ダンジョンでモンスターと戦うのは間違っているだろうか 作:アイル123321
「ベルさん、まだそんなに残ってるの……?」
「あはは……。シルさんに押し付けられちゃって。でも、さぼった分だって言うから断れなくて」
活気あふれる酒場『豊饒の女主人』の厨房。ベル・クラネルは、山のように積み上げられた皿を前に途方に暮れていた。隣では、10歳のテリーが小さな手で一生懸命に皿を拭いている。
「手伝うよ、ベルさん。一人じゃ明日になっちゃうもん」
「ありがとう、テリーちゃん。助かるよ」
そこへ、冷徹なまでの美貌を持つエルフの店員、リュー・リオンが静かに歩み寄ってきた。
「……数が多いですね。私も手伝いましょう」
「リューさん! すみません、ありがとうございます」
三人で皿を洗う中、ベルはふとした疑問を口にした。
「リューさんは、昔、冒険者だったんですよね。……あの、不躾なことを聞きますが、どうしたら人は『レベルアップ』ができるんでしょうか」
リューの手が止まる。彼女の瞳に、かつての冒険の記憶がわずかに宿った。
「……『偉業』を成し遂げることです」
「偉業……?」
「人々や神々が認めるほどの困難を乗り越えること。自分より遥かに強い相手を打ち倒し、限界を超える。それが『神の恩恵(ファルナ)』において経験値を昇華させ、ランクアップへと導く唯一の道です」
リューは真っ直ぐにベルを見つめた。
「そのために、冒険者は『冒険』をしなければなりません。技術を磨き、仲間を信じ、未知に挑む。……ベルさん、テリーさん。あなたたちには近々、大きな試練が訪れる気がします。私の予言は、外れることが多いのですが……」
その言葉は、予言というよりは、戦士としての直感だった。テリーはその言葉を反芻し、自らの腰に提げた訓練用のナイフをそっと握りしめた。
それからの1週間、ベルは早朝から『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインとの猛特訓に明け暮れた。毎日ボロボロになって帰ってくるベルを見て、ヘスティアやリリルカは心配したが、彼の瞳には確かな自信が宿り始めていた。最後の日には、ついにかの『剣姫』の剣をわずかに受け流し、反撃の一撃を繰り出せるまでになっていたのだ。
一方、テリーもまた、ベルたちに内緒で自分なりの「冒険」を続けていた。
ベルがアイズに鍛えられている間、テリーは一人(と二匹)でダンジョンに潜っていた。ベルのように本人の身体能力が劇的に上がることはなかったが、モンスターマスターとしての「指揮能力」と「状況判断能力」は飛躍的に向上していた。
「ルゥ、左! フロッピー、天井から拘束して!」
テリーの指示に、コボルトのルゥとフロッグ・シューターのフロッピーが電光石火の連携を見せる。1週間、幾多のゴブリンやリザードマンを倒してきた彼らもまた、格段にレベルアップしていた。
テリー、ルゥ、フロッピー。この「1人と2匹」は、もはや一つの完成されたパーティとして、上層部では敵なしの練度に達していたのである。
そして運命の日。
オラリオ最強の派閥【ロキ・ファミリア】が59階層を目指す遠征へと出発したその日、ベル、テリー、リリルカの三人は第9階層を歩いていた。
「……なんだか、おかしいね。モンスターが全然出てこない」
テリーが弓を構えながら周囲を警戒する。第9階層ともなれば、常に数体のモンスターが徘徊しているはずだが、不気味なほどに静まり返っていた。
「うん、僕も何かに見られているような、嫌な予感がするんだ……」
ベルが冷や汗を流しながら呟く。
サポーターのリリルカもまた、周囲を見渡し眉を寄せた。
「変ですね……。人の気配もありません。まるで、何かが他の冒険者を追い払ったか、あるいは――」
その時だった。
「ブゥゥモォォォォォォンッ!!!」
迷宮の深層から響くような、暴力的な咆哮が通路を震わせた。
声のした方を振り向いた三人は、その光景に息を呑んだ。
そこには、本来この階層にいるはずのない、そしてあり得ない武装をしたモンスターが立っていた。
大剣を携えた、二体のミノタウロス。
「なんで……第9階層にミノタウロスが、しかも二体も……!」
リリルカが絶望的な声を上げる。ベルの顔は一瞬で青ざめた。かつて自分を死の縁まで追い込み、アイズに助けられるきっかけとなった、あのトラウマが脳裏をよぎる。
