ネームドから逃げたら三冠がいるなんて聞いてない 作:アウラセイヴァー
「やってくれましたねクラフトさん……!」
そう怒りと呼ぶのが最も近い感情を滲ませながら、彼女はチーム<アスケラ>の部室へ押し入ってきた。
「あ、アルバさ──」
「──どういうことです、NHKマイルカップに出てくるなんて」
困惑げに出迎えようとする前に、クラフトはそうアルバに詰め寄られた。
「オークスはどうしたんですか? この間走ったのはその予行演習だったのでしょう? ならなぜ……なぜですか!?」
「お、おお落ち着いてっ!」
「──冷静になれ、アルバ!」
もの凄い剣幕で言い募る彼女に気圧されながらもクラフトがなだめんとしていると、オンになったシーザリオが割って入ってくれた。
一瞬身体を強張らせるようにしたあと、しばらく荒い呼吸を続けていたアルバだったが、いくらか理性的な表情になると「すみません」と消え入るような声色で詫びた。
彼女とともに落ち着きを取り戻すにあたって、クラフトはこの状況のイレギュラーぶりへ気づき始めていた。こうして激情に染まったアルバの顔を見るのは初めてだったからだ。
「……記事を見たんです。あなたが次走を変えたって」
先ほどとは打って変わって虚しげに口にする彼女は、少し言葉をためらうようにしたあと、こう続けた。
「オークスは諦めた、とも」
その言葉から、何を返すべきかをクラフトは迷う。件の記事でどう報じられたかは知らないが、自身にとってあまり正確な物言いではない。
「……私が、あんなことを言ったからですか?」
そう問いかけられて、先日の模擬レースの件がクラフトの頭をよぎった。
──オークスほど……長くは走れないんでしょう? 己の脚に身を焼かれるから──
それは2400mをアルバと走ったあのとき、確かに放たれたセリフだ。ここまで言われて、彼女が自身の夢を歪めてしまったと心配しているのではないか、とクラフトは察することができた。
「……違うよ」
努めて穏やかに否定を伝えるも、アルバの表情は晴れなかった。ならば、とあの日トレーナーに諭されたことを思い返しながらこう続けた。
「あのあとシーザリオとも走って、それから決めたの。わたしだけが、わたしだからこそ走ることのできる、唯一の道……それを選んだだけなんだ」
「……オークスを、3つのティアラを争うことは、あなたが言う
答えを告げれば、再び問うてくるアルバ。頷く代わりに、クラフトも再び口を開いた。
「トリプルティアラの夢を諦めるのは、ちょっと残念だけどね」
「……解せませんね。夢のためなら適性の壁ぐらい超えてみせる、それがあなただと思っていましたよ」
クラフトの言葉へ、アルバが挑発するような、未練がましいような声色で被せる。
おい、とシーザリオが諌めようとしていたが、それは他でもないクラフトによって制されていた。
「……アルバさんの言ってること、考えなかったワケじゃない。ずっと前からの夢だったから」
だからあのときあなたに挑んだんだ、と内心で付け加えながら、彼女は応える。
「簡単に決めたんじゃないよ、それに──」
そう続けたクラフトの脳裏には、あるウマ娘の言葉がよぎっていた。
──アンタはマネっこでいいのね。それって、なーんか……つまんないわ──
以前、クラフトにそう告げたのは、見る者すべてに『レースの魔法』をかけるティアラの先達・スイープトウショウ。「ティアラ路線を鮮烈に駆けた彼女たちのように」と願いながら、その背を漠然と追いかけるのみだった自分に気付かされたその言葉を、忘れることはできない。
「──言ったじゃない? わたしだけの道を進んでみたい、って」
言い切って初めて、アルバの目が見開かれた。
「それに……私はこれからも、ティアラのウマ娘であり続けるから! オークス……は厳しいかもだけど、秋華賞はまだ考え中だし!」
「……そうですか、ふふっ」
クラフトの言葉を聞くと、視線を彼女のもとから逸らしわずかに笑んだアルバ。
「そしてゆくゆくは変則三冠……と。なるほど、確かにあなたらしい」
納得したのかそう溢したアルバは、クラフトへ向け頭を下げるとこう吐露した。
「大変失礼しました。あなたがティアラの道を辞めてしまうんじゃないかと思って……」
