勿体ない天才。上泉伊勢守信綱は、イセをそう評した。
彼が死の間際に死合った日野長光は、伊勢守という明確な先達を見ていたが故に迷いなく、最短かつ最速で道を極めていった。
反面、我流を自称するイセは、実際のところ”我”を出し切れていない。道も曖昧で枝分かれが多く、故に完成形も理想も分からず無闇に進んでいる。それがイセの現状だった。
しかし、違和感もあった。我流というその剣技、あるいは武技にどこか覚えがあるような気がした。
何度目かの激突、そのときに違和感の正体に気が付く。
それは大雑把で粗だらけではあったが、確かに新陰流の太刀筋。我流と言いながら、自分の剣技に影響を受けている。その様に多少の嬉しさはあれど、新陰流が彼女を惑わす枝分かれになっていることを悲しんだ。
が、すぐに違うと分かった。
「───こうっ!」
「ほ!?」
次の一振、その太刀筋は新陰流ではなかった。
瞬間的に深く踏み込み、伊勢守の間合いを殺す。そして振るわれたその太刀筋に、小太刀を幻視した。
やはり見覚えがある。小太刀を中心に極める流派、中条流だ。そういえば、”中条流”富田勢源の名もあの表に書かれていたと思い出す。
とするのなら、先の大槍の真似と合わせて考えれば───。
瞬間、怖気が伊勢守を襲った。
彼女は、おそらく無意識的に、あのテンカイチの武芸者達の真似事をしている。そして、それらの流派、道を複合しようとしている。余りに無茶な”我流”だ。
だがもしも、もしも仮に、イセの”我流”が大成したのなら、自身を越え得る逸材だと。
夢を託せる。そう確信した。
「ふむ、それじゃ、少し本腰入れようか?」
「・・・っ」
空気が重みを増す。”門”も開いていない、刀も抜いていない。けれど、敵意が変わった。単なる面白そうな素材から、確かに鍛えたい相手へ。
あるいは、これで死んだらそれまで、と言わんばかりに。
「越えてみせなよ、イセちゃん」
「やってやるよ、武神」
この後、伊勢守による
上泉イセが”門”に辿り着くまで、あと───。
これは飽くまで訓練である。
制限時間は5分。
訓練用弾及び訓練用軍刀使用。
一方が降参、気絶した時点で終了。
また、指定区域外に出た時点で失格、即終了。
その他、過度な破壊行為または戦闘であると審判が判断した場合、どのような状態であっても終了される。
「以上が、今回の模擬戦闘のルールだ。質問は?」
「ないわ」
黒い手袋をしっかりとはめ、空崎ヒナは目の前の相手に集中する。
「こっちもなし」
他方、上泉イセもまた、不気味なほど穏やかな笑みを浮かべながら、視線を返していた。
そこは、ゲヘナ学園風紀委員会訓練スペースの一角。全長100m程の、中近距離での撃ち合いを想定した模擬戦闘施設。随所にドラム缶やコンクリート壁で障害物が作られ、地形も
走りづらく、近寄りがたく、見ずらく、攻撃しずらい。
本来、分隊と分隊でもって行われる模擬戦闘が、今はたった2人で行われようとしていた。
「では、配置に」
間もなく、始まりを迎える。
「よーうい─────始め!」
開幕と同時に、イセが目の前のドラム缶を蹴り上げた。山なりの軌道をとるドラム缶の着弾予測地点は、
驚きのあまり一瞬思考が止まるが、冷静に飛来するドラム缶を銃撃で木っ端微塵にし、ヒナは優位なポジションを目指す。
イセは、先のドラム缶攻撃の他、近接攻撃しかできない。つまり、彼女の射程に入らなければ、ドラム缶以外の攻撃手段がなく、またそれもヒナには効かない。
近付かせない、それがヒナの勝利条件。同時に、近付かれたら負けると確信もしていた。
ヒナの本能とも言うべき部分が、イセの軍刀に対してかつてない警鐘を鳴らしている。あれはまずい、あれは恐ろしいと、久しく感じなかった恐怖を呼び起こしている。模擬戦闘という前提があるにも関わらず、微かな死の感覚が身体にまとわりついていた。
少しの移動の後、ヒナはそこに辿り着く。少し突き出し、周囲に遮蔽もなく、普通なら格好の的になるであろうそのポイントこそ、イセにのみ通じる優位ポジション。
姿を見せたら即撃つ、おそらくはこちらの位置を把握しているだろうイセに、言外にそう告げていた。
「いやぁおっそろしいや」
一部始終を
何より恐ろしいのは弾幕である。仮にこれが並のマシンガンであれば、最低限の弾丸だけを斬り裂いて近付くことはできただろう。
が、ヒナのそれは並のマシンガンを凌駕する。一発一発が気絶必須の高威力。斬りながら進むことはできるだろうが、攻撃できる範囲に入る前に軍刀がイカれる。そうなればあとは負けを待つだけだ。
さて、どうするか。少しの間考えたあと、一つの賭けを仕掛けるここにした。
「イオリ、彼女は何者なんですか?」
審判として、模擬戦闘を内心ハラハラしながら見守るイオリに、先程のやり取りで若干機嫌の悪いアコが話し掛ける。
