いにしえ三国志   作:匿名希望

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8.漢の忠臣

 幽州啄郡より北部に続く街道を、劉備を先頭に自称義勇軍が踏み鳴らす。

 

 一つ結いに纏めた桃色の髪を馬の尻尾のように揺らす彼女の背を、三角帽子を被る幼い少女が少し後ろの位置から眺める。

 街での劉備の評判は遊び人、町中の賭場に顔を出しては勝った負けたを繰り返し、勝った分は宵越しの銭はいらぬというように近場の酒場で飲み会を開いて散財する。彼女の両脇を固める関羽と張飛も劉備の事は、どうしようもない奴と思っている節があり、しかし不思議な事に悪態を零す二人の態度から嫌悪が感じられない。どちらかといえば、親しみに近い感情である。

 彼女が集めた総数五百の義勇軍の大半は、賭場仲間で飲み仲間。

 虎退治の時は、彼女の説明不足もあり、特に協力する理由もなかったのだけど、此度の街道封鎖は啄郡、強いては彼女の街にも無関係ではいられなかった。幽州の流通を復活させる為にも、ちょっくら英雄になってやるかと他の誰でもない、お調子者の劉備の声だからと立ち上がる。

 そして五百もの人間を率いても、欠片も動じない劉備の胆力に幼い少女は英雄の背中を垣間見た。

 

(啄郡には、こんな人も居るんだって朱里ちゃんにも教えないといけない)

 

 鳳統は一人、三角帽子の鍔をギュッと握り締めて、半ば強引に付いて来た行進に遅れないように足を進める。

 街道で待機する頭に黄色い布を巻いた賊徒は、千を超えている。遠目で相手の兵数を把握するのは軍師としても、一軍の将としても必要な資質。待ち構える敵陣に劉備は臆する事なく、悠々と歩き出す。遅れて関羽と張飛が彼女の脇を固める為に進み出て、二人に続く形で他の兵も動き出した。歩みは徐々に駆け足となり、最終的には、ほぼ全力疾走で敵軍と衝突する。

 軍から取り残された鳳統が息を切らす、その隣で何故か先頭を走っていたはずの劉備が前線を眺める。

 

「……どうして、ここに?」

「戦場で幼い少女が転んでいる所を見たら放っておけないからね」

 

 別に転んでいる訳じゃないけど、と鳳統が答える前に劉備が続ける。

 

「軍勢ってのは一度、駆け出したら生半可な覚悟で止めるのは無理だからね。軍勢を率いる将が逃げ出すのは、生半可な事じゃないだろうけど、今の私達には二人が居るから」

 

 劉備が視線を向ける先には、関羽と張飛が敵陣の最前列を一蹴する姿。偃月刀と蛇鉾が振り払われる度に数名の兵士が空を飛んだ。最前列で化け物二人が暴れている。敵からすれば、悪夢のような光景も味方からすれば、英雄の一撃。倍以上の数がいる敵兵よりも恐ろしく、頼りになる味方が居るのであれば、もう止まる理由なんてなく、雪崩れ込むように味方が敵陣へと突っ込んでいった。

 鳳統の優れた頭脳が計算を弾き出す。

 張飛は万夫不当の豪傑であり、関羽は、既に将を率いる将足る器。当たり前に劉備に従う二人は生半可な侠客ではない事は火を見るよりも明らかである。特に関羽の方は本来、誰かの下に付くような人間ではない。彼女の将器は国を興せる程で韓信、もしくは英布にも匹敵する可能性を秘めている。

 関羽が隣に立つだけで、半端な者は見劣りする。

 しかし彼女達、二人の活躍を眺める劉備は関心するばかりで気後れする事はなかった。

 関羽と張飛は、配下に居るだけで主人の格を上げる。

 それだけの器が二人にはある。

 関羽という侠客を、当たり前に従える劉備もまた、尋常ならざる存在だ。

 水鏡女学院の俊英の目を以てしても劉備の器は底が知れなかった。

 

「劉備さん……いえ、劉備様、貴方は天下に興味を持たれないのですか?」

 

