ネームドから逃げたら三冠がいるなんて聞いてない   作:アウラセイヴァー

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アドマイヤグルーヴ、略称の正解は『アルヴ』でした。

なんか微妙にうちの子と被る……。


弱さは強さか?

 ストリームライン、というプールトレーニングがある。いわゆる『けのび』と呼ばれる運動で、壁を蹴った勢いのみで水中を進むというものである。ノーブレスで行うことから、競走ウマ娘たちにとっては長い距離を走るための心肺機能の強化によく用いられる手法として知られる。

 

「スタート、用意」

 

 プールサイドに立つトレーナーの声が聞こえた。既に首から下を水へ浸けていた自分は、手を前で重ねるように組み、息を大きく吸い込んだ。

 

「……始め!」

 

 その声とともに、組んだ腕の間へ頭をしまうように伏せ、両足で壁を蹴った。

 

 あとは何をするワケでもなく、直進していく肉体を水が撫でる感覚を味わうだけだ。

 体全体を水面へ平行にして抵抗を減らす都合上、身じろぎはブレーキに直結する。

 

 見えてもさほど意味がないために瞼を閉じた自分の視界は、見事なまでに黒一色だった。

 

 ──自分はいま、何をしているのだろう? 

 

 ふと、胸の内にそんな疑問が湧く。やることもないので、そのまま自身と対話し始める。

 

 ──スタミナをつけるためだろうか、どんどん長くなる距離に対応しようと。あれ? どうしてそんなことが必要なんだ? ……そうだ、ダービーに出るためだ。どうして出るんだ? ……ああ、成果もないままこの道を諦められないからだ。どうして諦められない? ……いや、諦めたくないワケではない。だがそれをすれば、本当に自分は惨めなままで終わるからだ。惨めなまま? いったい、どうして──。

 

 その疑問に行き当たった途端、自動的に悪夢のような過去が呼び醒まされる。

 

 ──さあゲートが開いた!──

 

 三冠の第一関門たる中山レース場。走者たちを解放したスターティングゲート。どよめくスタンド。駆け引きひしめくコーナー。襲いかかる後続。鳴り止まぬ足音、歓声、衝撃。

 

 ──ここが! ドリップの! 晴れ舞台となるか!──

 

 外から迫る、オーラを纏いし1番人気。

 

 ──うわああああああっっっ!!──

 

 脅威から逃れようと、無様にも叫ぶ自分。

 

 ──早くも! ドリップショックトが先頭に立っている!──

 

 こちらへ対してあまりにも無関心に蹂躙していく1番人気。

 胸が締まり、止めているはずの息が詰まる。

 

 ──だが一気に突き放すか、先頭はドリップショックトォォッッ!!──

 

 いよいよ敗北を突きつけられるその瞬間に、息を飲む──だが自分は、現在の状況下に吸い込む空気などないことを、今の今まで失念していた。

 

「──うぶ……ガブォッ!?」

 

 反動で飛び出していくように息を吐いてしまい、すべての均衡が崩れ、慌てふためいて頭部を浮上させる。

 水分を帯び眉間に張り付く前髪を強引にかき上げて間もなく、しばらく咽せ込む羽目になってしまった。

 

「大丈夫か!?」

 

 慌てて叫ぶトレーナーへ無事を伝えようとして、喉からせり上がる咳に阻まれる。

 

 待ってろ、と彼が走り去ってすぐにビート板が投げ込まれる。それなしでも歩けないほどではなかったが、おとなしく掴まり、プールサイド付近まで歩く。そこまでのレーンが無人だったのは幸いだった。

 

「どうしたんだ、急に溺れかけたみたいだったが……」

 

「……失礼、最初に息を……吸いきれていませんでしたかね」

 

 安全が確保されるや否や問いかけてくるトレーナーへ、咳をこらえて下手な嘘を返す。

 

 それを見透かしたのかは分からなかったが、彼は少し思案するようにした後、「今日は切り上げよう」と口にした。

 

「そんな、まだウォーミングアップしてすぐなのに──」

 

「──それでもだ。今のを見るに、あまりいいコンディションじゃないんだろう?」

 

 ぐ、と図星を突かれ詰まると同時に咽せ込む。そして続行不能という判断を覆すだけの言葉を思いつけなかった自分は、渋々頷いた。

 

「あとのことは任せてくれ、とりあえず着替えておいで」

 

 管理担当に連絡するためか、スマートフォンを取り出したトレーナーは、そう更衣室へ行くよう促した。ゆっくりとプールから這い上がると、自分はトボトボと歩き出す。トレーニング中の他の生徒たちの視線が刺さるのを感じて気まずかった。

