アリアレドナの砕け星   作:地底土竜

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停滞を望む杖

 左手、そしてもう十二分に動かせる右手でもって魔法による特異の水を生成する。生成量はその分多い。

 目の前の翼を持つ獣は動かない。しかしだからと言って油断はできない。目で認識できない未知の一撃を少女は受けていた。

 

 あの攻撃が来るなら音で分かる。それなら·····

 

 風を切る音がする。直前に少女を打ち飛ばした未知の攻撃の予兆と同じ音。

 掌の上で溢れ出している青い光を秘めた水が四散した。攻撃による変化ではない。少女が意思による操作によって。

 散らばり雫ほどの大きさになったそれらは空に円を描く。一つは小さな円を、一つは大きな円を。それらが層のように重なって、少女の前に一つの壁として形作られる。

 この魔法はただ塊として扱うなら大した破壊力はない。だから石像を運ぶことができた。だから盾としての効力は期待できない。しかしこうすれば破壊力はそのままに盾として扱える。

 

 何かが砕ける音がした。届いた攻撃はない。

 

 防いだ! 

 

 確信する少女の傍らには小さい水の塊があった。それは盾の形成を行っている間も生成されていた魔法の水の塊。盾と合わせれば一つの翼獣の突進を相殺するに足る質量だった。

 それと盾を生み出すに至った攻撃力を防御力に転じさせる回転を組み合わせれば防御はより強固になる。窮地の中で確かに少女は成長していた。

 対する白は暮れ色の魔法を翼の上に生み出している。

 

 突進———? 

 

 少し様子が異なった。

 湧き出るようだった暮れの勢いが大人しい。翼の表層を覆うように薄く広がるのみだった。それが瞬きの内に黒くなる。そうして生まれた黒の層は見えない何かに持ち上げられているかのように翼から少し浮かんで止まった。よく見るとそれには縦横均等な切れ込みが入っているのが見える。

 

 予想外の新しい行動に反応が遅れた少女はようやく止めるために魔法を振るおうとする。

 それより速く層が散り、数多の黒い断片が少女へ向けて殺到した。

 

「っ!!?」

 

 回転は間に合った。水塊は強固な盾として飛来物を寄せ付けない。だが、翼の獣は既に黒い層の再装填を終えていた。

 絶え間なく、雨のように黒の断片が降り注ぐ。盾が少しづつ削り取られていく。少女は生成を止めていない。生み出してそのまま盾へと流し込んでいる。それなのに押し負けている。純粋な物量で翼の獣は上を行っていた。

 

 どうすれば、うわっ!? 

 

 水塊の中央を幾つかの黒の断片が貫いた。

 翼の獣は断片の雨で相手の視界を隠し、その中で斉射を一点に集中させて盾を打ち破った。

 咄嗟に右に身を躱すが黒い断片が左腕に迫る。直撃の感触はあった。何かの砕ける音はした。だがそれが起こったのは黒い断片が当たる前だった。透明な何かが存在していた。

 

 途端に左腕が脱力する。神経がその先から途切れたかのように動かない。

 

「なにこれ!?」

 

 水塊を集め盾を作り直し、動かない左腕を見る。そして自分が背にしている都市の方へ視線を移す。黒の断片が壁に数個は突き刺さっていた。

 

 避けちゃ駄目だった····! というかそもそも! 

 

 都市を背にしないように走る。片腕が動かないために覚束ない足取りで。

 雨は止んでいない。盾はまだ防いでいる。とはいえ左手が魔法噴出点として使えないため状況はさらに危うくなっていた。

 

 さっきのって···

 

 考えていると再び水塊は貫かれた。

 

「またっ! ——わあ!?」

 

 回避しようとして転ぶ。走るのですら気を張る今では複雑な動きは出来なかった。しかし攻撃は奇跡的に当たらない。そして、

 

 左手が動く? 

