(19××年3月13日~ )
日本の競技ウマ娘、政治家(衆議院議員、伽炉党党首)
【出自】
19××年、関西地方の母子家庭に生まれるが、ウマ娘の実母から深刻なネグレクトを日常的にうけていたことなどにより、児童養護施設に入所。その後、養父となる伴野順二氏に引き取られた。
19××年に中央トレセン学園に入学。美浦寮に入寮した。
【競技ウマ娘として】
戦績:○○戦2勝
当時、無敗のクラシック三冠に王手をかけていた「皇帝」シンボリルドルフとの菊花賞での死闘(ハナ差の2着に敗れる)で有名であり、戦績の割に知名度は高い。
中央トレセン学園入学後、当時まだ無名に近かった蜂谷雀子氏と担当契約。
メイクデビューでは勝利を飾るものの、その後は苦しい戦いが続き、2勝でなんとか菊花賞に滑り込む。
(この年の菊花賞は圧倒的大本命のシンボリルドルフの存在により、出走回避が多発し、グレイナイザーはそれに助けられた形になった。)
菊花賞では、シンボリルドルフが不動の1番人気として語られる中、17番人気と完全な大穴扱いだったが、死力を振り絞るような激走で皇帝シンボリルドルフをあと一歩まで追い詰めた。
皇帝をもっとも追い詰めたウマ娘と評する声も多い。
菊花賞の激闘にくわえ、一般家庭出身で芦毛(当時はまだ走らないと言う偏見が強かった)と言う個性から、にわかに注目を集め、次走が期待されたが、故障を理由に引退。
菊花賞が最後のレースとなった。
【菊花賞、疑惑の写真判定】
菊花賞の写真判定には、レース直後から少数ながら根強い誤審疑惑があった。
無敗の3冠バ誕生を望むURA上層部の意向が判定に影響したのではないかというのが主な主張である。
後年のグレイナイザーとシンボリルドルフの対談では、両者ともに判定に不服はないと明言したものの、あと一歩相手に先んじて明らかな勝利を得られなかったことが残念であること、現在でもレースの夢を見て飛び起きることがあること等も語り、双方にとって菊花賞のレースが忘れ難いものであることが伺えた。
【競技引退後、政治家として】
トゥインクルシリーズ引退後は私立△△高校を経て、××大学に進学、在学中から知名度を生かしNPO活動を行ない、卒業後に本格的な政治活動を開始、××年に衆議院議員に初当選。
特定の社会問題をピックアップし、その解決のために敵対者に対して徹底的な批判を加えるスタイルは国政政党のふるまいではないと批判する声も多いが、簡潔で分かりやすい主張を支持する声も一定数存在する。
直接的な救済を受けたものを中心に強固な支持層を抱え、少数ながら安定した人数を国政の場に送りだし続けている。
【シンボリルドルフ及びURAとの関係】
菊花賞の際の死闘から「皇帝」シンボリルドルフに挑んだライバルウマ娘の1人という印象が強い。(後年の創作では敵役にされがちである。)
しかし、実際には競技ウマ娘時代にはほとんど関わりがない。
あまり話をしないクラスメイトといった関係だったと後年のインタビューでも答えている。
菊花賞での激突の後、グレイナイザーの引退とそれに伴う外部進学を経て、2人の本格的な関係は数年後、シンボリルドルフの競技引退から始まる。
月刊トゥインクルのシンボリルドルフ引退特集号での対談企画が再会のきっかけとなった。
月刊トゥインクル・シンボリルドルフ引退特集号の目玉として企画されたシンボリルドルフとライバルたちとの対談。
ミスターシービーやカツラギエースなどの名だたる名バと並んで、グレイナイザーとの対談が実現した。(シンボリルドルフ側の強い指名だったことが後に判明している。)
引退後の進路として、シンボリルドルフはURAへの入社が決定していた。
ウマ娘への福利厚生やフォローよりも、経済的な都合を優先するURAの体質の改革を志しての選択だったが、激しい抵抗も予想されていた。
一方、グレイナイザーは本格的な政界進出を目指していた時期だった。
この対談での再会は、URA内外に変革の協力者を求めていたシンボリルドルフと、実績と政治家としての個性を欲していたグレイナイザーを結びつける契機となった。
実際、シンボルルドルフのURA改革に対してグレイナイザーは法政面から援護射撃を行い、シンボリルドルフは対価として、抜群の知名度を生かした選挙支援を展開した。
この動きをウマ娘競技レース界と政界との癒着と非難する声は一部に根強いが、競技ウマ娘の福利厚生の充実、引退後の進路支援に加え、ヒトよりも養育に費用が掛かることや外見が整っていることから、ネグレクト・児童買春の被害比率の高かった若年ウマ娘への支援等の成果が出ているのも事実である。
これでおしまい。