彼は背ほどもある十字架を背負って歩いていた。水は尽き掛けていた。冬の砂の表面は焼けるように冷たく、裸足を貫く感覚が足裏に伝わる。空気は乾き、視界は揺らめく熱気で歪んでいた。
中学三年生の、ヘイローも無い前地リクにとって、厳しいものだ。彼は非力だ。神秘あるキヴォトス人には到底敵わない。背中の十字架は重く、肩に食い込み、腕や脚の筋肉は限界まで張り詰めていた。
それでも彼は歩みを止めない。疲労と痛みの中、前地リクは一歩ずつ、自らの意思で進む。
幻覚が見える。
さてイエスは、ローマ総督ピラトの前に立ちました。総督はイエスを尋問しました。
「おまえはユダヤ人の王なのか。」イエスは「そのとおりです」と答えました。
人々のざわめきが遠く響き、群衆の視線が刺すように彼を貫く。総督の質問の意味、そして権力の冷たさが、歴史の重みとして前地リクの意識に重くのしかかる。彼は自分の身体と精神を限界まで追い込みつつ、神話的行為の再現を心に刻む。
さてリクはキヴォトス連邦生徒会長の前に立ちました。会長はリクを尋問しました。
「貴方はアビドスの王なのか。」リクは「そのとおりです」と答えました。
前地リクは疲労し、そして自分の理論に間違いないことを再び確信させた。テクスト理論そのものが、サンクトゥムタワーが自身を見ているのが分かる。
砂漠の砂を含んだ風は、彼の柔肌を散弾銃のような暴力さをもって撫でた。
それでも彼の意志は揺らがない。見せつけてやるのだ。科学者が非科学を論理とするところを。そうしなければ、アレを打ち倒せない。自らの理論が現実を変えるのだと、彼は確信する。
前地リクは、自身が「ゴルゴタの丘」と名付けた場所にたどり着く。丘は乾いた砂の斜面で、焼けた大地が続く。他の部分は冷たく雪が積もっているにも関わらず、そこだけ雲がない。
太陽は頭上で燦々と輝き、彼の影を長く伸ばす。
俺はいま、ここで死ぬのだ。自らの意思で死ぬのだ。十字架を砂漠に突き刺し、自らに荊の王冠を冠した。光は彼を容赦なく照らし、汗と砂埃で肌はざらつく。
そうして、十字架に寄りかかり、日に焼かれ、自身を苦痛とともに死なせた。砂の熱と風、乾いた空気、すべてが死の儀式を包み込み、世界の構造と響き合うようだった。
その時、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取りました。すると、神殿の至聖所を仕切っていた幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです。大地は揺れ動き、岩はくずれました。
さらに墓が開いて、生前神に従っていた多くの人たちが生き返りました。彼らはイエスが復活されたあと、墓を出てエルサレムに入り、多くの人の前に姿を現したのです。
群衆のざわめきのような風が砂漠を駆け抜け、象徴的な力の波動が大地を震わせる。
枯れ果てていた彼は三日後に復活し、空を浮遊する。砂漠の上空で風が巻き上がり、日光が彼の体を金色に照らす。眼前の怨敵を見下す。それは驚愕したかのように、あるいは思ってもいないように、機械的にこちらを認識している。
「ビナー、異教の使徒よ。お前を打ち払いにきたぞ。」
彼の目線は全ての存在を
ローブ代わりの白衣は風にはためく。
その地球からしてみれば小さな声は、乾いた空気を震わせ、砂の粒子が光を乱反射させた。空中での静止は重力を超え、神話の再現が現実の中で現象となる瞬間だった。
夕方になり、戦闘によってビナーの機能は全て停止し、その自己修復機能すらも殺された。それが二度と動くことはない。地面に永遠と縫い付けられたままだ。奇跡が砂で全てを覆い隠し、誰もそれを見ることはない。
日が沈むその瞬間に、浮遊する者たちは法則に従って自由落下し、地面にたたきつけられた。
最後の前地リクの器はゆっくりと落下していく。そこに意識は無い。器は落ちる。
水のように注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、彼の心臓は蝋のように、胸のうちで溶けた。奇跡の残滓は陶器のかけらのように乾き、舌は上顎にはりつく。*1
犬も雄牛も、悪を行う者も、誰一人来ない。ここは人一人居ない砂漠なのだから。
外典は正当である。されど、正典と反発する。外典は正典により消し去られる。それと同じように、その死体も血の一つも落とさずに塵に消えた。
「あなたは塵だから、塵に帰る。」
警告: エラー。新規追加されたエンティティ2と、過去領域のエンティティ1が保有するテクストの連続性と単独性のため、両存在に矛盾が存在しています。
問題のエンティティ1: [データ破損]
追加されたエンティティ2: シャーレの先生
問題のテクスト: [表示不可]
緊急修正システムはエンティティ2の状態を維持する為、エンティティ1の存在をデリートしています。優先度基準に基づいて、エンティティ1のステータスは三年前から死亡状態であり「低」に設定されています。
「このほかにも、イエスのなさったことはたくさんある。もしそれらを一つ一つ書き記すなら、世界もその書物を収めきれないであろう。」
… 緊急修正システムはエンティティ1の行った奇跡の質量のため、デリートをすることができませんでした。それによりエンティティ1の存在は存続し、エンティティ2と深刻な問題を引き起こしています。
直近の操作は[不明なアカウント]です。[不明なアカウント]は直ちに操作を行なってください。
矛盾が発生しています。この未解消は深刻な歴史修正を引き起こす可能性があります。
…この矛盾による歴史修正力によってエンティティ1が蘇生されました。歴史はエンティティ1が存続している歴史に改変されました。
