<Side:グレイナイザー>
電話っていうのは、人類史上で最悪の発明品だと思う。
いつだって突然に悪いニュースを持ってくる。
持ち上げた受話器から、いいニュースを聞いたことがある人なんて、果たしているのだろうか。
トレセン学園とは段違いに涼しい長野の高原。
合宿に利用している民宿で私はその電話を受けた。
もちろん悪い知らせだ。
「グレイナイザー、お養父さんからだ。」
受話器をトレーナーから受け取って耳に当てる。
相手は言葉の通り、養父である伴野順二だった。
『おひさしぶりです。合宿はいかがです。慣れない環境で体調を崩していませんか。』
「ありがとう。心配はいらないわ。メニューも順調に消化中だし」
まずは無難な切り出し。
実際に体調と実力の伸びも悪くない。
とはいえ、彼我の実力差は明白で、毎日もがきながら勝機を見出そうとしているところだったが。
『ご機嫌伺いだけで話が済めばよかったのですが、残念ながら悪い話があります。』
「まあ、そうでしょうね。」
伴野からの電話という時点で込み入った話になることを予想していたからだろう。
トレーナーもアオイソニドリもすでに周りにはいない。
離れていくとき、アオイソニドリはどことなく心配そうな顔でこちらを見ていたが、素直にトレーナーと連れ立って行った。
「大丈夫。トレーナーたちも外してくれたから話してちょうだい。」
『それでは、話させていただきますが、どうか落ち着いて聞いてください。』
いつにない慎重な切り出し方に、警戒感が高まる。
私は衝撃に備えるように静かに息を吸った。
『あなたの母親が先日、出所しました。』
「……、え」
自分のものとも思われない、細くて弱い声が出た。
『さらに、彼女はあなたとの接見を希望しています。もちろん、断ることもできますが』
空転しそうな思考を何とかせき止めて、伴野の言葉を受け止めるのに、少しの時間が必要だった。
やはり、電話というものは人類史上最悪の発明品だ。
それでも、知らずにいるよりはまだしもマシだという辺りが、私の人生のさらに悪いところだった。
………。
電話でのやり取りからしばらくのあと、8月の終わり、新学期が始まる直前のオフに私は伴野と向かい合っていた。
場所は一応は実家ということになる伴野の家。
居間のローテーブルをはさんで、ソファに腰を下ろす。
多少無理して足を運んだのは、トレセン学園付近で行った場合の、万が一の情報漏洩を警戒したから。
細かな話をするのは電話よりも対面のほうがいいと思ったからというのも一つだ。
「急に帰ってきてごめんなさい。今日を逃すと、次の機会がだいぶ先になってしまうと思ったから。」
「いえ、今の私にはあなたの支援以外に大きな仕事はありませんから、かまいませんよ」
そういって、伴野はテーブルの上に2人分のコーヒーカップを並べた。
一口、のどを湿らせてから、私は本題を切り出す。
「あの女との接見をセッティングしてほしいの」
このタイミングで私が切り出す重要な話題として、可能性を考えていなかったはずはないだろうけど、それでも伴野は少し驚いた顔をした。
ただ、それもほんのわずかな間。
「なるほど、あなたがそう決心したのでしたら、取り計らいましょう。日時や場所の希望をお伺いしても?」
尋ねてくる顔には、わずかに面白がるような表情がある。
鳴鐘が死んでから、こういう顔をたまにするようになった。
養女の突飛な申し出を興味深く聞く顔だ。
「ええ、もちろん。ただ、それ以外にもいろいろお願いしたいこともあるの。万が一の時の護衛とか、」
私の言葉に伴野はうなずく。
「相手は傷害の前科のあるウマ娘ですからね。ウマ娘の護衛を手配しておきましょう。」
迷いのない返答。
おそらく生前の鳴鐘も使用していたのだろう。
フィジカルを生かせるボディガード等の職業はウマ娘の就職先としては一般的だ。
「よろしく。それから…」
今日まで考えてきたいくつかの計画を伝える。
「なるほど、それでは…」
伴野はそれを実務レベルに落とし込んでくれる。
打ち合わせは少し長くなった。
………。
伴野との打ち合わせから、細々とした微修正を経て、結局、接見は11月の初めになった。
