ネームドから逃げたら三冠がいるなんて聞いてない 作:アウラセイヴァー
「──ありがとうございます。おかげで、だいぶよくなりました」
合宿所を出る折に、そうトレーナーに礼を告げた。少し前まで、移動時のバスに酔ってダウンしまっていた自分は、共用の広間にて世話を焼いてもらっていたのだ。
「本当に大丈夫か、アルバ? 何なら今日はずっとここに居たって──」
「──心配しすぎですよ……なんて言っても、説得力はありませんよね」
実際、トレーナーの前で車酔いを患うのは初めてだ。酔うタイプではない、と自分でも思っていただけに、いつにも増して過保護なトレーナーを無下にしづらかった。
「まあ、外の空気を吸うのは酔い止めの常道ですから。無理なら戻ってきますよ」
結局、そうしてトレーナーの心配を退けると、自分は夏合宿のウマ娘で賑わう砂浜に出た。
少し歩くと、知った顔が固まって何かを催していたので向かってみれば、学園指定の水着を纏ったハートが「タイム」の宣言をしてこちらへ駆け寄ってきた。
「Hey,アルバ! 酔いはもう大丈夫なの?」
「ええ、この通り」
そう応えて何とは無しに他の顔ぶれを見ると、クラフト、シーザリオ、メサイアといったいつものメンバーに加え、やや風変わりな水着を身に纏うキングもいた。それを見るように、チーム<アスケラ>のトレーナーの姿もある。
「じゃあ手を貸してくれないかしら? <アスケラ>のペア対、私とメサイアとでダンス勝負をしてたんだけど、向こうのコーチが飛び入りで来るものだから……数が合わないのよ、お願い!」
手を擦り合わせてそう頼み込んでくるハート。どんな経緯でその勝負に発展したかはてんで読み取れないが、見れば構図は確かに3対2になっているらしい。他と違うキングの格好も飛び入りゆえなのだろう。
「いいですけど……」
「決まりね! Come on!」
承諾するや否や手をとられ、自分は砂上の戦場へ引き立てられた。
「さぁ、再開よ! こっちもExtra Playerが加わったの、人数差なんて目じゃないわ! アルバ、ポーズをお願い!」
「え、え……じゃあ、こう!」
まだ体はゲームに入りきっていなかったが、ハートに急かされた自分は当たり障りないステップののちに、天にピースサインを掲げるポーズをとった。
「ハート&メサイア&アルバチーム、+2点!」
採点役を務めるらしい<アスケラ>のトレーナーの声を受け、なるほどと自分はステップのフェーズに戻った。
「な……では私も、ハッ!」
「追加でハート&メサイア&アルバチーム、+2点!」
隣のメサイアもポーズを取ると、さらなる加点が告げられていた。
「ふふ♪ 少しは褒めてあげるけど、キングの魅力には及ばないわよ? これはどう、トレーナー?」
「チ、チーム<アスケラ>、+5点……」
「ちょっと! またお尻に敷かれてるわよ!?」
新たにポージングをし直すキングに加点が宣言されたタイミングで、ハートから抗議の声が飛んできた。
確かに、キングへ一度に対してなされた加点は自分とメサイアの倍以上の値だ。ハートの言う通り「尻に敷かれる」間柄なのだろうかと勘繰ってしまう裁定だが、所詮部外者である自分には結論の出せないまま、ダンス対決は進んでいくのだった。
「で、みんな。この秋はどうするの? もう決めてるわけ?」
またも同じ6人が集った夜のバーベキューの最中、ハートがそう切り出してきた。
「私は──言うまでもなく『秋華賞』へ。再び望みを叶えるべく」
「そう、私も同じかな」
初めに応えたメサイアにそう同調したハートは、続いてクラフトの言葉を促す。
「わたしももちろん『秋華賞』! シーザリオもそうだよね?」
先のふたりと同じレースを挙げると、クラフトはそうチームメイトにバトンを渡した。
「うん、私も同じかな……己が残すべき揺るがぬ証、その礎とするため──かの一冠は譲れない」
「揺るがぬ……証?」
口調を
「……本当は7月に、アメリカのティアラのGIに参戦してみてはって話もあったのだけれどね」
