いにしえ三国志   作:匿名希望

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2.嫁騒動

 此処は荊州南陽郡。人通りの多い街中を、優雅に、華麗に、美しい豪奢な衣装に身を包んだ少女が闊歩する。

 太陽の光に照らされて、まるで黄金の様に輝く長い髪を縦に巻いた彼女の名は、袁紹。字は本初である。四世三公の名家、汝南袁家の生まれである。本家筋からは少し外れている為、正統後継者の袁術とは違って、彼女は、あくまでも後継者候補の立場に留められる。

 しかし彼女は、その事実を軽視する。

 容貌端正、己の器量を信じて疑わない彼女は、自分が汝南袁家を継ぐのだと信じて疑わない。故に常日頃より、彼女は次期当主としての振る舞いを意識し、外を出歩く時も常に側近二人を侍らせる。彼女の両脇を固めるのは、顔良と文醜という二人の猛将であり、今は民衆に自分の威容を見せつける為に警邏という名の散歩に勤しんでいる。

 事実、堂々とした立ち振る舞いに彼女の事を汝南袁家の次期当主として見ている者も多い。

 

 故に地元豪族の子弟は、こぞって袁紹を訪ねる様になり、袁紹は一大派閥を生み出す。

 

 まあ尤も袁紹としては袁家の威光を知らしめる目的が主で、派閥の構築はおまけのようなものだった。

 何時もの巡回も、普段は漠然と街中を歩き回るだけのものなのだが、今日に限っては明確な目的がある。それは人材収集、彼女の幼馴染である曹操が近頃、人材探しに奔走しているという話を聞いての事である。

 袁紹には、猛将が居る。朋友が居る。

 しかし一軍を差配する軍師、即ち劉邦にとっての張良。周の太公望といった存在が袁紹には欠けている。

 故に彼女は今、軍師足る存在を求めて、街中を散策する。

 碌な情報も収集もせず、漠然と。

 

 三人娘の常識枠、顔良は、内心で見つかる筈がないと思っていたが、自分が止めても袁紹が止まらない事は分かっていたので好きにさせている。

 

(どうせ、空が夕焼けに染まる頃には飽きているでしょうし)

 

 即ち、何時もの巡回である。

 彼女も本来は武に生きる者、常識論を口にする事は出来ても主を諫める話術もなければ、謀略が思い付く頭もない。

 ましてや雇われの身である。

 主君には、飽きるまで好きにさせる他になかった。

 

 昼飯時、成果はない。

 当然といえば、当然の話。此処、南陽郡は何年も過ごした慣れ親しんだ土地である。軍を差配する程の才覚を持っている人間が話題に上がらない筈もなければ、其処彼処に転がっている存在である筈もないのだ。

 今日明日と探して見つかる有象無象で良ければ、袁紹閥に所属する人間から選べば良いのである。

 充分に優秀な存在は居る。

 例えば、許攸。そうじゃん許攸が居るじゃん、あの方なら奔走の友として袁紹と契りを交わしている。少し金銭にがめつい所があるので好きではないけど、箔付けなら充分に役目を全うできる。何よりも漢王朝が世を統べる今の時代に軍師なんて存在を召し抱えても持て余すだけだ。

 落とし所としては丁度良い、頃合い見計らって提言しようと顔良は、午後の方針を固める。

 

「小腹が空いて来ましたわね、腹拵えをしましょう」

 

 袁紹の言葉に、目に見えて分かる猪武者の文醜は分かりやすく目を輝かせる。

 顔良も本来、武に生きる者。御飯を食べるのは好きであり、自分で自炊をする程だ。袁紹は見栄もあってか羽振りが良い。日頃の給金とは別に、巡回に出た時は必ず、彼女は、自分に付き従う者達の食事代を支払ってくれる。

 常日頃の言動に思う所があっても役得はあるのだ。

 懐事情を気にせず、美味しい料理を満足するまで食べられるのであれば、一武将としては十分である。

 今日は何が食べられるのか、少し浮付いた気持ちで袁紹の傍を付いて歩く。

 

「今日は此処にしましょう」

 

 袁紹が選んだのは蕎麦屋であり、顔良の頭の中は蕎麦の上に乗せる具材の事で頭が一杯になる。いやいや先ずは目録に目を通してから、と意気揚々に蕎麦屋の敷居を跨いだ。

 

「あたっ」

 

 しかし入って直ぐの場所で顔良は、鼻先を主君の後頭部にぶつける。なんですか、もう。と小言を口にする前に麗羽は震えた声で呟く。

 

「見つけましたわ」

「えっ、何がです?」

 

