ネームドから逃げたら三冠がいるなんて聞いてない 作:アウラセイヴァー
だがレースに入るとは言っていない!
メサイアからの勝利祝いから数日。夜間まで続いたトレーニングの帰り、学園の練習コースのそばを通った自分は、そこに知った顔を見つけた。
「はっ、はぁっ……!! いかが、でしょうか……!?」
汗を垂らしながら、誰かに所感を求めているらしいその人物は、以前会ったばかりのウマ娘──エアメサイアだ。
トレーニングの会話中だろうか、と察した自分は声をかけるべきか立ち去るべきか迷ったものの、メサイアがこちらへ気づくと手を振ってきたので、そのままコースまで降りていくことにした。
彼女の傍らでパソコン片手に難しい顔をしている、もうひとりのウマ娘のことは一旦棚に上げ、友人に駆け寄る。
「こないだ振りですね」
「ええ、どうも。……そちらの方とトレーニング中ですか?」
メサイアへの返答がてら、そう口にすると、もうひとりのウマ娘へ視線を向ける。自分にとって未知の人物である彼女は制服姿をしていたので、肯定を求めるには的外れな問いだろうが、話題の誘導さえできればそれでよかった。
「いえ、この方には私の走りを見てもらっているだけで……あぁ、紹介しましょう。エアシャカールさんです」
目的通りにメサイアから切り出してくれたその名を受け、内心驚愕する。この間、彼女との外出の中で飛び出した名だったからだ。口約束こそしたばかりだが、こんなすぐに友人の旧知へ会うことになると思っていなかった自分は、努めて速やかに、かつ畏まった挨拶を組み立てた。
「これは……メサイアさんから話は伺っております。私はデュアルバインダーと申す者です」
まだパソコンのキーボードを弄っているらしいシャカールに向けそう名乗ると、反応として寄越されたのは視線のみだった。
ン、とやがて一音で済まされた彼女の挨拶のあと、改めてメサイアはシャカールとの会話を再開した。
「さて、どうでしょう? この走りが……桜花賞を制すに値するものであるのか」
問い直されたその言葉は、間近に迫ったトリプルティアラの第一関門を期したものだったらしい。
それを受けたタイミングで、キーボードを叩く手を止めたシャカールはこう答えた。
「……──入着、だな」
やや遠回しだが、それが否定を表す言葉であることは自分にも分かった。
「数値は悪くねェ。現時点で到達し得る限界を考えりゃ、よくやってる方だろ。だが、アイツらと比べちゃァな……」
「それは、クラフトさんたちのことを仰っているのでしょうか」
そうメサイアが問えば、心底つまらなそうに目を瞑ったシャカール。その沈黙が表すのは、肯定で間違いないだろう。
「ま、相手が悪かったな」
ぶっきらぼうにパソコンを閉じたシャカールは、そう溢すのみだった。
「そんな、もっとこう……ないんですか?」
「よいのです、アルバさん」
たまらず自分が食ってかかれば、他でもないメサイアに制される。
「先輩の計算で導き出された答えなら……きっとそうなのでしょうから」
不服としているようには見えない彼女の声を受けて押し黙ってしまう。でも、と続けようとして何も言葉が浮かばずにいると、シャカールは何やらため息をついていた。
「しっかし、こうも親子ともに『惜しい』とこどまりってのは珍しいもンだな。──さながら運命の呪い、ッてか?」
そう皮肉げにぼやく彼女に、言い過ぎではと感じた自分は今度こそ口を開こうとするが、それはまたしてもメサイアによって阻まれることになった。
「いえ、祝福です。あるいは救済」
唐突に否定を放った彼女に、シャカールともども目を丸くしていると、こう続けられた。
「自覚はあります。他者評価も。私は母にとてもよく似ています。生真面目さと堅実さが取り柄で──突き抜けたものは、持たない」
ゆえに、何らかの『特別』を持つ者にはあと一歩届かない──と自嘲したようなメサイアだったものの、だからこそ、と口にした彼女は果敢にもこう言い切った。
