いにしえ三国志 作:匿名希望
「それで桜香様、大事な話があります」
城壁の上、感動の再開も程々に諸葛誕、幼い少女である和が真剣な声色で告げる。
忽然と雰囲気を変える忠臣に対し、赤龍の乙女こと桜香は襟を正して耳を傾ける。
「世界に一人だけであれば、個人が特別という考え方も出来たかも知れません。しかし世界に二人ともなれば、特別なのは個人ではなく、世界の方にあると見るのが考え方としては正鵠を得ていると思います」
突然の早口に桜香は一度、考え込む素振りで頭の中を整理し、彼女が言わんとする事を導き出す。
「つまりは、私達の他にも過去からの生まれ変わりが存在すると?」
和は首肯し、言葉を続ける。
「過去だけではなく、未来も視野に入れるべきかと。それも結構な数が、完全に偶然だとすれば、同じ時代、同じ勢力の者が選出される可能性は極端に低く、かといって、ある程度の指向性が持たされているにしては、私と桜香様が選ばれるのは中途半端です」
「これでも四百年続く国の興した人物なんだけど」
「貴女様が歴代の偉人に対抗できるのは類稀なる人誑しの素養だけでしょう。王足る素養だけで選出されるのであれば、始皇帝か光武帝の二択、周の文王、武王の方がまだ可能性があるかと」
忠臣の歯に衣を着せぬ物言いに桜香は苦笑し、それならと続ける。
「私は兎も角、貴方が選出されるのは可笑しくないと思うのだけどね」
「それこそありえません」
何時になく、毅然とした態度で返す。
「王佐の才でいえば、張良。軍事の才でいえば、韓信。個の武勇であれば、樊噲と言いたい所ですが項羽が妥当でしょう。謀略に関しても范増の方が上手であり、他の時代も含めるのであれば、呂尚を差し置いて私が選ばれる事は有り得ないかと。個人的に一番、非常識な才を持っていたのは蕭何の兵站術だと思っていますけど」
これでも身の程は弁えています、と幼い見た目で自信たっぷりに答えてみせる。
久し振りの卑屈っぷりに耳障りの良さを感じて、桜香は苦笑する。後世で語られる陳平は、処世術に長けた人物であると云われているが、卑屈な態度と率直な物言いで上官に疎まれて魏と楚を去った経歴を持っている。桜香は知らないが、丞相の立場を周勃に譲ろうとした時も処世術とか考えず、素直に思った事を口にしただけだと思われる。自分が生きていた時であれば、庇い立てる事も出来た。しかし彼女一人では敵を作り、勝手に転がり落ちていく姿が目に見えたので「陳平に全てを任せるのは危ない」と彼女を扱う上での忠言を最後に残している。
事、謀略に限れば右に出る者は居ない程の知恵者である癖に自分の事になると途端に雑になるのが彼女、和という女である。
「私、来世では小高い丘の上で植物になりたいと願っていたはずなのですが、それが叶っていない辺り、やはり、ある一定以上の功績を残した者の魂が引き寄せられる……世界の法則のようなものがあるのではないかと思います」
桜香自身、自分が特別だとは考えていなかったので彼女の意見に反対せず、別の所に食い付いてみる。
「和が植物になったら私、個室に置いて、毎日のように称賛の言葉を送り続けるけど?」
「やめてください、枯れてしまいます」
心底、嫌な顔を向ける謀臣に桜香はケラケラと笑い声を上げた。
……。
…………。
………………。
劉備と諸葛誕が城壁で語り合った翌日の話になる。
部屋に招かれた食客の関羽と張飛、鳳統が椅子に座ったのを確認して劉備は酒の入った杯を配る。酒精は低い、元から度数の低い酒を水で薄めた代物なので、酒で酔いたければ、酒で腹が満たされる。そういう代物だ、しかし、庶民では、こういう代物の酒しか手に入れる事が出来ない。常用する飲料水の感覚で関羽と張飛は口を付け、鳳統は一口だけ口に付けて机の上に置き直す。
劉備もまた椅子に腰を下ろし、酒を片手に、ある決意を三人に伝える。
「徐州に行こうと思っている」
どうしてまた急に、とでも言いたげな食客の三人に劉備は話を続ける。
「
「それは良いのだが」と関羽の戸惑い混じりに零す。
「勿論、関羽と張飛には暫く、此処に居ても良いように取り計らうし、一緒に付いて来てくれるなら公休に頼んで士官出来るようにお願いしてみる」
ただ、と鳳統に対して、劉備は申し訳なさそうに答える。
「貴女を北に連れて行く事は出来なくなっちゃった」
劉備の言葉に鳳統は目を伏せて、少し考えた後に首を横に振る。
「街道の黄巾賊を倒して頂いただけでも十分に寄り添って貰えました」
言って、鳳統は三角帽子の鍔で目元を隠しながら続ける。
「……ところで、その諸葛誕様と少し、話す機会を設けては頂けませんでしょうか?」
「良いけど、どうして?」
「もしかすると私の親友の身内かも知れなくて」
親友の名前を諸葛亮だと、鳳統は明かす。
関羽と張飛の二人は、自分達で話し合うと言って、その場では答えを出さなかった。
鳳統は、諸葛誕と引き合わせた翌日に自分も徐州に向かう事を伝える。
諸葛誕と諸葛亮は直接の血縁関係にはないが親戚ではある。
伝手を使って、文を届ける事は可能なようで鳳統は徐州で親友を待つ事を決めたようだった。
徐州へ向かう準備を整えている最中、関羽と張飛もまた同行を決断する。
そして劉備が関羽と張飛を連れて徐州に行く事を知った賭場仲間もまた同行すると言い出した。
