文明が始まっておよそ800年あまり、人類踏破領域拡張機構である都市は最初の都市であるエルデュランデによりその効果が実証され、人々は古き滅びより免れた大地の聖地グレイスティアより巣立つ準備を始めていた。
すなわち、核となる法維炉心の量産だ。しかし、その製造には多大な時間と膨大な知識を必要とした。遥かな時間で作り出されたのは僅か四つ。それらをエルデュランデを中心に四方へ散らし都市を造った。それが以降で央四都と呼ばれた都市の始まりだった。
この時代では魔法に対する知識が乏しく、自然から生まれる災厄である魔法的事象の災いや獣に抵抗する術は限られた。災いに、獣に炉心を破壊され都市が滅びたのは一度や二度ではない。存在する時間が長ければそれだけ災いや獣にさらされる機会は多い。
だからこそ、央四都とエルデュランデは滅びを経験している。しかし、それには例外が一つする存在した。それこそがゼリオロットという都市だ。
都市そのものが大きく違ったわけではない。法維炉心による魔力供給で人々が住み得る空間を維持する当たり前の都市でしかない。都市を保ったのは人の意図から外れた奇跡だった。
それは、人を守護する獣の出現。ゼリオロット近辺に出現した巨大な獣が降り注ぐ災禍から都市を守ったのだ。
巨大な翼と尻尾、肌は鱗に覆われ、空を駆り水を司る青い異形。人々はその姿を過去の文献と照らし合わせ、行使する魔法とその肌色から水竜と呼んだ。
水竜は長い間、その都市を守護した。その間にゼリオロットの人間は竜と交流した。竜には人と心を通わせる知能があったのだ。竜は都市を守り、人はそれを助けるために手を尽くす。竜と人は共に手を取り合った。竜は都市の象徴となり、ゼリオロットは水竜の都市と呼ばれるようになっていた。
だが、そんな水竜にも死は訪れる。自らの死期を悟った竜は幾つかの遺物を産み落とし消滅した。竜の遺産は強力な魔具で人により、竜の力の一端を振るうことができるものだった。災いも獣も討ち果たせる。
水竜の意志と在り方を知る人々はそれを違えることなく受け継ぐために規律を作った。未来の民が水竜から託された力を正しく扱えるように、竜が遺した物が永遠に失われないように。
竜の意志を守るための規律は正しく作用し、水竜の名は都市と共にあり続けた。
それが水竜の都市ゼリオロット。
「と、いう感じね」
「わー!」
話を聞いて自然と少女は拍手していた。水竜を知り、少女は胸の奥が温かくなるような感覚を覚えている。
少女がこれまで見てきたのは人を殺すか、殺そうとする獣ばかりだった。人々から思考を奪った獣と、少女と戦った白い翼の獣。だが、水竜は人を守ったのだと言う。
獣は人を傷つけるばっかりじゃなかったんだ····!