「ベルさん、しっかりして!」
テリーの叫びで、ベルはハッと我に返った。
しかし、訓練されたミノタウロスは容赦なかった。
一体が猛然と突進してくる。ベルは紙一重で回避したが、もう一体がその隙を突いて巨大な拳を振り下ろす。
「危ないっ!!」
リリルカがベルを抱えて横跳びをする。
「あがっ……!」
しかし、リリルカには攻撃がかすってしまったようで彼女の額から鮮血が流れる。
「リリちゃん!!」
二体のミノタウロスは、なぜかテリーには目もくれず、ベルだけを標的に定めていた。何者かが意図的にベルへ差し向けた「刺客」であることは明白だった。
「ベルさん、リリちゃんをお願い! 片方は私が引き付ける!」
「待って、テリーちゃん! 一人じゃ……!」
ベルの制止も聞かず、テリーは一体のミノタウロスの顔面に矢を放った。
「こっちだよ、牛さん! 追いかけっこしよう!」
咆哮を上げるミノタウロス。テリーはそれを誘い込むように、別の通路へと走り出した。ベルを止める暇などないほど、残された一体の攻撃は苛烈を極めていた。
「……う、あ……」
意識の底から這い上がってきたリリルカ・アーデが見たのは、火花が散るような激しい鉄のぶつかり合いだった。
ズキズキと脈打つ頭の痛み。額から流れる生温かい液体が視界を赤く染めている。霞む視界の先で、白髪の少年――ベル・クラネルが、一体の巨大なミノタウロスを必死に食い止めていた。
「ベル……様……?」
掠れた声で呼ぶが、ベルに振り返る余裕はない。リリはふらつく体を支えながら辺りを見渡し、心臓が凍りつくのを感じた。
(……いない。もう一体のミノタウロスが……そして、テリー様がいない!)
テリーが、自分たちを守るために強敵を別の通路へ引き剥がしたのだ。あのアどけない10歳の少女が、独りで。
「リリ! 気がついたのか!」
ベルの叫び声。彼はミノタウロスの猛攻を短剣一本で受け流しながら、背後を振り返らずに怒鳴った。
「逃げろ! 今すぐ、ここから脱出するんだ!」
「そんな……っ! できません! お二人を置いて、リリだけなんて……!」
「いいから行けっ!!」
ベルのその声は、今まで聞いたことがないほど鋭く、そして悲痛だった。彼自身の体も既に限界に近い。大剣の一振りが空気を切り裂き、ベルの防具を砕く。
「逃げろ!そして、助けを呼んできてくれ!!」
その悲痛な願いに、リリの足が震えた。自分がここにいても足手まといになるだけだ。今の自分にできる唯一のことは、誇りを捨てることでも、逃げることでもない。「希望」を繋ぐことだけだ。
「……っ、必ず……必ず助けを連れてきます! 生きていてください、ベル様、テリー様!!」
リリは溢れる涙を拭い、泥を舐めるような思いで踵を返した。
「……ひどいな。これは上層の被害じゃない」
第9階層の通路。ロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナは、壁に血を吐き、崩れ落ちていた中堅冒険者のパーティを見下ろして低く呟いた。
周囲には折れた剣と、尋常ではない破壊の痕跡が残っている。
「おい、しっかりしろ。何があった?」
ベートの問いに、肩を深く抉られた冒険者が、震える唇を開いた。
「……ミ、ミノタウロスだ。それも、ただのミノタウロスじゃねえ……大剣を持ってやがった。あんな化け物、この階層にいるはずがねえんだ……!」
その場に戦慄が走る。武装したミノタウロス。それは明らかに、誰かが意図的に「調整」した怪物の影を示唆していた。フィンが瞳を鋭くし、さらに問いかける。
「……周囲に、まだ逃げ遅れた冒険者はいたか?」
「……あ、ああ。白髪のガキが……戦ってやがった。死ぬぞ、あいつ……」
「――っ!?」
その言葉に、誰よりも早く反応したのはアイズだった。
白髪の少年。この階層にいるはずの、彼女の脳裏に焼き付いて離れないあの少年。
「アイズ!?」
フィンの制止も届かない。アイズは一言も発することなく、風そのものとなって通路の奥へと弾け飛んだ。
「チッ、あのバカが! 待ちやがれ、アイズ!」
「あ、まってよ!アイズ!」
「もう、アイズったら! 」
狼人のベートと、ティオナ、ティオネがその後を追う。最強の派閥の精鋭たちが、異常事態の渦中へと突き進んでいった。
アイズは、風の魔法を使うことさえ忘れ、ただひたすらに前へと地を蹴った。
(間に合って……お願い!)
