ホロライブラバーズ 『冥追の魔法使い』   作:錦坂

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ストックいい感じです


2章
第8話 イヴ・コード①


「っぐ…あ゛ァァ……クソ…!」

 

同時刻。

ウィースヘルム魔法学園──裏門。

 

病室での爆発事件により、学園の警備網が一時的に手薄となったその隙を突いて。

血塗れの男が裏門前に這い寄っていた。

まるで虫だ。地を這い、鉄の匂いを撒き散らしながら蠢くそれは、生き汚さの化身のように。

 

左足は膝下から欠損していたはずだった。今そこには、未成熟な皮膚に覆われた生えたての素足がある。右前腕も異様な再生を見せていたが、出血だけは留まる気配がない。道中には彼の痕跡である赤黒い筋が、斑のように続いていた。

 

「紫咲…シオン……何なんだァあのデタラメ…なんなんだよォ……」

 

これでもかと言うくらいに、自分の行動すべてが読まれていた。屈辱だった。

狭所を利用した分身魔法による暗殺計画──そのために用意した準備と、奇襲。

だが、俺の進む先に彼女はいた。いともたやすく全てを看破されて、蹂躙されていく様に──

 

俺は一瞬で悟った。アイツには勝てないと。

 

まるで初めから、すべての手の内を知っているかのように。

ケイの魔術は、思考は、性格は──秘めた「次の一手」すら、シオンに蓄積された経験の前では無力だった。

 

「普通…ッ、全部通らねェこととか……あるかよ…なァんで全部通らねェんだよォお!!!!!!!」

 

シオンは容赦なかった。

 

「杖も再オーダー…左半身の魔素制御の失調は回復しねェ……畜生…マジでイカれてやがる……!」

 

背中を預けた金属扉に、拳を打ちつける。

ゴン、と硬質な音が響く。

再び。三度。四度。

殴るたびに彼の怒りと焦燥が叩きつけられていき、ついに金属の扉はひしゃげ、穴が空いた。

 

「手札全部切って……手も足もでねェなんて──」

 

切り札はすべて切った。

幻術、分身、擬態、空間分断、防御結界、攻撃術式…父から伝授された帰属魔術すら、切った。

それでも──通じなかった。

 

「……遠すぎんだろ」

 

しかし、橙音ケイにとっての『敗北』は、()()()ではなかった。

 

肉が裂け、骨が砕け、命の灯が途絶えたとしても――彼は、這い戻る。

時間がどれほど流れようと、痛みがいかに深かろうと、その男は必ず()()()()()

 

それはもはや意思ではない。

生き延びることに対する執着が、意思を超えた衝動として彼の内に巣喰っているのかもしれない。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

そして――その異常なまでの執念は、彼の中に眠る“何か”の正体を物語っていた。

生への執着とは、贈り物ではない。あれは、橙音ケイという器に刻まれた(カルマ)そのものだ。

 

人は彼を『不死身』と呼ぶかもしれない。

だが、彼自身は知っている。それが祝福ではなく、運命であり、呪いであることを。

絶え間ない戦いと、果てしない苦痛の中でも立ち上がらざるを得ない、逃れられぬ螺旋。

 

何度倒れても立ち上がるのではない。

倒れるたびに、何かが()()()()()()()いるのだ。

 

 

右目の空洞から、血と共に何かが蠢き始める。

ぷくりと膨らんだ肉塊が音を立てて盛り上がり、やがて新しい眼球を形成する。

 

再生。

修復。

復讐。

 

「バトロワが始まる前に、シオンとはもう何回か…──いや、無しだ。どうせ杖がダメになる」

 

魔素操作の乱れが消え、腕の組織が蒸発音とともに整っていく。

皮膚が形成され、筋が通り、指が五本伸びる。

数分前まで這いずっていたはずの男は、ふたたびその足で立ち上がっていた。

 

「最優先は牙を研ぐことだ。今度は誠心誠意フロイトを殺す──そのために、俺はやるべきことをやるだけだ」

 

右腕の感覚を完全に取り戻すと、彼は生えたての右手で肩を押さえながら回して、関節を鳴らす。

新しい右手で扉に空いた穴へそっと触れると、むき出しになったパネルへ手をかざした。

 

