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東京 芝 2000m オープン戦 出走10名
出バ表
1枠1番:テークアンドラン
2枠2番:モンキーレンチ
3枠3番:アオイソニドリ
4枠4番:ノドカナヒヨリ
5枠5番:トルクエンジン
6枠6番:スパイスシーズ
7枠7番:コッチスコッチ
7枠8番:グレイナイザー
8枠9番:ヒヤリハットリ
8枠10番:メロウイエロ
………。
<Side:グレイナイザー>
東京競バ場はシンプルな俵型というか、普通の陸上競技用のトラックと同じような形状をしている。
一周がおよそ2100m。
2000mの今回は第1コーナーを若干
第2コーナーを抜けて、高低差約1.5mの坂がある向正面を通過して、第3,第4コーナー。最終直線で高低差約2mの坂を超えてゴールとなる。
………。
返しウマの途中に他の出走者を確認しながら、作戦を振り返る。
今日の出走者の中で、逃げは2人、先行が3人、差し、追い込みも2人ずつ。
脚質はバラけている。
よくない。
それぞれに自分のペースで気ままに走られるきれいなレースが私としては一番まずい。
もともと、単純なフィジカル面での強みに乏しい私だが、今は菊花賞に向けて本格的にステイヤーとしてのトレーニングを始めている。
今の私は、スタミナを補強した分、パワーとスピードで他の出走者に劣るだろう。
足元で水が跳ねて靴を濡らす。
稍重のバ場の不快さがチリチリと精神を刺激する。
メイクデビューに感じた、【領域】の予兆がする。
ただし、計算には入れない。発動できるか不明なうえに、私自身すらデバフに巻き込む使い勝手の悪いものだから。
目線を上げる。
客席近くを走っていたアオイソニドリが足を緩め、ゴール付近のスタンドに手を振っていた。
…、おそらく両親がいるのだろう。
応援に来ているのは知っている。
挨拶はしていない。
アオイソニドリは私以上に乱戦に強い。
パワーとか、負けん気とかではなく、ポジション取りとコース選択に天性のセンスとしかいえない嗅覚がある。
カーブの角度が緩やかで、コース自体の幅も広いため、紛れの起きにくいコースといわれる東京競バ場。
程よく脚質がバラけてゴチャついた乱戦になりづらい出走メンバー。
それでもどうにかペースを乱して乱戦に持ち込まなければ、勝ち目は薄い。
しかし、それに成功しても、私以上に乱戦が得意なソニドリがいる。
……、面白い。と、思うことにする。
この程度で音を上げていたら、到底、皇帝陛下を弑し奉ることなどできないだろう。
深呼吸とともに集中を高めていく。
……、ゲートインの時間だ。
さすがにクラシック期のウマ娘たち、いずれもスムーズなゲートインが続く。
私の番は最後から2番目。
集中力を高めながら、いつもと違う高揚感を感じている。
常にみなぎる勝利への渇望とはまた別。走ること、競うことへの純粋な欲求。
感じるのは初めてではない。しかし、はるかに昔。
胸の熱が脳髄を刺激し、記憶がよみがえる。
それは母から解き放たれた後、シンボリルドルフへの反逆を決意する前。
周囲に同年代のウマ娘もおらず、得意絶頂だったあの頃の感覚に近い。
私のゲートインの順番になる。
児童養護施設でガキ大将を気取っていた生意気な子供がゲートの中から私を振り返った気がした。
「ひょっとして。ビビってんの?」と言わんばかりの表情で。
自然と口角が上がる。
背後でゲートの閉まる音がする。
今の私はいたずらを思いついた悪ガキみたいな顔をしているはずだ。
間を置かず、最後のウマ娘がゲートに収まる。
数秒の間。
ゲートの開放。
さあ、楽しいレースの時間だ。
『今、スタート。そろったスタートになった。まず飛び出したのは1枠1番テークアンドラン、5枠5番のトルクエンジンが後に続く。まずはこの2人が逃げてペースを作る展開か。』
いいスタートを切ったテークアンドランを同じく逃げウマ娘のトルクエンジンが追う。