 

「ごめんな、俺が……」

 

 更衣室へ向かう後ろで、そう詫びるトレーナーの声が聞こえた気がした。いたたまれず、足を止めず無言で進んでいくことで聞こえないフリをする。

 

 肌に張り付く水着が、このときはやけに心地悪く感じた。

 

「──Hmm、穏やかじゃないみたいね。アルバ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

『──クラフトが勝ったと思ったんですけど……ゴールに入ってから5番の子を担当してた先輩が来て、「あのウマ娘(シーザリオ)スゲェぞ、あの位置から飛んできて負けたら仕方ねえ」って言われて「あれぇ!?」って思って!』

 

 テレビから笑い声が沸き、まどろんでいた意識を叩き起こされた。何か面白いシーンでもやっていたのだろうか。

 顔を向けこそすれど、焦点はそこに結んでいなかった液晶を改めて見やると、桜花賞の前に見た人間の顔が映っていた。クラフトとシーザリオを率いるトレーナーだ。隣にはメサイアにとっての彼もおり、どうやらこの番組ではそのふたりを招いて今年の桜花賞を振り返っているようだった。

 

 ──なんだか退屈な休日になっちゃったな。

 

 学業から解放されるこの日曜、起床するや否や今のチャンネルを点けてから何をしていたのかはあまり思い出せないが、少なくともベッドに転がってテレビをぼーっと見ている現在の自分は、皐月賞以前より冴えない朝を送っていることは間違いなかった。

 

(ああ、そういえばもうすぐゴールデンウィークだったな。実家帰るか決めとかないと……なんか仕送り要るものあったっけな)

 

 いま目に映しているのはレース番組のはずなのだが、来月のダービーへ思いを馳せるでもなく考えが逸れていくあたり、自分は腑抜けてしまったのかもしれない。

 

 もう少し、スムーズに行くものだと思っていた。あのときまで自分は、大崩れすることなく走ってこれていたはずだ。初勝利を回数をかけずにもぎ取れたし、そこからGI含め、順調にステップアップを重ねていたに違いなかった。三冠すべてと言わずとも、いずれかひとつは獲れるだけの道のりを歩めていると信じていたのだ。

 

 ──いや、今までがうまくいき過ぎていただけなのかもしれない。よくよく考えれば、GIに出ることも、そこで敗北を喫せることも、世間一般には名誉に映るはずだ。

 

 もともと流されるままにやってきたものだったし、一張羅を纏ってレースに出られた地点で、きっかけだった母への義理も果たせたと言えなくもない。

 

「……終わらせるべきなのかな、もう」

 

 壁のコルクボードに貼られている、今年の頭に書いた『三冠』の二文字を見やりながら、何気なく、漠然と呟く。尤も、取り立ててそうできるだけの理由はないのだが。

 特に致命的な故障を起こしたワケでもない自分が、辞めると言い出してどうなるのか。並べるべきトレーナーへの言い訳など、とても思いつかない。それに、目立つ戦績を残せずレースを退くウマ娘は、この学園から去ってしまうとも聞く。前の肉体よりはるかに健啖家となった今のそれに合わせてくれる現在の環境を、そう簡単に手放す選択肢は採れなかった。

 

「どうしたらいいんだよ……」

 

 そう自分は天井を仰いだ。

 わかっている。退く選択ができない地点で、今の道を歩んでいくしかないことは。相手が気に入らないからといって、メサイアらが待つティアラの道に行くような蝙蝠にもなれない。なら、たとえゼロに等しい可能性しかなくとも、走っていくしかないのだ。

 

 はぁ、とため息を吐いた自分は、興味をそそられなくなったテレビの電源を落とした。そして少しぼうっとしていると、そのタイミングを待っていたかのように、スマートフォンが通知を表す振動を伝えた。

 

 端末を手に取ってそのまま通知の送付元を探れば、ハートからのメッセージであると察せられた。

 

 要約すれば、今日の自主トレーニングに付き合ってもらえないか、という打診だ。

 

 音のすべてに濁音を打っているかのような吐息を漏らしたのち、自分はこう決断した。

 

「……行くか」

 

 そう言ってメッセージアプリに了承の返事を組み立て始める。

 プールでの一件から、トレーナーから下されるトレーニングはかなり軽いものになっていたものの、それも徐々に強度を取り戻しつつあったし、今こうしてダラつける程度には精神も安定してきたからだ。

 

 それに、いま物語の最前線を駆ける彼女と鍛錬を共にできれば、自分も何か変われるのかもしれない──そう理由づけるのは打算的に過ぎるだろうか。

 