「東京支部所属…()()()()だ。」

 

模倣再声魔法(ヴォクス・レ・ヴィヴィア)で自身の声を細工し、扉に取り付けられた音声認証を騙す。

待機を促す機械音が低く唸った数秒の後、錠が外れて扉が開く。

現れたのは顔を炎で覆った案内人。その後ろを歩く剣章の男たち。

ケイは血塗れのまま、彼らと取り合うことなく部屋の奥へと進んでいく。侵入者の確認を意味する警報が鳴り、案内人や剣章の男たちに攻撃されても、関係ないと言わんばかりだ。

 

その足取りに、迷いはなかった。

 

 

騎士団会議室・『星座』

 

 

部屋の前でボロボロの制服を脱ぎ捨て、地面に転がった男たちの中から比較的綺麗な制服を盗む。

扉にもたれかかった案内人を邪魔そうにどけると、彼は躊躇なく扉を開けて中へ入っていった。

広がっていたのは、円形の空間──中心には光を反射する水晶の卓。その周囲に配された椅子には、既に数名が着席していた。

 

「以上が現在観測されている魔法事故の一覧ですが、現時点で大きな犯罪が起きている地域はありません。大規模な抗争も鎮圧済みで──」

「おい、誰だお前」

 

会議中だったのだろう。大きな音を立てて開かれた扉へ、全員の視線が集中した。

 

「思ったより綺麗じゃねェの、親父の職場」

 

ケイは案内人の制服を纏って身分をごまかそうとしたが、制服の息苦しさに身だしなみを整えることを諦め、それを無惨に破り捨てると、上裸のまま開かれた扉の前に立っていた。

 

「よォ、御上の連中。退屈しのぎになりそうな話持ってきてやったよ」

「はじめましての相手にはまずは名前でしょ、ほら」

 

直後、斧のような何かがケイの視界を走り抜ける。

空を切るような音と共に、ケイの目尻の間近を通過したソレは、彼の背後の壁へ、鈍い音を立てて突き刺さった。

 

「…客人のこと殺す気か、お前」

 

1mを超える、星の如き重厚な()()を纏った斧。その先端には、ただならぬ気配を宿した触媒が施されており、青白い光がまるで生き物の鼓動のように、静かに明滅していた。

斧から放たれる特異な魔素は、なぜだかケイの動きを鈍らせていく──否、全身に強力なGがかかっているような、重苦しさを与えていた。

 

しかし、ケイは平然とした表情で続ける。

 

「まあいいや…橙音ケイだ。三年前、()()に殺された親父に関する続報を持ってきたんだよ」

「橙音──てことはカイジさんの息子ね~…じゃあどうやってここまで入ってきたの?」

 

軽口を叩いたのは紅い髪の女。

しかし、笑っていたのは一瞬だけだった。

 

「決まってンだろ、正攻法だよ」

 

ケイが放った言葉と同時に、背後の扉が重たく軋んで閉まった。

その手には、顔――血に濡れた、それも、顔が炎に包まれていたはずの、案内人のもの。髪を掴まれたその頭部が、音もなく床に転がされた。

 

空気が凍りついた。いや、沸騰したと言うべきか。

 

一瞬で部屋に満ちたのは、あの遺戦にも似た死臭だった。誰もが無意識に体勢を整えた。背筋を伸ばし、手を開き、視線を研ぎ澄ます。遺戦を生き延びた者たちが、本能で認めたのだ――この男は、境界を越えてきたと。

 

「なァ、本題入っていいか?」

 

『害虫』──探究士。

橙音晦茲(だいおんかいじ)を葬った、遺戦の亡霊たち。そして、今の騎士団が終わらせた敵。

その名を口にした瞬間、数名の瞳には微かな緊張と懐疑が宿っていた。

 

「お前らが殺し損ねた()()、学園にまだいるぞ──」

 

 

 


 

 

 

フロイトが目を覚ましてから一週間と少しが経過した。

 

ゴールデンウィークが明けたウィースヘルム魔法学園は、まるで春の陽気を跳ね飛ばすかのように熱気を帯びていた。近づくバトルロワイヤル──バトロワを目前に、学園内は戦の火蓋が切って落とされるのを、今か今かと待ちわびる魔法使いたちの高揚で満ちている。