 問い返し、顔良は後悔する。

 

「運命の人ですわ!」

 

 袁紹は、ずんずんと店の奥へと突き進んだ。

 呆気に取られた顔を浮かべる文醜を傍目に顔良は、嫌な予感に慌てて主君の背中を追い掛ける。唐突に、突発的に行動する時の袁紹は、厄介事の種なのだ。

 袁紹の翠玉(エメラルド)色の瞳を釘付けにしたのは、隅の方で嬉しそうに蕎麦を啜る可憐な少女である。

 知性というよりも気品がある。

 背中を覆い隠すほどの流れる様に美しい桃色の髪、おっとりとした、何処か安心感すら覚える風貌。そして蕎麦を啜る仕草、所作。衣服こそ商家の人間を装っているが、それを貫通して余りある気品を彼女は有している。

 どう見ても、何処か良い家の娘がお忍びで蕎麦を楽しみに来ているようにしか見えない。

 

 しかし袁紹は、知ってか知らずか相手の事情なんてお構いなしに彼女と同じ机、前の席に腰を下ろす。

 

「同席、致しますわ」

 

 許可なんてあってないようなものだ。

 娘はきょとんとした顔で、つるつると蕎麦を汁も飛ばさず上品に蕎麦を啜る。視線は、袁紹から文醜、そして顔良を辿った後、店の中全体へと向けられる。

 そうですよね、不思議ですよね。だって店内の机の半分以上が空いているのですもの。顔良は大きく溜息を零し、せめて彼女への被害が最小限で済むように気を配る事にする。

 主君を止められない以上、次善の策である。

 

「可憐な貴女、名前は?」

「えっと、張家の三女?」

 

 もしくは李家の四女ですね。警戒されています、本当にありがとうございました。こんな有様で、如何に口説き落とすつもりなのか。顔良は、主君の出方を窺う。そしてまた日和見な自分を後悔する。

 

「商家の三女、丁度良いですわ。貴女、私の嫁になりなさい」

 

 恋の駆け引きを投げ捨てた真正面からの全力右拳に張三李四の思考は止まったのか、きょとんとした可愛らしい顔を浮かべる。

 

「ええええええええええっ!!?」

 

 さもありなん、困惑の悲鳴が店内に響き渡った。

 

 

 翌日、開催する婚約式でもう一度、彼女の悲鳴が会場を響かせる。

 

 

 同州同郡、くるんと巻いた二つ結いの金髪を携えた少女は、幸せが逃げる溜息を吐き捨てる。

 彼女の名は曹操、字は孟徳。正史では、乱世の奸雄として、名を知られる事になる彼女も気を落とす時は落とすものである。

 というのも彼女、人材登用がまるで上手くいっていないのである。

 

「芳しくないわね、やっぱり実績がないからかしら?」

 

 彼女には、先見の明がある。民草が賊に落ち続ける現状、彼女の優れた頭脳は大規模な農民反乱の前兆を察知する。陳勝・呉広の乱にも似た流れ、漢王朝が対応を間違え続けている事から世が大きく乱れる事を予見する。

 故に曹操は、先を見据えて、今の時期から人材登用に励んでいる。

 しかし未来の英雄も今はまだ一人の小娘、彼女の誘いに乗る者は少なく、成果は芳しくなかった。

 

 彼女、曹操が求めているのは謀略の相談が出来る者である。

 政治に戦略、謀略に加えて芸術と彼女自身が全ての分野における一角の人物なのだが、曹操という存在は一人しか居ないのである。

 一人だけでは、出来る事は限られる。

 彼女には、勇将が居る。数字に強い金庫番の他に一部隊を任せられる者が居る。故に彼女が欲するのは知識面であり、中でも必要なのが謀略を得意とする者である。

 出来れば、諜報部隊の指揮を執れる者が良かった。

 

 しかし南陽郡に訪れる前、予洲汝南郡にて、彼女こそはと思える人物に出会えたのだが、敢なく振られてしまったのだ。

 

 荊州には、良い人材が多いという話もあり、袁紹に会いに来る輩の中に掘り出し者は居ないものかと大した期待もなく、一応、袁紹閥に所属する者として挨拶に伺ってみたのである。

 袁紹に会うには町中で話を聞けば、事足りる。

 悪目立ちする金色の鎧、そして遠目から見ても分かる最早、筒状の巻き髪を振り翳せば、嫌でも目に付くというものである。

 

