文豪ベイバトル 作:はるきすと
公園のベンチで本を読みながら、僕はゆっくりとミントガムを噛んでいた。特に意味はなかった。ただそうするしかなかったからだ。
ふと顔を上げると、彼はいた。
痩せた体、くしゃくしゃのコート、どこか“もうだめだ”というオーラを全身に纏っていた。
「ベイ、回してもいいですか……?」
そう言うと、彼はなぜか泣きそうな目をしていた。
「いいですよ。そういう季節ですしね」
僕はそう答えて、バッグからいつものドライガーSを取り出した。
彼は、錆びたランチャーをゆっくりと取り出した。
それは、もはや壊れかけた遺書のようだった。
そして、異常に重そうな黒いベイ。
「これ、父がくれた最後のものなんです……あっ、いや嘘です。父には会ったことありません」
「……3、2、1、ゴーシュート」
僕のベイは、ジャズのようにスウィングしながら軽快に回り始めた。いつものように、なにかから逃げ出すような軌道。
しかし治少年のベイは、重力そのものだった。
沈む。沈む。沈みながら、すべての希望を巻き込んで回っていた。
「ベイって、勝つために回ってると思ってたんですけど……ちがうんですね。あれ、僕……負けたくて回してるんだ……」
彼はぽつりとつぶやいた。
僕のベイは、なぜか触れられる前から止まり始めた。理由はわからない。ただ、「この人に勝ってはいけない」と、ベイ自身が察したかのようだった。
最後、彼のベイが一周、斜めに軌道を描き、僕のベイの横で静かに止まった。
「……勝ちましたね」と僕が言うと、
「いいえ、あなたのほうが幸福そうでしたから、僕の負けです」
彼は笑った。
その笑顔は、世界のどこにも届かない微笑みだった。
僕はコーヒーを啜った。ガムの味は、もう消えていた。
■■■
春樹少年のベイが止まったあと、僕たちはしばらく無言だった。風が吹き抜け、彼のコートの裾を寂しそうに揺らしていた。
そのとき、公園の奥から、あまりにも明るい声が響いた。
「君たち、実にすばらしい! だが、まだまだ希望の回転が足りないッ!」
まばゆい白シャツに、麦わら帽子。
手にしたベイは、なぜか金色に塗られていて、しかも「友」「愛」「健康」と手書きで書かれている。
「き、君は……誰……?」
と、治少年が目を細めて問う。
「私は実篤。理想と信念を回転に変える者だ」
「絶対ベイブレードに向いてないタイプだ……」と僕は思ったが、言わなかった。
「さあ、君たちももう一度回すんだ。希望のために!
ベイは信じる心で回る。だから私は信じる!回ると!」
「それ、ちょっと電波入ってません……?」と治少年がぼそり。
実篤少年は、ランチャーを握った。なんと両手で握っている。
「人間はね、回ることによって美しくなるんだよ」
3人は無言で構えた。なにか、とてつもないことが始まりそうだった。
「3、2、1――ゴーシュートッッ!!」
金のベイが、スタジアムに放たれた瞬間、ものすごく変な軌道で飛び出し、そのまま外にすっ飛んでいった。
ベイは草むらの中でカエルを驚かせたあと、ぴた、と止まった。
「……すごいですね」僕は言った。
「どこが!?」と治少年が叫んだ。
「どこにも届かなかった。でも、それでも信じてる。そういう回転も、あっていい」
実篤少年は、汗をかきながら笑った。
誰も勝たなかった。誰も負けなかった。
だけどそこには――信じたという事実だけが回っていた。