ネームドから逃げたら三冠がいるなんて聞いてない   作:アウラセイヴァー

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火曜振りですね。今回もどうぞお付き合いを。


GIめざし日和

 キャリーケースを引きずりながら、視界に目的地を捉える。

 

「来たな、初GI」

 

 隣を歩くトレーナーの声は、何やら微妙に震えている。

 

「それはあなたもでしょう?」

 

 レース場からは目を離さずに、自分はそう切り返す。指導者としてまだ駆け出しであるというこのトレーナーにとっても、GIは初の挑戦であることを聞いていたからだ。

 微妙に棘のある突っ込み方になっているのは、自分もその緊張しているうちのひとりだからだろう。

 

 出走者としてレース場へ入るのはこれで三度目となるワケだが、今日はその場所がやけに大きく見える。やはり初GIという重圧が、無意識にのしかかっているのだろうか。

 

「だ、大丈夫だ! 俺だってここに向けて準備してきたしな」

 

 虚勢を張っているのが見え見えなその口調に、苦笑いが溢れてしまう。

 息を大きく吐き出すと、少しは調子が戻ってきた頭脳は、ようやく当然の判断を下した。

 

「行きましょう。まだ何も始まってはいませんから」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 どうして走るための衣装にヒールの靴を合わせるのだろう。

 

 そう余計なことを考えながら、自分は控え室の更衣スペースに入っていた。

 仕上げにパンプスの踵をトントンと合わせることで勝負服への着替えを終えた自分は、カーテンを引き開けてトレーナーの前に出た。

 

「やっぱり似合ってるな」

 

 数日前に初めて着てみせたときと同じ感想を受け、特に意味もなく笑いかける。

 

 よし、と言ってトレーナーは、クリップボードを片手に指示を与えてきた。とはいえ、それは出発前に打ち合わせをした内容とほぼ変わらなかったのだが。

 やがて中山レース場の特徴などについて触れ直したタイミングで、彼はレース直前になって確定する、ある事柄について口にした。

 

「見てきた限りでは、1番人気は1枠2番のニーベルング……君の隣からスタートする娘だ」

 

 その事実に、少しだけ驚愕する。最内枠を引いた自分にとっては、外からのプレッシャーを序盤から浴びる可能性がある、という意味で歓迎できない事柄だ。

 

「後方からのレースが多いから、デビューのときのように隣から前へ出られる、なんてことはないだろうが……過去10年間、このレースで1番人気が連を外した*1ことはほぼない。十分警戒してくれ」

 

 トレーナー曰く、言及した結果の例はひとつしかないという。遡る期間を倍にしてもひとつ増えるだけらしく、ニーベルングの大崩れには期待しづらい、というのが彼の意見だ。

 

 その後も2番人気、3番人気と続けていったところで指示を終えたトレーナーは、締めを迷っているように激励の言葉を吐いた。

 

「正直なところ、不本意な前評判だと思う」

 

 ん、とその言葉に額を跳ね上げてリアクションとする。とはいえ特段気にしているワケでもなかったのだが。

 

 聞けば自分は、ブービー人気になっているらしかったのだ。尤も、これは単純に実績の不足ゆえの結果であり──能力についてはまだ否定も肯定もできない──、自身と同じく1勝でここにやってきている面々も同じくらいの人気に落ち着いていたので、不自然と喚くほどでもないのは事実だ。

 

 だが、と彼は続けた。

 

「注目されていないからこそ、飛べることもある。ここで結果を残して──」

 

 そこで言葉を止めるトレーナーだったが、決意を固めたのか、はっきりとこちらを見据え、こう告げた。

 

「──1番人気でクラシックの舞台に立つ、君を見たい」

 

 無垢ながら力強い彼の視線は、メイクデビューで見たそれと同じものだった。

 どうして彼は、赤の他人である自分に、これほどまでに肩入れするのだろうか。いや、教え子に──愛バに人気者でいてほしい、と願うのは当然のことなのかもしれない。

 

「私はそんな大層な……いや」

 

 何となくかわそうとして、やめた。その言葉は、わざわざ自分を選んでくれたトレーナーの前で口走るには侮辱的に過ぎる気がしてならなかった。

 しかし、代わる言葉も吐き出せず、そうこうしている内に時間切れが来てしまった。

 

「──失礼。時間となりました。パドックへお越しを」

 

 控え室に入ってきた係員の声に振り向くと、トレーナーに向け握り拳を作って軽いガッツポーズを見せたのちに扉へ歩いた。

 

 彼との会話は、それまでとなった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 すでに2度経験したはずのパドック。しかし今日はいつもと違う。

 それは最内枠ゆえにトップバッターで行かされるからか、GIという大舞台であるからか。

 

「まずは1枠1番、デュアルバインダーの登場です!」

 

 そのアナウンスとともに、ランウェイへ出ようとして──やめる。

 

(──行き損ねた……スッと出ればよかったのに……!)