 

バトロワ開始まで残り30分。出場者たちは「待機室」と呼ばれる非戦闘区画に集められていた。その隅、魔術によって存在感をかき消した空間で、フロイトとシオンは密やかに言葉を交わしていた。

 

二人の間には、かつてなかったほどの静けさと、わずかながらも確かに育ちつつある信頼が流れていた。

 

「やっぱ駆け足で習得したから出来が悪いな……フロイト、始まる数分前には認識阻害が解除される予定だけど、もうちょっと早く効果切れるかも!」

 

小声ながらも焦った口調でシオンが言う。彼女の額にはわずかな汗が滲んでいた。

シオンが取りかかっている魔術は、極めて高位の認識阻害魔術――の発展形。それは、彼女ですら安定させるのに時間を要する特殊な術式だったらしい。

汗を浮かべるほどの彼女の焦りは、実力の問題ではなく、時間の足りなさが引き起こしていた。

 

「なあ……もう一回聞くけどさ、俺が目を覚ましたことって、皆には内緒なんだよな?」

 

フロイトの声は、どこか上の空のような感じがしている。その目には、曖昧に濁る不安と、わずかに揺らぐ孤独が映っていた。

 

「今日までは都合が悪いから黙っておくように──って、いや、昨日までか」

「……あぁ、そうだっけ?」

 

つい漏れたため息には、フロイト自身も気づいていない感情がこぼれ出ていた。講義を欠席した日数はすでに一週間以上。生死の境をさまよっていたというだけなのに、机にかつて花瓶が何度も置かれていたという話さえ耳にした。

 

まるで、もう死んだ人間のように。

 

「なに?」

 

勝手に殺すなよな、人をよ。

そんな皮肉のひとつでも口にしようかと思ったが、なんとか思いとどまり、気まずそうに頭をかいた。

 

「いや……こういうのってもっとこう、派手に祝ってほしいじゃん?『生きてて良かったああああー!』みたいなリアクションとかさ? 俺の生死って、他人の人生の中でもうちょっとでかいイベントであってほしいわけよ、出来ればみんなで俺の生還を泣いてわめいて喜んでほしいわけよ」

 

半ば冗談めかして言ったが、その裏には確かに、誰かに求められたいという感情が潜んでいた。

 

「フロイト、シオン以外に友達いないでしょ──何、それともシオンじゃ不満だった?」

 

しかし、彼女はあっさりと言い放った。フロイトが最も気にしていた交友関係の少なさに、容赦なく切り込んでいく。

…事実ではある。けれども、それを突きつけられた瞬間、フロイトは少しだけ肩をすくめ、叫ぶ。

 

「あー、シオンのお見舞い嬉しかったなあー!なんか嬉しくて涙出てきた、ありがとー!!」

「大袈裟」

 

オーバーで棒読みな感謝の言葉に、シオンの蹴りが炸裂。魔素で強化された脚が放つ鋭いローキックが、フロイトのくるぶしと膝を正確に打ち抜いた。強化された体術、おそるべし。

 

「っだぁあ!!」

 

痛みで思わず声を上げると、何かを感じたのか──数人の生徒が気配を感じて、こちらへ一瞬振り返る。

 

「いったいなお前、何すん──」

「ちょっと静かに!!大声出すとバレるかもしれないでしょ!」

「えーーっ、最強の魔導師って認識阻害もできないの!?マジで!?!?」

「うるさい!ちょっと特殊なタイプの認識阻害魔術だから手こずっただけ!あと……遠征の準備と不安で寝不足なだけだから、本調子ならできるし…」

 

言い訳が早口になったせいか、シオンはぷいと視線をそらし、銀の髪を肩の後ろへ払った。髪飾りが小さく揺れる。

揺れた分だけ、彼女の余裕のなさを物語っているような気がした。

 

「てかお前も声デカすぎんだろ…ガキ?」

「次そういうこと言ったらまた蹴るよ、自由落下で」

「勘弁してくれ」

 

