【完結】汚泥より這い出で、荒野を渡れ   作:不知東西屋

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エピローグ:少女たちは、荒野を渡る

<Side:グレイナイザー>

 

 トレセン学園の卒業式はレースのある週末を避けて平日に行われる。

 高等部は第1週、中等部は第2週の水曜日。

 まさに今日がその卒業式だった。

 

 すでに式自体は終了し、今は皆がそれぞれに名残を惜しむ自由時間だった。

 

 皆が高等部に進級するなら、ただのセレモニーになるのだろうけど、このタイミングで競技レースをあきらめ、外部の高校に進学する娘も多い。

 

 窓から寮の入り口あたりに目をやれば、人だかりが目に入る。

 外部進学するウマ娘たちに取り囲まれているシンボリルドルフが見えた。

 おおかた、写真でもお願いされているのだろう。

 

 昼前とはいえ、風は少し冷たいが、天気はいい。

 別れを惜しむにはいい日和に思えた。

 

「わたしも、そろそろ行こうかな。」

 ベッドに腰かけるアオイソニドリに声をかける。

 

 養父として卒業式を観覧した伴野が車で私を待っているはずだった。

 

 すでに私の荷物のほとんどは運び出されていて、あとは小さめのボストンバッグが1つだけ。

 ちょっとびっくりするほどガランとしてしまった部屋の中、ソニドリの耳が元気なくしおれている。

 

 そのすぐ隣に腰を下ろした。

 向かいの、私のベッドだった場所はマットレスだけになっているから。

 

「笑顔で送り出してくれるんじゃなかったの?」

 

 11月の下旬に私が引退を決めて、慌ただしく受験をし、ソニドリは変わらず練習漬け。

 それでも私たちは今日までたくさん話をした。

 昨日の晩も、遅くまで。

 

「うん…、」

 

 まあ、この子が本当に笑顔で見送れるとは、私も思っていなかったけど。

 卒業式でも、脱水症状でもおこしちゃわないかな、と心配になるくらい大泣きしてた。

 

 出尽くしたのか、さすがに今は泣いてない。

 

「ナイザーちゃん、頑張ってね。」

「ソニドリもね。トレーナー、新しい担当募集するって言ってたし、先輩として頼れるところ見せないと。」

 

 しょんぼりはしているが、

 

「そうだね。私もしっかりしないと。」

 そうやって、目元に力を入れる親友に私は思わず笑ってしまう。

 

「重賞挑戦するときは教えてよ。応援にいくから。」

「うん、あのね」

 

 私の言葉にソニドリはうなずいて、それからさらに付け加えた。

 

「それ以外でも、電話とか、お手紙送ったりしていい?」

「もちろん、うれしいよ。私からもするからね。」

「約束だよ。絶対、してね。」

 

 これは本心。

 実際には、互いに少しづつ手紙や電話の間隔が空いていってしまうのかもしれないけれど。

 

「ソニドリ、」

「なあに?」

 

 ついでに本心からの言葉をもう1つ。

 

入学の日(あの日)、ソニドリが隣の席でよかった。たぶん、トレセン学園(ここ)で起こったすべてのことの中で、1番の幸運だったと思う。」

 

「……、」

 うつむいたソニドリから、返答はない。

 

「3年間、ありがとう」

 

「ナ゛、ナイザァちゃんッ。それは、ずるいよぉ」

 

「アハハハハハ」

 泣かせてやった。鼻水まで出てるソニドリの表情。

 

 まあ、今日くらいはね。

 最後だし。

 

 ベッドサイドに立てかけてあったクラッチタイプの杖を手に取り、立ち上がる。

 自分の未練に踏ん切りをつけるように。

 

 リハビリ中とはいえ、歩くくらいはできるのだけど、まさに転ばぬ先の杖というやつだ。

 

「さあ、荷物持ってくれるんでしょう。トレーナーも多分、寮の前で待ってくれてるよ。」

「うん、そうだね。」

 

