いにしえ三国志 作:匿名希望
兵の数を揃える事は出来ても将の数を揃える事は難しい。
そして将を指揮する将ともなれば尚更の事、例えば、巷で有名な無敗将軍こと徐晃が一部隊の将の器に留まる。
軍を指揮できる存在ともなれば、国に一人も居れば良い方である。
世の中には、立場が人を作るという言葉がある。
黄巾の乱が起きた頃、官軍の総指揮を執っていたのは正真正銘、肉屋の娘。家畜の屠殺を生業とし、解体した肉を売り捌く為に料理の腕を磨いた門外漢にも程がある女である。彼女が何故、大将軍に抜擢されたのかについての経緯を少し語っておくと、霊帝の暗殺を防いだ褒美を受けての事。発案は趙忠、宮廷における宦官の権力を盤石にする為の布石である。
民草どころか漢王朝の事すら考えてもいない私欲の政治闘争の中で生まれた大将軍、正史における彼女、もしくは彼の漢王朝の腐敗を象徴する生き様を読み解いて、無能と評する者は少なくない。
これは外史である。
評定の間、参加するのは何進の他、漢王朝を代表する三将軍。
皇甫嵩、朱儁、盧植の将を指揮する将の揃い踏みである。
「黄巾賊は大陸全土に影響を及ぼしているが、涼州と益州では被害が少ないと聞いている」
「荊州の南の方では活発的に活動しているみたいよ。夏侯淵っていう将が類稀な部隊運用で虱潰しに叩いているから規模が大きくなる前に対処出来ているけど」
「張角とは、一体、如何なる存在なのだ? 未だに影も形も見えてこんよ」
軍事の御三方の言葉を何進は黙して耳を傾ける。
時折、話を投げかけても「ああ」とか「そうか」など短く返すだけで建設的な意見など出て来るはずもない。御三方も彼女に期待している訳ではなく、形式的に声を掛けているだけである。それもそのはずで御三方は共に勉学に励んで経験も積んだ知識人である。
軍部の力を削ぐ為に宦官に選ばれた肉屋の娘に専門的な知識など期待できるはずもない。
国よりも私利私欲で行動する宦官に利する敵だと考えた方が自然であるし、実際、彼女の妹である何太后は霊帝の妻として席を入れている。
余計な邪魔をしなければ良かった。
無気力な彼女を無視し、御三方は評定を進める。
何進は恵体である。健康的な褐色肌に出る所が出た豊満な身体、そして泣き黒子。黙っていれば美人を体現する彼女は今、傾国の美女の如く押し黙り、御三方の会話の一言一言を傾聴する。
今は劉表と袁術の領土争いの小競り合いの話である。
大陸に二本ある大河の内一本、長江の要所である江夏郡を両者のどちらが治めるかで競っており、劉表は自分が荊州刺史である事を根拠に、袁術は汝南袁家が江夏郡を支援し、実質的な影響下に収めていた事を根拠にしている。
傍から話を聞くだけでは、劉表の方に正当性があるように思える。
しかし江夏郡は長らく水賊が暴れていた土地であり、盧植が九江郡の水賊を討伐した事で江夏郡の水賊も幾分か大人しくなっている。水賊が暴れていた時期も見捨てず支援し続けて来たのが汝南袁家であり、水賊が大人しくなった頃に来たのが劉表である。
こう考えると袁術の方に道理があると言えるかも知れない。
何進が、ああだこうだと考えるも、しかし、御三方の思考は別の方向に向いている。即ち劉表と袁術、どちらに協力すると漢王朝の利になるかである。
国を守る者としては至極真っ当な思考、だが庶民感覚の抜けない何進からすれば、理解し難い話でもある。
話としては理解が出来るのだ、しかし、宮廷内でも良識的と呼ばれる御三方が道理よりも利益を選択をする事に違和感がある。
御三方は恐らく、漢王朝あっての泰平であると答えるのだと思われる。しかし民草からすれば、漢王朝の事など、割とどうでも良かったりする。
まだ国家としての価値観が成熟していない時代である。
