いにしえ三国志 作:匿名希望
他、誤字報告、お気に入りなどありがとうございます。
乱世を前に名を上げる者は、軍に属する者とは限らない。
侠客として名を馳せる関羽と張飛という二人の義姉妹が幽州啄郡に足を踏み入れた時の事、町中の通りを歩きながら関羽が乱れつつある世を憂いていると、彼女の真正面から桃色の髪をした少女が「困った、困った」と腕を組んだ難しい顔で歩いて来る姿を見つける。
関羽の目を引いたのは、彼女の見栄を張るかの如く衣服。腰に剣を佩いた彼女の姿が妙に慣れている事から地元有力者の一人と直感した関羽は「如何なされた?」と、新しい土地での足掛かりを得る目的で問い掛ける。
女は、一つ結いの髪を馬の尻尾のように揺らして「そうなんだよ、話を聞いてよ!」と詰め寄った。
「すぐ近くの森に虎が居着いちゃったから退治しないといけないんだけど、誰も付いて来てくれないんだよね!」
「虎、ですか?」と関羽が困惑気味に問い返す。
「そう、虎なんだ! 早く退治しないと大変な事になるかも知れない!!」
女の必死な物言いに関羽がきょとんとした顔を浮かべるのも仕方ない。
先ず、虎が出たという話が突拍子がない。
虎が街中に侵入したり、街道に居着いたのなら問題だ。
しかし森に出たという話であれば、危険を冒してまで退治をしに行く必要があるのか。
町の外は危険だ、野生の動物もそうだけど、賊も潜んでいる。
危険を冒したくなければ、城壁の中に居れば良い。
「此奴の言う事は話半分に聞いておいた方が良いよ」
頭を抱える彼女を前に、眼鏡を掛けた村娘が横から声を掛ける。
「此奴は、この辺りでは有名な大法螺吹きなんだよ。自分には天運があるのだとか、なんだとかってね」
占い師だってもう少しまともな事を言う、と眼鏡娘が肩を竦めてみせる。
そうこうしている内に「あーもう!」と一つ結いに桃髪を纏めた女は立ち去ってしまった。
早足で、小さくなる背中を遠目に、関羽は眼鏡娘に問い掛ける。
「あの者、名は?」
「……彼奴の名前は劉備だよ。競犬か闘鶏で賭け事に参加し、増やした資金で馬を駆り、珍しい楽器を見つけては音楽に興じる。良いものを食べて、良いものを着て、贅沢三昧に明け暮れる俗な放蕩娘だね」
聞いてもいないまで語り聞かせる眼鏡娘に「ありがとう」と関羽は端的に返す。
眼鏡娘の言葉の通り、彼女が法螺吹きの可能性もある。しかし虎が現れた、と告げる彼女の瞳は、他人を嘲る色はなく、焦燥感に染まっていた。少なくとも、何か問題が起きた事は確かなのだろう。
関羽は暫し、顎を撫でながら考え込む仕草を見せる。
そして通りの並びにある拉麺屋に目を奪われている妹分の張飛を呼び寄せて、義姉妹で劉備と呼ばれた女の背を追い掛ける。
「彼奴の他人を惹き付ける力は、なんなのだろうね?」
眼鏡娘は小さく溜息を零す。
「あれ、憲和じゃないですか。こんな所で立ち尽くして、どうしました?」
憲和と呼ばれた眼鏡の少女が振り返れば、劉備と同じ桃色の髪をした、二つ結いの少女が書物を手に不思議そうに小首を傾げる。
「奉徳は、真面目だねぇ~」
憲和とは字である、名は簡雍。眼鏡を掛けた少女は、桃髪の少女を抱き締めた。幼馴染の唐突な行動に、奉徳と呼ばれた少女は困惑しつつも受け入れる。
劉家を象徴する桃色の髪をした少女の名は劉薫、字を奉徳。
真名を桃香と云った。
◆
元々私には別の名前が与えられる予定があったそうな。
一足早く産まれた親戚の子に考えていた名前を使われてしまったので代わりに薫の文字が与えられる。私は、特に意識したつもりはないのだけど、名前を取られた事を母は逆恨みをしている。
母は気位の高い人だと認識している。
何処まで本当なのか分からないのだけど、私は、中山靖王劉勝から連なる末裔のようだ。身分を証明するのは、靖王伝家と呼ばれる両刃の剣が一振りだけ。他の家財は売り払ってしまったとの事、私の家は、皇帝の血縁者という事で特権が与えられる属尽という立場であるにも関わらず、私の家は困窮している。