 目元をぬぐったソニドリが私の荷物を持って立ち上がる。

 そのまま先導して部屋のドアを開けてくれた。

 

 扉まで進み、最後に部屋を振り返る。

 3年間、ソニドリと引っ付くみたいにして暮らした小部屋が、素知らぬ顔で私を送り出そうとしていた。

 

【アオイソニドリ】

 蜂谷雀子の指導の下、着実に戦績を積み上げ、高等部卒業とともに競技を引退。

 大学卒業後、一般企業に就職、結婚し家庭を持つ。

 トレセン学園出身で、勝負服も持っていることを子供に信じてもらえないのが、ちょっとした悩み。勝負服は夫婦のお楽しみグッズと思われた。

 トレセン学園時代の知人と連絡を取ることは減ったけど、絆が消えることはない。

 

………。

 

 ソニドリと2人、ざわざわと騒がしい雰囲気の寮内を歩いていくと、玄関でビゼンニシキと出くわした。

 

 私と同じように同室の友人がカバンを持っていて、私とは違って空いた両手に山ほどの花束を抱えている。

 

 なんとなく苦笑じみた顔でお互いに口を開いた。

 

「ビゼンニシキさん、すごい花ですね。」

「ああ、後輩たちが気合をいれてくれてね。グレイナイザーも、出るところかい?」

 

 彼女もまた、今日ここを旅立つウマ娘の1人だった。

 原因は10月28日に出走したスワンステークスでの故障。

 

 悔しくなかったはずはないし、未練がないはずもない。

 それでも彼女は最後まで潔く、鮮やかに走り切ってみせた。

 

「ええ、ビゼンニシキさんはまだまだ出て行けそうにありませんね。」

 

 彼女のそばには話しかけるタイミングをうかがっているらしい後輩たちが数人。

「まあ、そんなに急ぐ必要もないしね」

 

 肩をすくめる彼女。

 ふふ、と互いに微笑を交わす。

 

「それでは、ご縁があればまたどこかで」

「ああ、またどこかで。」

 

【ビゼンニシキ】

生涯戦績:10戦6勝

主な勝利レース:NHK杯(GⅡ)、スプリングステークス(GⅡ)、共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)

その後:中等部卒業後、外部進学。大学卒業後はアナウンサー、タレントとして活躍。

 

………。

 

 蜂谷トレーナーは寮の入り口から少し離れた場所で私たちを待っていた。

 

 トレーナーは寮内に立ち入り禁止だし、玄関付近はウマ娘や彼女たちの両親でごった返しているから当然の配置ともいえる。

 

 ソニドリの両親もいたが、私に気を使ったのか少し話をした後は、離れたところでソニドリと話を始めた。

 

「グレイナイザー、卒業おめでとう」

 菊花賞の後はしばらく落ち込んでいたトレーナーも、さすがに今は立ち直っている。

 

「ありがとうございます。」

 お礼を言い、頭を下げる。

 

 深く、心から。

「トレーナーがいなければ、私はきっと今日まで走ってこられなかった。本当に、私を担当してくれて、ありがとうございました。」

 

「お前は、強情で、気難しくて、そのくせ変に頭がいいもんだからごまかしも効かない。扱いづらい担当だったよ。」

 

 トレーナーの言葉は末尾がちょっとだけ揺れていて。

 顔を上げると、涙をこらえるゆがんだ笑顔。

 

「それでも、私の自慢の愛バだ。これからの人生に、多くの幸せが待っていることを願っているよ。」

 

「トレーナーにも、幸せがあることを祈っています。」

 応えながら実感する。

 

 私は、この人のことも大好きだった。

 

【蜂谷雀子】

 一般家庭出身のウマ娘を根気よく鍛え上げる名伯楽として知られるようになる。

 本人としては、一般家庭出身者のみにこだわっているわけではないが、周りにはすでに一般家庭出身者専門と認識されてしまっている。

 積み上げたノウハウが生かしやすいから、いいんだけどね……。とは本人の談。

 

