文豪ベイバトル   作:はるきすと

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汚れちまつた俺のベイに、/ みんなちがって、みんなまわる

その日、僕は駅前の喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいた。

どこかでJazzが流れていた。マイルスだったと思う。

時間は午後三時を少し回っていて、空気は妙に重たかった。

 

そこに、彼が来た。

泥だらけの靴。くしゃくしゃの制服。

どこかに置いてきたものが多すぎる目をしていた。

 

「おい、君……ベイ、持ってるだろ?」

 

「まあ、一応ね。カバンの底にあるけど」

 

「よし、それで十分だ。俺のベイが、泣いてるんだよ。

回してやらないと、……腐っちまう」

 

彼はそう言って、ポケットから取り出したベイを、そっと地面に置いた。

ベイは、ほんとうに汚れていた。

泥がこびりつき、軸は歪み、少し欠けてもいた。

でもそのくたびれた外装は、どこか人生を詩に変えた者の風格を纏っていた。

 

「いくよ、春樹少年」

「うん、じゃあ、できるだけ静かにいこう」

 

3、2、1、ゴーシュート。

 

僕のベイは、いつものように滑らかに、優雅に。

カフェの奥のジャズピアノみたいに回る。

 

中也のベイは、泥を撒き散らしながら、不格好に、だが力強く回った。

 

「見ろよ、これが俺のベイだ。

傾いて、軋んで、時々止まりそうになるけどさ、

……それでも、俺は回すんだよ。俺自身の、悲しみにファイト!だよ!」

 

「それ、ちょっと熱すぎるよ」と僕は言った。

 

ベイはぶつかった。

中也のベイは一撃で僕のベイを弾き飛ばし、僕のベイは外でゆっくりと、静かに止まった。

 

「……負けたな」と僕が言うと、

 

「違うよ、春樹。

俺が回すのは、勝つためじゃない。よごれちまった自分を、許すためさ」

 

泥のついたベイを拾って、中也は空を見上げた。

空は、少しだけ泣きそうな顔をしていた。

 

 

■■■

 

 

 

放課後の校舎裏、僕はひとりでベイスタジアムを広げていた。

風の音が遠くて、今日の世界は少し透明だった。

理由はわからない。たまにある、そういう日だ。

 

そこに、ひとりの少女が現れた。

白いブラウスに、麦わら帽子。

草の上を歩くとき、彼女の足音はしなかった。

 

「あなた、回すの?」

「まあ、誰もいないしね。たまには回したくなる」

 

「……わたしも、まわしてみたいな」

そう言って彼女は、ランドセルからベイを取り出した。

それは、ピンクとも金ともつかない、淡い色をしていた。

軸には、小さな鈴がついていて、回るたびにやさしく音が鳴りそうだった。

 

「名前は?」

 

「みすゞ。みすゞっていうの。……詩を書いてるの」

 

「ベイで?」

 

「ううん。ベイで世界を読んでるの」

 

僕は少しだけ笑った。

構える。みすゞ少女も、そっと構える。

世界は、あいかわらず透明だった。

 

3、2、1、ゴーシュート。

 

彼女のベイは、静かに、やさしく、でも確かに回り出した。

軌道は小さく、言葉のようだった。

傷つけないように、壊さないように、でもちゃんと相手に触れようとする動き。

 

「あなたのベイ、きれいだね」

「そんなふうに言われたの、初めてだよ」

 

僕のベイは、音もなく彼女のベイの隣に滑り込み、ふわりと寄り添うように、止まった。

 

勝敗は、たぶんなかった。

でも、なにかが伝わった。

 

「ベイって、すてきだね」

「うん。みんなちがって、みんなまわるから」

 

彼女はそう言って、鈴の音を残して帰っていった。

 

僕はしばらく、そのベイの残した風を眺めていた。

世界が、ほんの少しだけ、優しくなった気がした。

 

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