土地の上に国があり、民草とは土地に住んでいる人を差す。故に領土が国家としての基幹を為すと考えられていた。とある人物が十五万という民草を引き連れて荊州を南下するまでは、民草を基幹に国家を築くなど夢物語とされる。何時の時代、何処の国家も一緒である。現政権を打倒する時には民草の為だと嘯いて、政権が安定すると民草よりも利権を維持する為の政治に移行する。何世代も続けば、利権による利権の為の利権の政治となり、自浄作用のない政権は腐敗する一方となる。
袁紹が台頭する清流派も本質は同じ、誰も彼もが民草を見て政治などしていなかった。
「面白くないな」
何進の呟きは皇甫嵩の耳に届けられる。
しかし皇甫嵩は、自分を蔑ろにする現状に対する不満だと解釈して取り合わなかった。
世の中には、立場が人を作るという言葉がある。
何進は果たして、無能か、謀臣か。野心家か、もしくは、その全てか。
この外史における彼女に対する評価は、後世が決める。
……。
…………。
………………。
何進は現状、軍の派遣を司隷に出没した賊を退治するだけに留める。
本来であれば、今すぐにでも号令を掛けて大軍を編成し、黄巾賊の討伐に乗り出す必要がある。しかし軍事の最高責任者である何進は決断を下さず、様子見に徹した。この何進の選択に、軍事の御三方は所詮は肉屋の娘、臆病風に吹かれたか、はたまた、事の重大さが分かってない大馬鹿者かと蔑んだ。
何進が号令を下さない理由は単純明快、勝利に確信が持てない為だ。
これは大将軍になってから分かった事になる。
宦官の浸食は軍部にも及んでおり、連絡事項の伝達だけでも賄賂が必要になる。官吏は賄賂の要求を当然の権利のように振舞っており、これを見た衛兵、将兵もまた同様に事ある度に賄賂を要求する。事を速やかに熟す為に幾分か金を握らせる事もあるかも知れない。しかし、賄賂の応酬を公然と行っており、それを恥じる事もなく、咎める者もいない。その事実に疑念を抱く者も少なくなっている。
伝令ひとつに賄賂を握らせて、事を速やかに熟す為に相手に渡す分の賄賂も握らせる。
万を超える軍勢ともなれば、利権が多く発生する事は軍事の素人でも分かる事である。国家の大事よりも私腹を満たす事を優先する自称漢の忠臣達を配下に戦を挑んでは、こんな有様では勝てる戦も勝てるはずもない。何よりも自分が大将軍の地位に付けたのは、他に誰も大将軍の立場になりたいと考える者が居なかったという事。即ち、軍事の最高責任者として、敗戦の責任を取る所までが既定路線ではないかと何進は疑念を抱いている。
故に、今はまだ大戦に臨むことは出来ない。
勝負に出るにはまだ知らない事が多過ぎた。
自分の妹が皇后に選ばれたのは、自分が大将軍になる分かりやすい理由を付ける為ではないのか。
後で自分を弾劾し、排除する為の。
何進は今、過去の権力者が猜疑心に囚われて、身を落とす理由を肌身を持って実感する。
少なくとも今はまだ、動くことが出来ない。
一方で漢随一の勇将、皇甫嵩はお飾りの大将軍を尻目に別の事を考える。
此度の農民による大規模な反乱劇。これは見方によれば、風前の灯火とも呼べる漢王朝の威光を取り戻し、大陸全土に知らしめる好機とも呼べた。逆に云えば、各地の群雄が名を上げる好機でもある。黄巾賊の全貌は未だに見えず、総数は数十万にも、百万にも届くと云われている。しかし所詮は烏合の衆、兵は数が肝要だが、質も重要である。そして兵の能力を十全に発揮させるには優れた将の存在もまた重要。黄巾賊は、数だけで質がなく、農民上がり故に将も足りていないはずだ。
兵は数が肝要である、数は分かりやすい指標でもある。
自軍よりも数が多い敵を降す事は、世間に大きな威光を示す事に直結する。
