<Side:トレーナー・蜂谷雀子>
入学直後の逆スカウトから1か月、アオイソニドリとグレイナイザーというウマ娘とトレーニングを行ったわけだが、2人に対して、私は「悪くない」という評価を下していた。
アオイソニドリについては、フィジカルも技術面も未熟だ。
だが、裏を返せば伸びしろがあるといえる。
変な癖もついていないし、素質自体は悪くなさそうだ。素直で明るく、まじめだから、シニア級からが本番のつもりで、じっくりと力をつけていきたい。
適性は、今のところ芝の中距離、脚質は先行といったところ。
グレイナイザーは、フィジカルも技術面もある程度完成しているが、素質的にはソニドリに劣ると言わざるを得ない。
特にフィジカル面では、華奢で筋肉が付きづらい体質。
さらには右脚にわずかではあるが歪曲が見られた。
これは、彼女の生い立ちに関連するハンデかもしれないが、今となってはどうすることもできない。
適性は、強いて言えば芝の長距離、逃げ。
フィジカルエリートの集うトレセン学園にあって、素質面では見るべきものの少ないグレイナイザーだが、彼女の武器はフィジカルではない。
劣勢の中に活路を見出す知性であり、常に最善を期そうとする執念だ。
それだけに、腑に落ちないところもある。
彼女は真摯を通り越して、時に狂気を感じさせるレベルの熱心さでトレーニングを行う。
さらに、まだ入学直後にも関わらず、ライバルとなる同級生たちの情報収集や分析に精を出す。
先を行く競技レース家系のウマ娘たちに対抗するために必要とはいえ、普通ではない。
そのモチベーションの源泉はなんなのか。
仮契約期間を終える前に、確認しておくべきだと私は考えた。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
「トレーナー。グレイナイザーです。」
「入ってくれ。さすが、時間通りだね。」
土曜日の昼過ぎ、練習前に呼び出したことを詫びながら、ソファを勧める。
素直に腰かけたグレイナイザーのまえにコーヒーを置き、対面に腰を下ろす。
「今日は、どういった御用ですか?」
尋ねられ、単刀直入に返答する。
「君とソニドリについて、正式に契約を結ぼうかと考えているんだが、その前に1つ、確認しておきたくてね。」
「確認、というと?」
眼鏡の奥から、暗褐色の瞳、知性の奥底に熱を宿した双眸がこちらを見ている。
「君のモチベーションの源。真に目指すところ、それを聞いておきたい。」
「菊花賞を目指す。とか、そういう話ではなくですか。」
かすかに挑むような色があった。彼女にとってデリケートな部分なのだろう。
しかし、こちらも退きはしない。
「君は賢く、忍耐強い。性格的には、特定のタイトルに執着を示すタイプではないように見える。本来は、勝率の高いレースを選んで挑戦するタイプだ。その君が唯一あげた具体的な目標が菊花賞だ。相応の理由があるんじゃないか?」
半分以上はトレーナーとしての勘だ。
だが、先に成し遂げたい目標があり、その手段として菊花賞制覇があるのではないか。
目線を合わせたまま、ゆっくりとそう問いかける。
呼吸1つ分、その時間でグレイナイザーは考えを決めたようだった。
「トレーナーが指導するうえで、必要だということですか。」
この質問は確認、というか念押しだろう。
私は肯いた。
「ああ、担当ウマ娘を指導するにあたって、相手が真に求めているものを把握するのは大事だと考えている。そうでないと、トレーニングや出走レースの選択で相手の意向とすれ違いが生じる恐れがあるからね。」
例えば、入学したてのこの時期、クラシック3冠路線、あるいはトリプルティアラ路線を目標として掲げる新入生は多い。
ただ、必ずしも本人の適正とマッチするわけではない。
その時、短距離やダートへの路線変更を検討するのか、それともあくまで芝の中長距離を目指して適性の克服に挑むのか。
ウマ娘の性格や切り出すタイミングによっては、トレーナーから路線変更を提案するだけで、信頼関係が損なわれる場合もある。
だからこそ、正式契約となる前に、腹を割って話をしておきたい。
私がそう説明すると、グレイナイザーは口を湿らせるようにコーヒーを一口飲み、それから口を開いた。
「ご推察の通り、私の目標は菊花賞そのものではありません。」
小さく微笑むグレイナイザー。
瞳の奥で溶岩が揺らめく様子が見えた気がした。
「シンボリルドルフ」
予期せぬ名前が出て、思わず尋ね返してしまう。
「シンボリ家の秘蔵っ子の?」
グレイナイザーは肯いて、先を続けた。
「そうです。トレーナー、私は、間違いなく私たちの世代の中心となる、あのウマ娘に、出来るだけ大きな舞台で、出来るだけ大きなキズをつけてやりたいんです。」
無意識に、ゴクリと喉が鳴っていた。
グレイナイザーの瞳の奥で、真っ赤に輝く溶岩がうなりをあげている。
中等部に入学したばかりの少女に似つかわしくない執念。
いや、もはや怨念というべきか。
なぜ、シンボリルドルフなんだ?
その疑問も胸に沸いたが、口にすることなく飲み込んだ。
尋ねても返答はないという確信があった。
すでに彼女は可能な限り胸の内をさらけ出してくれている。
それ以上は、今の私には触れることが許されない、グレイナイザーの核心に迫るモノなのだ。
代わりに何か言おうとしたが、すぐには言葉が出てこなかった。
気圧されていた自分に気がつき、情報を整理しながら、気持ちを立て直す。
「確かに、シンボリルドルフはクラシック3冠路線に進むだろうし、君の適正的にも、勝ち目があるとすれば長距離の菊花賞だ。しかし…、」
トレーナーという立場から濁した台詞の最後。
それをグレイナイザーはためらいなく口にした。
「わかっています。勝ち目はほとんどない。入学してほんの1か月ですが、見ていれば分かります。彼女はモノが違う。」
そして、さらに問いかけてくる。
「私を、無謀だと笑いますか。」
私はトレーナーとしての矜持でそれに応じる。
「いいや。笑わないよ。勝率を0から1に、1から2へと向上させるのが私の仕事だ。そして、その勝率を100%の勝利としてつかみ取るのが、」
「私の仕事です。」
右手を差し出す。
グレイナイザーも握手に応じ、それが正式契約の合図となった。
その後、合流したアオイソニドリに正式契約を告げたところ、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでくれた。
対照的に純真なリアクションに思わず、グレイナイザーの方をチラリと見たら、ジト目でにらまれてしまった。
……、心を読むのはやめてもらっていいだろうか?
※グレイナイザーは取り組む姿勢こそ超熱心ですが、ハードトレーニングをしているわけではありません。体質的に耐えられないので、その分、練習の密度を上げることや、情報収集や分析に取り組んでいます。