「ひどくよく似ているからこそ、私が、私だけが母の無念を晴らせる。……好都合だとさえ、思っています」
「……強情。つか愚直」
メサイアの決意へ、ため息とともに洩らしたシャカール。それも母譲りかと、と笑い返すメサイアへ、自分は苦笑していた。
「めげないのは相変わらずで……一体どこからそんな力が湧いてくるのです?」
「おや、貴方が与えてくださったのではないですか? ──
続けて問いかけてみれば、身に覚えのないことを口走るメサイア。己を指差してきょとんとするしかない自分だったが、発言を追及する前に、シャカールへ顔を向けていたメサイアに口を開かれてしまった。
「……失礼。一度水分を摂取して参ります。──シャカールさん。よろしければ、今しばらくお付き合いいただけますでしょうか?」
「………………あー、クソッ。その気があンなら、とっとと済ませるこったな」
承諾を意味するらしいシャカールの言葉へ、ありがとうございます、と頭を下げたメサイアは、コースの脇へ置いていたらしいボトルへ向け走っていった。
「……」
残された自分とシャカールの間に、沈黙が横たわる。気づけば手持ちのパソコンを開き直したらしいシャカールだったが、さすがに耐えられなかった自分はこう切り出した。
「……シャカールさんは、どうしてメサイアさんに親身になってくださるのです?」
そう無難にも関係を深掘ろうとしてみると、ギロリと鋭い眼光がこちらを射抜く。しかし、視線をウインドウへ戻しながらも彼女は、こう答えてくれた。
「アイツのデータを、プログラムに食わしてシミュレーションに役立てるため……ま、互いに利用し合う関係ってヤツだァな」
ぶっきらぼうに答えるシャカールだったが、彼女とメサイアの間柄は、言った通りのドライなものには見えなかった。
前にメサイアとの間でシャカールの話題が持ち上がったときの口振りからしても、それは明白とすら言えるだろう。
だが、そこを突っつく文句が思い浮かばなかった自分は、そうですか、と話を終わらせてしまった。
またしても沈黙が流れたものの、今度はシャカールの口から、それが破られることになる。
「……アルバっつったか、お前」
メサイアが呼ぶ自身の愛称を拾っていたのか、そう問いかけてくるシャカールに、ひとまず頷く。
「一応、お前のことはそれなりに知ってる。今年の世代にまつわるデータの一部として、これまでのレースをある程度コイツに食わしてっからな」
諜報力に感心しながらも、戦績を把握されていることへの恥ずかしさを感じてしまう。
ふとボトルを手に取っているメサイアへ視線を投げ、シャカールはこう続けた。
「けどよ……アイツと絡ンでるヤツは、ティアラを目指してるって連中ばっかだ。なンでお前は、
唐突に浴びせられたその質問に、自分は戸惑った。自分の中で漠然とさせてきた思いが、目の前に横たわったからだ。
「……もちろん、三冠が欲しいからです」
当たり障りなくそう返せば、シャカールは先ほどよりも鋭くこちらを睨んだ。
「バァカ、そうじゃねェだろ。家のため、夢のため……そンな青臭ェ理由のひとつやふたつくらいねェのかよ?」
それは、と怪訝そうに問いかけるシャカールへ言葉を詰まらせてしまう。
「いや、その、必要に迫られたワケではないので……」
「あァ?」
曖昧な答えを返すと、心底不機嫌そうな声色で洩らすシャカールへおののく。
「妙な言い方だな、自分で選ンだ道じゃねェのか?」
その言葉に、心臓が大きく脈を打つ。自分で選んだ道──それは嘘ではない。だが、
間もなくこちらの瞳を覗き込むようにした彼女へぎょっとしながらも、何も返せずにいた自分。すると、何かを見透かしたのか、シャカールはこう言い放った。
「さてはお前……よくわかンねェでテキトーに進ンでやがンな?」
──何も、言えなかった。バカにするな、と吠えるだけのプライドすら、自分にはない。
図星か、と言いたげに鼻を鳴らしたシャカールは、面白くなさそうにこう言う。