 そうして幼馴染の足跡を辿れば、真っ昼間からのてんやわんやの騒ぎに遭遇する。

 曹操は頭を抱える。

 騒動の中心に居るのが誰なのか想像が付いた為だ、確信に近い。問題なのは今回、如何なる騒ぎを起こしているのかだ。

 近場に居た名家の話を聞けば、婚約式なんだとか。

 常に曹操の予想の斜め上を駆け抜ける幼馴染、心構えはしていたつもりだが、しかし、予測を立てれば、その予測を更に超えるのが袁紹という女である。

 結婚ではなくて婚約と銘打っている辺り、汝南袁家として正式なものではないようだ。

 

 兎も角、曹操は頭が痛むのを感じながら、ひょこっと顔を覗かせてみる。

 

「…………」

 

 宴席の中心で、桃色の髪をした少女が困った風に腰を下ろしている。

 何処か良い家の出身なのか仕草のひとつを取ってもお淑やかで、苦笑し、はにかむ姿には、まるで未亡人のような儚さがある。全体的な雰囲気として、困惑していても落ち着きがあり、安心感? いや、包容力を感じさせられる。おっとりとした所作、曹操と同じ小柄な体型で、されども胸は兎も角、大きかった。

 思わず、曹操が生唾を飲み込む程に好みの御人である。

 

 欲しい、と思った。見た感じ、彼女は、今回の婚約に気乗りではない様子。十中八九で袁紹の暴走に巻き込まれただけのはずだ。

 もしかして連れ去る事も出来るのでは?

 袁紹には、勿体ない。

 婚約式でも悪目立ちをし、参加者の意識を自分に集める袁紹を尻目に曹操は袁紹の婚約者(被害者)に歩み寄る。

 

「目出度い席のはずなのに、随分と暗い顔をしているじゃない」

 

 内心で、舌舐めずりをしながら優しく問い掛けた。

 

 

 朕、もとい余は、張三李四、ではなくて、劉璋、字は季玉である。

 劉姓から察する事が出来るように漢王朝皇帝の血を継ぐ家柄、しかし本家筋ではなく分家に当たる。姉、劉焉は荊州江夏郡にある陽城山と呼ばれる場所で、勉学に励んでは教鞭を振るっている。

 今回、余は、社会勉強の一環として南陽郡に足を運んでいる。

 荊州の中でも南陽郡を選ばれたのは、四世三公を輩出する名家の中の名家、汝南袁家が治める土地である為である。

 変装し、身分を偽るのは、余計な諍いを避ける目的が大きい。

 

 余は、生来、不自由な暮らしを強いられていた。

 生来というのは可笑しいか。不自由なのは前世での話、今生では、前世以上には、自由が許されている。前世に不満があった訳ではない、贅沢な暮らしをしていた自覚はある。

 しかし理性とは裏腹に、抑圧は感じていた。

 溜められていた鬱憤を発散するように護衛の者達を、ゆらり、ふわりお撒いて、一人で南陽郡の街並を堪能する。

 余には、市場調査の名目で受け取った幾許かの金銭がある。

 

 町中を適当に歩き回って小腹が空いた頃、美味しそうな香りに誘われて、蕎麦屋に足を踏み入れる。

 普段の食事に不満がある訳ではない。しかし、町中の民衆に混じり、初めて自分で金銭を手渡して食べる雑多な味は格別な味がした。

 

 余が、汁を飛ばして衣服を汚さないように、静かに食事を堪能していると、不意に、不逞の輩に囲まれる。他に空いている席があるにも関わらず、同席する三人組の少女達は、賊というよりも、名の知れた家柄の者である事が見て取れる。

 

「可憐な貴女、名前は?」

 

 問われて、咄嗟に出たのが張三李四、即ち。

 

「えっと、張家の三女?」

 

 と元々身分を隠していた事もあって偽名を用いる。名前を教えるつもりはない、と奥ゆかしく不埒者の誘いを断わったつもりでもあった。

 

「商家の三女、丁度良いですわ。貴女、私の嫁になりなさい」

 

 しかし目の前の彼女には、言葉の裏を読み取る頭はなかったようだ。

 ……というか待って、ちょっと何を言ってるのか理解しかねます。なんでもう嫁とか、そんな話に? 遠回しに、はっきりと逢引を断ったつもりが、結婚を申し込まれていた。

 これは、しっかりと断った方が良い。

 会話とは、相手に分かる言葉を使って初めて対話が確立する。

 

 意を決して、口を開いた翌日の事、気付けば、余は、着飾った姿で婚約式の席に腰を下ろしていた。

 一生に一度、袖を通す事があるかどうかの花嫁衣装に袖を通し、今、花婿? 花嫁? 役を務める汝南袁家の者と添い遂げる寸前まで来ている。

 どうしてこうなったのかは記憶にない。

 気付いた時には、こうだった。

 