『少し離れて6番スパイスシーズ、3番アオイソニドリ、4番ノドカナヒヨリ、8番グレイナイザーが2番手集団を形成。さらに7番コッチスコッチ、10番メロウイエロ、9番ヒヤリハットリと続き、最後尾に2番モンキーレンチ。まずは各バ第2コーナーを通過し、向こう正面に向かいます。』
実況と解説の声が耳に入ってくる。
『クラシック期にもなり、みんな落ち着いています。出遅れもなし。今は駆け引きしながら位置取りしている状態ですね。レースが動くのはまだ先か。』
落ち着いたレース展開。
それは、私にとっての追い風を意味しない。
私は決して速いウマ娘ではない。
ただ漫然と走ってしまえば、勝利はおぼつかない。
どこかで、全体のペースを乱す必要がある。
いつかやるなら、早い方がいい。
『おっと、開始直後だが、グレイナイザーが動いた。外から2番手集団先頭のスパイスシーズに並びかける。あわせるように内からはアオイソニドリが前に出てきた。』
アオイソニドリがあわせてくるのは、想定の範囲内だ。
そもそも乱戦にしてどさくさの勝ちを拾いたい私と乱戦が得意なアオイソニドリの利害は一致している。
それならそれで利用するだけだ。
『スパイスシーズとノドカナヒヨリは争わず、2番手集団の中で順位が入れ替わって、いま向こう正面を通過します。』
息を入れる意味も込めて減速。少しだけだが、明確に。
なにか意表を突いてくるかと思ったが、アオイソニドリも速度を緩めている。
ここで、アオイソニドリの方に向けて、うなずきかけるそぶりを
後続への揺さぶりだ。
私とソニドリが並走する形。後ろにいるスパイスシーズやノドカナヒヨリからすれば同じチームの2頭が壁になっている状況。
ルール上、ないはずと思っても、チームメイト同士の連携が頭をよぎる。そして、実際に邪魔くさい位置取りで蓋をされている。
疑念とフラストレーションを感じるはずだ。
同時に前方の逃げウマ娘たちも観察する。
逃げの2人のうち、テークアンドランは割と視野が広く、冷静なタイプだ。
先頭を逃げながら後方にも気を配れるのは基本的には長所だが、一方で後方の動きに惑わされる可能性があるということでもある。
スローペースは前残りになりやすい逃げ有利の展開。
できれば、私たちのペースに合わせて息を入れたいはずだ。
『さあ、全体にスローペースで展開している。先頭のテークアンドランとトルクエンジンが坂を超えていく。後方ではモンキーレンチがじわじわと上がってきているぞ。』
向こう正面の高低差約2mの上り坂。
ここで、さらにスピードを落とす。
上り坂にむけて気合と力を入れた後続、スパイスシーズたちに自分のペースで走らせないように。
『さあ、1000mを通過し第3コーナー。おっと、ここで動いた。スパイスシーズが加速、外からグレイナイザーに並びかけていく。ノドカナヒヨリもつられるように前に出る。』
『仕掛けるにはまだ早い気がしますが、大丈夫でしょうか。』
来た。と、思った。
彼女たちの本来の得意とする展開なら、スパートはまだ早い。
しかし、このまま私にペースを握られたままの方がリスクが高いと判断したのだろう。
楽には抜かせないように加速し、カーブの遠心力に負けたかのように、わずかに外へ膨らんでルートをふさぐ。
徹底的に気持ちよくは走らせない。
そうしながらもペース自体は上げ、逃げる2人にプレッシャーを強めていく。
『アオイソニドリ、グレイナイザーもペースを上げ、先行集団が一団となって、逃げる2人を追う展開。レースは第4コーナー。おっと、大内を進んでいたノドカナヒヨリ。少しよれたように見えましたが、問題はなさそうか』
先を行く逃げの2人のペースも上がる。
2人にとっても早いタイミングのペースアップのはず。稍重のバ場と合わさり、スタミナを消費されれば、私の勝ち目も増えてくる。
その時、アオイソニドリのわずかに左後方。第4コーナー内ラチいっぱいを攻めていたノドカナヒヨリがわずかに足を取られ、よろめいた。
あ、ぶつかる。と思った瞬間。