そう口を挟んできたのはキングだった。
「でもこの子、まず国内でGIタイトルを取るって言い出したのよね」
「……ええ。かの『アメリカンオークス』の誘いは恐悦至極でしたが、この国の代表としては至らぬ身であると思いましたゆえ。まずは確固たる礎をと」
悪戯っぽく笑むキングにそう応えたシーザリオは、ややあってこう続ける。
「クラフトの変則二冠や、宝塚記念を制したスイープさん……今年はティアラのウマ娘たちが、三冠路線のウマ娘たちにも負けない蹄跡を残している。私も続かねばならないというのは承知だ」
そう振り返られたのは上半期のティアラウマ娘たちの動向。すると彼女が挙げたふたりから、後者──スイープトウショウにフォーカスする形でメサイアがこう続けた。
「そうですね。宝塚記念をティアラ路線のウマ娘が制したのは、実に39年ぶりの快挙であったと聞きます」
ただのGI勝利に留まらない功績である、と言いたげに彼女は語る。
実際のところ、開催前の自分は同室が出走している他にそそられる点がないレースだと思っていたのだが、その結末の劇的ぶりは先に言及された通りだ。ファン投票で首位を獲得した秋シニア三冠ウマ娘・ゼンノロブロイや、前年覇者・タップダンスシチーらを撃破したのは、価値ある勝利だったといえよう。
「ティアラの皆が紡ぐ奇跡を、己も……そのためには、私が私を認められるものが要るのだ……!」
そう決意を籠めるように拳を握り込むシーザリオの気迫に内心で気圧されていると、彼女と道を同じくする3人はすかさず闘志を示していた。
「フフッ! なんだか通過点にしてくれちゃってるみたいだけど、秋華賞を譲るつもりはないわよ?」
「私もそうです。オークスのひとつで満足するつもりはありません」
「わたしもわたしも! 変則三冠が懸かってるから!」
次々に吐露されたのはティアラ最後の冠への想い。
そうしてひとしきり盛り上がれば、次の話題がどこへ向くかなど分かりきったことだったのだが。
「──それで、アルバさんはどうするの?」
「わた、し?」
クラフトによって切られた会話のハンドル。視線が次々に注がれるのを感じながら、自分の口から吐き出されたのはこんな言葉だった。
「私は……菊花賞に……」
出るだろう、と言い終わる手前で声は堰き止められたが、口々に聞こえるどよめきからして、そうされていないものとして周りには映ったようだった。
「まだ、潰えていないというのか……?」
特に気に留まったのは、絞り出すように呟くシーザリオの声だった。彼女の目には、自分がクラシックの夢を諦めていないように見えているのかもしれない。
(やめてくれ、私はそんな人間じゃない)
買い被るような視線に居心地の悪さを感じ、内心で吐き捨てた。
ティアラに行けるはずはない、ダートや短距離路線に行くにも支えとなる経験値はない、なら今の道を往き続けるしか残っていないワケだが、自分ではどうあがいても
(ツケだとでも言いたいのか、
目の前の彼女たちを欺き続けている、そう自虐し懺悔したことは一度二度ではないが、どうすれば目の前に横たわる運命は蹴飛ばされてくれるのだろう。
「……アルバ、なんか少し怖いわよ」
ハートの声が、自分の意識を現実に引き戻した。気づけば思いきり握り込まれていた掌が痛みを訴えていた。
『Are you a coolness?』と訝しむハートへ曖昧な笑みを返したあと、自分は「ドリンクが切れた」と吹いて自身のコップを──ついでにと申し出てきたクラフトのものも──持って手近なボトルを探しに向かった。
(自分を客観視する力さえなければ、どれほど楽なんだろうな……)
内心で独りごちながら、両手に持つコップの片方──つまり自分のものを見やった。おかわりを頼むにはあまりに多い量を残すそれは、少しこちらに傾けると水面があっという間に見えた。
そこに映った自分の顔は、皐月賞のときに見たような、いかにも辛気臭い顔をしていた。
だからだろう。こちらを神妙な面持ちで見やるウマ娘の視線に気づけなかったのは。
