そこは真っ白な部屋だった。景色を閉ざす六面の白には翳りは無く、外への扉はただ一つ。そんな部屋の中央には巨大な機器が鎮座している。箱のような形をした装置は周囲と同じ白色であちこちに付いたランプが青く淡い光を灯していた。
時間が止まっていると思わせるほど静かなその空間に変化が起きる。ランプが点滅を始めた。明滅は時間とともに速まり、ついには消える。
明かりが消えると合わせるように鈍い音を立てて装置が動き出す。箱形の天井部分が上がり、側面が2つに分かれ離れるように広がる。そうすると装置の中身が露わになる。
寝台と少女。内にあったのはそれだけだった。
薄い紫の手術服のようなものを着た肩ほどまで藍色の髪を伸ばした少女が寝台の上で眠っている。
装置の動作が完全に停止すると寝台の少女は緩やかに目蓋を上げる。意識を目覚めさせた少女は明かりが消えて薄暗い白一面の景色をただ視界に納めていた。そこに行動も思考もない。
少女は何も知らなかった。言葉も自分も状況も何もかも。
しかし、しばらく停止していると頭の中に何かが浮かぶ。
あ····?
それは言葉だった。続いて多くの言葉と文字が頭の中に浮かんでいく。全てを知らない少女はなぜか突如言葉を解し始めた。言葉を解するに足る字と知識の群れは少女の頭を巡り、流れる数多は思考を促す。
天井?
仰向けのままの少女が先にある壁を見つめていると頭に浮んだ言葉から漏れる、新しい言葉が浮かび上がった。
目にしたものをどう形容するべきか、その意味すらも自然と分かる。
頭の中に現れた言葉たちを引っ張って思考を始めてみる。しかし、やっぱり分からない。そもそも自分のことが分からない。それを理解するための情報は欠けていた。
のそりと体を起こすと頭を下げて自分を見下ろす。2つの手と二本の脚。人という言葉が今度は浮かんできた。
わたし、人?
手を開いて握って足でバタバタと寝台を叩いてみたり、上に立ってみたり、とひとしきり思い付いた色んなことをやってみる。
しばらくそうしていると突然パタリとやめてふと、思う。
ここってどこ?
部屋は建物の一部、ということは分かってもそれ以上のことは分からない。
もっと見ればわかるのかな。
そう思った少女は寝台から飛び降りて部屋に一つある扉に目を付ける。扉の先の外の、更なる未知を知るために。
扉を開けると先には部屋と同じような白色の壁でできた通路があった。こちらも明かりがなくて薄暗い。
代わり映えのなさに少しばかり落胆する少女。しかし通路は建物の一部で更に外があることを知っている。
外、見たい。
外への道筋を知らない少女はとりあえず歩き出した。
スタスタと疲れを知らず歩き続ける。行き止まりなら前の分岐まで引き返して歩いて歩いて歩く。道中の扉は開かなかった。しかし構わず歩き続けていると最後には大きな扉の前に辿り着いた。
両手のひらを扉に押し付け、しっかりと足に力を込めて全力で押す。
扉が少し開く、隙間から光が差す。先の未知に胸を膨らませながらさらに前へ。
開き切った扉の先には———
瓦礫の山があった。元は何であったのかを一切感じさせないほどの破壊の跡が広がっている。
そしてその全てが白い。道も積み上がる瓦礫も全てが雪のような白色で満ちていた。
真っ白。何も無いの·····?
一歩、二歩前に出て周囲を見渡すと破壊の跡の途切れを発見した。それまでは原型すら分からない瓦礫の山でしかなかった光景に多少の破損は見て取れるが確かに形ある構造物が存在する。
破壊を免れている建物の数は少女の背中側の向きに向かうほど増えている。しかし少女が後にしたばかりの建物により先の景色は閉ざされていた。
! ······こっちなら壊れてない?
回り込んで先を見るために建物の壁に沿って右回りに歩く。
先にあるいくつかの構造物たちの中には砕けた円盤の破片のような物や独特な形をした柱であったような残骸も混じっている。半ばから存在しないもの、横倒しになったものなど破損の状態は様々だった。
うーん。
現在、少女の中にはいくつもの疑問が浮かび上がっていた。見ても分からないものに直面している。白一面の景色と謎の柱、破壊の原因、全てが目で見ても知識が呼び起こされない未知だった。
う────ん?