アオイソニドリから、限界まで研ぎ澄まされた集中が、ターフの上にあふれだしてきた。
【領域:青い鳥の
自分の方に振られてくるノドカナヒヨリの体。まるで分かっていたかのように身をかわすアオイソニドリ。
刹那、私は幻視した。
彼女の眼前に、月明かりが夜をおぼろに照らすように、淡く光る道が示される。
乱戦の中で進むべき道を示す彼女の領域。
そして、理解する。
速くなるのではなく、コース取りにロスがなくなる。
暗闇の中に、進むべき道を示してくれる。
それは、優しく、美しい彼女の世界。
月光に導かれるように、アオイソニドリが集団から音もなく抜け出そうとしていく。
それを見て、私は叫びだしそうになった。
ずるいじゃないか。と
その領域は、愛し愛された家族の待つ、
私には想像することすら難しい世界をアオイソニドリは駆けていこうとしている。
このままでは負ける。
確信が呼び水となり、私の中で四つ足の獣が咆哮する。
劣勢の焦燥が、存在への嫉妬が、無力さへの怒りが、集中力を限界まで研ぎ澄ます。
【領域:汚泥の中を這いずる獣】
領域の発動。
瞬間、稍重だったターフが汚泥の沼へと変貌する。
それから理解する。
そうか。私はこの醜く、寂しい領域をアオイソニドリに見られたくなかったんだ。と
だが、それでも負けたくない。
これが、私だ。いや、これこそが私だ。
足元のぬかるんだ地面がねばりつき、意思をもって足を絡めとろうとするかのような集団幻覚。
周囲のウマ娘たちの困惑が、嫌悪感が伝わってくる。
私の領域は、私に注意を向けていた者に対して強い効果を発揮する。
特に間近にいた3人、アオイソニドリ、スパイスシーズ、ノドカナヒヨリへの効果は大きい。
さらにアオイソニドリが抜け出しかけ、逃げウマ娘たちの注意が後方に向いていたことも幸いした。
「なに、この感じ!?」
「バ場が、重いッ!」
テークランドランもトルクエンジンも、捕まえた。
『第4コーナー途中、先頭集団のペースがガクリと落ちた。後方集団との差が急速に詰まっていく。』
『残り600m。スタミナ切れにしては早いですが、どうしたのでしょうか。』
私が出走者の中で唯一優越しているはずのスタミナ。
それを生かすべく、スパートを開始する。
先頭の足も鈍っているが、追い上げてきた後続集団も私に近づくほどにデバフの影響を受ける。
結果、集団がぎゅっと押しつぶされるような、本格的な混戦が出現する。
『一気に混戦模様となったが、最終直線へ。順位はテークアンドラン、トルクエンジン、わずかに遅れてアオイソニドリとグレイナイザー。さらにスパイスシーズとノドカナヒヨリが続き、2バ身ほど遅れてモンキーレンチ、コッチスコッチ、ヒヤリハットリ、メロウイエロの順。』
残り500m、坂の直前でアオイソニドリと前の2人をまとめてかわす。
先頭に立った私に注目した分、先頭から最後までデバフが強まるのを感じる。
足が重い。
だが、私はまだ走れる。
『ここで順位が入れ替わった。先頭に出たのはグレイナイザー、アオイソニドリもそれに続く。テークアンドランとトルクエンジンはここまでか。伸びない。後ろからモンキーレンチとコッチスコッチも上がってきているぞ。』
後方集団も上がってくる。現状、領域を発動しているアオイソニドリに次ぐ脅威が彼女たちだ。
シンプルに消耗が少ないし、本来の自分のペースに近い形でここまで来ているからだ。
『さあ、最終直線、残りは300m。先頭は依然グレイナイザー。だが、内から徐々にアオイソニドリが来ているぞ。モンキーレンチとコッチスコッチは届くのか。後続も大きな差はないぞ。』
状況はアオイソニドリ有利。
彼女の領域の効果だ。
私の領域によって実際以上に悪くなっているバ場の中、それでもロスが少ない。比較的まともなコースを自然と選んでいる。
デバフが軽減されている。
レースの前半にスパイスシーズたちをけん制するために若干無理をしたが、それでも振り回した側で比較的余裕があるだろう。
このままでは負ける。