「近接戦闘のスペシャリスト。部活や委員会に所属しておらず、なのに我々風紀委員会と似たような活動をしている。そして、途方もなく強い。そんなことしか分かりませんでした」
今の今まで、イセの調査をしていたのだろうが、並べられた情報はやはりイオリが既に知っていることだった。尤も、イオリもイセについてしっていることは少ない。というより、彼女に何があったのかを知らない。
「中学、同じだったのでしょう」
「うん、変なやつだったよ」
そう言って、イオリはぽつりぽつりと語り出した。
「イセね、初めて私に会ったとき開口一番こう言ったの。『剣道やらないか』って」
「剣道、ですか」
「そう。出会ってすぐは剣道剣道ってうるさかったんだけど、しばらくしたら諦めたみたいでさ。そのときから、武者修行って言って片っ端から不良やら何やらを襲い始めたんだ」
思い出すのは、竹刀を振りかぶって街中を端から端まで駆け回る姿。治安の悪いゲヘナでも、さすがにあんな変人は後にも先にもイセだけだろうと、イオリは思う。
「勝ち目なんてないでしょう」
「でも勝ってたよ」
「はい?竹刀で?」
「うん、竹刀で」
おかしいでしょ?と言うと、なんとも言えない顔で同意された。
「───ある日ね、イセが丸一日昏睡したときがあったんだ」
「え、何か病気が?」
「風邪を拗らせたのが原因とかなんとか言われてるけど、次の日ケロッとした顔で登校してきたから結局なんだったのかは分かんない」
「えぇ・・・」
昏睡してたのだからせめてもう一日様子見たりしないのか、アコは困惑した。
「そのときからだよ、イセが変わったのは」
「変わった、とは?」
「今のイセみたいになった。落ち着いていて、けどすごく強い、軍刀使いの上泉イセになったんだ」
いつものように竹刀を持って街に飛び出し、いつものように不良を見つけて襲いかかり、
そのときイオリが感じたのは、恐怖と憧憬だった。
「一つの道を極めた者の強さを、初めて知って、憧れた」
「私は、イセみたいになりたい」
「イオリ、あなたは・・・」
「アコちゃん、そろそろ戦局が動きそうだよ」
言われて、戦場に目を移す。膠着していた場は、再度浮かび上がったドラム缶を合図に、一気に
またも正確に蹴り飛ばされたドラム缶を見て、目視以外にこちらを把握する方法があるのだとヒナは確信した。問題はない、手段は分からなくてもそういうことができるとだけ分かればいい。
この手段は既に想定済みであった。おそらくは空中のドラム缶を囮に突っ込んでくるのだろうとアタリをつける。
ドラム缶は回避する。イセが姿を現したら撃って終わり。そう思っていた。
だが。
「・・・出てこない」
体感2秒。現実ではコンマ数秒程度だが、ここが戦場であることを加味すれば長すぎる。よもやイセ程の実力者が絶好のタイミングを逃すはずもない。
読み違えた。ならあのドラム缶はなんのための・・・。
「───隠れ蓑!」
「正解!」
空中のドラム缶が真っ二つに切り裂かれる。綺麗な断面の先に、壮絶な笑みを浮かべたイセがいた。
ヒナが銃口を持ち上げる。と、同時にイセが斬ったそれの片方を蹴り飛ばした。こちらの発砲より速く着弾するだろう大質量の弾丸に、ヒナは回避を余儀なくされる。爆ぜるような音とともに土煙が巻き上がり、一時的に両者の視界が遮られる。そうなれば、視覚に頼る必要のないイセに分がある。
直感、既に軍刀の射程内。
背を刺すような怖気に従い、頭を下げる。数瞬遅れて、先程まで首のあったそこを刃身が通り抜けた。
「ははっ!よく避けた!良い勘してるよ!」
軍刀の一閃により少しだけ視界が晴れる。彼女は笑っていた。
「楽しそうね」
「そりゃあもう楽しくて仕方ないね!」
随分と無邪気な、ずっと欲しかったおもちゃを買い与えられた子供のような笑みだった。
「そうあなたは────」
言葉なんてほとんど交わしていない。しっかりと挨拶したのなんて今日が初めてだ。それでも、たった数分の戦闘で、ヒナは上泉イセという人間を理解していた。
彼女は、ただ純粋に強くなることを喜び、ただ純粋に強者との戦いを楽しんでいる。
その様が、どこまでも羨ましく思えた。
「イセ」
最後に喜んだのはいつだったか、最後に楽しんだのはいつだったか。最後に笑ったのは、いつだったか。
もしも、彼女のように楽しめたなら、私は───。
「もっと、飛ぼう」
「はは、最ッ高!」
ヒナの脳内から、適当にあしらおうという思考はなくなった。全力で目の前の
こうして、何かに熱中するのもまた、いつぶりだったか。
ヒナもまた、いつの間にか笑っていた。
あっはぁ、最高だぁ!今日は史上2番目くらいに素晴らしい日だ!ヒナに気持ちが伝わった!ヒナが本気で相手してくれる!あのゲヘナの最強がだ!