 

 手を当ててみれば桁違いに大きい鼓動を叩き出していた心臓は、感じていた緊張を雄弁に突きつけてくるようだった。

 

「ハァ……フウ……」

 

 やや乱れた呼吸を無理やり修正すると、ようやく意を決して衆目へ身を晒す。

 

 前走までとは比べものにならないほどの視線が注がれるのを感じながら、先端付近まで歩いた。

 

 特に何をするかは考えていなかったが、胸元にあったエンブレム──ふたつのファイルが扇状に並べられたようなそれを引き寄せて口付けをし、一本指を掲げた。いつか見たスポーツ選手のパフォーマンスを真似ただけだったものの、幸いにもそこはかとない歓声が上がってくれた。

 

『初の勝負服に気合い十分といったところです!』

 

 再度アナウンスが響く中、無難に手を叩きつつランウェイの脇へ飛び降りて次の出走者へ花道を開けた。

 

(はけてしまえばこっちのもんだ、何人か溜まったら地下バ道に行ってしまおう)

 

 注目が薄れるタイミングを窺う腹を決めた自分は、そうして無難にランウェイへ視線を預けた。

 

 するとその時、明確に空気が変わったのが察せられた。

 

『さあ次は本日の1番人気! 1枠2番、ニーベルングです!』

 

 赤の十字襷を思わせる意匠が施された勝負服を纏うそのウマ娘が、ここパドックに姿を現す。

 

「頑張れー!」

 

「ニーベ様、大漁をー!」

 

 自分のときとは比べるべくもない歓声に、苦笑しながら拍手を打つ。

 

 すると威風堂々とマントを翻したニーベルングに、より客席のボルテージが上がる。

 

 その後、反対側へ降りた彼女のプレッシャーにぼんやりと苛まれながらも、数人の出走者の登場を見届けた自分は、地下バ道へそそくさと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『さあ! ジュニア級の俊英たちが、初のGIを争います朝日杯フューチュリティステークス、発走のときが近づいています!』

 

 ゲートを眼前に捉え、いよいよ迫る大舞台。

 

「負けられないっす……シイナ家、背負ってんすから……」

 

 周りを見てみれば、みな緊張して震えているどころか、心なしかメラメラと燃え盛っているようにすら見える。

 

(GIなんだぞ、なんで皆固まらずにいられるんだ?)

 

 そう内心で吐き捨てながらも、奥底ではすでに分かりきっていることだった。GIウマ娘を目指して積み重ねた努力が、この舞台への出走という形で報われたのだ。その大きな一歩が、彼女らを燃え上がらせているのだろう。

 

(──なんで)

 

 唖然としていた自分の脳裏には、地下バ道で聞きかじったあるやり取りが思い出されていた。

 

『私が戦っているもの、それは……宿命です』

 

『……なら自分は、運命と戦う。そして勝ってみせる』

 

 旧知同士だったのだろうか。他の出走者のふたりが交わしていたのは、そんなフィクションの一場面を切り取ったようなドラマ性あふれるセリフだった。

 

(──なんで)

 

 今の今まで、この世界はクラフトら主役たる面々のために作られたものだと思っていた。しかし、今目の前にいるウマ娘たちにも、スターと呼ばれるに足る輝かしい道のりが確かに存在していたのだ。

 

 

 

(──なんで私、ここにいるの?)

 

 

 

 劣等感だろう何かが、ここに来てのしかかる。

 

 先週知ったばかりではないか。ここは主役と呼ぶ他にない彼女(クラフト)らすらも飲み込む舞台なのだ、と。

 

 その頂にて競う面々から逃げた身でありながら、なぜ自分が同じフィールドで1着に座せると思ってしまったのだろう。

 

「……早すぎたんだ」

 

 まだ、こんな舞台に出る心構えなどできていなかったのだ。

 もっと色々やればよかった。そこかしこの重賞に出てみたり、なんならGI始動を来年まで先延ばしにする手もあったのかもしれない。

 

 されど、もう後の祭りだ。

 

(どれくらい速く走れれば勝てるのかな……でも他の娘のタイムとか知らないし……ダメだよ、優勝するわけないおしまい望み無し!)

 

 ひたすら後ろ向きに空回る思考が、ただ脳裏を支配する。

 ひとつ天を仰いだのち、いよいよ打つ手がなくなった自分は、どうにも今まで恐ろしくて見られなかったスタンドの方へチラリと目をやった。

 

(この人らの何パーセントが誰を応援してる、とかあるのかな……)

 

 取り留めのない思考の対象が、それに切り替わる。

 客席を埋め尽くす人間の大部分は、やはり1番人気を見に来ているのだろうか。なら2番人気は? 3番人気は? もしや15番人気はお呼びでないのではなかろうか。

 

「……自分に、なんてマニアックな人いないよな」

 

 わざわざブービー人気を応援する、酔狂な客がいるとは思えない。

 

 いるとすれば──。

 

『1番人気でクラシックの舞台に立つ、君を見たい』

 

『私、一生──いや、あの世に行っても自慢し続けるわ。あなたのこと』

 

 身近なふたりのセリフを思い出し、わずかに吹き出した。

 

 今ごろ、彼らもあの場所にいるのだろうか。

 

 そう思い当たった瞬間、唐突に今までの記憶が脳裏を駆け巡った。

 

『……別の道を立って往く友人として、応援しておりますので』

 

 その中には、他でもない友人の言葉もあった。

 

 そうだ。意味だの何だのとのたまうには、自分は巻き込んだ人の想いに触れすぎている。

 

「誰かのためにしか走れない、なんて……バカらしいかな」

 

 自嘲するように独りごちる。まだ短いながら、後悔を重ねることも多いと思っていたこのキャリアだが、それでも。身内に示しがつく程度には、自分はカッコよく歩いていきたがっているらしい。

 

『間もなく発走です、ファンファーレをお聴きください!』

 

 その決意を祝うように、場内へ生演奏が響き渡る。

 普段よりも壮大に感じるその音色は、客席のボルテージを限界まで引き上げた。

 

『さあ始まるぞクラシックへの登竜門! 朝日杯フューチュリティステークス、いま開幕です!』

 

 戦いの火蓋が、ここに切られる。

*1
3着以下になること




レースまで行けなかった。次こそは。
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