【完結】汚泥より這い出で、荒野を渡れ   作:不知東西屋

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Origin03:止まれるくらいなら、最初から挑まない

 鳴鐘との契約に基づいて、伴野の家で暮らしたのはトレセン学園入学までのおよそ3年間。

 単調ながらも充実した日々だったと言ってもいいだろう。

 

 良い環境の対価として行われる行為については、まったく好きになれなかった。

 しかし、私はスポンサーである鳴鐘と父親役である伴野のことは嫌いではなかった。

 

 鳴鐘はギラギラとした野心的な男で独善的な傾向があったが、一方である種の誠実さと公平性を持っていた。

 それは道徳や法律を順守する類のものではなく、無法の地でも自ら結んだ契約は順守するという類いのものだった。

 

 伴野は鳴鐘の忠実な部下であり、私のことは完全に上司の取引相手として扱った。

 ビジネスライクだが、礼儀を踏まえた対応だ。

 外面のために気やすくふるまうことも多かったが、互いに繊細に距離をとる、そんな関係。

 

 つまり、2人は私を見降ろさず、哀れみも、虐げもせず、ただ対等な相手として扱った。

 

 明確なルール、明確な立場、互いに義務を遂行しあい、権利を行使しあう対等な関係。

 

 現在に至るまで、家族というものを知らない私にとって、互いの利害のための契約で結ばれた関係は明快で理解しやすかったのだ。

 

 そんな状況が変わったのは小学6年生の冬。

 

 無事、中央トレセン学園からの合格通知を受け取った祝いの席。

 行きつけの鉄板焼きの店の個室で、私と鳴鐘が食事をしていた時だった。

 

 血の滴るようなレアステーキ。

 一片を持ち上げようとした鳴鐘がフォークを取り落とした。

 なんでもない仕草だった。

 

 本人も私も「アレ?」と思ったが、フォークを拾い直そうとした鳴鐘がそのままバランスを崩して床に倒れた。

 

 その後のことは混乱していて記憶が曖昧だが、病院に伴野が駆けつけてきたのは確かだ。

 おそらく、緊急時には連絡が入るようになっていたのだろう。

 

 お通夜とお葬式の記憶はない。

 そもそも、出ていないから当然だ。

 

 外面として、私は鳴鐘の部下である伴野の養女。

 競技ウマ娘としての支援を受けていると言っても、その対価が対価である以上、親族の前に出ていくわけにもいかないのは明らかだった。

 

 伴野が忙しく、留守がちな日が続いた。

 私も、落ち着かない気分でしばらくの日々を過ごした。

 

『今後の話』が伴野から聞かされたのは、10日ほどが経ってからのことだった。

 

「私と君にはそれぞれ、まとまった金額が渡されることになった。まあ、口止め料込みの退職金と言ったところだね。」

 

 養父はいつもどおりの率直な言葉で語った。

 ただ、口調にも表情にも隠せない疲労がはっきりと現れていた。

 一つ、何か、彼の中で時代が変わったとでもいう様子だった。

 

「トレセン学園には行けるんですか。」

 私にとっての最重要項目。

 

 伴野は頷いた。

「もちろん。私達3人の関係は褒められたものではないけれど、知っている人はほとんどいないし、証拠もない。」

 

 そこまで話してから、「ただ、」と言葉の勢いが弱まった。

 

「コネやツテはほとんどなくなった。元々、権さん個人のモノも多いし、私はビジネスについてはほとんどかかわっていないからね。」

 一瞬、「権さん」が誰かわからなかった。すぐに、そういえば鳴鐘権一郎という名前だったと思い出す。

 

「やっぱり、そうなりますか。」

 予想はしていたが、はっきり言われると少し堪えるものがあった。

 

 そもそも、ウマ娘の競技レースは代を重ねた名門を中心とした強烈なコネ社会。

 ただ金があるだけでは何もできない。

 

 金すらおぼつかない私が言えたことではないが。

 

 いま、私が指導を受けているコーチにしても、鳴鐘がビジネスを通じて得たツテと彼の辣腕によってアポイントを得たものだ。

 そこまでしても、いわゆる「一流どころ」には依頼もできなかったと、生前、鳴鐘が悔しそうにしていた。

 

 おそらくだが、私が首尾よく競技レースの世界に適応した場合。鳴鐘は私を足がかりにレースの世界へもビジネスを広げようと考えていたのではないだろうか。

 

「私としては、権さんから受けた恩もある。出来る範囲で君の支援を続けたいと思うが、君はどうする。」

 

 それはつまり、1つの提案。

 トレセン学園へ入学するのではなく、鳴鐘の遺産を活用して、高校、大学へと進学し、より堅実な進路をとる道もあると言う。

 

 私は首を横に振った。

「ここで止まれるくらいなら、ハナから鳴鐘さんに自分を売り込んだりしていません。」

 

 あの秋の日、京都競馬場で出会ったウマ娘の素性はすでに分かっていた。

 同い年、小学生のうちからシンボリ家の最高傑作と噂されるエリート中のエリート。

 

 シンボリルドルフ

 

 あの日以来、直接会ったことはない。

 小学生の模擬レースとはいえ、名門は名門の中だけで完結している、

 コネもツテもない私では、参加はおろか、観戦することも容易ではない。

 

 それでも、噂が聞こえてくるくらいには評判だった。

 初めて写真を見て、あのウマ娘だと確信を得たとき、私の決意はさらに固くなったのだ。

 

 私の返答を聞いた後、伴野はぎこちなく笑った。

「そうだな。そうだろうな。だからこそ、権さんも君を気に入った。」

 複雑な感情がにじむ声だったが、そこに含まれるものまでは私にはわからない。

 

 しかし、そうして感傷に浸っていたのはそれほど長い時間ではなかった。

 

 伴野は居住まいを正すと再び口を開いた。

「君の覚悟はわかった。私も出来る限りの応援はさせてもらおう。改めて、よろしく頼む。」

「ええ、改めてよろしくね。お父さん。」

 

 テーブルの上で握手をした。

 伴野にとっては延長戦。私にとっては待ちに待った本番の開始を宣言するように。

 

………。

 

 鳴鐘の四十九日が終わった後、一度だけ、お墓に手を合わせに行った。

 

 そこに至ってもなお、私は鳴鐘の死に対する評価を定められずにいた。

 悲しいようであり、解放感もあった。嫌いではなかったが、好感を持っていたとは言えない。

 ただ、少し寂しいような気はしただろうか。

 

 まあ、トレセン学園の制服を汚されることがなかったのは、いいことだったと思う。

 生前に届いていたら、間違いなく、着せてシたがっただろうから。

 

 周りのお墓と比べて、広くて立派な、真新しいお墓。

 風はまだ冷たいが、日差しにはどこか温もりがある。

 

 トレセン学園への入学が間近に迫っていた。

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