 漢王朝を興した高祖には、二人の幼馴染の存在が居た。

 盧綰と樊噲、そして彼女の躍進を決定付けた知恵者に蕭何と張良が存在する。

 二人の英傑に関羽と張飛、二人の叡智、諸葛亮と鳳統。

 漢王朝の威光は風前の灯火、劉備は属尽で民衆に大儀を立てるには十分だ。

 このまま漢王朝が滅びの一途を辿るとし、次に天下を取るだけの条件が此処に揃っている。

 逸る気持ちをそのままに口から出た言葉が先の問い掛け。

 劉備は、あー、んー、と曖昧に声を漏らす。

 困った風に曖昧に笑う彼女の背中に黄巾を被る一人の敵兵が劉備に斬り掛かった。

 武勇で圧倒しても、数は相手の方が圧倒的に上である。

 前線が取り零した一兵卒が劉備に襲い掛かる姿を見て、鳳統が声を上げるよりも早く剣閃が閃いた。

 

「秘剣、斬蛇剣」

 

 技の名に意味はない、言ってみただけである。

 しかし刀身に赤霄剣と刻まれた剣は見事、敵兵を一太刀で切り伏せる。

 

「か弱い女の子だと思った? 残念、これでも相応の修羅場は潜り抜けているんだよね」

 

 剣に付着した血を拭い取り、そして戦場を眺めながら彼女は少し困ったように続ける。

 

「王の立場にはもう興味ないんだよね」

 

 彼女の野心は、別の場所に向けられていた。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 戦後処理、敵は壊滅。普通の軍勢であれば、再起は不可能な程の被害を与える。

 怪我人は居ても戦死者は皆無、圧勝と呼んでも良い戦果を収めた関羽と張飛を劉備が出迎えれば、張飛は地面に転がる敵兵を一瞥して呟くように告げる。

 

「お姉ちゃんって、ちゃんと戦えたのだ」

「自分の身を守れる程度に、だけどね。二人には逆立ちしたって敵わないかな」

「随分と、切り慣れているのだな」

 

 関羽と張飛の二人は、これが劉備の初陣だと考えていた。

 しかし人を切り殺した事に劉備は臆した様子もなく、まあね、と彼女は肩を竦めてみせる。

 彼女の本性が大法螺だと考えていた周囲の面々も綺麗な一太刀に見る目を変える。

 素直に感心する張飛と怪訝に考える関羽。

 劉備が、相手の物資を回収を指示しようとした時、遠方に新たな軍勢の姿を捉える。

 方角は南、頭に黄色い布はない。

 掲げる旗には、徐の一文字。そして、陶の一文字である。

 

「あれは徐州軍、徐州刺史の陶謙が自ら率いて来たのでしょうか?」

 

 鳳統は伝えるべき必要事項を簡潔に答えた。

 

 

 陶謙は、元は幽州を収めていた刺史になる。

 冷害による飢饉で大陸全土が不安定な状況に陥った時、漢王朝の力が弱まったと見た韓約が異民族を涼州に招き入れて漢王朝に反旗を翻す事件が起きる。この時、漢王朝が召喚した将の中に陶謙も入っており、彼女は張温と呼ばれる者の指揮の下で孫堅、公孫賛、そして現地の協力者である董卓と共に反乱軍を蹴散らす。

 陶謙は本来、勇猛な将である。

 しかし今は病弱の身の上、涼州で見せた時のように武を誇示する事は少なくなった。

 

 此度、陶謙が幽州に派兵したのは、幽州刺史を務めていた時の縁があっての事である。

 漢王朝に救援を要請しても返事すら帰って来ず、黄巾賊の対処を切り捨て、異民族への対処で精一杯な幽州軍を助ける為の善意からの決断である。陶謙配下の笮融は、陶謙の決断に反対した。しかし彼女のもう一人の配下である知恵者が「此処で幽州を見捨てれば、剛健実直の評判を地に落とす事になりますよ」と肩を竦めて、派兵に賛成したので利と情の方向性の合致から陶謙は派遣軍を編成する。

 笮融は、最後の足掻きとし、後方支援に勤める其の者を派兵軍の指揮官に任ずる。

 

「本来、私は裏で扱き使ってこそだと思うのだがなあ」と其の者は渋々と承諾し、幽州に赴いた。

 

 陶の旗を借りたのは、彼女自身が目立ちたくない為である。

 徐と陶の旗を掲げる部隊が劉備率いる自称義勇軍の前まで行軍する。

 総数二千の軍勢に関羽と張飛、そして鳳統は息を飲んだ。

 劉備だけは物怖じせず、部隊の中から現れる責任者の登場を待った。

「私は頭脳労働が本分で肉体労働は畑違いだというのに」と文句を言いながら部隊の幼い少女が姿を現す。

 鳳統よりもなお小柄な姿を見て、流石の劉備も驚いた。

 そして劉備の姿を見て、目を見開いて固まったのは幼子も一緒である。

 

