いにしえ三国志   作:匿名希望

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引っ越しなど、諸々の事情により非常に遅れました。


5.予兆

 森の中で改めて虎を見かけた時、その毛皮は白銀にも似た美しい色をしていた。

 前世では、白い大蛇と対峙した事がある。山で遭難していた時、偶然、遭遇してしまったものであり、震える手で大蛇に剣を斬り掛かる。結果として、大蛇の硬い鱗に阻まれ、文字通り、刃が立たなかった。最終的に義妹が助けに駆け付けて、彼女が叩き斬って一名を取り留める。

 箔付けにと、その時、私が握り締めていた剣に斬蛇剣の銘を与えた。

 実際に斬ることは敵わなかったのだけど、こういうのには景気付けの意味も込められている。

 

「白蛇の次は、白虎とか祟られたりしない? むしろもう祟られてたり?」

 

 自嘲し、しかし一度、決めたからにはと剣を握り直す。

 手が震えるのは仕方ない。

 私は刺青女のように戦闘狂という訳ではない。

 だけど好きな事をする、したい事をする。

 田舎の放蕩娘が天下を取ったのは、自分自身に嘘を吐かなかった結果である。

 故に私は、眼前の脅威に立ち向かう事を決断する。

 

「化け物退治には一日の長がある」

 

 定期的に化物染みた義妹に鍛えられた剣の腕前はある。少なくとも並ではない。常識の範疇ではあるだろうけど、兎も角、私は意を決して、白虎に斬り掛かろうと木陰から飛び出した。

 

「本当に立ち向かう気なのか。大馬鹿者か、もしくは余程の大器を持っているのか」

 

 直後、一歩目で肩を掴まれて背後に引き寄せられる。

 代わりに前に出たのは一つ結いに纏めた黒髪を靡かせた少女、彼女は、偃月刀を手に白虎と対峙する。構えた立ち姿だけで彼女が、化物染みた義妹達と比較しても引けを取らない武勇の持ち主である事が分かる。

 町中で討伐隊の呼び掛けをしてた時に声を掛けられた少女、見惚れるほど綺麗な黒髪を覚えている。

 

「てこずりそうだ」

 

 短く呟いて、美しい髪の少女は、白虎に向けて殺意を叩き付ける。傍目から見ているだけで臆する程の敵愾心に白虎もまた警戒を高める。空気が張り詰めるのを感じ取る。少女は、受けの構え、しかし相手が背を見せた瞬間、飛び掛かる腹積もりのようだ。

 故に白虎は退かず、目の前に現れた障害を排除する為に少女に全神経を集中させる。数秒が、数分に感じられる。その緊張感の中、ジリッと白虎が僅かに攻め気を見せる。

 瞬間、空から枝葉の掠れる音が聞こえる。

 白虎が反応し、飛び退く前に頭上から落ちて来た小柄な少女が、巨大な矛の切っ先で白虎の背中を突き刺した。

 

「不意打ち、御免なのだ」

 

 大きく体勢を崩し、それでも白虎は崩れず、震える足で偃月刀を振り被る少女を見上げる。

 

「すまんな、獣相手に正々堂々と戦うほど酔狂ではないのでな」

 

 白い毛皮が、赤色に染まる。

 綺麗な髪をした少女は偃月刀を横に振り、刃に付いた血を飛ばす。まだ刀身に残る液体を手拭いで拭い取り、そして私を一瞥する。武人の佇まい。武を志した者であれば、その立ち姿を見ただけで目を奪われる。

 究極の個とも呼べる存在感を彼女は有していた。

 

「勇敢な心も力が伴わなければ、ただの無謀だ」

 

 使い古された言葉だ、何かを試されているようでもある。

 孤高とも呼べる彼女の瞳が、迷える子羊のようにも見えたから私は苦笑し、二人に提案する。

 

「助けてくれた御礼に家で歓迎させてくれない? 部屋、余ってるんだよね」

 

 二人は互いを見合わせた後、頷き返してくれた。

 

 