 

 緩慢だが確かに動くようになっていた。一方で盾は粉砕寸前。雨はまもなく少女を襲う。

 

 なら。 

 

 ついに盾は砕かれた。その先を雨が刺し砕く。余波、そして砕いた跡の少し上に浮かんでいる黒の断片。そこに少女はいない。

 姿があったのは上空。水の層を足場に乗っていた。

 

 水の層を自分の下に敷いてそれを真上へと押し上げて雨を避けたのだ。この魔法は石像を持ち上げることが出来たように足場としても扱える。

 すぐに位置を認識した獣はまた雨を少女へ向ける。

 

 水の層の縁に掴まり、指向を与えてそれを回避。速さは耐えられる限界を探りながら上げ続ける。

 

「ぐぅっ···!!」

 

 高速で移動する物体を翼獣は捉えきれておらず、層の端を掠める程度で済んでいる。

 その勢いを維持しながら都市から離れる方向へと指向を緩やかに変えていく。それを追って翼獣は黒を纏う突撃を行う。速さは翼獣が上だった。

 

 縮まる距離、急激な方向転換で掛かる負荷は少女に制御を失わせる恐れがあった。それに生半可な軌道変更では追いつかれかねない。

 

 雷鳴が轟く。

 

 足場にしていた全てで撃ち止める。直撃した面の黒が消え、勢いが失せる。

 落下する少女は左手の中の水に指向を与えて掴まり、同時に右手で足場の構築する。空に立って警戒しながら下へと降りる。空中では機動力が魔法に依存してしまう。それでは瞬間火力が落ちる事になる。そしてあの回避にはかなりの負荷がかかる。長くは続けられない。速さと物量で上を行くあの獣に対して別の切り口を見つけなければならない。

 

 何かいい方法は····

 

 地面に足をつけた頃には獣も行動を起こしている。黒い断片による斉射の前段階である層の生成を始めていた。

 

 思い付かない! 一旦また遠くに逃げないと! 

 

 高速機動の準備をするが、それはもう不可能だった。

 

「!?」

 

 断片の軌道が違った。高速で四方に飛ばされている。

 魔法による移動は翼獣のおそらく透明な何かを用いたであろう移動に速度で負けていた。あの程度集中した射撃なら射撃方向と垂直には避けられるが散らばればそれは難しかった。掠めるだけで腕が停止した一撃がそこら中に満ちている。

 

 しかし、それは逆に少女が防ぎきれる量しか直撃範囲に割り振れないことを意味する。反撃の機会でもあった。

 それを分かっていてか翼獣は前面部分の翼だけには黒の層を生成している。だが幾ら生成量で上回っても移動を潰すために力を使いすぎている。雷撃で貫けそうなほど弱々しい。

 

「·····」

 

 捕まえるのは不可能だと分かった。黒い魔法は雷撃の段階でようやく相殺できるもので生成量は黒の方が多い。

 退けることも同じように不可能だ。雷撃による突進の相殺でも怯んだ様子は無かった。そしてあの獣のどこが心臓部なのかも分からない。この一瞬で退かせる判断をさせる分水嶺など知る術がない。そもそもこの戦いで負けているのは少女の方だ。

 

 私が死んだら石像もあの人たちも····

 

 死ぬ。あの獣が攻撃を躊躇う瞬間など一度だってなかった。明確に石像を狙った事だってあった。石像と翼獣、どちらかしか選べないのなら重いものがどちらかなんて考えるまでもない。

 

 やらなきゃ、やらなきゃ····! 

 

 あの黒を容易く打ち砕くであろう水塊があった。翼の獣がいつ動きを変えるか分からない。変われば勝機は消える。今しかない。

 

 焦りに押されて水塊を雷撃として解き放った。

 

 直撃、雷撃はあの獣の認識を遥かに超える。避けることなどできはしない。黒の層を翼ごと貫いた。斉射が止まる。獣の全身が大きく仰け反る、だけだった。

 弾き飛ばした訳でもなく、貫いた訳でもない。想定のはるか下を行く結果だ。

 

