるんだよ。出力も安定しないし、魔術の結果に悪い意味でグラデーションがある」
シオンの声はどこまでも静かだった。
『命なき複製を生む』魔術と、
『命なき物体に命を吹き込む』魔術。
──本来噛み合わないはずの二つを、さも当然であるかのように、それでいて繊細に。
十体の傀儡が、同時に動き始めた。
「ッお前…さっきから言いたい事が全く見えてこねェな」
「だって与太話じゃん? …まあ、杖使うの苦手って話」
孤高の魔導師にとって、触媒はただの飾りにもならない。
極限まで削ぎ落すことこそが魔の極致への道標であると解釈する彼女にとって、触媒が邪魔になることは至極当然のことであった。
『
魔素の制御、傀儡の挙動や連携、詠唱──彼女の動作には一片の破綻も無かった。
本来、重複詠唱は成功率が低く、優れた杖と確かな実力を併せてやっと完成する。そういう次元の神業だ。魔法の早打ちで疑似的な重複詠唱を再現する者はいるが、2つ以上の魔法を同時に詠唱する人はほとんどいない。
とてもじゃないが、『杖があると調子が狂う』なんていう人間がやってのけていることの方がおかしい。
「意味、分かる?」
「言ってる言葉の意味か?? …ハッ、やってる事イカれすぎてて全然分かんねェよ!!」
「杖なんか振ってないでシオンちゃんみたいに頭使おう~って話だよ」
「クソ化け物が…!」
シオンの肉体を模した水晶が自然な動作で動き始めた。
ぶれのない視線でケイを捉える。水晶体の指先で輝く奇跡は十人十色。
これにより、ケイとシオンがサシの勝負をする未来は潰えた。2vs11という理不尽極まりない闘争に身を投じる未来だけが真実。…ひどく悪い夢を見ている気分だった。
(行動も魔術詠唱も全員別々──
復讐心が、憎悪が──枯れてしまったシオンの黄金の瞳の奥で煮え、猛攻の殺意に染まっている。
傀儡の奥に佇むシオンの視線は、不動。
徐に直立するシオンに憔悴した様子は見受けられない、汗の一滴もかいていないし、あまつさえ息も上がっていない。
ケイの新橋色の瞳が彼女の殺意に呑み込まれた瞬間──ケイは危機を直感する。
戦う前に押し殺したはずの震えが蘇り、闘争本能を凍り付かせる。
無いはずの傷が疼く、五臓六腑は灼けたようにキリキリと痛み、熱を帯び、心身は恐怖で冷め切っていた。
「真正面からブン殴って潰すのは非現実的、いや不可能だな。認めたくねェが、俺の魔素量や技巧はアイツよりも圧倒的に格下ってことか──」
何度、現状を冷静に分析しても、導き出される最善手は一つしかない。
撤退。その次は死だ。
だが、一瞬、退くか戦うかの判断に迷いが生じた。
直後、ケイは完全に凍り付いてしまった。
かつてフロイトを殺すために突き付けた刃、ケイが最も忌むべき感情、人間を弱体化させるただ一つの猛毒──コンマ数秒にも満たない僅かな時間の中、ケイの中で渦巻いた逡巡が、戦いの行く末を決定した。
その瞬間、光景はあまりにもゆっくりと巡りだした。
向かってくるシオンの分体はあまりにも遅く、視界の奥で風に揺れるカーテンは映画のフィルムの一コマみたいに動きが無い。地面へ向かって落下を始めた花瓶も、あふれ出した水滴も、花弁も、ケイの分身も。全ての動きがとても遅い。
そして、視界の裏、脳の裏を、彼が歩んだ15年の歳月が過ぎ去っていく。
「あァ…走馬灯か? コレが?」
意に介さず口を出た言葉は怒りでも嘆きでもなかった。
驚愕でも、嘲笑でもない。
わずかに口角を引きつらせながら、ケイは薄く笑った。
(迷えば───敗れる…)
──シンプルな勧善懲悪という名の、生きる指針。
迷えば敗れるという、とても単純な戦略的思考。
橙音ケイの血を巡る、橙音
「…思ったより大したことねェな」
燻っていた橙音ケイの使命には、走馬灯に充てられたことで再びエンジンがかかる。
『
病室とも言い難い。かつてフロイトが寝ていた位置に、もはや患者が休めるような空間は無い。
フロイトの眠るベッドは、簡単な結界に守られ、
魔法によって生み出された土塊や水晶、黒炎は未だその場に残されており、収まる気配がない。
かつての
人の命を救う場で、遺戦にも似た惨状が広がってしまった。
「…お前がいる以上……、フロイトの事は…殺し、きれねェ──これ以上は…っ、無駄足だ…」
「人のこと殺そうとする割にはこういう時だけ潔いとか、おめでたい頭してんじゃん」
「……
「教え…ね。その教えはお前に『人の事殺しちゃいけない』って教えなかったの?」