「ええええええええええっ!!?」

 

 兎に角、余に出来る事は困惑に悲鳴を上げる事だけだった。

 

 まあ偽名を使っているし、婚約式も正式なものではない。

 慌てる必要はないのだと自分に言い聞かせる。問題なのは、相手が四世三公の名門の中の名門という事。家同士の意向が噛み合えば、今日の出来事を理由にし、婚姻関係を結ばされる可能性は十分に考えられる。

 事実、漢王朝に強い影響力を持っている袁家との繋がりは、小娘一人を差し引いて余りある利益があるのだ。

 

 余は、ただ、人探しをしていただけだったのに。

 

 浮かれ調子の金色の巻き髪女を遠い目で眺めながら溜息を零す。

 袁紹という名には、聞き覚えがある。余が物心を覚えた時には、もう既に滅亡した過去の群雄の中の一人としてだ。今生、劉璋として生を受けた時から、余は益州に帰ることを心に決めている。故に益州とは、正反対の場所に位置する河北四州を支配する袁紹に娶られるのは非常に困る。

 困りはするのだが、ならば、現状を脱する為に何をするべきか頭を捻るも良い案は思い付かなかった。

 余には、師母のように世の全てを見通すような頭脳はなく、謀略を用いる事が出来る程の知恵もない。しかし、しかして、このままでは、碌でもない事が待ち受けている事だけは察していたので頭を捻る。

 ああでもない、こうでもない、と一人、ウンウンと悩んでいれば、視線の先に目に付く人物が映り込んだ。

 

 二つ結いに纏めた金色の髪がくるんと巻いている。袁紹のように見てくれだけではない気品と風格を彼女から感じ取る事が出来た。

 それとは別に、なんというか、ねっとりとした視線も。

 ちょっとした身の危険を感じる。余の視線を感じ取ったのか、彼女の方から私の方へと歩み寄る。

 

「目出度い席のはずなのに、随分と暗い顔をしているじゃない」

 

 ふと話しかけられた言葉に「ええ、まあ、はい」と曖昧な笑みを浮かべて返す。

 

「余は人探しに来たのですが……ええ、いえ、逢引の相手では決して、ありません。しかし、蕎麦屋で食事を嗜んでいた所、あの者に連れ去られてしまいまして、そして、今は、こんな状況であります」

 

 出来る限り簡潔に、されど言葉は纏まらず、順序立てて話せば、目の前の少女は、何度か相槌を打つように頷いた後、にんまりとした笑みを零す。

 

「貴女、私に、連れ去られてみない?」

 

 あいつの浮かれた顔を見るのも辟易してたのよね、と告げる彼女は、悪戯娘と同様の笑顔を、浮かべていた。

 

「万事、委ねます」

「貴女の行く末なのよ?」

「余は、人に委ねる事で生きて来ました。これからも、恐らくそうでしょう」

 

 少女の瞳に宿る僅かな好奇、余は、それを無視して、だが、と言葉を続ける。

 

「委ねる相手を間違える事だけは、しないように心掛けております」

 

 その言葉は、前世の反省でもある。

 信頼できる人に信頼できる人を紹介されている内は良かったのだが、それが途切れてから国は、迷い始めてしまった。

 非才の身である。

 しかし人を見る目を養い続ける事だけは怠らないようにしようと心掛けている。

 

「貴女、名は?」

 

 問われて、私は今度こそ誤魔化さずに伝える。

 

「劉璋、字は李玉。前漢魯恭王の末裔、劉焉の妹である」

「漢の宗室じゃない……あいつ、貴女の素性を知ってるの?」

「お忍びでしたので、言い出せず、恥ずかしながら、この有り様でございます」

 

 金髪の少女は、大きく溜息を零し「まあ、あの浮かれた面を見ずに済むならなんでも良いわ」と華奢な見た目とは裏腹に、余の小柄な身体を軽々と持ち上げる。そして声高らかに宣言した。

 

「袁紹の嫁は、この曹孟徳が貰い受けたっ!!」

 

 前世、あの時代、皇帝よりも名を知られた名前に余は、思わず目を見開いた。そんな余の反応を見て、曹操と名乗る少女は、あら、と小さく言葉を零す。

 

「孟徳、貴女という人はッ!?」

 

 袁紹の言葉に反応し、彼女の側近である二人の内一人が動き出す。

 急な嫁泥棒の宣言に会場は混迷している。曹操は、婚約式の参加者達の隙間をするりと抜ける。人の波に阻まれる勇将を背に、曹操は館の外に繋がれている馬に余を乗せ、余を背中越しに抱き締めるように曹操とまた馬に飛び乗った。