 ゆらり、と翼の獣が動く。死んでいない。翼の下に黒がある。暗いから生まれる暗がりではない。黒い物質が翼の奥を埋めている。大きくへこんではいるが行動に問題はないようだ。

 

 そして少女は気づく。周囲の異変を。

 黒い断片が空に浮いていた。幾つも、突き刺さるのではなく。斉射をせずとも少女の逃げ場をなくせるように。

 

「あ···」

 

 詰みだ。

 水塊は使い切った。この覆いから逃れようとすれば後方からの突撃、前方の断片に対処できない。真正面からやりあえば力の割り振りを必要としなくなった獣の物量に押し潰される。

 あの場で雷撃を使わなければ仕切り直しは可能だった。浮いているのは結局のところ断片でしかない。動いているのではなく止まっている以上、指向転換を用いた破壊で対処できた。物量だって貯め続けることができた少女と使い続けていた翼の獣なら退く分には事足りただろう。

 

 分かりやすいほどに誘われていた。それに応じてしまった。

 

 音がする。周囲全体で軋むような音が。散った黒が奥の方から少女へと近づいている。見えない手に押されて少女を潰そうとするように。

 同時に、空の獣は暮れを落とした。黒には変じないただの暮れ色の塊が少女を襲う。

 

 大した量を生成出来ていない。この量では一点を抜くのが手一杯だった。両方へは勿論、片方でさえ突破できない。

 

 あの暮れは黒ではない。変わる前なら届くかもしれない。

 縋るように雷撃を獣へ撃つ。到達するとそこで一瞬途切れた。衝突ではなく沈んでいった。そして衝突点とその周りが黒くなる。何秒かの停滞、その少し後に雷撃はようやく目的を捉えた。

 それを冷静に黒の層で打ち消した。

 

 行動を起こした分だけ遅くなる。落下してくる暮れを回避できない。包み込まれる。景色が変わる。あの景色だ。

 

 そして暗転を始める。

 

 もう術はない。死ぬ。石像を、人たちを守ることが出来なくなる。

 

 石像、みんな·····

 

 心が動いていた。それを形容できない。少し前と同じで溜まり続けるだけだった。分からない。この心に形を与える言葉を。

 

 少女を黒が包む。意識が、断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その上空、翼の獣は倒れる少女に最後の一撃を加えようとしていた。それはあの災いを潰した黒い球。対象の全身を遥かに超えるそれが躊躇いなく落とされた。

 

 その景色を見る者がいた。石像だ。思念による意思伝達は短距離だが大まかに空間の形を把握するのなら極限まで薄めた思念を散らすだけで可能だった。

 戦いを、少女の敗北を見ることだけは出来ていた。

 

 待て。

 

 届かない。

 

 待ってくれ! 

 

 石像は懇願していた。少女が倒れてからずっと。だが届く訳が無い。意思伝達は出来ない。あの獣にはそもそも出来ていなかった。そして届いたとしても意味がない。

 

 背中を押してしまった。我が、あの時、あの時に····! 

 

 後悔があった。変えられた結果だった。止めていればこんな事にはならなかった。少女は人だが童だった。人だからといって壁はやすやすと越えられない。

 人が獣を討つのに一体どれだけ掛けたのか。感情すら覚束ない子供を命を取り合う場所に送ることが間違っていた。そもそも獣に対する認識が少女と石像で違う。同種として見る少女と基本的な獣を災いと同種の自然現象程度に見ている石像。少女の躊躇いには気づかなかった。今も気づいていない。

 

 あぁ····!! 

 

 黒の球が迫る。死が近づく。そして———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消えた。黒の球が跡形もなく横合いから飛んできた何かにより消し去られた。

 

 少女と獣から少し遠くの上空にそれはいた。

 灰色の巨大な指のようなものが五本生えた乗り物のようなものが空に浮いている。その上に、

 

 人間が乗っていた。

 

 薄い紫の髪と黄の瞳をしている少女よりは遥かに身長の高い謎の誰かがそこにはいた。姿形が揺らいでいない。確かに個として確立されている人間が。

 

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