少女はなんだか救われたような気分になった。
水竜に感謝、だね。
覚えたての喜びを表す言葉を既にいない素晴らしき獣に向けて贈った。そして同時に後悔も生まれた。
私や石像も水竜もそうなれたのなら···
他の獣にもそうなれる可能性はあったのかもしれない、と。そう考えていると思い出す言葉があった。
『何で躊躇ったの?』
『敵は殺さないとみんな死ぬよ』
意識を失い揺蕩う中で頭に響いた少女と似た声のそんな言葉。声色は冷え切っていて少女とは違っていた。
何だったんだろ。
思い当たる節のない全くの未知だった。
あの声は躊躇わずに殺すことを促した。もし少女が殺すことをすぐに割り切って冷静な判断で戦っていたなら最後の誘いには乗らなかっただろう。そうすればまだ勝ち目はあった。その言葉の中身は間違っていない。イシュリアがいなければ石像やこの街の人たちは全て殺されていたのだから。
······
それでも、少女はまだ割り切れていない。イシュリアには感謝した。石像や人々の生存には安堵した。その後で翼の獣の死を惜しんでいた。その思いは水竜の話を聞いて大きくなっている。
「どうかした?」
「え?」
イシュリアはゼリオロットの話が終わって笑顔を見せていた少女が突如として表情を暗くするのを見て心配していた。
「突然表情が暗くなったから何かあったのかと思って。ゼリオロットの話が嫌だった? それならごめんなさい」
「違うよ。水竜の話はすごくよかった。でも···」
イシュリアの言葉を即座に否定する。むしろ少女は感動していた。今の悩みは水竜から始まったがその焦点は都市ではなく獣の在り方から生まれたものだ。
「でも?」
獣はなぜ人を殺したのか、人を救ったのか。その違いが分かれば全部の獣を後者に変えられると少女は思う。少女は獣で、彼らも獣。殺したくないのは変わらない。方法があるのなら知りたいと少女は思う。
「どうして人を襲う獣がいるんだろうって。みんな水竜みたいだったら危なくないし、戦わなくってもいいのに」
「····そうね」
少女の言葉にイシュリアはハッとする。
聞いたところによると少女が最初に出会った意思疎通ができる相手は石像だった。そして石像に戦闘能力はなく、少女の戦闘能力は高くない。あの翼の獣はイシュリアの経験からして弱い部類だったのだ。もし他の獣に会っていたのなら死んでしまっていただろうことは想像に難くない。
だからこそ、少女は恐らくイシュリアが見た以外の獣に会っていない。もしくはそれ以外に会った獣も友好的だったのだろう。
イシュリアの中で石像や水竜のような友好的な獣は極めて稀だった。人類史で見てもそうだ。今まで生きてきて直接相対した獣の中で友好的とまで言える獣は石像が初めてだった。
少女の死の間際に割り込んで獣を討ったあと、少女を抱えて都市へ向かった際に初めて会ったが、その時の応対次第では水竜を知っていても問答無用で魔法を叩き込んでいたことだろう。
実際には(少女を助けてくれてありがとう!!!)と頭に響かせる声だというのに涙に混じりにとびきりの感謝を乗せた人間的すぎる言葉が発されて一旦様子を見ることにしたイシュリアだったがそれでも今尚警戒は完全に解けていない。それだけの警戒は当たり前で戦いを常に視野に入れなければならない対象だった。
だが、少女にとっては友好的な獣こそ普遍的で敵対的な獣が異常に映っていたのだ。親愛を抱く対象としてあった獣と戦わなければならないことを悲しんでいる。襲われたことに落ち込んでいる。そういう理由の表情だと、イシュリアは推察した。
「獣も私たちと同じで魔法からできているってことは知っている?」
「石像から聞いたよ」
「獣は人と違って括りが広いの。水竜もさっきの白いのも同じ獣だけど内部的には全く違うのよ。獣は自然によって発動してしまう魔法のこと、災いと同じようにね。何かを作る魔法でも、何かを壊す魔法でも自然から発生したならどちらも災いで、考えているように振る舞えば獣になる。どんな魔法でもそれは変わらない。だから人を襲う獣も生まれてしまう」
「どうにかできないの?」
「獣の思考に干渉できれば襲わないようにできるかもしれないけど、方法が見つかっていないわ。実はね、水竜や石像さんの方が特殊なのよ。これから獣と出会うとしてもまたあの白い翼を持った獣のように襲ってくることの方が多くなるでしょう」
「そうなんだ····」
「でもね。獣というのを区別しているのは思考と自然から生まれることだけ。ほとんど関係はないと思っていいぐらい。石像さんは石像さんで他の獣は全く違う存在だから気を落とさないようにね」
「うん···」