ソニドリが私の領域から受けるデバフより、私自身が受けるデバフの方が大きいから。
だが、まだ領域を捨てられない。
いま、解除してしまえば、今度は後方から迫るモンキーレンチとコッチスコッチに私は食われることになる。
まだだ、まだ。
自分に言い聞かせながら、懸命に足を動かす。
アオイソニドリは今や完全に私の真横にいた。
『残り200m。グレイナイザー、アオイソニドリが横ならび。足色はアオイソニドリ有利か。2馬身遅れてモンキーレンチとコッチスコッチ。果たしてここから届くのか。トルクエンジン、粘っているが苦しいか。ノドカナヒヨリとメロウイエロも懸命のスパート。』
スタンドからターフに声援が降り注ぐ。その中心を駆け抜けていく。
酸欠に明滅し始める思考の中で、浮かんでくるのは「負けるわけにはいかない」という思い。
「負けたくない」ではなく「負けるわけにはいかない」。
他の誰でもなく、アオイソニドリだけには、負けるわけにはいかない。
だって、
だって、
だって、私はこの娘からの、親友からの敗北を、許容してしまうかもしれないから。
残り100m。
領域を解除した。
おぞましい幻覚は消え、ただの稍重のバ場が帰ってくる。
私も、アオイソニドリもわずかに足色がよくなる。
もう実況も歓声も聞こえない。
ただ、同じレースを走るウマ娘の鼓動が、存在感が伝わってくる。
こみ上げてきた衝動のまま咆哮する。奇しくも同時にソニドリも声を上げていた。
「「勝つのは私だぁあああああああああああああああああああっ!!」」
アオイソニドリと並んでゴール板を通過した瞬間、周囲の音が復活する。
『3番アオイソニドリと8番グレイナイザーがならんでゴール。続いて7番コッチスコッチ、2番モンキーレンチ、4番ノドカナヒヨリ、5番トルクエンジン、10番メロウイエロ、1番テークアンドラン、9番ヒヤリハットリ、6番スパイスシーズの順。1着は写真判定になります。』
惰性でしばらく走り、減速して歩き出す。
『中盤から乱戦になりましたが、それを仕掛けたウマ娘とうまく順応したウマ娘が上位に来ましたね。』
歯を食いしばり、アオイソニドリを振り返る。
祈るような顔で電光掲示板を見つめる横顔を。
私には確信があった。
ゴールした瞬間の姿勢の差。私のハナ差負けだ。
『確定しました。1着3番アオイソニドリ、2着8番グレイナイザー』
直後、はじかれたように振り向いたアオイソニドリに歩み寄る。
腹の底から湧き上がる悔しさをかみしめながら、何とか笑顔を浮かべる。
「おめでとう、アオイソニドリ。」
右手を差し出す。
ソニドリはそれをまるで宝物みたいに両手で包み込んだ。
丸く大きな瞳から、同じくらい大きな涙のしずくが零れ落ちる。
「ナイザーちゃん、わたし、わたし、、、。」
「いいレースだった。楽しい、レースだったね。」
空いている左手で目元をぬぐってやる。
言葉の半分は虚勢だが、まるっきり嘘なわけじゃない。
「あ、ありがとう。」
ぬぐった先からこぼれてくるしずく。
きりがないな、とぬぐうのを諦めた。
「さあ、ご両親や観客に挨拶してきなよ。」
軽く背中を押してやる。
勝者が歓声の中へ、手を振りながら歩いていく。
私は稍重のぬかるみに悔しさとともに立ち尽くす。
以前の敗北以上の悔しさ。それを感じていることに、ほんのわずかに安心もしている。
あくまでも、敗北を拒絶する自分の心。
それがある限り、私は挑戦し続けられる。
<リザルト>
1着 3番 アオイソニドリ
2着 8番 グレイナイザー ハナ
3着 7番 コッチスコッチ クビ
4着 2番 モンキーレンチ アタマ
5着 4番 ノドカナヒヨリ 半バ身
6着 5番 トルクエンジン 1バ身
7着 10番 メロウイエロ 半バ身
8着 1番 テークアンドラン 1バ身
9着 9番 ヒヤリハットリ 2バ身
10着 6番 スパイスシーズ 半バ身
【領域:青い鳥の
レースの後半で周囲にほかのウマ娘が多いと発動。ロスの少ない安全なルートが淡く光って現れる。