「……」
一歩引いた位置で一同の会話を見守っていたキングヘイローのことを。
「では、また明日」
そうメサイアたち4人へ手を振って、すべてが終わったバーベキュー会場に背を向ける。
これ以上夜を更かす気は起きない。合宿所に戻ったらさっさとひとっ風呂浴びて寝よう、と考えながら歩いていると、通り過ぎた柱にひとりのウマ娘が寄りかかっていることに気づいた。
「……ちょっと、時間を頂けるかしら?」
会釈して通り過ぎる直前に放たれたのは、キングの言葉だった。
暗がりの中だったので思わず訝しげな視線を向けてしまったものの、おずおずと頷いてみれば切り出されたのはこんな問いだった。
「はっきり訊きたかったの、あなたの……次走への気持ち」
少し前に話していたばかりのことを掘り返すその言葉に、少し気が重くなった。このまま振り切って合宿所に入るか迷ったが、結局自分は回答までの時間稼ぎとばかりに、とぼける返事を選んだ。
「……何をおっしゃりたいのです?」
「さっきあの子たちの前で言ってたこと、どのくらい本気だったかってこと」
改めて突きつけられたその問いに、自分は俯くようにして続きを迷った。やる気だ、と言うのは簡単だが、それをすれば自分は本当に
「本気かどうかは……私が今まで走った道のりを見れば明らかのはずです」
「……そう」
不審げなひと声を漏らされ、騙されてはくれないかと歯噛みする。
自分が渡した答えは、一見肯定しているようだがその実、相手に解釈を委ねているセリフだ。かつて黄金世代の一員として、いまはチーム<アスケラ>の重鎮としてレースシーンを駆け抜けてきたキングには、さぞかし中途半端な振る舞いに見えたことだろう。
「あと一歩を掴めずに、それでも足掻く……そう思っていたけれど、どうにもしっくりこなかったのよね」
でも今のでハッキリした、と言わんばかりに、彼女はこう問うてきた。
「ねえ、本当に『菊花賞』でいいの?」
「……な」
キングの問いかけに、自分は明確に言葉を詰まらせた。胸の中で漠然とさせてきた思いが、明確化されてしまったような感覚がしたからだ。
先ほどの返答よりも長い時間を使ったあと、自分は絞り出すようにこう答える。
「……この道を往くと決めた者ですから」
違うでしょ、とキングは退けた。
「それは『菊花賞』に行く理由じゃないわ。初めに選んだ道がそうでも、道を変えることだって選べる。それでもあなたは今の道を歩く気なんでしょう? 訊きたいのはその理由よ」
そう問い直されると、自分は完全に沈黙した。キングがどんな理由でそれを訊きにきたのかは知らないが、答えなければ彼女はおろか<アスケラ>の面々との関係にかなり気を遣わねばならなくなるだろう。まさかクラフトたちの前で、この件を蒸し返されるワケにはいかない。
「……責任って言ったら、納得してくれますか?」
なら、キング個人が相手の今であれば、絶望的な結末にはならないのではないだろうか。自分は本音を打ち明ける覚悟をした。
どんな岐路に立たされれば、人はこれほどまでに惑えるのだろう。つい先ほど、クラフトたちと語らうアルバを見ていたとき、キングはそう感じた。しかし、彼女の本音をあらかた聞き終えた今となっては何の不思議もない。
「私は、メサイアたちと袂を分かってしまった。何も得られないままティアラにおめおめと逃れれば、与し易い方に着いたことになる」
道を変えたくないのではなく、変えられないのだと言うアルバの表情は、ダービーで見たそれとはまた違った焦燥を滲ませていた。いや、焦燥というよりは憔悴と表すべきなのだろうか。
「今さらそんな真似は、できない……だって私は──」
そこで彼女は言葉を切った。続ける言葉を迷っているのか、これでもかと視線を左右へ振り乱したあと、俯いてこう絞り出した。
「初めから、大層な理由で挑んでなんかいないのに」
彼女の言葉はそれで終わっていたようだったが、キングはまだ本心を隠しているように見えてならなかった。