「ならやめとけ。あそこはシャレになンねェ連中の集まりだ……特に今年はな」
自分にとってはあまりにも痛烈な物言いに、力なく俯く。
「……確かに、私はメサイアさんのように、大義のもとで走ることはできない」
クラフト、シーザリオ、ハートらの姿も脳裏に浮かべながら、自らの心中を吐露した。
「だからといって、理由を求めずに走ることもできない……ええ。中途半端です、私は」
心のどこかで常に孕んできた矛盾へは、まだ折り合いをつけられていない。だが、それを足を止める言い訳にできる段階はとうに過ぎてしまっていた。
「でも……もう引き返していられないんです。選んだ道すら走りきれなくては、私は私でなくなってしまう……」
少なくともメサイアの前では溢せるはずのない言葉を、絶望のなか口走っていた。
そうかよ、と溢してキーボードを叩き出したシャカールへ、それ以上言葉は継げなかった。
(ケッ、コイツも筋金入りだな)
このままうずくまってしまうのではないか、と思うほどに縮こまって告げるアルバを前に、エアシャカールは先ほど自身がメサイアを評した言葉を思い返した。
(愚直かは知らねェが……平凡、そして強情ではあるンだろォな)
一見して弱々しくも、頼りなくもある言葉の裏に存在する『何か』を悟ったシャカールは、あり方こそ正反対ながらもメサイアとアルバを重ね合わせてしまう。
(ある意味で同類かよ、やりづれェ)
──意地になって道を曲げずに、曲げられずにいるところが、特に。
内心で呟くとため息を吐き、シャカールはパソコンのウインドウへ視線を戻した。
(らしくねェな、やり方に口出すのはコイツのトレーナーの仕事だろ。オレが面倒見る義理はねェってのに)
柄にもなく熱くなってしまった自分を顧みながら、シャカールはキーボードを叩く手を早める。
「……失礼、ただいま、帰参いたしました」
そのとき、ちょうど水分補給から戻ってきたメサイアが、こちらへ恭しく頭を下げていた。
「あの……おふたりで何かお話を?」
友人の沈み具合を見たからだろうか、そう問いかけるメサイアに頭を掻いたが、幸いにもアルバがかわす言葉を吐いてくれた。
「いえ……薫陶をひとつ、先輩から」
そこそこに脅したと思っていたが、不和を嫌ったのかそうごまかした彼女は、先ほどの落ち込みようをおくびにも出さず、にこやかに顔を上げていた。
そんなアルバに安心したのだろうか、メサイアも笑みを返している。すると、少し間をおいて真剣な表情を作った彼女は、こう申し出ていた。
「あの、不躾なお願いかもしれませんが……アルバさん、私と模擬レースをしていただけませんか?」
言い切るとこちらへ一瞬視線をやったメサイアは、どうやらこの併走の記録を桜花賞へ向けた何らかの材料にしてほしがっているようだ。
「それは……クラフトさんや、ハートさんに向けて試したいものがあるからですか?」
わずかに動揺が窺えるアルバの言葉は、メサイアの目的を試運転と捉えたためのものだろう。
挙げられた名はそれを裏付けるように──ティアラ路線の有力者の中でも、アルバと同じく先行策を用いるウマ娘たちだ。
いや、と問いかけをまず否定したメサイアは、彼女にとってはかなり重たいのだろう一瞬のあと、極めてシンプルにこう告げた。
「貴方と──勝負がしたい」
その言葉を受けたアルバは、明確に困惑を見せていた。先ほどの自分との問答を経たからだろう、参ったといわんばかりに頭を掻いている。
(……しゃーねェ)
焚きつけるのは得意でも好みでもないが、このまま陰気臭い顔で断って帰られるのは寝覚めが悪い。
「引き返してられねェンじゃねェのか?」
そうアルバの肩へ手を置けば、彼女はひどく驚いた表情でこちらを見やる。そしていくらか目を泳がせると、その気になったらしいアルバはメサイアをいま一度見据えた。
「……では、一回だけ。それ以上は、自主トレーニングと言い訳できなくなるので」
十分です、と承諾の言葉に頷くメサイア。間もなく彼女がこちらへ頭を下げていたことへは、努めて意に介していないふりをした。