「楽しめてくれてる?」
「もちろん!」
防がれる、防がれる、防がれる。かつて伊勢守に繰り出した連撃より、より洗練されていて、より素早く、より強く、より効率的に。そんな連撃が、綺麗に止められる。軍刀なんかよりよっぽど重いだろうMGを器用に振り回して、完璧に止められる。
まるで壁に打ち込んでいるみたいだ。このまま攻撃し続けても、時間いっぱい耐えられて終わりだろう。
じゃ、少し工夫しようか。
刃身がMGに防がれる。瞬間、軽い角度調整と力みの操作によって剣の腹に銃身を
「っ!」
そのままかち上げると、ちょうどヒナがバンザイをするように両腕を天に向ける形になった。
”バインド”、鍔迫り合いによって相手の動きを操る技。刃物のように単純な形ではなかったから、上手くいってよかった。
ともかく、これで胴ががら空きになった。
「これで───」
嫌な予感があった。けれど身体は既に動いていた。
「終わり!」
「いいえ、まだよ」
最高効率で打ち込んだはずだ。防御も回避も間に合わない、完璧なタイミングだったはずだ。
斬撃が止まる。
「マジ?」
それは私にはなくて、ヒナにあるもの。それは、角と並ぶゲヘナ生徒の象徴。それは、空崎ヒナの威厳を強調する身体的特徴の一つ。
悪魔のような、黒い翼。それが、まるで鎧のように、或いは小盾のように、軍刀を防いでいた。
待たれていたのだろう。胴へ打ち込むその瞬間を。
「そんな丈夫なんだそれ」
「言ってる場合?」
いつだって、絶好のチャンスは最大のピンチと裏表の関係にある。久々にそれを思い知らされた。
銃口が、額に向けられていた。
「
・・・ははっ、なにそれ。期待してくれんの?
使うつもりはなかったんだよ。やるつもりはなかったんだよ。でも、そんなキラーパス出されたらぁ、応えるしかないじゃんか。
じゃあ、見せてあげるよ。
私が武神に勝った力の一端を────
「そこまで!」
「なっ」
「え?」
ほへ?そこまで?なんで?そんな危ない状況だった?いや確かに傍から見たら詰みだし、ヒナもちょっとガチってたっぽいからこのまま撃たれたら怪我してたかもしれないけど。私なら避けれましたが〜?誤審だ誤審!撤回しろイオリィ!
「5分経過、タイムアップだ」
「延長お願いします」
「カラオケじゃないんだよ!」
まさか時間のほうが持たなかったか。分かっちゃいたけど5分って短いね。
「そもそも結果は引き分けとは言え、あなたあのままだと負けていたではないですか。いくらあなたでもあの距離では避けれないでしょう?」
と、妖怪ヨコチチが続ける。
「いや避けてたし」
「往生際が悪いですよ?」
「避けられてたわ」
「ヒナ委員長まで・・・!」
どうやらあっちも分かっていたらしい。いや、信じていてくれたのかな?どっちにしろ嬉しいねぇ。
「ともかく、今回は引き分け!分かった?」
「はーい」
不服だが、まあルールはルール。事前に、訓練の範疇でと釘を刺されていたし、認めないわけにはいかない。
けど、不完全燃焼なのは確かだ。
「またやろう、ヒナ」
軍刀を右手に持ち替えて、左手を差し出す。
「ええ、もちろん」
穏やかな、けれど好戦的な笑みを浮かべて、ヒナは握手に応えてくれた。
次は燃やし尽くす。この闘争欲求を満足するで。そのときまで、少しばかりの修行期間だ。
その前に、一つ大きなイベントがあるけども。
「さて、それじゃ行きますかね」
「珍しいね、何か用事?」
「うん、万魔殿に」
「エデン条約の調印式について、話があるってさ」