ダービー直前の控え室でクラフトに告げようとしていた言葉からして、彼女たちとの決戦を少なからずアルバが望んでいることは明白だった。もし、ただ『誰か』の背を追いかけているだけというなら、必ずしもそうしなければいけない理由はない、とでも諭すつもりだったが、彼女は思ったより不器用なウマ娘だったらしい。
(意地張ってるだけなら、って思ってたけど、これは筋金入りかも)
実際、意地は張るところまで張ってしまったのだろう。もう後戻りができないところまで。
「……あの子たちはそんなこと気にしない方だと思うけど?」
「私がそうじゃないんです」
月並みな言葉を垂らしてみるものの、それはあっさりと退けられた。
「もし、それが本当だったとして……今の道を、これから誇りを持って歩けるの?」
少し方向を変えると、分かりやすくアルバは狼狽した。
「……無理だ、でも私には、これしか……」
「あなたね、それで二冠のあの子に勝とうなんて──」
GIを争える精神状態ではないように見えたキングがそう咎めようとするも、それはアルバが掌を突き出したことで阻まれた。
「……どうか、それ以上は仰らないでください」
もうこれ以上語らうことを拒んでいるような彼女は、ダメ押しとばかりにこう続けた。
「私の行く道を左右する権利を、あなたは持っていないはずです」
その言葉を受け、キングの目が見開かれる。
「逃げて、逃げて、逃げた先でもまた逃げて、そんなことになれば私は、何を貫けばいい……?」
問いかけるように呟かれたのは、おそらく彼女が相対しているものの根幹。だが、どこまで行ってもアルバにとって『知人の知人』以上ではないキングに踏み込む術はなかった。
「あなたには分からない……友情に殉じるより、ふいにすることを選んだ腰抜けの気持ちなんて」
キングに背を向けるとそう吐き捨てたアルバは、これ以上会話をする気はない、とばかりに合宿所の扉へと消えていった。
「権利、ねぇ……」
そう呟くキングの脳裏には過去の記憶がよぎっていた。
──本当に『菊花賞』でいいのか? 母親と輝ける場所が違う可能性だって──
──お願い、トレーナー。私だってわかってるの。だけど、それを話す権利を、あなたにあげられない──
それはキング自身が菊花賞を前にしていたあの日、同じ言の葉を以て師の懸念を切り捨てたやり取りだった。
「こんなとき、アイツならなんて言ったのかしら……って、きっと私が今した通りでしょうね──ったくもう!」
やや呆然とした心境の中、自分は照明がわずかに灯る廊下を歩く。やはりチーム<アスケラ>ぐるみの爆弾を抱えたとしても黙秘しておくべきだったろうか、とキングとのやり取りの是非を下せないまま寝床に就かなければならないのが憂鬱だ。
『努力の果てに立った重賞という舞台──そこで密着班の前に映ったのは、あまりに残酷な現実だった』
人気のない共用の広間の隣を通り抜けようかというところで、テレビの光と音声が視覚と聴覚をかすかに、しかしはっきりと刺激した。見ていた誰かが電源を落とし忘れたのか、画面を消せない仕様なのか──そこから吐き出されていたのは、とあるウマ娘のキャリアに迫ったらしい番組のもの。
『2着惜敗、と評するには大きすぎる差を見せつけられたそのレースのあと、師とともに流したのは大粒の涙──』
画面の向こうにいるのはおそらく見知らぬ誰かだったろうが、その境遇は不思議とダービー後の自分にそっくりそのまま重なるように聞こえた。
『名勝負の裏に涙あり。だが、人知れず流される彼女たちの涙こそが、常に時代を前に押し進めてきたものなのだということを、我々は忘れてはならない』
エンドロールに入っているかのようなナレーションに、心のどこかで自分に対しての言葉だと感じながら聞き入ってしまう。
「負けても、時代を……前に?」
半分虚ろに呟くと、やがてコマーシャルを流すだけになったテレビからそのまま遠ざかる。
今の道に新たな意味を見出だすには、まだ時間が必要だった。
もうそろ5周年だそうで。