 間もなく書き上げたメッセージを送信しようとしたところで、端末が再び震える。

 

「ん? ……ってメサイアも?」

 

 一瞬ハートからの追記かと疑ったが、別の友人からの誘いだと気づいて仰天する。

 

 突然二択を迫られるこの状況に困り果てたものの、こんなとき自分が採る手はひとつだ。

 

「合同ってことで……呑んじゃくれないかなぁ」

 

 どちらも選ぶが、選ばない。

 すぐさまハートに送る返事を修正し、3人で集まれないかと持ちかけることにした。

 

 ──ええ。中途半端です、私は──

 

 以前、自嘲気味にシャカールへ口走った言葉が、ふと脳裏へよぎる。

 

 まだブルーな感情が抜けていないらしい自分は、しばし力なく端末を握る腕を垂らしていた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ここからはしばらく急勾配の上り坂です」

 

 縦1列になってアスファルトを蹴る3人分の足音が響く中、前で先導するメサイアからそう呼びかけられる。

 

(こんな峠を……あとふたつも越えるのか)

 

 スパート時のスピードには及ばないまでも、既に数kmを走っている自分たちにとっては骨のある坂になるだろう。

 

 息を入れながらそこへ差し掛かって間もなく、すぐ後ろにいたハートが呟いた。

 

「悪いわね。ふたりのクロスカントリーに、私も一緒にさせてもらっちゃって」

 

「いえ、私もハートさんのトレーニングに興味がありましたので」

 

 前後から聞こえる謝辞の応酬。続いて、この状況の首謀者である自分も口を開く。

 

「謝らなければならないとしたら自分の方です。どちらにもわがままを聞いてもらってますから」

 

 そう言うと、ハートは後ろから愉快そうな笑い声を飛ばした。

 

「そうよね。にしてもメサイア、同時にメッセージを……ってそれ、なんてsynchronicity?」

 

「こちらも驚いていますよ。可否の返事代わりに合同を……と持ちかけられたものですから」

 

 にこやかに今朝のやり取りを回顧するふたりの会話へ苦笑で混ざりながら、今後のスケジューリングを思い返す。

 メサイア主導のクロスカントリーの流れで、ハートの行う山地でのトレーニングが待っているという形だ──それによって前者で越える峠がひとつ増えているらしいが──。

 

 すると、気を引き締め直したのだろうメサイアからこんな声が届いた。

 

「……少し集中しましょうか。いま一度ケイデンスの意識を。坂で加速力を上げる感覚を掴めるように」

 

 そう脚の回転数について言及する彼女へ、沈黙という名の同意を示す。

 

(高低差は……どれぐらいだ? ま、いいかそんなこと)

 

 さすがに府中の坂はここまで高くないだろうが、とも苦笑しながら、自分たちは頂上までその脚を進めた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「フッ、ホッ、ハァッ!」

 

 川のせせらぎが響く中、その水面へ浮かぶように存在する岩を飛び越えていく。やや開けた向こう岸にまで到達すると、先導役を代わっていち早く踏破していたハートが、Great、と拍手を送ってくれた。

 

「思ったより楽々、って感じね。クロスカントリー後だからって気を遣いすぎちゃったかしら?」

 

「え、まだ上が……?」

 

 挑発的に笑むハートへ、やや早まった吐息混じりに困惑を返す。そのとき、同じく川越えを果たしたメサイアがこちらへ歩いてきた。

 

「これが自然を活かしたトレーニング法……お見それしました、ハートさん」

 

「Thanks! 今までの舗装された道とはちょっと違うでしょ? 不安定な足場、jump必須な大きな石……ホントexcitingな場所なのよ!」

 

 メサイアの賞賛へ明るく返したハートは間もなく、ちょっと休憩、と言って手近な岩へ腰掛けた。

 自分とメサイアも倣って、ハートを挟む形で座り込む。

 

 それから少しして、自分は右のふたりへ首を回した。伸びをするなり、瞑想するなりと違った振る舞いを見せる彼女たちは、どちらも凛とした雰囲気を漂わせている。

 

(やっぱり、自分とは……違う)

 

 やや伏し目がちになった自分は、そう劣等感のような何かを心中で滞らせた。

 クラシックの最初の一冠を落とした身であることは同じであるはずなのに、ふたりの根底にある情熱の一切は衰えていないように見える。

 

 そんな考えを見透かされたのだろうか、隣のハートがこちらを向くなり声を投げてくる。

 

「どうしたの、随分暗い顔して」

 