淡々としたやり取りの中に、確かな絆(?)の萌芽を感じる。

かつて、フロイトが目を覚ましたときの、あの冷たい沈黙とは違う。校舎の窓際で、拒絶に顔を歪めた時とも違う。今、二人の間にあるのは、表面上の静けさを破る柔らかな熱だ。

 

「全く……起きてすぐのフロイトのテンション返してほしいわ。今のフロイト、うるさすぎ」

「フン、俺もシオンに懐いてきたのかもな」

 

そんなフロイトの軽口に、シオンはほんのわずかに目を細める。

その仕草に宿るのは、呆れでも怒りでもない。

柔らかく張った糸が、一瞬だけ緩んだような──そんな静かなまなざしだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

シオンが習得した認識阻害の魔術は、通常の認識阻害を数段上回る極めて特殊な型だ。既存の魔術書には説明が無い『レガシーコード』と呼ばれる類の術式がどうしても必要だったらしく、彼女は習得のために膨大な資料を独自に漁って改良したという。それほどまでに、彼女はこの瞬間に賭けていたらしい。

…それはそれでありがたいんだけど、こいつが急造で会得した魔術はこの学園の卒業研究に値する出来だ。

改めて、どうしてシオンが俺の隣にいるのか、どうしてシオンがここまで頑張っているのかという疑問が満ちる。ただただ不思議でならなかった。そもそも、俺は彼女がここまで焦って認識阻害魔術を発動させている理由も聞いていない。

 

が、無為に詮索するのも性に合わないように感じ、俺はごく自然と会話を続けることにした。

 

「あのさ。この学園には()()()()()()()()()()()()が流されまくったわけだけど、今さら俺がバトロワに出場する意味あんの?」

 

何か、バトロワ以外のアプローチで『聖剣顕彰』を狙いに行く計画も立てられたはず。そう思っての質問だった。

…だが、そう言ってすぐに、俺は『バトルロワイヤル優勝』が目標への最短ルートであることに気付く。他の手段じゃ時間もかかるし、増える追手に手を焼きそうだ。

 

「確かに、ケイは()()()()()()()()()()()()じゃ混乱しないかもしれない」

「……じゃあ意味ないカト」

「でも、他の生徒にとっては違うでしょ? ()()()()()()()()()なんて噂はもう風化してる。入学してすぐの出来事、フロイトは他人との交流が浅いまま死んだことになってるし、今も大ごとにしてくれる人なんてあまりいないよ」

「あれ? お前すーーーーんごい悪口言ってるの自覚ある? 血も涙もねぇなあ、俺が最強だったら手が出てたぞ、手が」

「フロイトの死は確定したようなもの、そんな時にフロイトが生きて戻ってきたら、間違いなく戦場に熱狂と混乱の渦を巻き起こせる。生徒が生んだ混乱にケイが乗せられることはあるかもね、上手くいけばケイが騎士団に入ることも阻止できるんだし」

「…それっぽい落としどころ見つけたつもりなんだろうけど、俺まだ根に持ってるからな。他人との交流が浅いってやつ」

 

「………」

 

「おい、なんで黙るんだよ」

 

『交友が浅いのは事実でしょ』――そう顔が語っている。フロイトは内心で項垂れた。

 

「――とにかく、フロイトはど~~~しても騎士団に入らなきゃいけないわけ!」

 

シオンは静かに言った。その目は冷えた湖面のように、感情(雑念)を隠していた。

 

「ケイは『フロイト=探究士《ダークランナー》』だっていう決定的な証拠を握ってる。これ以上戦いが長引いてみなよ? アイツは自分一人じゃ始末できないって判断した時点で、騎士団と手を組むよ。それも、掃討作戦みたいな形で、ね」

 

それは、最悪のシナリオだった。

 

今のフロイトには、切り札がある。紫咲シオン。

彼女の力があれば、騎士団の精鋭とだって互角に渡り合える。事情を知っているティアが協力姿勢を見せてくれるとなれば、なおのこと戦力のバランスは保てる。――少なくとも、今のうちは。

 

だが、ケイが本格的に騎士団と手を組んだら話は別だ。

騎士団に協力や作戦を要請する場合、騎士団および魔法省重役以上の肩書が必要になる。

つまり、一位報酬(リワード)の『聖剣顕彰』は、ケイと騎士団の橋渡しとしてこの上ない景品なのだ。

そして、手を組んで探究士を殺すことに合意した場合──きっと彼らは、『遺戦の()()()()』を投入してくる。かつてあの地獄を生き延びた、傑物たちを。

 