 足で馬の腹を蹴り、馬は町中を駆け出す。

 こうなってはもう人の身で追い付く事は出来ない。

 

 曹操は、いとも容易く余を奪い去った。

 

 

 

 暫く、町中を駆けて、喧騒も遥か後方、追っ手が、追いかけて来る気配もない。

 

「この辺りでよろしいですよ」

 

 余が告げるも、しかし、背中越しに余を支える少女は、余を馬から降ろしてくれようとはしなかった。

 

「もう少し、離れた方が良いわ」

「いえ、町中には、撒いた、護衛の方がいらっしゃいますので」

「……いいえ、もう少し、付き合うわよ」

 

 余と曹操の身長は同程度、余の方が幾分か小さい程だ。余を背中越しに抱き締める形で手綱を握る曹操が、チラリと余の胸元を見る。袁紹が見繕った花嫁衣装、胸元が大きく開いている。前世と同様に余の胸は大きかった、不便な事に。

 

「それに、その格好だと目立つでしょう?」

「そういえば花嫁衣装でしたね。この衣装、返さなくてもよろしいのでしょうか?」

「迷惑料として受け取っておきなさいよ。こうなってはもう、返しにもいけないでしょうし」

 

 何気ない会話、心なしか、余の胸元に熱視線が注がれているように感じるのは気の所為か。

 トコトコと歩く馬の歩調に合わせて、余の胸も縦に揺れる。乗馬を嗜む時は、何時も、もう少し胸を締め付けているので、少し、胸が擦れて痛かった。片腕で乳房を抑える。胸の位置を少し調整すると、背中から生唾を飲み込む音が聞こえた気がする。

 ……彼女の好意に関しては、気付かないふりをするのが良さそうだ。

 

「このまま連れ去ってしまおうかしら?」

「やめてください」

「一夜だけでも」

「貞操にも価値がありますので」

 

 すげなく断ったつもりだが、惜しいわね、と背中越しに余の腹を撫でる。

 

「一応、護衛の方も一緒に来ていますので」

 

 言って、やんわりと手を払い除ける。

 

「私の嫁になるつもりはないかしら?」

 

 今しがた断ったばかりだというのに。

 後に乱世の奸雄、もとい姦雄とも呼ばれるのは、こういう所から来ているのかも知れない。そういえば、母上の一番の側近が、ずっと曹操に付き纏われていた、という話を聞いた事がある。

 余が、曖昧に笑って誤魔化していると曹操は少し退屈そうに、ふうん、と呟いて、別の事を口にする。

 

「そういえば、貴女の探し人ってなんていうのかしら?」

 

 こちらでも探しておくわよ、と告げる彼女に余は少し考えた後に首を横に振る。

 

「お教えできません」

「あら、何故かしら?」

「教えたら、先に取られてしまいそうなので」

 

 余が柔らかい笑みを意図して浮かべれば、「まあそうね」と金髪の彼女は楽しそうに口角を上げる。

 

「私は、貴女ごと召し抱えるつもりよ」

 

 気持ちが良いほど真っ直ぐな言葉に、ああ、確かに彼女は乱世の英雄だと得心する。

 

 

「……また振られてしまったわね」

 

 連れ去った少女の背を見送りながら、そんな事を呟いた。

 彼女、正史では、後の世で人材蒐集家として名を知られる曹操は、まだ乱世が、訪れる前の段階でもう既に人材探しに東奔西走と明け暮れている。

 しかし成果は芳しくない。

 予洲汝南郡で出会った、太公望気取りの女に続いて二敗目。気を追い込ませるのも仕方ない。

 

 再び、大きく溜息を零すと、街の中で待たせていた護衛代わりの身内を見つける。

 曹操を待つ三人娘は揃いも揃って金髪巻き毛、髪の巻き方に変化はあれど、近しい血の繋がりを感じさせる。三人の名は、曹仁、曹純、そして曹洪。本来、外史の中でも常に彼女の側近として仕える二人組の姿が見当たらない。

 それもそのはず、現在、曹操の側近には、同じ曹家の三人の他に居ないのだから。




袁紹本初(麗羽):荊州在中、汝南袁家の後継者候補。
顔良(斗詩):荊州在中、袁紹の側近。
文醜(猪々子):荊州在中、袁紹の側近。
劉璋季玉(??):荊州在中、劉焉の妹。
曹操孟徳(華琳):予州在中、曹家の正統後継者。
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