結果的に百を超える大所帯となり、劉備は頭を悩ませる事になる。
「
飲み屋の一角で蕭何の真名を口にする劉備の前で、諸葛誕が薄い酒を啜る。
「私は、謀略を考えるしか能がありませんが、実際に策が実行できるようにお膳立てをしてくれたのは蕭何殿でしたしね。私に出来るのは短期的な事ばかり、長期的な展望を見据えて動けるのは張良殿と蕭何殿。私は二人の足元にも及びませんね」
「行き当たりばったりを継続して続けられるのも凄いけどね」
というか、と若干、頬を赤らめた劉備が諸葛誕に人差し指を突き付ける。
「真名を預けられてるのに、まだ、その、真名を呼ばないの続けてるの?」
「私如きが二人の真名を口にするのは畏れ多いですよ」
「私は良い訳?」
「桜香様は、私と同じ狢の穴ではありませんか。他者に依存してでしか生きる事が出来ない」
「実際、その通りなんだけどさー!」
もっと言い方ってもんが、と言いかけた所で「失礼」と商家の娘らしき人物に声を掛けられた。劉備と諸葛誕が同時に顔を上げると、机の側に立った肌艶の良い女性が胡散臭い笑顔を浮かべて、二人に問い掛ける。彼女の背中には、護衛なのか武人の佇まいを見せる褐色肌の女性が佇んでいた。
「お金にお困りで?」
女は張世平と名乗る、褐色肌の女性は蘇双というようだ。
街道を占拠する黄巾賊のおかげで広陽郡の薊県で足止めを受けていた所、劉備率いる義勇軍が賊を退治してくれたおかげで商隊を南下させる事が出来たと彼女は語る。
その御礼もあり、彼女は勝手に同席し、二人に振舞う為の肉を注文する。
「黄巾党を名乗る者達のおかげで我々も商売が上がったり、賊達を退治する助力になるのであれば、この張世平、巷で名を上げる劉備殿であれば金の無心を致しましょう」
演技がかった振る舞いで用件を伝える張世平の事を、諸葛誕は目を細めて観察する。
劉備もまた彼女が真意を隠して語っている事は分かったので問い質す。
「どうして、私に?」
「それは先程、申し上げた通りに……」
「そういうのいらないから」
警戒心を高める二人を前に、張世平は笑みを崩さないまま声色のみを変えて続ける。
「貴女を奇貨と判断した故、今、投資をしておけば、それ以上の見返りがあると判断を降しました」
「たぶん、頂いたものは返さないし、返せないと思うけど?」
「それで良いのです。貴女に恩を押し売りするのが目的ですので、将来的に少し融通を利かせて頂ければそれで」
そこまで分かっているのなら、と劉備が張世平の条件を受けようとした時、諸葛誕が声を掛ける。
「呂氏春秋って知ってる? 幼い時に文字が擦り切れる程、読み込んだのだけど」
「幼い?」と張世平は零し、コホンと咳を立てる。
「ええ、ええ、あれは至高の一品。一字千金とは、正に呂氏春秋の事。完成度で、あの書物を勝るものはこの世に存在致しません」
顔色を変えず、声色を高めて語るその姿に諸葛誕は視線を鋭くする。
「……貴女、もしかして寵愛していた娘を身籠ませたまま他人に譲った事ある?」
諸葛誕の、余りにもあんまりな物言いに流石の劉備も言葉を失った。
張世平もまた僅かに顔を引き攣らせる。
彼女は小さく息を零し、警戒心を極限まで高める諸葛誕の態度を見て、観念したように零す。
「巷の噂に惑わされないで欲しいですね。始皇帝と呂不韋の間に血縁的な関係はありませんよ、まだ呂雉の方が信憑性が高いですね」
張世平は張り付けた仮面を外し、物色する様に二人を観察して続ける。
「貴女達は与太話を信じますか?」
この場でただ一人、蘇双だけは話に付いて行けていなかった。
彼女は異人で、戸籍は張世平が金で買ったものを与えた、今回の件とは無関係の人物である。
張世平、もとい呂不韋は語る。
政治闘争は懲り懲りだと、今生は一商人として好きに生きる事を彼女は二人に伝えた。
「商売をしながら大陸全土を回った後に船を造り、徐福に倣って外洋に出ようと思ったのですがね。黄巾賊とかいう輩が邪魔で思うように商売が出来ず、資金が貯まらない。さっさと賊を退治して貰いたいのですが官軍も重い腰を上げてくれないじゃないですか。金を稼ぐだけならば、戦乱の世も歓迎しますが、秩序もない今の御時世では、商売上がったりな訳ですよ」
酒を片手に愚痴を吐き捨てる張世平の姿に、彼女の使用人である蘇双も困惑する。これがあの秦の基礎を作り上げた呂不韋の姿なのかと信じられない思いで劉備と諸葛誕が眺めていると張世平は不機嫌に杯を机に叩き付けた。
「貴女達も政治闘争に関わった偉人であるなら分かるはずですよ! あれほど、精神を擦り減らす苦痛なものもない。野心だって一度、頂点を掴み取った後では、同じ事をもう一度やりたいとも思いませんしね! 私は海の果てが見てみたいのですよ!」
張世平の嘘偽りのない言葉に「あ、その気持ちは分かるかも」と劉備が続ける。
「私は益州よりも西と南の土地が見てみたいんだ。それが今の私がしてみたい事なんだけど」
と劉備が大きな溜息を零す。
「自分が立ち上げた国を放って、外に出るのも違うよねって」
劉備の嘘偽りのない言葉に諸葛誕は「ああ、なるほど」と杯を傾けた。
張世平(??):旅商人。前世の名は呂不韋。
蘇双(??):張世平の護衛。異民族。