獣と獣に関わりは薄い。それならば同種とみなす必要はなくなる。だが、それでも少女の中であの獣の死を惜しむ心と獣との対立を避けたいという思いは変わらない。同種だから、というのは間違いなく理由の一つとしてあったがそれだけではなかったのだ。
石像や都市の人々の危機に感じた形容しがたい忌避感が獣にもあった。理由なく殺したくないと思っていた。それに同じ獣だからと覚えた感覚的な近さはすぐには消えない。だからイシュリアの言葉では少女の悩みは解消できない。
イシュリアは戦いを避ける方法はないと言った。つまり、戦わなければならないということだ。今のような心持ちで、少女は負けた。あの声に従って変わるべきだ。水竜のようには行かないと知ったなら諦めるしかないのだから。
······
心はまだ迷っていた。
身体を起こす。痛みが全身を巡った。
「痛っ」
下を見ると、全身の至る所に包帯が巻かれていた。
「これ···」
「それは包帯、動きづらいとは思うけど傷が治るまでは外さないようにね」
「わかった」
包帯···石像が言ってた血を止めるものってこれだったんだ。
言葉から知識が導かれる。そして少女は思考の中に浮かんだ石像の声を先ほどから聞いていないことに気づく。
「ねえ、石像! 大丈夫!?」
(むぅ!? だ、大丈夫じゃぞ。どうしたんじゃ)
無事だった。
「よかったぁ。全然しゃべらないから何かあったのかと思ったよ」
(我は無事じゃ。心配させてすまなかった)
「謝らなくていいよ。でもなんでしゃべらなかったの?」
(それは···大した理由はないんじゃ、気にせんでくれ)
「わかった!」
イシュリアは石像の声色から何かを抱え込んでいることを感じ取る。それを後でそれとなく聞いておこうと思いながら、ここまでの会話から今すべきことを理解する。
少女はもちろん、石像とも持つ知識がまるで異なった。会話の中で補足し合える域を軽々と超えていたのだ。
「石像さんも戻ってきたことだから、あなたたちと私の知識を一度全部擦り合わせない?」
(そうじゃな。惑星変動など知らぬ点が我の想定より多かった。知識の相違の確認は優先すべき事項じゃ)
そうして、知識のすり合わせが終わる。
石像は困惑していた。
エルデュランデが1000年も前に滅んでいた····じゃと?
イシュリアの話ではエルデュランデは人類が文明を起こしてから3000年の内、2000年の頭の段階でエルデュランデは滅んでいたのだと言う。
しかし、石像は3000年エルデュランデは続いていることを実際にエルデュランデに生きる人間から聞いていた。その話と明確な齟齬がある。
何故じゃ?
エルデュランデは確かに思念で感じ取った。少女もその目で確認している。滅ぶにしても時期がおかしい。
少女は気を落としていた。
獣が、イシュリアの都市を滅ぼした····
少女がさっき目覚めた時に「これまで巡ってきた21の都市には話せる状態の人は誰一人いなかった。全員この都市と同じ状況だったわ」とイシュリアは言っていた。「生きている人に、話せる誰かにまた会う事が出来たからよ。もう二度とないと考えていたけれどここまで来て良かった」とも。それを聞けば分かることではある。石像も分かっていた。しかし少女はまだ状況を飲み込みきれていないタイミングで自分の中の疑問と先刻の戦いでの後悔で認識できていなかった。それをようやく認識する。
石像が話した光で建物を切り裂き、人の思考を奪った獣はイシュリアが渡った全ての都市で同じことを行い、この都市の人々と同じような姿にしていた。イシュリアの故郷である水竜の都市も例には漏れない。獣により守護された都市は結局、獣により滅びてしまった。
獣による悪行に少女は胸が苦しくなる。それでも殺すことを躊躇いなく行えそうにない自分に嫌気が差している。
イシュリアには驚きがあった。
エルデュランデが3000年代まで残っていたという話は聞いたことがない。2000年から3000年にあるエルデュランデは一体何なのか。それに少女が獣であるというのも信じ難い。イシュリアから見て少女は人間にしか見えなかった。あり得るのかもしれないがそんな獣の前例はない。
そして、一番の衝撃はイシュリアの故郷を滅ぼした獣が近いことが石像の話で分かったことだ。
エルデュランデから、離れないと。
この場所も危険だ。だからこそ、とにかく逃げて生き延びなければならない。
一人ならともかく、今はあの子も石像もいるんだから。
故郷が滅びた日を思い出す。両親も、友達も、揃って物言わぬ不気味な生気のない塊になってしまったあの日のことは今でも鮮明だった。
もう、見たくない。この子たちは絶対に守ってみせる。
心の中でそう決意した。