曲がり角を猛スピードで突き進もうとした、その時。
「あ、ぐ……っ」
前方からふらふらと現れた小さな影が、アイズの胸元に激しく衝突した。
「きゃっ!?」
「うわっ……!」
アイズが咄嗟にその影を受け止める。腕の中に収まったのは、頭から血を流し、ボロボロになった小さなパルムの少女――リリルカだった。
「……君、大丈夫!? 落ち着いて、何があったの?」
アイズが必死に呼びかけると、意識を失いかけていたリリが、アイズの顔を捉えてその服の袖を強く、強く握りしめた。
「……あ、ああ……アイズ……様……」
「私の名前を? ……君は、ベルのサポーター?」
「助けて……ください……ベル様が……独りで……ミノタウロスを……っ。それに、テリー様も……あの子も、まだ小さな……女の子なんです……! もう一体のミノタウロスに、連れて行かれて……!!」
血を吐き出すような悲痛な叫び。リリの瞳からは大粒の涙が溢れ、アイズの胸を濡らす。
「二人を……どうか、二人を助けて……!!」
それが、最後だった。
リリはアイズの腕の中で、糸が切れた人形のようにガクリと力を失った。
「……っ」
アイズの瞳に、静かな、けれど苛烈な炎が宿る。
背後から追いついてきたベートとティオネに、アイズは短く、冷徹なまでの決意を告げた。
「……ベート、この子をお願い。……私は、行く」
「あ!? おい、アイズ!」
返事も待たず、アイズの姿は再びかき消えた。
目指すは、絶望の叫びが聞こえる戦場。彼女は『剣姫』としてではなく、一人の少女を救えなかった後悔を背負う者として、加速していった。
ベルは、残された一体のミノタウロスと対峙していた。
しかし、その攻撃はあまりに苛烈だった。一週間の特訓で身につけたはずの技術も、死の恐怖に縛られた体では十全に発揮できない。
大剣の一振りがベルの脇腹を抉る。
「が……はっ……!」
吹き飛ばされ、地面を転がるベル。立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
ミノタウロスが止めを刺そうと大剣を振り上げ、死の影がベルを覆ったその時。
風が、吹いた。
銀色の閃光がミノタウロスとベルの間に割って入る。
「……そこまで」
凛とした声。黄金の髪。憧れの背中。
アイズ・ヴァレンシュタインが、そこに立っていた。
アイズは剣を抜くこともなく、ただそこにいるだけでミノタウロスを威圧し、圧倒的な強者のオーラを放っている。
「……よく頑張ったね、ベル」
アイズは振り返らずに、けれど優しくベルに告げた。
「あとは……私に任せて。君はもう、休んでいい」
その言葉は、救いのはずだった。
憧れの女性が、自分を助けてくれる。かつて夢見た通りのシチュエーション。
だが――ベルの心の中で、何かが激しく拒絶反応を示した。
(……まただ。また、こうして助けられるのか?)
(僕は、何のために特訓したんだ。何のために、あの地獄のような日々を耐えたんだ)
アイズがミノタウロスに向かって一歩踏み出す。
その瞬間、ベルの指先が、彼女の白皙の腕を掴んだ。
「……え?」
驚きに目を見開くアイズ。彼女が振り返ると、そこには血まみれになりながらも、これまで見たこともないほど鋭い眼光を宿したベルがいた。
「……待って、ください。アイズさん」
「ベル……? でも、君の怪我では――」
「ダメなんだ……。ここで助けてもらったら、僕は一生、あなたの後ろを歩くだけになってしまう……!」
ベルは震える足で立ち上がる。その手には、一度手放したナイフが再び握られていた。
「もう……アイズ・ヴァレンシュタインに守られるわけにはいかないんだ!!」
魂を削るような咆哮。
アイズはその迫力に気圧され、思わず手を離した。
ベルは、黄金の少女の視線を背に、自らの「絶望」そのものであるミノタウロスへと向かって翔けていった。
テリーは一体のミノタウロスを連れて、ある程度距離を離した部屋へと飛び込んだ。
「……はぁ、はぁ……。流石に、一人じゃ勝てないよね」
追いついてきたミノタウロスが大剣を構え、威圧的な唸り声を上げる。テリーは震える手で、召喚の魔法を紡いだ。
「ゲートオープン!! 来て、ルゥ! フロッピー!!」