おのずとスタートラインが見えているかのように横一列になったふたりを見て、シャカールはパソコンの自作プログラム『Parcae』を起こすと、先ほどメサイアへしたように分析の用意を整える。
(果たして、コイツは
アルバへ視点をフォーカスすると、かつてシャカールがトゥインクル・シリーズを駆けたとき、一度だけ相対したその名を唐突にも思い起こす。
──いかにも凡人然とした振る舞いに似合わず、クラシック最後の冠たる『菊花賞』どころか、グランプリ含むGIを3つも収めた異才のウマ娘。
その時々で巡ってきたチャンスをモノにしてきた彼女は、バックボーンに特別な何かは持たないらしいアルバが真にタイトルを欲するのであれば、辿るべき蹄跡としてもってこいの存在だ。
(──いや、こればっかしは
だが、それを望むことすら許されないかもしれない無情な事実を知っていたシャカールは、そう首を振った。
『shocked』と題した──あるウマ娘のデータを前に。
「ハイ、ママ? ──待って、当てさせて。"桜花賞、絶対勝ちなさい! "それがメッセージでしょ?」
夕暮れ時の校舎裏で、家族と通話に興じるデアリングハート。
「え、プラス"楽しんできなさい"? アハッ、もちろんよ!」
付け加えられた母からの言葉に笑みを溢しつつも、間もなく通話を打ち切ったハートは、顔つきを至極鋭いものへ変えると、練習コースへ向け歩き出した。
『ゴールイン!! わずかな、わずかな差で1着はラインクラフト! ラインクラフト、『フィリーズレビュー』を制しました!!』
それは、未だ脳裏に木霊して離れてくれない前走のアナウンス。何度夢に見ただろうか、アタマ差で敗れたあの日の記憶は。
「あのとき届かなかった後悔、無念は、噛みしめるだけ噛みしめて──」
過ぎ去った時に『たられば』は存在してくれない。ならば、膨れ上がる感情すべてを──エネルギーとして炉に焚べてやるのみだ。
「私がもらうわよ、最初のティアラ……『桜花賞』は!」
「クラフト。そろそろお風呂に行かないと、夜更かし一直線になっちゃうよ?」
バスグッズを片手に、同室に呼びかけるシーザリオ。
もうちょっと、とタブレットを片手に粘る相手──ラインクラフトの視線にあったのは、かつて『桜花賞』を駆けたティアラウマ娘たちの姿だ。
「もう、次は私たちが走る番なのに」
呆れるような口振りだったが、シーザリオの表情はひどくにこやかだった。
「──たとえそうでも、わたしにとって憧れなのは変わらないよ!」
そう言って視線を上げシーザリオを捉えたクラフトは、ひしひしとティアラへの想いを滾らせていた。この話題になればいつもそうだ。
「メジロラモーヌさんや、ニシノフラワーさん──それに、スティルインラブさん。どの先輩の『桜花賞』もそれぞれとっても美しくって……すごいんだよなぁ」
感慨深げに洩らすクラフトの姿は、旧知同士のシーザリオにとっては毎日のように目にするものだ。ならば、次に親友がどんな言葉を紡ぐのかも、シーザリオは知っていた。
「やっぱりわたしも、なりたい。あんなふうに、誰かの中に残るくらいのウマ娘に……」
「うん。残して、繋いで、誰かの未来に──」
そこまで言うと互いに失笑を漏らしたふたりの脳裏に、いまとまったく同じことを語らった日の記憶が駆け巡る。
それでも享受する感覚が衰えてくれないのは、よく似た夢を抱える者同士の熱、というものなのだろう。
「本番の行き道にも、こんな話をしていたりして」
ふとそう溢したシーザリオへ、クラフトは心底楽しそうな笑い声を上げるのだった。
幾重もの想いと願いが交錯するクラシックの舞台。第一幕が誰の手に制されるのか、それはまだ誰も知らない。
読了ありがとうございます。
ここからが本編なのですが、多忙につき次の投稿はいつになるやら……。
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