<Side:蜂谷雀子>
理事長たちによる事情聴取と口頭注意を受けてチームルームに戻るころには、春の日も暮れ、夕飯時と言ってふさわしいころ合いになっていた。
いるだろうと思っていたら、案の定、アオイソニドリもグレイナイザーも私を待っていた。
理事長が早めに話を切り上げてくれて助かった。
おかげで寮の門限にはまだ少し余裕がある。
「ずっと待っていたのか。レースの後なんだ、ゆっくり休んでくれよ。」
ソファに腰かけながら、そう笑いかける。
私の表情から悪い状況ではないと察したのか、2人の表情も少し和らいだ。
「レース直後にトレーナーが理事長から呼び出されたなんて、心配にもなりますよー。」
ため息をつきながら、アオイソニドリがインスタントコーヒーを淹れてくれる。
「やはり、八百長やチーミングを疑われたんですか。」
グレイナイザーの質問に、私は苦笑しながら返答する。
「そこまでの話じゃない。念のための確認と注意だけだ。」
それだけの説明では2人とも納得しきれないようだったから、さらに言葉を付け加える。
「レースの序盤にグレイナイザーとアオイソニドリが、二人で歩調を合わせて後続をけん制したのが一部の理事から疑問視されたんだ。その後の展開やレース結果を受けて八百長などの問題行動には当たらないと判断された。ただ、今後はチームメイト同士の共食いレースは控えるようにと言われたけどね。」
「じゃあ、処分とかは」
「ないよ。行く前にも言っただろう。心配はいらないと」
ここまで聞いて、2人も安心したらしい。
目に見えて肩の力が抜ける様子に、思わず笑ってしまった。
そのまま、雑談交じりの感想戦になったが、もともと長居するつもりはなかったのだろう。
グレイナイザーがほどほどの所で立ち上がる。
「それじゃあ、私たちはそろそろ帰りますね。寮の門限もありますし」
それに続こうとするアオイソニドリを私は呼び止める。
「あー。すまないが、ソニドリは残ってくれ。」
そう言うと、アオイソニドリは戸惑い顔でうなずいて、浮かしかけた腰を戻した。
グレイナイザーもけげんな表情ながら、寮へと帰っていった。
「おなかも減っただろうが、もう少し話に付き合ってほしい。」
言いながら、菓子をテーブルに出す。
ソニドリは自分の分のコーヒー(比率的にはコーヒー牛乳だが)を用意して、私の向かいに腰を下ろした。
「あの、私、なにかしちゃいましたか。」
少しだけ不安そうな彼女の言葉をかぶりを振って否定する。
「いや、ソニドリと言うよりは、ナイザーを少し1人にしてあげたほうが良いかと思ってね。」
「ナイザーちゃんを、ですか」
「ナイザーは年齢に似つかわしくないほどの自制心と精神力を持っている。お前たちの友情が1度の勝負で揺らぐとも思っていない。でも、敗北を飲み込むための時間は必要だよ。」
私の言葉にソニドリはうなずく。
マグカップを両手で持つ仕草がかわいらしい。
「わたし、勝ったんですよね。」
「ああ、いいレースだった。」
ソニドリがポツリとつぶやき、私はそれを肯定した。
出走メンバーやレース展開が彼女に向いたとはいえ、正々堂々勝利したことは誰にも否定できない。
「ありがとうございます。トレーナーさんのおかげで、全力でナイザーちゃんと戦えました。」
こちらに頭を下げるソニドリに向けて、私は少し気になっていたことを尋ねてみた。
「今回、なんでナイザーと戦いたいと言ったんだ?」
「それは、」
一旦口を開くものの後が続かない様子に、聞き方が悪かったかと言葉を足す。
「誰かと競いたいっていうのは、ウマ娘の本能で、特別な理由がなくても不思議じゃない。でも、3月のあのタイミングで言い出したのは、なにかソニドリを思い切らせるきっかけがあったんじゃないかと思ってね、」
「…、ナイザーちゃんには内緒にしてくれますか。」
「もちろんだ。」
ソニドリの口はまだ重そうだったが、私がそう請け負うと踏ん切りがついたらしい。
「私がナイザーちゃんとのレースをお願いする少し前、食堂でビゼンニシキさんと話をしたって言いましたよね。」
「ああ、聞いたよ。」
もともと、練習以外の学園生活についてもかなり詳しく情報共有している。
ビゼンニシキとの一幕も今後の情報収集の助けになりそうだと、2人から話を聞いていた。