 そう問われるなり顔を持ち上げた自分は、返答をすぐに組み立てることができなかった。続いて視線を寄越してきたメサイアも目に映しながら、やがてこう溢した。

 

「いえ……自分なんかとは……大違いだと」

 

「What? いきなり何よ?」

 

 目を瞠るハートと、その向こうのメサイアの表情を見やりながら、自分はぽつぽつと続けた。

 

「私は……皐月賞で負けた」

 

 それはあまりに唐突で、あまりに陳腐な切り出しだった。そこからまったく時間を置くことなく、次々と言葉が飛び出していった。

 

「ただ負けただけじゃなくて……一生かけても、何を差し出しても、天地がひっくり返っても勝てない、そんな走りを見せられたんです」

 

 己でも恐ろしいくらいに舌が回ってくれたが、自分にそうさせているのはおそらく恐怖という感情だ。もし一瞬でも間を空けようものなら、悪夢のような記憶に苛まれ、二度と言葉を放てなくなる──それを無意識に感じ取っていたのだと思う。

 

「ダービーでもきっと、あのウマ娘と戦わないといけない……また悔しくて、惨めな思いをしないといけないかもしれない……そう考えると怖くて、最近までまともにトレーニングも出来なかった。でも、あなたたちはどうだ」

 

 すると、画面越しに見た桜花賞や、その後の祝勝会──そして今に至るまでのメサイアたちとの記憶が脳内に再生されていく。

 

「自分を倒したクラフトさんとまた戦うことを恐れてもない、むしろ今より前に進もうって意志も何もかもを持っている。……臆病な自分とは、大違いですよ……」

 

 ここで、自分の喉からは何も吐き出されなくなった。その瞬間、まるで避けられていたかのように浮かんでこなかった皐月賞の記憶が顔を覗かせてきた。

 

「フフッ、変な言い方ね。まるで私たちがクラフトに負けたこと、悔しがってないとでも思ってるみたい」

 

 ──だが、それはハートの手で一度打ち切られることになる。

 

 え、と首を持ち上げたこちらへ、彼女はいつもしているように挑戦的な笑みで続ける。

 

「怖いわよ。あの子に負ける自分を想像するなんて。そういう意味では、私も臆病なウマ娘なのかしら」

 

 そんな──。まさかと思い、そう自分は洩らした。果敢を絵に描いたような彼女が、こんなことをのたまうのが信じられなかったからだ。……いや、ハートも本気で言ったワケではないのだろう。自惚れではないのであれば、己を慰めるために──そう考え込んでいると、ハートはしばらく言葉を探すようにしたあと、こう問いかけてきた。

 

「いい熊犬の条件って知ってる?」

 

 そう指でタクトを振るようにしながら口にした彼女へポカンとしたあと、そも熊犬とはなんぞや、と訊き返してみると、懇切丁寧に教えてくれた。

 親しい子から聞いたんだけど、と前置いて言うことには、熊の狩猟の補助に使われる犬種全般を指すのだという。

 そうして前提を受け取ると、いよいよ質問に答えることになった自分はこう発した。

 

「……出会った熊にすぐ向かっていける勇敢さ……でしょうか?」

 

「Hmm……That is wrong! ってところかしら」

 

 そう不正解を示すハートは間もなく、むしろその逆──臆病であることなのだ、と答えた。

 

「臆病な犬は熊の強さを知っている……だから、主人が来るまで遠巻きに吠え続けて相手の動きを封じ、猟を成功させる。対して恐れを知らない勇敢な犬は、熊に襲いかかって返り討ちに遭う」

 

 対極的な二匹に例えて解説するようにした彼女だったが、この質問を投げてきた意図は結局分からなかった。

 

「……何を仰りたいのです?」

 

「そういう考え方もあるってこと。私にはあんまりツボな話じゃなかったけどね」

 

 堪らず問えばそう言いのけたハート。何が何やら、もう分からない。

 

「……失礼を。ハートさんは、こうおっしゃりたいのだと思います」

 

 すると、今まで黙っていたメサイアがそう口を挟んできた。

 

「強力なライバルに立ち向かうにあたって必要なのは、敗北の恐怖へ鈍感になるということではない……と」

 

 はぁ、と彼女の解釈を聞いて、間抜けな声が飛び出てしまう。

 

「どんな想いでも……正も負も問わず、それは力になり得るというもの。相手の強さを知った貴方だからこそ、打てる手はあるはずです。……そうですよね? ハートさん」

 

「……ええ。そんなところかしら」

 

 問いを振られてはにかむように言うハートへ、そうですか、と自分も洩らした。

 