そうなれば、均衡は一気に崩れる。

フロイトも、シオンも――どちらかではなく、両方が死ぬかもしれない。

 

つまり、シオンが言いたいのは、そういうことだった。

 

「……そうなんだけど、俺は交友が浅いんじゃなくて人との接し方が──」

「だから、バトロワは出るからには絶対優勝。そうしないと、全部水の泡になっちゃうんだし」

 

言い切ったあと、シオンはわずかに目を伏せた。

それは冗談めかした口調の裏に、彼女なりの祈りをそっと隠す仕草だった。

足元の砂を確かめるように、靴のつま先で床を小さく蹴ってみせる。視線は正面に向けていても、ほんのわずか、指先に力がこもっているのがわかった。

 

──全部、水の泡にしたくない。

その“全部”の中には、きっとフロイト自身の努力だけじゃなくて、自分の気持ちも含まれていた。

応援の形を不器用に言葉にしたそのひとことが、フロイトの心を少しだけ軽くする。

 

──全く、ずるいやつだ。

 

 

「それと、バトロワの戦場に張り巡らされる結界は、登録されてる魔法使いが致命的な攻撃を受けた時点でMICUに運ばれるよう設計されてる。でも──ケイは例外。アイツは最後の一人になるまで確実に生存すると思っておいた方が良い」

「………この前話した()()()()()()ってやつか。確かにアレなら、相当ノーリスクでこのバトロワを上位まで潜り抜けられる」

「だからこそ、フロイトはとにかく温存して! ケイと違ってフロイトは連戦できない。2人には明らかにHP量に差があるんだから」

 

淡々と語る彼女の横顔に、フロイトは静かに頷く。

 

『間もなく、バトルロワイヤルを開幕します。出場予定生徒は待機室に集合してください』

 

アナウンスが響く。緊張が、いやが応にも高まる。

シオンと別れる時が近づいていた。

 

「まあ上手くやるよ」

()()じゃダメ。絶対、上手くやって。……今日ばっかりはシオンも守ってあげられないんだから」

 

一瞬だけ見せた、かすかな悔しさ。その目に浮かぶものが何かを問うことはせず、フロイトは歩き出した。

 

「それなら大丈夫だろ」

 

そして、結界の外。

認識阻害の結界を抜けて効果が解除された瞬間、フロイトは待機室の中央で堂々と咳ばらいをした。

 

「おい、あれって……」

「え!? あの…推薦組の人じゃね!? 死んだって噂の…」

「フロイトじゃん!」

「お前、いつ来た……ってか、なんで生きてんの!?」

 

ざわつく空気がフロイトの存在を認知して、瞬く間に熱を帯びた。

数多の視線と声が交差し、場の温度が急激に跳ね上がる中。

その渦の中心に──フロイトを捉えて加速する殺気があった。

 

「──ッ!」

 

魔素の濁流を纏った何かが、フロイトの頭上へ一閃。

警告もなく、脳天を狙って魔法が振り下ろされた。

 

「フロイト、あぶな──!」

 

結界の向こうからフロイトの元へ、シオンの叫びが届く。

だがその声は、戦場の空気に掻き消されていた。

咄嗟の詠唱では、間に合うかどうかすら分からない速度。

再び誰かを失うかもしれない──そんな悪寒が、シオンの背を冷たく這う。

 

だが次の瞬間。

その不安を断ち切るように、フロイトは体を捻って攻撃を躱す。

空気を切り裂く音。

そのまま身を沈め、敵の懐に入り込むと、数手の組み合いを経て──杖を構える。

 

「あの時の話の続き──する気あるか」

名を呼ばれた相手は、眼前の()()()に戦意を剥き出しにしていた。

「ねェよ。俺たちに必要なのは対話や思慮じゃねェ──血だ」

 

牙を剥いたような声と共に、杖が閃く。

破壊、復讐、憎悪を孕んだ青白い光線が、音を置いて加速する。

 