 長江には、輸送船を狙った水賊が古くから跋扈している。

 特に揚州九江郡にある鄱陽湖に棲息する水賊は強い力を有しており、九江郡が水運の要となる港を有する沿岸都市である為、漢王朝は頭を悩ませ続けていた。その水賊を退治する為に九江太守として派遣されたのが盧植である。

 見事に水賊を降伏させた彼女は、病を理由に太守の任を降りる。

 療養の為に出向いた土地が故郷の幽州啄郡、手持ち無沙汰となった彼女は書を認めたり、私塾を開く事で暇を潰す。私塾は生活費を稼ぐ目的もあったので生徒には、地元の豪族を中心に集められる。

 中には当然、啄郡劉家の娘も呼ばれている。

 

 本来、劉備が座る席に私、劉薫が腰を下ろす。

 普段は二つ結いに纏めた髪を一つ結いに纏めて、少し気取った身形で九江の英雄であり、書家でもある盧植先生の講義に耳を傾ける。劉備は開校日に一度、顔を見せただけで、欠席をし続けている。相手は私の事なんて意識してないと思うけど、彼女の事は、否応なく私の耳に入って来た。彼女が競犬と闘鶏に明け暮れている事は知っている。同じ属尽、同じ先祖の血を引いている為なのか、私と劉備の容姿は似ているようだ。後ろ姿が特に似ているようで、何度か間違えて話し掛けられた事もある。

 口を開けば、直ぐに分かる。とは幼馴染の言葉。

 折角、噂に聞く盧植先生の話が聞けるのに勿体ないと思ったのが先週の事、幼馴染ですらも見間違える事があるという話だったので、私は簡単な変装で盧植塾に忍び込む事を決める。たぶん盧植先生には、気付かれていたと思うのだけど、部屋の隅で黙々と話を聞いているだけだったので見逃されていたし、もう一人の友人である公孫賛が上手い感じに誤魔化してくれもした。

 勉学は苦手だったので先生の話の半分も理解出来ていなかったりする。

 変装までして通っている意味があるのかどうか分からない。

 

 朝方、家で筵を織る。盧植塾に通った帰りに公孫賛に剣の稽古を付けて貰ったり、簡雍と少し話し込んでみたり、何もない日は家の事をしてまた筵を織る。

 なんでもない日が過ぎ去る、無為に時間を浪費する。

 手癖で筵を織っている時、何時もは無心で織り続けているのだけど、盧植塾で少し勉学を齧るようになってからは考え込む事が増える。暮らしが悪くなるばかりの世の中、貧すれば鈍する。明日の事よりも今日の事と毎日を精一杯に生きる毎日を過ごしていた。

 だけど母が居なくなってからは、少し考え方が変わった。

 なんとなく自分の事に興味を持てなくなった。筵を織り続けている限り、金銭は頂けたので今日の事、即ち今の自分の事よりも、明日の事、即ち周りの事に目を向けるようになる。

 世界の見え方が変わって来たのを実感する。

 盧植塾で学んだ知見が、何故だろう、と世界に疑問を投げかける。

 答えはなく、漠然とした疑問に思考を費やす。

 

 世界を変えたいとか、天下を取りたいだとか。

 そんな事を考えている訳ではなくて、もっと漠然とした大きな何か。

 たぶん、私は今、大陸全土を覆い尽くす、翳りのようなものを取り払いたかったんだと思う。

 今はまだ夢物語、酒の席で、ちょろっと幼馴染に話す程度の話。

 こんなくだらない話にも幼馴染の二人は真剣な顔で耳を傾けてくれるのだから。

 私は友人に恵まれたのだと思っている。

 

 

 青洲の何処か、中黄太乙の狼煙が上がる。

 太平道を名乗る組織が漢王朝の悪政に虐げられる民草の為、志を以て立ち上がる。決起したのは無数の水路と泥沢に囲まれた岩城であり、その一室、会議にも使われる部屋の中で、太平道の中核を担う五人が一堂に会する。

 序列一位は、張曼成で、この防御に優れた岩山を見つけたのも彼女になる。序列二位は、波才。彼女は、人を纏める才覚に優れており、太平道の組織化に大きく貢献する。第三位は劉辟で、第四位、第五位は、何儀、黄邵になる。三位から五位までは用兵術に長けており、大局的な事は張曼成と波才の二人の間で決定される事が多い。