 そうしてまた考え込もうとしたところで、唐突にハートから肩あたりをはたかれる。

 

「痛、ちょ、何して──」

 

「あんまり下向かないで! 悔しがってばかりじゃ、頑張りきれないわよ?」

 

 そう続けられたことで、ようやく何かがカチリとはまる感覚がした。

 

「ごめんなさい、気、遣わせました」

 

 たどたどしく告げたあと、自嘲するように笑う。

 

「そうですよね、歩いていくしかないんですよ……苦しいこともバネにして、全部」

 

 それを彼女たちに教えられるとは、と内心苦笑しつつも、自分は前方のどこでもない場所を見つめた。

 

(……もう、これ以上失敗してどうする)

 

 内心でそう呟いて、自分自身とある決め事をした。

 

「メサイアさん、ハートさん。お願いがあります」

 

 思えば、こうして自分から彼女たちに頼み事をするのは初めてかもしれない。様々な負い目から、今の今までためらってきたことだった。

 

「ダービー、オークスのどちらも、条件は同じ……ならきっと、どちらに譲歩するでもない関係を築けると思うんです」

 

 そう前置くと、破裂しそうな心臓の鼓動のなかで締めを組み立てる。

 

 ──聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、という格言がある。この申し出とは若干本質が異なるだろうが、その言葉が自分を突き動かしていた。

 

 そうだ、一時の恥を気にするには、もう自分は恥を重ね過ぎている。

 

「ダービー……いや、オークスの日までで構いません。私の……トレーニング相手になってもらえませんか」

 

 なら、いまこのときくらい、恥知らずにでもなってやろう。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……では、私はこれにて」

 

 寮に入ってからややあって、自室の前でそう口にするアルバ。

 

 彼女はハート、メサイアがそれぞれ応えるなり、扉の向こうへ消えていった。

 

「あー、遠回しな話はするものじゃないわね」

 

 パタリ、とアルバとの間を板一枚で隔たれるや否や、そう伸びをしながら呟くハートの声が通路に響いた。

 

「遠回し……とは?」

 

「アルバにした話とか……いろいろよ。あの子、随分落ち込んでたみたいだったし」

 

 隣から飛ぶメサイアの問いに、ハートは間を置かず返す。

 

「というか、あなたも目的は同じだと思ってたんだけど?」

 

「それは……そうですが。少し私を買い被っていますね」

 

 そう肩を竦めるようにしたメサイアは、皐月賞以降のアルバとの接触はメッセージで数度やり取りした程度だったのだという。

 

「アルバさんがああも追い詰められているほどとは……それほどまでに、あのレースの勝者は凄まじかったのでしょうか」

 

 眉をしかめる彼女が悔いているのは、友人の変化を見抜ききれなかった自分に対してか、友人を下した衝撃のほどを測り損ねていた自分に対してか。

 

「Hmm……凄まじいってのは同意。もしかしたら、クラフト以上の相手と戦ってるのかも? あの子」

 

 対となる道の覇者を引き合いに出すハートへ、メサイアは何も応えなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 唐突に机へ微震を伝えるスマートフォン。独りでに画面が灯ったそれに表示されていたのは、メッセージアプリからの通知だった。

 

「あら、あの子からじゃない」

 

 やや驚いて、という風に女性は端末を手に取る。

 件のメッセージの送信元は、この女性にとっての一人娘──デュアルバインダーだった。

 

「来月は帰ってこれないのね、残念」

 

 ざっと読み上げれば、ゴールデンウィークの予定について断ったものであると知り、伸びをするようにした女性。

 だが、間もなく追って送られた新たなメッセージへ目を通すと、心底微笑ましいといった調子で口角を上げた。

 

 ──ダービーに向けてやることができました。友達と一緒に──

 

 理由なのだろうその一文に、苦笑にも似た声をまず漏らす。

 

「思ったより心配なさげ? あの子ったら」

 

 肩透かしを喰らったようにそう口走った。皐月賞が終わって間もなく聞いた彼女の声はどうにも薄暗げだった覚えがあるのに、文面からそんな雰囲気は見られなかったからだ。

 

「やっぱり、強い子……ん?」

 

 漠然と洩らして間もなく、三たびメッセージが届く。

 

 

 

 ──仕送り希望:勇気──

 

 

 

 娘にしては珍しく飾られたそれを見るや否や、この空間は絶笑に支配された。

 

 画面上ではすぐに「今のは冗談」だと取り繕われていたのだが、そのメッセージはしばらく目に入ってくれなかった。




長い!回収することが多い!

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