母は気位の高い人だったので、働いて稼ぐ、という行為を嫌悪している。
自分は、皇帝の血筋に連なる者なのだからと他者に金を無心して貰うのが当然という考え方をしており、今はもう居ない、働き詰めだった父の事を内心で見下していた。
父は、私が独り立ち出来る年齢になった瞬間、母とはスパッと縁を切り、別の女性と家を離れた。
父を恨んだ事はない。
何故ならば、父が離れる時に私も誘われたからだ。父には、新しい家庭を築く事が出来るけど、母は、一人で生きていく事は無理だろう。そんな考えで母の下に残ったので父を恨むことなどある筈もない。
父が離れた後、母は意気消沈し、私に、口酸っぱく皇帝の血筋が云々と言う事も少なくなった。
私が筵を織って売る事で生活費を稼いでいる事も黙認している。
織った筵を背負って向かう先は同じ属尽の立場にある劉姓の御家。
確か啄郡劉家を名乗っており、実際、それだけの影響力を持っている。一人娘は働きもせず、勉学もせず、趣味の乗馬に加えて、剣の鍛錬を少々という暮らしが出来るのも啄郡劉家には、それだけの力がある為である。その屋敷の敷居を跨いで筵を下ろす。私が啄郡劉家に筵を売りに来るのも、同じ属尽の好から。筵織り機を貸し出してくれたのも、その道具の使い方を教えてくれたのも、織った筵を必要の可否問わず、飢饉が騒がれる中、何時も通りの値段で買い続けてくれるのも全て、啄郡劉家の温情あっての事である。
決して高い金額じゃないけども節約すれば、親子二人で生きるには事足りる。
物価が高くなりつつある今、流石に少し厳しくなって来たけど。兎も角、相手も懐事情が苦しいだろうに前と変わらず商売を続けてくれるのは有り難い。態度で謝意を表して、筵と引き換えに金銭を受け取る。
収入を得た帰り道、少し余裕の出来た懐で酒と肉を嗜もうと小料理店に足を運んだ。
その道中でふと、母の誕生日が近付いている事を思い出す。
私は、月に何度かの楽しみを放棄し、よく、母が話していた茶の事を考えながら知り合いの商家に相談をしに行った。茶葉は高価で安酒なんかよりも高い金額で取引される。だけど商家の者に少し痛んでしまったからと個人で消費する予定だったものを格安で譲ってくれる事になる。
まあ定価なんですけど、物価が向上してる今、定価でも十分に格安ではあるか。
割り引いてなお高価な嗜好品も、溜めていた貯金も使えば、なんとか購入する事が出来た。
兎も角、私は、茶葉を入った小壺を片手に家に帰る。
常に仏教面の母を少しでも喜ばせたい、そんな気持ちは平手打ちの一発で霧散する。
私が外で何をしているのか母は何も問わない。
今更、私が語る気もない。だけど母の為に茶葉を買った事を言えば、次の瞬間、母の平手が頬を叩いた。
「桃香! 貴女が外で何かをしている事に関しては最早、何も言いません。しかし私は、生活が幾ら貧しくとも漢室の一員の矜持を持って生きているつもりです! その小壺に入った茶葉、幾らしましたか!? 筵を一度、売った程度ではとても足りません。高々、一握りの嗜好品で何をしているのです! その金銭があれば、もっと何か出来たとは考えないのですか!?」
「でも私は……」
「いいえ、聞きません! その生来の善性が将来、貴女の足を引っ張る事になる。足枷になる親の事など捨て置けば良い、子もそうです。貴女の、その他者の為に自分を犠牲にする考え方では、見方によっては称賛されるでしょうが、賢しい者から食い物にされるだけです!!」
激昂する母の言葉に対して、真摯に耳を傾ける。
だけど、私には納得しかねる。
まだ上手く、言葉には出来ない。
母の言葉には一理ある。
だけど、それでも、私は、他者を貶める事も、見捨てる事もしたくない。
苦しんでいる人が居れば、困っている人が居れば、手を差し伸べる。
誰かの為に、とか謙遜するつもりはない。
自分の為に、と露悪的になるつもりもない。
ただ、そうしないと気が済まない。
そうしないと気分が良くない。
手を差し伸べたいから差し伸べる。
それで誰も損をしないのであれば、良いのではないか。