………。

 

 車の場所まで送っていくというトレーナーやソニドリと寮の前で別れを告げたのは、少しの予感があったからだった。

 

 果たして、予感は裏切られなかった。

 

「グレイナイザー」

「…、シンボリルドルフさん」

 

 別れを惜しむ人の輪から、なんと言って抜け出してきたのだろう。

 3月の日差しの中、三日月形の流星も鮮やかな三冠バが立っていた。

 

 少しばかり無理をして、自分で荷物を抱えてきたのが無駄にならなくてよかった。

 

「少し、話ができないか」

「もちろん。あなたの誘いを断るウマ娘は学園にいないでしょう。」

 

 11月の菊花賞以来、1対1で話をするのは初めてだった。

 私は治療と受験で忙しく、彼女も生徒会長への選出や引継ぎなどに忙殺されていたからだ。

 

 学園の端、つぼみの膨らんだ桜並木のそばで立ち話をする私たちを、通行人がチラリとみていくが、近づいてくる者はいなかった。

 

「本当はもっと早くに話をしたかったんだが、」

「互いに忙しかったですし、仕方ないですね。」

 

 私の返答に、シンボリルドルフはゆるゆるとかぶりを振った。

 

「いや、畏怖嫌厭。私の中に目をそらしたい気持ちがあって、それで我知らず後回しにしてしまっていたんだ。」

 

「…。話というのは、あのレースのことですか。」

 菊花賞のことかという私の問いに、シンボリルドルフはうなずいた。

 

「そうだ。敗北よりも、不本意な勝利が身をむしばむというのは本当だね。ジャパンカップの敗戦を経ても、あの日のことを夢見て飛び起きる私がいる。」

 

 同情してほしいわけでもないだろう。

 私は黙って先を促した。

 

「実はあの後、シンボリ家にもかけあったんだ。私の率直な気持ちを伝えて、URAにも抗議しようと思った。」

 

「できなかったんでしょう?」

 わかり切ったことだった。

 

 遠目にだが人目もある。

 顔には出さないようにしているはずだが、シンボリルドルフの表情には憂いがあった。

 

「ああ、私は、私が思うよりもずっと無力だった。史上初の大記録を達成しナーバスになっているんだと、なだめられてお終いだった。」

 

 このセリフを聞いて、私は少し驚いていた。

 内容にではなく、あの皇帝が私に対してここまで本音を吐露することに。

 

 だからだろう。こちらも少し、本音を漏らす気になったのは。

 

「シンボリルドルフさん、」

 どうせなら、過不足なく伝わってほしいと思いながら、声をかける。

 

 視線がこちらを向き、目が合うのを確認してから続きを口にする。

 

「誤解しないでほしいんですが、私はあの判定について、一切納得も許容もしていないし、諦めてもいません。」

 

「え」

 意表を突かれた皇帝陛下。

 その顔にすこし愉快な気持ちになる。

 

「私たちの真剣勝負を汚したバカにはいずれ必ず報いを受けさせる。これは誰が何と言っても覆らない、私の決定事項です。」

 

 貴方を狙い続けたように、とは言わない。

 

「それなら、なぜ外部進学なんだ。学園に残った方が」

「……、学園で発言力を持つには競技者としての結果がいります。」

 

 これだけで、彼女にもわかったらしい。

 いや、もともと分かっていたのだ。それでも口にしたのは、おそらく私との再戦に未練があるからだろう。

 そのことを、少しうれしく感じる自分がいる。

 

「私には、競技者としての先がない。」

 

 フィジカル面での伸びしろはすでにほとんどない。

 作戦や駆け引きについても、シニア級になれば他のウマ娘も熟達してくる。

 リハビリが理想的に進んだとしても、第1線に戻れる可能性はなかった。

 

 シンボリルドルフは超一流。だからこそ、安易な言葉は吐かなかった。

「だから、外部進学なんだね。」

 