菊花賞の直前、トレーニングの疲労抜きの期間だ。
追い込みの時期には時間が取れず、かと言って、後回しにもしたくなかった。
場所は私と伴野の生活圏から絶妙に外したある児童相談所。
晩秋の午後。天気は良かったが、少しの肌寒さを感じる。
児童相談所の職員に連れられたあの女は、記憶の中の存在よりも小柄で、健康的に見えた。
刑務所の中での規則的な生活の結果だとしたら皮肉なことだ。
知らない者が見れば、30代半ばの平凡な主婦だと思うだろう地味な恰好。
恐怖や怯えをほとんど感じなかったことには安心した。
メイクデビューの時に乗り越えたものが勘違いでないことがうれしかった。
ただし、短く切り揃えられたくすんだ葦毛が、血のつながりを感じさせて私の心をささくれさせた。
左手の薬指に光るリングに気が付いた時には思わず声を上げそうになった。
会議室のようなそっけない1室。
あの女の両脇には児童相談所の職員が1名ずつ。
こちら側は右手にスーツ姿の男性警備員、左手にはウマ娘の警備員がいた。どちらも伴野が独自に手配してくれた護衛だった。
私はその全体を冷たい気持ちで眺めていた。
一体、この女は最初になんと言うだろうかと考えていた。
『〇〇、……久しぶり、と言えばいいのかしら』
人としての名前を呼ばれ、拒否感から皮膚が泡立った。
思わず、右手を胸に当ててしまう。
児童相談所の職員が心配そうな目をこちらに向けてくる。
大丈夫だと主張するように、顔を上げて胸を張った。
『ええ、おひさしぶり、です。』
返答の声は少し戸惑っている風だった。
『…、元気そうね。今は里親さんのところで過ごしていると聞いたけど』
『はい、とてもよくしてくれています。お母さんは、いまどうしているんですか。』
お母さん。虫唾が走る。
心にもないことを言っている。今日はこちらの情報は極力与えず、あちらに好きにしゃべらせようと、事前に決めていた。
『いまは、出所後の生活を助けてくれる人の所でお世話になっているの。貴方とも一緒に暮らせたらよかったんだけど』
なんだ、こいつは。
椅子のひじ掛け部分が、私の手の中で軋みを上げた。
なんで、こんな醜悪なことが言えるんだ。
ただ取り繕っただけの、からっぽで、心なんかわずかでもこもっていない。
私自身も、法律も、お前と私が同居することなんか決して認めないとわかっているから、だからこそ言っているんだと、はっきりと伝わってくる。
わかっていたはずなのに、あまりの無神経っぷりに目がくらむような気持になる。
こちらがなんと返答したのか、それすら判然としないうちに、相手はさらに口を開いた。
『あなたには、謝らなくちゃいけないと思っていたの。許してくれるとは思わないけれど、あの頃は私も本当に苦しくて。そのイラ立ちをあなたにぶつけてしまっていた。本当にごめんなさい。これからはお互い前を向いて、生きていきましょう。』
「~~~~~~ッ!!」
今度こそ、声を上げそうになった。
よくも、そんな、何を勝手に終わったことにして、忘れようとしているんだ。
お前と過ごした数年間が、私を、どれほど、
いつだって、ひもじくて
いつだって、お前やお前の男の顔色を窺って、息を殺して
理不尽な暴力や暴言、理由の分からない無視におびえて暮らして
洗濯もろくにされない服とべたついた髪で学校に行っては、指をさされて馬鹿にされた
今だって夢に見て、真夜中に飛び起きる。
思い出すたび真っ黒に焦げ付く心を、必死に仮面の中に押し込みながら生きているのに。
わかっていた。
分かっていた、はずだった。
相手が、まともな感受性や思いやりを持ち合わせていないってことは。
………。
結局、あの女は短い接見の時間中ずっと、自己弁護と言い訳に終始した。
私は、児童相談所の職員がそれとなく提案してくる接見の中止を断って、最後まで相手の言い分を聞いてみせた。
この世で、最も醜い女の顔と声だった。
確かな血のつながりを感じさせる顔の造作に、怖気が走った。
続きます。
実際の児相はこんなに融通利かないと思います。まあ、この世界ではそうなんだということでお願いします。