二体の仲間が、主の前に立ちはだかる。
「いい、二人とも。今までで一番の強敵だよ。気を引き締めていくよ!」
戦いの火蓋が切られた。
1週間の特訓で得た連携が冴え渡る。
ルゥがミノタウロスの死角を駆け抜け、アキレス腱を鋭い爪で裂く。フロッピーが天井に張り付き、予測不能な位置から舌を放ってミノタウロスの腕を拘束する。テリーはその隙を逃さず、急所に的確な矢を叩き込む。
数の優位で攻撃対象絞らせないように動く。
「ヒット&アウェイだよ! まともに食らっちゃダメ!」
数分間の攻防。テリーたちはミノタウロスに少しずつだが、確実にダメージを蓄積させていた。
しかし、ミノタウロスが大きく息を吸い込む。
「ブゥゥゥォォォォォンッ!!!」
凄まじい『咆哮(ハウル)』。空気が振動し、テリーも、ルゥも、フロッピーも、その圧倒的な威圧感に体が委縮してしまう。
「っ……動けない……!」
その隙を突き、ミノタウロスが大剣を振り下ろした。
ギリギリで体を捻り交わすことができたが、地面が砕けた破片がテリーの額を深く切り裂いた。
「う……あ……」
テリーの視界が赤く染まる。頭から流れる血が目に入り、激しい痛みが脳を揺さぶる。
ふらつきながら立ち上がるテリー。目の前には、勝ち誇ったように大剣を構える巨大な牛頭の怪物。
(……死ぬのかな。私、ここで終わっちゃうのかな)
一瞬、絶望が心を支配しかけた。だが、テリーの脳裏に浮かんだのは、憧れの『テリー』、廃教会の神様、優しくてお節介なベルさん、そしてようやく心を開いてくれたリリの顔だった。
(……嫌だ。負けたくない。死にたくない!)
(私、まだまだ色んなモンスターと出会いたいんだ! ルゥやフロッピーと一緒に、もっと広い世界を見たい。新しい仲間を作って、みんなで一緒に冒険したいんだ!)
テリーの中で、何かが弾けた。
「……ふふ、あはははっ」
頭から血を流しながら、テリーは不敵に笑った。
その異様な光景に、ミノタウロスが動きを止めた。今まで殺してきた人間には、二つの顔しかなかった。絶望か、あるいは憎悪か。
だが、目の前の幼い少女は――自分を見て、歓喜に震えていた。
「ねえ……君、すっごくかっこいいね。強くて、怖くて、最高だよ」
テリーの声は、もはや恐怖に震えてはいなかった。
「決めた。……私、君が欲しい。私の仲間になってよ!」
テリーは決めた。倒すのではない。この誇り高い戦士を、自分の家族にするのだと。
「ルゥ、フロッピー! この子は絶対に仲間にする! スキを作るよ、スカウトアタックの準備!!」
仲間たちは主の無茶な、けれど最高にワクワクする命令に応えた。驚きは一瞬、次の瞬間には信頼の咆哮で応える。
ミノタウロスは、目の前の「1人と2匹」の雰囲気が一変したことに焦りを感じた。この小さな群れは、先ほどまでとは違う、異質な「強さ」を放ち始めている。
一気に勝負を決めようと突進してくるミノタウロス。
テリーは限界の意識を繋ぎ止め、的確に指示を出す。傷だらけになりながら、血で左目を潰しながら、テリーは「隙」の一瞬を待ち続けた。
そして。
ルゥが死に物狂いで突っ込み、ミノタウロスの死角を作る。
その死角から、ミノタウロスが動く瞬間を見逃さなかったフロッピーが、ミノタウロスの足に舌を巻き付ける。体制を崩す巨体。
「今だっ!! 『スカウトアタック』!!」
テリーがナイフを抜き、光り輝く青いエネルギーが彼女の体から溢れ出した。その光はルゥとフロッピーにも伝播し、三位一体の「意志」となってミノタウロスに叩きつけられる。
ルゥとフロッピーは体制を崩した状態のミノタウロスになんとか攻撃を与える。
体制を立て直したミノタウロスは、向かってくるテリーに対して大剣を振り下ろそうとした。しかし、自分に向かってくるテリーの気迫に、思わずたじろいだ。
ミノタウロスは、自分を打ちのめしたあの黒き男(オッタル)とは別の、死を恐れず、ただ自分という存在を認め、欲している。その「絶対的な意志」に当てられ、知らず知らずのうちに大剣を止め「敗北」を認めた。
テリーのナイフが、ミノタウロスの胸元に吸い込まれる。
光が爆ぜた。
ベル・クラネルの戦いも佳境を迎えていた。
【ロキ・ファミリア】の面々が、言葉を失ってその光景を見守っている。