そんな私の意思を感じ取ったのか、母は大きな溜息を零す。
心なしか、随分と年を取られたような気がした。
まるで生きる活力を失ったような、もしくは何かを諦めるような。
「漢室の一員の矜持とは、個人で推し測るものではないのです……貴女は、それがまだ分かっていないのです」
そう告げて、母は布団の中で横になってしまった。
口論、と呼ぶには一方的な喧嘩は、切り上げられて、私も居心地の悪さから家を出た。
次に家に帰った時、母は家から居なくなっていた。
そして二度と母の顔を見る事もなかった。
一人になった後も啄郡劉家の温情を授かり、筵を織る日々を送っている。
母は言った、個人ではなく大局を見ろと。筵を売り捌いた金を片手に使い道に頭を悩ませる。そんな私の隣を、虎だとか、蛇だとか、蛇だっけ? 兎も角、駆け抜ける少女の姿、私と同じ桃色の髪を一つ結いに纏めて、馬の尻尾のように揺らしながら駆け抜ける。
元気いっぱいに街中を騒がせる彼女の背中を見て、羨ましいな。と言葉が零れた。
◆
今生の我が名は劉備、字は玄徳。腰に佩いた剣の名は赤霄剣。
適当に商家から買った折れず、曲がらず、頑丈なだけが取り柄の剣。無名の剣に赤霄の銘を刻んだだけの一振りである。武芸が程々の私に名剣なんて分不相応、だけど私が使い続ける武器なのだ。いずれ、後世にも名を残す伝説の一振りになるに違いない。
私が虎を退治するのも、きっと伝説の幕開け、その一歩である。
無論、虎を退治する事は自分の為ではない。虎が出没するという森には、直近の不作の為、子供達が家族達の為にと山菜狩りに出入りしている。見回りがてらに森を散策していた所、巨大な虎を見つける。口から血が滴っており、虎の足元には、もう一目見て分かる絶命した男性。装備からして狩人のようだ。
幸いだったのは、まだ相手には気付かれていないという事。充満する血の臭いが私の気配を掻き消してくれているようだ。
前世の幼馴染が居れば、相手になるだろう。
白い大蛇を倒したのだ、虎の一匹がなんだ。
だけど私は身の程を知っている。自分に出来る事は分かっている。
私に出来るのは夢を見る事、実現する事。夢を見せる事。
化け物退治は、私の領分ではない事は重々に承知している。
だから助けを求めに町へ戻った。
だけど誰も手助けをしてくれなかった。
話に真実味が薄い事もあるだろう、目に見えた脅威に立ち向かう理由もない。
それ以上に、誰もが自分の命が可愛いのだ。
当然だ、当たり前の事なのだ。
そして戦わずに済む理由があれば、避けるのもまた道理である。
人は、人一人では強くなれない。
凶王と呼ばれる程の存在で在れば、一騎当千の働きを見せる事もある。
彼女の場合は、当千ってよりも、当万ってくらいありそうだけど。
それでも結束した人の力には勝てないものだ。
仕方ない、理解はする。
だけど私は虎を退治すべきだと思うし、思うなら行動する。
「悩むな、嘆くな、俯くな」
自分に言い聞かせるように唱える三つの言葉。
行動を起こしたならば、迷わず、行き着く先まで突っ走るのが人生を楽しく生きるコツである。
大丈夫、私には、天命がある。
天命という言葉を頭の中で思い浮かべて、笑みを浮かべる。
前世も含めて久しく縋ることのなかった言葉。
与太で口にする事はあっても本気で縋る事はなかった。
何故、使わなかったのかというと、恐らく必要がなかったからだ。
その私が今、再び本気で、天命に縋っている。
天命に縋るとは、神に祈るのと似ている。
なんだか少し楽しくなって来た。
「大丈夫、あの義妹より強いって事はないはず!」
何百年も未来に飛んで、なお歴代最強の武勇を誇ると呼ばれる義妹の事を思い出して気を引き締める。
私の名は劉備、字は玄徳。真名は桜香である。
劉備玄徳(桜香):幽州在中、属尽。光武帝の実兄劉縯の末裔。
劉薫奉徳(桃香):幽州在中、属尽。中山靖王劉勝の末裔。
簡雍憲和(??):幽州在中、桃香の幼馴染。
関羽雲長(愛紗):幽州在中、根無し草。
張飛翼徳(鈴々):幽州在中、根無し草。