「ううん、こっちこそ伝えてなくてごめんね」
誤解が解けたことに安堵しつつクラフトが返してからしばらく、沈黙が流れていたが、それはアルバの更なる吐露によって破られることになる。
「怖かった……のかもしれません。あなたが、ゆくゆくはこっちに来てしまうんじゃないかって」
それは彼女が歩む道、クラシック三冠に触れながら溢された言葉だ。流石に気にしすぎだろう、とクラフトが慌ててすぐに、調子をオフに戻したシーザリオが笑ってこう口にした。
「それこそ、まさかというものじゃないですか? クラシック三冠にマイルのレースはありませんし……何より次のダービーは、オークスと距離が変わらないんですよ?」
片手落ちが過ぎる、とやんわり示唆する彼女に、アルバは肩を竦めているようだった。
「そうだよっ! わたしがこの道を違えることはぜっったいないから!」
「ええ……私もそれを望んでいます」
やや目を伏せるようにしてクラフトの言葉に対しそう応えたアルバは、このあとしばらく話すと部屋を去っていった。
「すごい剣幕だったね、アルバさん」
部屋を出ていった客人をそう回顧するシーザリオに頷きながら、クラフトは先ほどまでのやり取りを思い起こす。
「……どうしたんだろう」
半ば呆然と洩らすクラフトの脳裏にあったのは、アルバへの疑問だった。
先ほど顧みた通り、彼女は普段穏やかなウマ娘だ。波風を立てる物言いはせず、ただ楽しいと思ったときに笑う彼女へ好感を持っていたのは自分のみでないはずだ。
「裏切られた、と思ったのかも?」
シーザリオが放ったそれは、呟きか返答か。そのどちらだったかは声色から読み取れないが、ありえないと思ったのか、彼女はすぐさま取り消すように首を振っていた。
しかし、そう考えれば納得がいくことも多いと思ったクラフトは、内心でその言葉を反芻していた。
先ほどより激情的ではなかったが、アルバがクラフトたちへ背く物言いをしたこと自体は初めてではない。
──自分は……クラシック三冠の方を目指すんです、なのでそちらには行けません──
それはかつて、シーザリオたち4人とティアラへの夢を語らっていたとき、アルバが突きつけてきた言葉だ。
先述の通り平穏を重んじる──特に自分たちといるときは顕著だったとクラフトは思っている──彼女にとって、あのタイミングで別離を示すのはよほど苦痛を伴う行為だったに違いない。にも関わらず口にしたのは、夢だという三冠の道を偽って歩む方が苦痛だったからだろう。
──アルバにとっては、その決意を蔑ろにするものとして、今の選択は映ったのかもしれない。
(さっき言った通り、そんな簡単に決めたものじゃない……けど、それを証明できるのは言葉じゃないよね)
桜花賞を獲りながらオークスへ向かわない選択肢を採った者は、自分の他にクラフトは知らない。だからこそ、その決断の価値を他でもない自分が示す責任というのは、考えているより何倍も──語り尽くせない程度には重いと彼女は思っている。
「何にせよ……わたしがすべきことは変わらないよ。『世代最速』の座、ぜっったい掴んでみせるから!」
そう力強く宣言すれば、嬉しそうに微笑む親友の姿がクラフトの目に入った。するとそのタイミングで、入室してきたトレーナーたちの気配を感じ取った彼女は、出迎えようと扉のもとへ駆け出してゆく。
(でも……なんだろう、この違和感)
だが内心で引っかかるのは、何かを見落としているような、そんな感覚だった。
──怖かった……のかもしれません。あなたが、ゆくゆくはこっちに来てしまうんじゃないかって──
先ほどアルバが溢していたそのセリフが、前述の違和感をもたらしているのだと思う。
そこへ最初に応えたシーザリオは、アルバの言葉を冗談と捉えているようだったし、クラフトもそう思っていた。
だが、本当にアルバは、ただ嘘偽りを口にしたに過ぎないのだろうか?
(もしかしてアルバさん、わたしと走るのを嫌がってるんじゃ──)
そこまで思案が行ったところで、まさか、とクラフトは考えを一蹴する。
皐月賞に敗れたものの、果敢にもダービーへ向け再起を期しているというアルバに当てはめるには、あまりにそぐわない想像だと、クラフト自身が感じていたからだ。
実は過去話のクラフトの口調をサイレント修正してます。