「……まるで、英雄(アルゴノゥト)みたい」
ティオナが感嘆を漏らす。
ベルは満身創痍でありながら、ミノタウロスの攻撃を全て紙一重で回避していた。
ベルはミノタウロスの腕を封じ、落とした大剣を拾い上げ、破壊されることを厭わず叩きつける。
最後の一撃。ベルはミノタウロスの胸に手を当て、全魔力を込めて魔法を叫んだ。
「ファイアボルト!!!」
「ファイアボルト!!!!」
「ファイアボルトォォォォォォッ!!!!!」
連射される炎の雷。ミノタウロスの巨体が内側から焼き尽くされ、灰へと変わっていく。
勝利。レベル1が一人でレベル2の強敵を単独で討ち取るという、前代未聞の『偉業』。
「テリー、ちゃん……は……」
「ベル様! しっかりしてください!!」
リリが駆け寄るが、ベルは動かない。今のベルの言葉を聞いたリリはハッとした。
「テリー様……! もう一体のミノタウロスと戦っていたテリー様は!?」
ベルの戦いに見惚れていたロキ・ファミリアの面々も、リリが大きな声を出したことで我に返った。
リリルカは必死に周囲を探す。そこへ、通路の奥から別の咆哮が聞こえてきた。
「今の咆哮……ミノタウロス! お願いします、助けてください!!」
リリルカの叫びに、アイズとフィンたちが動き出した。
「……これで、どう?」
テリーは、膝をつき、動かなくなったミノタウロスの様子を伺っていた。
ミノタウロスがゆっくりと立ち上がり、大剣を拾い上げ咆哮を上げる。
(ダメだったかな……?)
テリーが身構えたその時。
ミノタウロスは穏やかな、どこか慈しみさえ感じさせる低い声で、「ブモォ……」と鳴いた。
それは、自分を倒した「マスター」への敬意と、忠誠の誓い。
「……よかった。通じたんだ」
緊張が解け、テリーの膝から力が抜ける。倒れそうになった彼女を支えたのは、さっきまで死闘を繰り広げていたミノタウロスの大きな腕だった。
「ありがとう。……そうだね、名前を決めなきゃ。そうだな、うーん……『アステル』。今日から君はアステルだよ。よろしくね!」
「ブモォッ!」
嬉しそうに応えるアステル。
それを聞いたテリーは意識を失った。
そこへ、ベルを抱えたロキ・ファミリアの面々と、リリルカが駆け込んできた。
「テリー様!!」
リリルカが見たのは、血まみれのテリーが、巨大なミノタウロスに抱きかかえられているという、悪夢のような、それでいてどこか幻想的な光景だった。
「テリーから離れて」
アイズが剣を抜き、アステルを切り伏せようとする。しかし、その前にルゥとフロッピーが必死に立ち塞がった。
「ワンッ!」「ゲコォッ!!」
「……え?」
アイズが戸惑い、足を止める。
「待ってください! アイズ様、止めてください!」
リリルカが絶叫し、アイズの剣を止める。
「リリルカ、危ない! モンスターが――」
「この子たちは違うんです。」
「ルゥ様、フロッピー様、テリー様は……? もしかしてこのミノタウロスは……?」
二匹は誇らしげに鳴く。リオンもまた、テリーをリリルカの手元へそっと降ろすと、恭しく一歩下がった。
ロキ・ファミリアの面々は、その場で凍りついた。
「……何が起きているんだ。ミノタウロスが……コボルトたちが、人間を守っているのか?」
知略に長けたフィンでさえ、理解が追いつかない。
「これはどういう事なんだい?」
リリルカは、テリーをリヴェリアに預け、回復魔法を乞うた。そして、少しの間ためらった後、震える声で真実を告げた。
「……テリー様は、モンスターと心を通わせ、仲間とすることができる力を持っているんです。あのミノタウロスもおそらくその力で仲間としたのではないかと」
その言葉に、オラリオ最強のファミリアが絶句した。
一人は、レベル1でありながらミノタウロスを単独で討ち取った「英雄の卵」。
もう一人は、モンスターを従え、心を通わせる「未知の支配者」。
「……ヘスティア・ファミリア。この派閥には、一体何があるっていうんだ……」
フィンが呟いたその言葉は、後にオラリオ全土を揺るがす物語の、ほんの幕開けに過ぎなかった。
その中心で、テリーはリリルカの腕の中で安らかに眠っていた。新しい家族、アステルの温かい視線に見守られながら。