「貴女は、(おう)……いえ、私は、姓は諸葛、名は誕。字は公休。少し頭が切れるだけの卑屈者で御座います、此度は徐州刺史、陶謙様の代理として街道の黄巾賊を退治しに来ました」

 

 諸葛誕と名乗った少女は深々と頭を下げた後、劉備を見据えて淡々と告げる。

 

「見事なまでの戦ぶり、実際に最前線で戦功を立てたのは貴方の背後にいる御二人方だと思いますが、龍が天を食らうかの如しでしたね。二匹の龍を従える貴女は、さしずめ赤龍の乙女と云った所でしょうか。是非とも徐州に招いて褒賞を与えたいと考えるのですが共に来て頂けませんか?」

 

 諸葛誕の言葉に劉備がピクリと反応を見せる。

 横目から眺める鳳統には、彼女の今の言葉の何処に反応したのか分からない。

 それに今の彼女は、幼子が名乗った姓の方に意識が向いてしまっている。

 劉備は困惑しながらも「えっと、そうだね」と返す。

 

「諸葛誕と言ったね」

「はい。姓が二文字で自分には分不相応な名、字の公休でお呼び下さい」

「分かった、公休。君の卑屈さには覚えがある」

 

 劉備は、親しみを込めた瞳で諸葛誕を見つめる。

 

「後で、少し話さない?」

 

 無礼ですらある劉備の距離の詰め方に、

 

「はい、喜んで」

 

 と幼い少女、諸葛誕は小さく頷き返す。

 

 ⋯⋯。

 ⋯⋯⋯⋯。

 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯。

 

 町に戻った後、自称義勇軍は一度、解散の指示が出る。

 しかし義勇軍の面々は、その足で酒場に入り、黄巾賊から奪い取った金品で酒を呷る。関羽と張飛もまた仲間達と共に盃を傾け、鳳統も加わる。一方で啄郡の城壁で劉備と諸葛誕が対峙する。星が降り注ぐかのように、くっきりと浮かんだ綺麗な星空。何時もよりも幾分か騒がしい街並みを背に、劉備の風に靡く一つ結いの赤髪を、諸葛誕は懐かしむように目を細める。顔を伏せて、瞼を閉ざした時、一粒の水滴が城壁の床を濡らす。

 諸葛誕は膝を突いた、開いた右手に握り締めた左手を合わせる。

 頭を垂れる諸葛誕の姿は、主君に仕える従者のようだ。

 

「赤龍の乙女殿、太腿にある七十二の黒子は未だ健在で?」

「いや、実は、今の時代に生まれ変わった時に黒子は消えてたよ」

 

 振り返る劉備もまた諸葛誕の幼い姿を見て、涙を堪えるように笑みを浮かべた。

 

「話は聞いてるよ、左袒する。君は、私が死んだ後も漢を守り続けてくれたんだね、(のどか)

 

 和と、不躾に真名を呼ばれた少女は下唇を噛んだ。

 しかし、それは憤りからではなく、堪える為のものだ。

 

「はい、いいえ。私は最後まで卑屈な臆病者。呂氏の件は、彼女では先がないと判断したまでの事、私は勝ち馬に乗るのが好きなだけです」

 

 和は、大きく息を吐いた。

 ずずっと鼻水を啜り、震える声を必死に押し殺す。

 嗚咽を飲み込んで漸く彼女は語り掛ける。

 

「随分と若くなられましたね、桜香様」

「そういう和は、若返り過ぎじゃない?」

 

 そうして二人は笑い合った。

 姓は諸葛、名は誕。字は公休。真名は、和。

 前世の名は陳平、高祖劉邦を支えた謀臣で、彼女の死後も国を支え続ける。

 漢の三傑にも引けを取らない功労者。

 強いて上げるとすれば、彼女には表沙汰に出来ない功績が多過ぎた。




陶謙恭祖(??):徐州刺史、元武闘派。病弱。
笮融(??):陶謙配下。
諸葛誕公休(和):陶謙配下。前世の名は、陳平。
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