此度の乱は、名もなき群雄が名乗りを上げる事に都合の良い敵である。
漢王朝、強いては軍事の側面から世界を見る皇甫嵩とは別に、盧植は彼女とは違う視点で世界を見る。
官軍の第一人者である皇甫嵩とは違って、盧植は漢王朝、というよりかは宮廷に依存していない。故に彼女の視点は民衆から見た漢王朝の姿。賊に身を堕とした者に同情する訳ではないが、しかし元は漢王朝の民草であった事実を鑑みれば、此度の討伐には、あまり乗り気にはなれなかった。
ましてや、民草が賊に堕ちた直接的な原因、即ち冷害による飢饉。漢王朝の失態で被害が広まり、此度の農民反乱に繋がったとあれば尚更の話である。
しかし盧植もまた漢王朝の忠臣である。
個人的な感情を脇に置いておく程度の分別は出来る。故に漢王朝が真の危機に陥れば、招集を受けるし、事が済めば、病を理由に宮廷の政治闘争に巻き込まれたくないと身を退く。
彼女もまた漢王朝が先にあり、民草が存在するという固定観念から抜け出す事が出来なかった。
歴史を読み解けば理解出来る事でも、六百年にも続く漢王朝の文化。
漢王朝なしに世界を語ることなど盧植には出来なかった。
古い自分が想いを馳せる事が出来るのは、新しい時代を築く者達の事。
幽州にある故郷で出会った二人の劉姓の事を想起する。
劉備と劉某。
私塾を開いて間もない頃、一度だけ顔を見せた劉備は分かりやすく英雄の素質を持っていた。纏っている雰囲気のようなものが周りとは違っており、彼女の一挙手一投足が気になり嫌でも目を惹いた。
翌日以降、彼女が座らなくなった席に何食わぬ顔で腰を下ろした彼女とよく似た容姿の少女。公孫賛が彼女を庇う仕草を見せている事から身元は判明しており、公孫賛との会話で彼女が属尽であるらしい事は分かった。自分から私塾に潜り込むだけあり、真面目に勉学に励んでおり、親に私塾へ通わされている他の子達よりも好感が持てた。
他の家から金銭を貰っている以上、無料で授業を受けさせる事は許される事ではない。
しかし彼女が変装し、実際、似ている事から、騙された、と一応の名分が立てられる事から盧植は彼女の授業への参加を目を瞑る。
英雄とは、実際に相対するだけで周りとは違う雰囲気を感じ取る事が出来る。
盧植に人物評の才はない。
故に二人を語る言葉を持たない。
劉備は鮮烈で、劉某は柔和、互いに強い意志を瞳の奥に宿している。
朱儁は黙して、自分の置かれた立場と状況を整理する。
彼女は処世術に長けている。人並み程度の良心を持っていたが、必要があれば賄賂を受け取り、有りもしない野心を垣間見せる事で相手を安心させる。そうして魑魅魍魎が蠢く宮中を渡り歩く事で、軍事一辺倒の皇甫嵩、宮廷とは距離を取る盧植とは別の方法で今の地位まで昇り詰める。
黙して、必要以上に語ろうとしない朱儁を見て、何進は探るように問い掛ける。
「お前なら将兵が幾ら居れば、この乱を収める事が出来る?」
朱儁は少し目を伏せた後、静かに答える。
「六十万もあれば」
朱儁の言葉に皇甫嵩と盧植は各々別の意味が噴き出した。
何進は兵糧の量を計算するだけでも気が遠くなる数に大きく溜息を零す。
「くふっ……流石に、それは耄碌が過ぎるのではないか?」
皇甫嵩の笑いを堪えた言葉に朱儁は肩を竦めてみせる。
実際、黄巾賊を討伐するのに六十万の数は必要なく二十万もあれば十分だと云える。
無論、まともに軍が機能すればの話だ。
この時、盧植は口を挟まなかったが、朱儁の口にした数字には覚えがある。
秦の歴史に刻まれた有名な一説。始皇帝と二人の将軍の話である。
何進遂高(傾):漢の大将軍、元肉屋の娘。
皇甫嵩義真(楼杏):漢の三将軍、左中郎将。
朱儁公偉(??):漢の三将軍、右中郎将。
盧植子幹(風鈴):漢の三将軍、北中郎将。