「逃げたとか、脱落者であるとか、小娘に何ができるという人もいるでしょう。でも、私はいつでも私の望みのための最短経路を走っています。誰にも邪魔はさせませんよ」

 

 今の私はただの小娘でしかない。

 それでも、負けっぱなしじゃ終われない。

 

 私はそのために、ターフを離れる決断をしたのだ。

 

 私の本気を悟ったのか、ふいにシンボリルドルフの表情が緩んだ。

 

「ふふ、あは、あははははは。」

 心底、愉快そうに皇帝が笑う。

 

「ふ、ふふふ」

 私もつられて、なんだか可笑しくなった。

 

「あぁ、皇帝とか、シンボリ家の最高傑作なんておだてられて、気づかないうちに偉くなったつもりになっていたんだな。実際は、大した力もない小娘でしかないのに」

 

 肩の力が抜けた様子でそう言うシンボリルドルフ。

 不思議と先ほどまでより大きく見える。

 

「グレイナイザー、聞いてくれないか。」

「なんですか?」

「決意表明さ。」

 

 居住まいをただした相手の様子に、こちらも真っすぐに向き直る。

 静かに、ただし輪郭が際立った声で、シンボリルドルフは宣言した。

 

「私は必ず、現在のURAやトゥインクルシリーズの体制を変革し『全てのウマ娘の幸せ』を実現してみせる。あんな判定を下すことのない組織をかならず作り上げてみせると、いま、改めて誓う。」

 

 『全てのウマ娘の幸せ』

 彼女が生徒会長に選出される際にも掲げていたスローガンだ。

 

 おそらく、これがあの判定に対する彼女の答えなのだろう。

 

「敵は大きく、強いですよ。」

「勇往邁進。望むところさ。」

 

 甘い理想と鼻で笑うのは簡単だった。

 でも、今の彼女は嫌いじゃなかった。

 

 だから、私は笑顔で言った。

「応援します。貴方とのレース、楽しかったですよ。」

 

 シンボリルドルフも笑顔だった。

「ああ、私も楽しかった。」

 

【シンボリルドルフ】

生涯戦績:16戦13勝

主な勝利レース:皐月賞(GⅠ)、東京優駿(GⅠ)、菊花賞(GⅠ)、有馬記念(GⅠ)、天皇賞(春)(GⅠ)、ジャパンカップ(GⅠ)、等

その後:高等部1年から「全てのウマ娘の幸せ」をスローガンに掲げ、生徒会長に就任。トゥインクルシリーズ引退後はURAに入社、よりウマ娘本位な体制へ移行すべく、改革に取り組んだ。

 

………。

 

 今度こそ、1人きり車に向かって歩いていく。

 

 1歩進むごとに、私自身がトレセン学園から切り離されていくのが感じられる。

 寂しい気持ちが足を鈍らせ、手にした荷物以上に私の歩みを遅くする。

 

 こんな気持ちは生まれて初めてだった。

 

 思えば、生家から養護施設に、養護施設から伴野の家、伴野の家から学園へと、居場所が変わるときに寂しさを感じたことはなかった。

 

 その時々に応じて、脱出の喜びだったり、前に進んでいる達成感があったりした。

 

 3年間、私は幸せだったんだと、改めて痛感する。

 

 楽しかった。

 

 うれしかった。

 

 トレセン学園での日々が、笑いあった思い出が、支えあった時間が、悔しさに震えた記憶さえ、いま、こんなにも暖かい。

 

 雨だ、と思った。

 雲一つない空から、ふいに雨粒が落ちてきたんだ、と。

 

 あふれだした気持ちが、しずくに変わり

 

 春の雨が桜のつぼみにするように

 

 私の頬を優しく濡らしていた




【参考文献】宮沢賢治:よだかの星
【執筆の合間によく聞いていた曲】Hump Back:「拝啓、少年よ」
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