 太平道の諜報関連を担う馬元義から与えられた情報を元に今後の方針を固める。

 

「その張三姉妹というのは本当に使えるのか?」

 

 風采の上がらない小娘の張曼成が、鋭い目付きをする波才に問い掛ける。波才は会議用の机の上に置いた徳利から御猪口に酒を注ぎながら答える。

 

「酒と肉、それに歌と踊りがあれば、民衆は付いて来てくれるものだ」

 

 波才の合理的な考え方に張曼を組んで頭を捻る。

 この外史における太平道は宗教団体ではない。冷害による飢饉と飢饉は勿論、事ある度に賄賂を要求する役人に村で生活が出来なくなった者達の中で、少なからず志を持った者達が集まって出来た組織が太平道。目的は天下太平で、漢王朝を是正するか、もしくは漢王朝を打倒し、法を改めて治安を維持し、新しい秩序を敷く事が組織の要となっている。

 初期面子の一人である張曼成は人格者として知られており、彼女の人柄があって今の組織が成り立っている。

 岩城の元になる泥沢の岩山を見つけたのも彼女である。

 

「民衆をまとめるのに歌というのは悪い発想ではない。蒼天已死、黄天當立も分かりやすい標語で仲間意識を高めようって話なんだしな」

 

 そう言ったのは何儀である。

 

「演説も良い、内容よりも頭に残る強い言葉。そういう意味では、思わず口遊みたくなる旋律と言葉による歌は強い武器になる」

 

 言いながら黄邵は童歌を口にする。こういう所から文化は根付いて、民族としての絆が強固になるのかも知れない。

 

「単純に見目の良い若い女子が舞を興じるだけでも慰撫になる。抱かせた方が手っ取り早いが、あれは一人当たりの数に制限があるからな」

 

 私兵とも呼べる五百の精鋭を抱える劉辟が妖艶な吐息を零す。

 

 張曼成は腕を組んで唸り声を上げる。

 何も知らない小娘を本当に戦の道具として利用しても良いものかと。しかし張曼成は前世の記憶により、力なき言葉に意味はなく、勝利なき大義に意味がない事を理解している。

 故に張曼成は、張三姉妹、即ち、旅芸人の姉妹を利用する事を決断する。

 

 会議が終わり、泥沢が見渡せる岩城の城壁にて。

 何儀と黄邵が再会に盃を交わす。酒は幽州で購入した高価なもので仄かに桃の香りがする。黄邵は一息に呷り、そして「今度は背中を刺されるような隙は見せるなよ」と軽口を叩く。

 

「結局、良い所を全部、劉邦に奪われたお前に言われたくねーよ」

 

 何儀の挑発的な物言いに黄邵はケラケラと肩を揺らす。

 二人は旧知の仲である。前世からの縁である、黄邵は腐れ縁だと零す。前世は国を相手に二人で叛乱を起こし、志半ばで敗れ去る。今生もまた、国に民草が虐げられている事を知り、二人は、別の場所にて、同じ想いを抱いて立ち上がる。

 前世からの縁で二人が再び出会ったのは、偶然であり、必然でもある。

 二人が自ら決起せず、張曼成を頼ったのは前世の失敗を反省しての事。前世で起こした乱に知識層の人間が居なかった。劉邦が成功した裏には、張良を初めとした知識人が居る。旅の講談師から、その話を聞いた二人は、別の場所、同じ結論で、元名家の出身であり、人格者としても名高い張曼成を頼る。

 そして此処、梁山泊と呼ばれる岩城で二人は、再開を果たしたのだ。




盧植子幹(風鈴):幽州在中、元九江太守。私塾の講師。
公孫賛伯珪(白蓮):幽州在中、幽州の有力豪族出身。桃香の幼馴染。
張曼成(??):青州在中、太平道創始者。序列一位。
馬元義(??):太平道所属、暗部。
波才(??):太平道所属、序列二位。
劉辟(??):太平道所属、序列三位。
何儀(??):太平道所属、序列四位。黄邵とは前世からの仲。
黄邵(??):太平道所属、序列五位。何儀とは前世からの仲。
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