考えても答えは出ない。今の少女はあまりに知識が不足している。それでも頭を悩ませていると大体直線で続いていた壁の果てに辿り着く。
────。
曲がった先の景色を見て続けていた思考が霧散する。
白の道とそこに並び立つ柱と建物、そしてその先には視界を超過するほどに高く、どれだけの建物を連ねても足りないほどに広い白亜の城があった。
遥か遠くに見えるというのに少女の視界全てを閉ざす程で他と一線を画す存在感が重さとなって少女に伸し掛かる。
全体を見渡せば多くの損傷が認識できるものの圧倒的な存在感、遠くにいる少女が威圧されていると錯覚するほどの威容はその程度では損なわれない。
釘で打たれたように停止した少女の胸には打ちのめされるような感動が渦巻いていた。
すごい·····でも、天井?
口をあんぐりと開けてぼけーっと城を見続けている少女はおかしさに気付く。空が無かった。その代わりに城の頂上の高さからどこまでも続いているように見える天井がある。空は見上げればあるもの、という少女が得た知識と符合しない。どこかに空はないかと視線を上に向けるが結局あるのは天井だった。
しかし、それだけではない。見上げた先の天井が真っ直ぐに切り裂かれていたからだ。その跡からは光が漏れている。その傷跡が天井に作った隙間はあまりに細く先の景色は分からない。
空はあっち? ならここは·····
地下という言葉が頭に浮かぶ。なんとなく空が見たいと思い始めた少女はこの場所から天井へ登る方法を探し始めた。
あれだ!
今まで目にした構造物の中で届いているのはあの城しかない。城目掛けて歩を進めようとすると城にあるいくつかの破壊の跡の中に興味を引くものが見つかった。天井に刻まれていた巨大な斬撃跡のようなものが城にも刻まれている。上の傷と見比べてみると切り口の向きがどことなく似ていた。
もしかして····
この二つの跡は一撃で生まれたものかもしれない。そう思いながら少女はまた空を見上げる。天井と城を一緒くたに斬ったのなら、それができるのは天井の先からだ。そしてそれほどのことが可能ならば都市を破壊した存在も同一かもしれない。
天井の先には一体何があるのか、自分は一体誰なのか。他にも多くの尽きない疑問の答えを探して、湧き出る興味の赴くままに城を目指し進む。
道中の気になるものは片端から探り、満足してから動き出す。有り余る好奇心はとどまるところを知らなかった。そしてその莫大な知識欲を刺激する謎の物品たち。何のためのものかも分からない不思議な形の空洞がある欠けた装置、読めない書物を始めとする自動追加される知識には含まれないものがここには眠っていた。
破壊された建物の中を探索しながら城へと近付き時間を掛けていく中に変化があった。拾ったものが脆くなっている。
あれ····?
少女の足元から奇怪な音がして足を止める。音の源へ目を向けると地面が砂のように崩れて足が少し埋もれていた。
不思議に思いながらも歩みは止めない。しかし進んだ先も同じ状態だった。その先もそのまた先も変わらない。
試しに少女は建物の壁をつついてみる。すると指で押した周辺ごとボロリと落ちて粉々に砕け散った。
なんで?
浮かぶ疑問に答えはない。それからは壊さないように極力何にも触れないようにして進んで行くとあの城の足元が間近へとやってくる。
あの斬り跡は地面にも続いているようで跡からは真っ直ぐと地面に線が走っていた。斬り跡が作る隙間も同じように細く、奥は暗く何も見えない。城にはいくつかの破損があるものの見える範囲の破損では位置が高い、または空いている穴を上からの瓦礫が塞いでいるため侵入は不可能になっている。崩して通るという手も少女の思考の内にはあったがそれを起点とした大崩落を危惧して断念した。
どこか入れる場所は·····
少女の立つ位置からは扉も見えない。どこまで見上げても見回しても視界に収められるのは壁の片隅程度でしかないほどに長大な城の回るだけでもかなりの時間を要するだろう外周を歩き始めると
(——気——ま———が———か···?)
「え?」
声が頭の中に響いた。ひどく途切れていてどのような言葉なのか理解はできないものの自分の思考とも、頭に浮かんだ言葉たちとも毛色が違う声だと少女は感じ取った。
声は人の使うものだ、と少女の知識が言っている。つまりこの発生源を探れば人に会える。
それなら頭の中の知識では理解できなかった様々な事柄についての答え合わせができるかもしれない。この場所も自分についても分かるかもしれない。
少女は声の源を探すために歩き始めた。
(────────ない——!)
声は続いている。しかしその大元の場所が分からない場所を軽く移動してみても頭の中の音の大きさが変わることはなく、どこにいても声は言葉として成立していない。
どこいるの····城の中とか?