「あの時、ビゼンニシキさんと話をしているナイザーちゃん見て、思っちゃったんです。くやしいなって」
「くやしい?」
意外な言葉に思わず聞き返すと、ソニドリはコクリとうなずいた。
「ナイザーちゃんはシンボリルドルフさんに勝つことに一生懸命で、シンボリルドルフさんや菊花賞に出てきそうな子たちのこと、すごく見てます。」
「そうだな。研究熱心なのは、ナイザーの長所の一つだ。」
「私もそう思います。すごいなって、いつも感心してる。でも、その時は悔しかった。ナイザーちゃんの眼中に私がいないことが。だから、言いたくなっちゃったんです。私だって同期のライバルだ。私を見ろって」
そう言うアオイソニドリの目の奥に、今日のレースで燃えた闘志の残り火がほのかに揺れているように見えた。
「なるほどな。それで、勝負したいと言い出したのか。」
納得があった。
誓って、険しい表情などはしていなかったはずだが、ソニドリの口調はトーンダウンし、わずかな後ろめたさがそこに滲んだ。
「トレーナーさんにも迷惑かけちゃうし、私が勝ったらナイザーちゃんの菊花賞出場の可能性が下がっちゃうってことは分かっていたんですけど、やっぱりあきらめられなくて」
「そんな顔をするな。つかみ取った勝利を笑顔で喜ぶのは、勝者の権利であり、義務だよ。」
私の言葉にソニドリは背筋を伸ばすと笑顔を浮かべた。
「そうですよね。こんな態度、他の人にも失礼ですよね。」
勝利はもちろんうれしいはずだ。ただ、レース直後の興奮が過ぎ去って、少し考えすぎてしまっているだけだろう。
「ああ、それに私は今日のソニドリの勝利は決してナイザーの菊花賞挑戦を邪魔するものではないと、むしろ追い風になるものだと考えているよ。」
「どういうことですか?」
「今まで、同級生のチームメイトと言いつつ、お前たちの関係はどこか姉妹のようで、ナイザーにソニドリを頼る思考が薄かった。ソニドリも心当たりがあるだろう。レースでもそれ以外のことでも、助けを求められたり、相談されたことがあるか?」
水を向けると、おずおずとうなずく。
「あんまり、ないかも。」
「付き合い始めの頃のイメージが強いのかもしれない。入学当初は今以上に、アヒルの雛みたいにナイザーの後についていたからな。」
「え、えへへへ」
恥ずかしいのか、ほのかに赤面し頭をかくソニドリ。
私は言葉を続ける。
「しかし、今日、お前はレースの結果で示した。自分はナイザーに助けてもらうばかりの存在じゃないと。」
グレイナイザーは独立心が強く、そのための努力も惜しまない。
一方で人を頼ることが下手だ。
心の奥底で他人を信じていないのかもしれない。
ただ、それではシンボリルドルフには勝てない。
ただでさえ素質で劣る上に、シンボリルドルフは幼いころから他人に頼ることを学んできている。
外面上は、かしずかれ、使用する形だろうが。
自分自身の優れた素質をトレーナー、シンボリ家の者、それ以外の支援者、そういう数多の他人の力を借りて、育て、磨いているからこそのシンボリ家の最高傑作。
そんな相手にグレイナイザーが勝つためには、彼女を支え、また彼女が助けを求められる相手が1人でも多く必要で、
「菊花賞が記念出場でいいなら、今日の敗北はマイナスだろう。だが、ナイザーの目標はあくまで勝利。そのためにはお前が頼れる存在になることは絶対にプラスになるよ。」
これは別にソニドリへのフォローではない、確かな本音だ。
アオイソニドリの背筋に力が入り、瞳には先ほどとは違うやる気の炎が灯った。
「トレーナーさん、私、もっと頑張ります。ナイザーちゃんに頼ってもらって、力になれるように」
「ああ、私も頼りにしているよ。」
「はい、任せてください」
………。
寮の門限ぎりぎりにアオイソニドリを送り出し、今日のレースのデータのまとめに手を付ける。
本格的には明日以降に行なうつもりだが、記憶の新しいうちに要点だけでもまとめておきたかった。
少なくともこの仕事をしているうちは、ゆっくり休むなんてことは夢のまた夢だと思う。
勝利と敗北の間には天と地ほどの差がある。
けれど、勝っても負けても、その後にやることは変わらない。
ゴールを駆け抜けたら、すぐに次の勝負に向けて準備が始まる。
私たちはそういう世界にいるんだから。
誰に強制されたわけでもなく、ただ、自分の意志として