「…教わった………が、生憎…悪人を殺すな…とは、教わってねェ。それに…俺は俺の善悪の…指針に従って、人を殺してるに…すぎねェ…フロイトは悪だ…」
「全く、
もはや何度目か分からない。
ケイが防御の最終手段として運用した『水泡の膜』が崩れる。水泡の中から現れたケイにはもう、戦う意志は残っていても、それを実行に移すだけの
「良い………血も涙もねェ冷たい殺意…それだけが…俺の心を育むんだ…」
ケイが使用していた2本の杖は、シオンの魔導によって破砕され、機能を失っている。
左足、右前腕を欠損。左目失明、封印魔術によって左半身の魔素操作能力を喪失。誰がなんと言おうと、ケイはシオンに負けた。大敗だった。
橙音ケイが丸椅子から立ち上がって、29秒が経過したころ。
シオンの分身に蹂躙されたケイは、崩落した床の上で仰向けになると、なぜか笑っていた。
彼は額にシオンの伸ばした杖の先端をあてがって、「今すぐに殺せ」と訴えているようだった。
「化け物と闘うのも…ハハ…悪く、ねェな…」
「遺言は?」
「ねェ…また近いうちに…殺しに行く……」
直後、ケイは音も無く忽然と姿を晦ませる。
彼の消失はシオンの魔素探知にも引っかからないほど隠密だった。
直前まで残留していたケイの魔素の残滓、彼の姿、気配……何もかも
「ちっ、消えたし」
けしかけてきたのはそっちのくせに──。
心の奥で沸々と煮えたぎる感情を、シオンは舌打ちひとつに封じ込めた。
ベッドの横で無防備に眠るフロイトを一瞥。
ひと悶着あったわけだが、無事に彼の命が繋がっていることには確かな安堵がある。
だが、安堵の裏で滲む怒りの矛先は、自分に向いていた。
もう一歩、もう一撃、判断が早ければ、いや────。
一度シオンのことを亜空間に閉じ込めた、その魔法センスは評価に値する。
それだけじゃない。使う魔法は空間系、幻術系、あと水属性etc…習得魔法に規則性が無い。戦闘リズム、スタイルともに掴み所が無く、癖を探すのも難しい。鍛え抜かれたフィジカルから繰り出された体術も優れている……とにかく、今まで戦ってきた魔法使いとは格段に違う。明らかに変な魔法使い。
そして何より…フロイトには及ばないけど、
そのせいか、逃げ際だけは妙に潔いのも腹が立つ。『また殺しに来る』という言葉まで残した以上、しばらくは油断できない日が続きそうだし。
『
シオンが操った全てに宿していた闘志の残滓が、魔素へと還元する。
ケイを仕留めきれなかったことに対する後悔を募らせながら、ボロボロの病室に簡易結界を張り巡らせたあと──
「…ゴホッ」
「えっ?」
聞こえたのは、ベッドの方から。
「…痛ッ…うる、さ……ゴホッ」
フロイトだった。
まだ痛む上半身をゆっくりと起こし、抉られた右の額と脇腹へ、確かめるように何度も手を当てている。包帯越しに覗かれた淡いエメラルドグリーンの瞳は、動揺や困惑を示すように大きく揺れ動いていた。
「シオ、ン…? お前、なんでここに……?っていうか…ここ…」
起き抜けに視界から広がった光景の異様さに、その視線は混乱していた。
浮遊するベッド、切断された点滴の管、自身に巻かれた包帯、先の焼き焦げた入院着、裂けたシーツ、砕けた壁や鏡の破片──そして、シオン。
きっとここは病室
──眠りから覚めたばかりの頭では、情報を処理するだけで精一杯だった。
フロイトはただ、何度も何度も、目の前の世界を見た。
視界の端には常に、心配そうにこちらを覗くシオンの表情があった。
(なにが…あったんだ…?)
繰り返すように、現実を確かめるように、辺りを見渡す。それでもこの状況の確信には至らない。
ただ、一つだけ覚えていることがあった。眠っている間、目覚める直前、俺は確かにシオンの声を聞いた。
「バディだから」と。
俺と同じ高さまで浮かび上がり、目の前で何かを詠唱していたシオン。
彼女はきっと、命を賭して俺のことを守ってくれたんだろう。
「ふ、フロイト!!!傷とか痛みとか…大丈夫なの!?突然起き上がったら──」
「なんとかな…それよりもありがとう。シオン──」
自然とあふれ出した声は、どこか震えていた。
恐怖でも、痛みでも、感謝でもない。
何か、内側に差し込んだ灯に気づき始めたような震え。
言葉にできない感情が軋み始めているような感覚。
「お前がいれば歩けそうだ」
俺の方へと伸びるシオンの手を取り、力なく握りしめる。
この感情はきっと、シオンによって命を繋がれたことで芽生えたんだ。
俺は、シオンと共に歩む覚悟を少しずつ形にし始めている。この握手は俺なりの最初の一歩なのかもしれない。