声は城に近づいて初めて聞こえるようになったものだった。そして城の外を回っても聞こえ方に変化はない。それなら声の主は城の中にいるのではないか、と少女は考えた。
そこからさらに回るとようやく見つけた小さな扉から城内に足を踏み入れる。内装は少女が目覚めたあの建物に似ている。比べて違う点は明るさと損傷の具合。城にあった損傷にはこの場所の天井を削り取っているものもあって明るいが、生じた瓦礫が道を塞がないまでも邪魔をしている。
でも通れるなら····。
ザリザリと砕けて砂のようになった床を踏みしめながら障害を避けて奥へと。進んでみても瓦礫の数はあまり減らない。あの屋根を抉った一撃は上から城の中心に向かって放たれた一撃なのだろう、と考えているとまた、声が響く。
(我—こ——じゃ!)
声より明瞭になり、格段に言葉と認識しやすくなった。
やっぱり城にいるんだ!
(再——え——とが—き——と———びてな——らなんだの——な——·)
場所によって聞こえ方の変わる声を頼りに城を巡る。前と同じで扉は開かないが大きな破損があるおかげで扉を開ける開けない以前に壁が壊れて存在しない部屋も多々ある。そこには資料や装置があったものの少女には知らない言葉で読めず崩れる以上、操作も手に取ることもできない。
なんて読むんだろ·····?
声の主捜索は難航した。声の変化があまりに少なすぎたためだ。声量に変化はなくただ一音、それにすら満たない僅かなノイズの響きの差しか距離を示す物差しが存在せず、城は途方もなく広い。進んでは戻る、その工程をはじめの建物以上に繰り返し亀のような速度でなんとか迫る。
(左じゃ! 我はその先におるぞ! 人間よ!)
今度こそ声は言葉として完成する。しかし未だに姿は見えない。声に従って見てみると少し奥の崩れた部屋の隙間から緑色の淡い光が漏れているのが見えた。そこから部屋の中に突入する。
部屋には様々な装置が取り付けられていてそこから伸びるケーブルは中央に据えられた一つのものに繋がれている。石像だ、真っ黒な奇妙な形の石の像が中央に鎮座されていた。少女が見た緑の光もそれを大体球形に囲むように揺らめいている。
頭の中に出現した知識からして石像は喋らない。しかし周りには他に目立つものはなく、ましてや人の形をしたものは存在しない。だから少女は話しかけてみることにした。
「あなたが声の····石像?」
(その通りじゃ。本当に、よく来てくれたのう、人間よ!)
肯定するように頭の中に言葉が流れる。喜びの色が強く感じるその声を発しているのは確かに石像だった。依然として頭の中に声が響く理由も声を扱える理由も分からないままなので驚きついでに少女は尋ねる。
「ほんとに喋ってるんだ····どうやってるの?」
(ふむ? これは思念の···確か│隣響《りんきょう》作用とやらのおかげであった筈じゃな)
「思念ってなに?」
(知らぬのか?)
「うん! わっかんない。教えて!」
(よかろう! うーむ、人間の童よ。我の周囲を覆う光が見えるか?)
「見えるよ····これがどうかしたの?」
(そうか! ならば話は早い。思念とはこの光のことじゃ。人の持つ脳と近い機能を持つ力でな、人でなくとも意思を持ち、言葉も解せるのじゃよ)
声の主を取り巻く淡い光、それこそが石像が喋る原因なのだと前に鎮座する石塊は言う。それを聞いても少女の知識は呼び起こされなかった。つまり目の前にいるのは未知を知る存在。期待の通りに答え合わせができるのだと少女が沸き立ちながら石像の言葉を噛み砕いていく。
「脳ってなに? ····あ、分かった」
突き当たった知らない言葉の意味を問いかける。しかしそれと同時に言葉の意味が少女の思考上に現れる。見るだけでなく聞いた言葉も理解できたことを認識しながら、そういえば何で分かるんだろ、と疑問を浮かべる。
(我は何も言っておらぬぞ?)
少女のそんな様子に困惑の色を交えて声を響かせる石像の反応を変に思い、何故かを聞く。
「うん。でも聞いたら何か分かった。石像は違うの?」
(そうじゃな。我が持ち得る知恵の全てはかつてこの場所に居た人間により教えられたものじゃよ)
「そっかぁ。何でなんだろ」
うーん。次は何を聞こうかな。ここのことも思念についても気になるし·····聞きたいことが沢山あるー。
(して、童よ。主はどこの都市から来たんじゃ?)