フロイトは最小限の動きで軌道を逸らし、反撃。

魔素を凝縮した一撃で、ケイの腹を抉った。

 

「ガッ……!」

()()()だ」

 

遅れて、フロイトの左頬に細い裂傷が走る。

 

(…やっぱり、完璧には躱しきれなかったか)

滲んだ血が一筋、顎を伝い、フロイトのシャツを染める。

 

ケイも崩れかけながら、ゆっくりと立ち上がった。

その目は──獣のように血走っていた。

怒りも、焦りも、歓喜もすべてを溶かした、ただの「本能」が燃えていた。

 

「ちょっとフロイト!! シオンは温存しろって──!」

 

シオンが焦ったように駆け寄ろうとした瞬間、

フロイトは杖を手に静かに立ったまま、彼女には振り向かず、ただ背で応えた。

 

「言っただろ」

 

その声は、穏やかで、少しだけ笑っていた。

 

「自分の身は自分で守れるし、温存もできる。だから……心配しないでくれ」

 

彼女の言葉を真正面から受け止めるのではなく、背中で拒まずに引き取る。

その在り方に、シオンは声を詰まらせるしかなかった。

 

そして、転送が始まった。

 

空間が軋み、魔素が震える。

今にも戦いが始まるのを見越したかのように、殺気が膨れ上がっていく。

その圧力に呼応するように、外野たち──野次馬や他の出場者は次々と光に包まれ、転送されていく。

 

『転送1分後にバトルロワイヤルが開幕します──』

 

消えゆく足音と、気配。

沈黙する野次馬。

そして最後に残ったのは、シオンと、彼女を守るフロイト、そして──ケイ。

この3人だけだった。

 

息を呑むような静寂の中、殺意だけが呼吸を続けていた。

それはもう、空気というより『刃』だった。

無音のまま高まり続けた殺意は、ついに限界を超え、空間ごと震わせる。

 

その時、ケイが口を開いた。

 

「フロイト・ルーチェ──確実に殺す」

 

断言する声音には、もはや何の迷いもない。

まるで、自明の事実を語るような冷たさ。

 

だが、フロイトは眉一つ動かさず、静かに口角を上げる。

 

「威勢がいいな。でも──」

 

転送まで残り十数秒。

彼の言葉が、空間を斬り裂くように放たれた。

 

「次はねえよ、俺がお前を殺すから」

 

冷たい声音に、ほんのわずかな熱が混じる。

それは怒りではない。覚悟だった。

殺されかけ、命を見つめ直し、それでも立っている者の──命を懸けた意志だった。

 

杖を構えた二人の眼光は、あまりにも対照的だった。

 

ケイの目は燃えていた。あの日、父の死で燃え上がった復讐の焔と激情を灯して眼前を睨んでいる。

フロイトの目は凍っていた。彼の目が孕む冷静と冷徹は、既に彼が目指した領域へ足を踏み入れているように、深く研ぎ澄まされていた。

 

だが、その静けさは決して鈍さではない。

一点の曇りもない意志が、そこにはあった。

凍てつくように冷たい眼差しが、ケイの内なる焰さえも、束の間、凍らせる。

 

そして、足元から彼らの身体が光に包まれ、少しずつ消えていく。

 

戦いの号砲はまだ鳴っていない。

だが、戦争はもう──始まっていた。

 

二人の間に、もはや言葉など必要ない。

やるべきことは決まっていた。

バトルロワイヤルを前にした、たった数秒の邂逅。

だがそれは、確かに戦いの幕が上がった合図だった。

 

バトルロワイヤル、開幕。

血と記憶を巡る戦いの火蓋が、今、切って落とされた──。




ケイの使える魔術やその他のタネはおそらく全部出し切ったと思います
フロイトがバトロワに向けてやったことは基礎の強化と、ケイの魔術対策です。勝てるかどうか

ずっと説明してなかったMICUの解説
少し特殊な病院。魔法学園から少し離れたところと、全国にMICUの運営する病院が数ヵ所ある。
魔法を使った手術が必要な患者が運ばれてくるケースが多く、魔素の拒否反応や魔法で受けた傷の治癒などが主。遺戦以降医療技術が急激に発達したことで、名医の執刀であれば無い腕を生やすくらい余裕。
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