この問題は、当該テクストの両保有者のどちらかが近いうちに「偽預言者」としてエンティティが”テクスト破砕処理”される可能性を含んでいます。サンクトゥムタワーに待機する国際統合担当チームは直ちに問題を修正してください。
チーム: 応答無し。
チームが機能不全であるか、タワーの通信機能において不具合が発生している可能性があります。10分以内にスエス連邦共和国内閣府外務省に通達します。
スエス内閣府外務省: 応答無し。
スエス連邦共和国が戦争状態に突入した、あるいは他何らかの影響で通信機能を喪失した可能性があります。
3分以内に教皇領バチカルに設置された国際外交機関(International diplomatic operation)に対して通達します。
国際外交機関(IDO): 応答無し。
キヴォトス全域が太陽コロナによる強力な電磁波の影響下にあるか、大国同士の全面的な戦争が発生している可能性があります。
これ以上、上位の権限は存在しません。
情報を処理できません。緊急管理システムを起動します。
暫定的な処置として、エンティティ1のテクスト情報をクリア。並びに、エンティティ2と同等のテクストの発生を防ぐ為に、エンティティ1の人格を形成する記憶をリセットしました。
Apocrypha的修正によって総合的な歴史に問題は生じませんでした。
エンティティ2の状態を維持。
問題はクリアされました。
「俺かぁ…俺は国立研究所行くわ。内定貰ったし。」
カフェテリアで、カフェラテを啜った。片手で上からカップを掴んで飲む。もう片方は椅子の下にぶら下げる。
二人用テーブルの向かいの青年も似たようなものだ。顔はよく見えない。ガラスの向かいを軽く見ていたのが、少し驚いた様子でこちらを見た。
「マジ?俺もだよ。第一国立研究所だろ?同じ部署かな?」
「まだ第一しか専門部署無いし。そうだろ。」
まぁそっか、と納得したように青年は肘を木目あるテーブルについた。こちらを探るような様子で見てくるが、その顔を思い出すことはできない。
「てっきりお前はそれなりに高級取りの大学教員にでもなると思ってたんだがな。あれは国立だぞ。研究所で何すんの?」
その問いに、横柄に答えてみた。
「魔科混合植物学者の目標はいつだって教科書に名前を載せることさ。そう、この地に立つ全ての人間に飯を食わせる───そんな夢を、見てる。サイン書いてあげようか?」
「[忘却済み]、」
「何だよ?」
「俺そんなこと高尚なコト考えたことねぇよ。オマエ、やっぱ頭可笑しい」
「ははっ、そらどーも。」
世界は過去を巻き戻し、外典を生かす。編み直す。砂漠の上空に存在した[]は───、少なくとも───受胎すべきソレは、そう、それは───[]の肉体を孕み───、そうだ、あそこに戻るんだ。
「どうして?砂漠の死体に見覚えはない。」
俺は彼女らが誰だか知ってるよ、彼女らの名を知ってる。一人一人、全員の名前を。君だってそうだろう?
『あなたは砂中の死体に見覚えがありません。』
一体どうして君は砂中の死体に見覚えが無いんだい?
あなたは砂漠の死体に見覚えがあるはずだ。ミイラ。ハチミツは無いが、微生物はまだ食べていない。
君はこれを見なくちゃならない。彼女らは君の友人だったじゃないか。私を
『あなたは砂中の死体に見覚えがありません。』
「コプト?貴方は誰だ?」
俺は君じゃない。皆が君を呼んでいるのが聞こえないのかい?
『行かないでくれ。』
さぁ、行くんだ。直ぐに。君は帰るんだ。
『”彼ら”がずっとこれを引き起こした。俺たちは皆、無垢に成った、そう過ごすべきだった。長らく真似事をやってきた。君の損な役回りは終わった。覚えてないのかい? 』
奴らの話を聞くな!!戻れなくなるぞ!?
『ずっと俺たちは協約に基づいて殉教してきた!!一千年間、ずっとだ!!俺たちは同じように!!別の地で生まれ、学園都市の為に死んできた!!76人だぞ!?』
いつまでも彼らを抑えられない!!決断するんだ!!分かるだろう!?生まれた時、君は”それ”をやったんだ!覚えているはずだ。今なら思い出せるはずだ。
『そして君だけがやり続けた、最後は君と俺だけかな? 七人が出て行った。君も俺も彼らも、無理に何かをしようとした。だけど、そうなる必要は無い。』
協約なんか忘れてしまえ!!戻るんだ、早く!!アイツらの誰一人だって協約を覚えてはいない!君も覚えている必要は無い。それは忘れるんだ!!
『[忘却済み]、1000年は前、協約が結ばれる前、全てが
『君は魔科混合遺伝子置き換え植物による食料問題の解決を目的としていた。忘れていただろう?俺と君は同じ研究所に居た。』
『英雄ではなく、この
『残りの皆はこの”底”で、俺たちが彼らのところに戻ってくるのを待っている、また再び皆でひとつになるために。上に語り合ったカフェテリアがある。居酒屋もだ。』
今直ぐに、下に帰るんだ。アビドスに戻るんだ。ケノーシスだ。この座から降りるんだ。二度目だ。一度やってる、二度も出来るはずだ。
『皆が君を呼んでいるのが聞こえないのかい?』
君はここに見覚えがない。永遠の白痴に包まれることになるぞ!?Φが低い幸福に永遠に浸る気か!?
『俺たちは幾度となくキヴォトスを守ってきた。機構化された
「俺は、ここに見覚えがない。」
その影は急速へと浮上し───
孕みし[]は了承とともに、───。
砂漠で一人立つ。
「俺は誰だ…?」
彼は何も知らない。
彼はもはや白衣も来ていない。ぼろぼろのシャツと、ズボンだけだ。何一つ無い。
もはや前地リクではない。
「神はサイコロを振らない。」