「都市? 私はあっちの建物から来たよ」
目覚めた箱のような装置があった大体の方向を指差して言う。
(ほう、都市の内側からとな? それまではどうしておったんじゃ)
「多分ずーっと寝てたよ。私さっき起きたばっかりだもん」
(·····そういうことか)
「どういうこと?」
(少し前にこの近くを光が斬り裂いていっての。おそらくそれが———)
石像の言葉が止まる。
同時に少女の背筋に悪寒が走り抜けた。周囲には一切の変化も見られない。しかし予感染みた何が頭の中で激しく警鐘を鳴らしているように強く、痛いほどに響いている。
何か、来る。
予感が時間とともに確信に変わる。漫然とあった予感の先のなにかの気配が定まっていく。
そこだ。
恐る恐る背後を振り返る。依然として変わりのない景色、だが確かな違和がそこにある、そこに感じ取れる。
(災いか······!)
「災いって、これが? なんなのこれ····?」
(感じ取れておるのか? すまぬが説明している時間はない! 今すぐ我の後ろへ隠れるんじゃ!)
石像へと言葉を返そうとすると謎の気配が爆発的に膨らんで、そして。ついに、視界の先の気配が弾けた。
応じるように、気配の始点から不明な何かが吹き荒れ、壁を砕き、地を割り、重なる瓦礫を吹き飛ばす。そして気が付くと気配と重なる位置には朱い鉱物のような姿のゾクリと胎動する何かが現れていた。
まるで心臓のように規則正しく続く脈動に呼応するように燃えているような硬質的な板に似た何かが鉱物から剥がれ、宙に浮かぶ。
(魔法を扱う術があれば·······! 童よ、早くせんか! 気休め程度だが直撃より幾ばくか安全じゃ! 我を盾に!)
「ま、ほう?」
その言葉を聞いた途端、少女の意識がグラリと揺れる。目眩でも起こしたかのようにぼんやりと額に手を当てている少女を見て石像は声を掛けるが反応はない。聞こえてはいなかった。石像周りの景色の鉱物を除く全てが彼女の意識の外側へと押し退けられている。
代わりに意識の中心に居座るのは少女の内にあったものだった。あったのに忘れていた、少女という存在が誕生した瞬間から持っていた機能。それが魔法という言葉に呼び起こされた。
本能のままにそれを起動させると少女は外側から何か力のようなものが流れ込む感覚に襲われる。それは全身を走り抜け、心臓へと収束して、力はみるみると変質し、作り変わり掌へと移動する。
いつの間にか閉じられていた手を開くと掌の上に小さく青い光を秘めた水滴が停止していた。
視界の先では剥がれた板同士が融合し、完全に球形に鉱物を覆い隠している。
足りない。
本能が少女に囁きかける。更に流れ込む力、音もなく肥大化する水滴。
足りない。足りない。足りない。
鉱物を覆う燃える硬質物にひび割れが生じる。内から何かが生まれようとするかのように少しずつ。
肥大化を続ける水滴は掌の大きさを優に超え、未だ拡大を止めていない。
ひび割れが全体に渡って、内側からの圧力に耐えかねたようにバラバラに砕け飛び、硬質物の破片が辺り一面に撒き散らされる。散らばる破片に真っ先に触れた壁や地面は刺さるでもなく押し潰されるように大きくへこむ。景色が瞬く間に消える。破壊は城どころか都市そのものを消しかねない勢いで進み、今にも少女を潰し殺そうとしている。
その時には少女の半身ほどにまで巨大化した水球は拡大を止めていた。
そして、雷鳴が轟く。
眩い光は視界を白く染めて、次に色を取り戻した時には何も無かった。
赤い鉱物、破片、城の一角、数刻前には存在していた全てが一瞬で真っ直ぐに消えていた。水球が雷のように走り、目の前の直線上を一切合切薙ぎ払って起きた破壊だった。その跡は城どころか先の建物まで巻き込み、建物のない都市の果てを覗かせている。
「これが魔法······」
自らの両手に視線を落として、呆然とした様子で漏らす。
(大丈夫か、主)
「あ、うん。大丈夫」
(しかしすごいの。あれほどの魔法を扱えるとは·····)
ビキリ、災いは去ったはずのこの場所に異音が鳴る。
「え?」
(ぬお?)
音が終わらない。地面が揺れている。壁と地面にヒビが伸びていく。
(まさか、先の余波で———)
「あ」
床が、崩れる。
先に広がるのは黒一色。底抜けの大穴に抗う術もなく吸い込まれるように落ちていった。