<Side:グレイナイザー>
「噂には、広がるタイミングというものがあります。」
私とともにトレセン学園の解放区画を歩きながら、伴野順二はそう言った。
入学して1か月と少しがたった。GW最終日の午後。
レースを控えていたりすることが多い上級生はともかく、新入生の中にはGW中、一旦帰省するものや、父兄が訪ねてくる者が多い。
私の養父である伴野順二が訪ねてきたのも、そのためだ。
血の繋がっていない娘のために面会にやってきた父親のロールプレイ。
痩せて小柄で白髪も目立つ。父というより祖父に見えるかもしれないけれど。
私のスポンサーであり、彼の雇用主だった鳴鐘権一郎はすでに故人だが、それでも私たちの取引を無下にすることのなく、私が問題なく学園生活を送れるようにフォローしてくれている。
「突然どうしたの?」
唐突な話題の切り出しについていけず、聞き返す。
父兄向けの開放日である今日、中庭にはちらほらと他の親子の姿も見える。
「1つの忠告です。1か月共に過ごし、互いの人柄などが多少はわかった時期の帰省。各家庭では娘の学園生活、特に交友関係は関心の的でしょう。当然、普段の電話や手紙で触れられない部分まで掘り下げられる。そして、家庭で知らされた情報が休暇の終わりとともにこの学園に持ち帰られるわけです。」
ここまで言われて、私にも伴野の言いたいことが分かった。
「私の生まれや育ちが取りざたされる可能性があるってことね。」
「はい、あなたの生い立ちはこの学園の生徒どころか、世間一般でも少数派です。学園という閉鎖的な環境、娯楽の少なさ、全員が潜在的なライバルという特殊な状況。立ち回りには気を付けてください。」
つまり、私の出生を娯楽として消費するものや潜在的なライバルに対する攻撃として利用するものが出現することを心配しているのだろう。
そして、それはおそらく杞憂ではない。
「今まで以上に、気を付けるわ。」
「やましいところはありませんが、ここにいるのは十代の少女ばかりです。感情が優先されて、突飛な行動に出ることも考えられますから」
やましいところがない。というのは、無論、「非難されるような事実が存在しない」の意味ではない。「証拠は存在しない」の意味である。
まあ、小学生のころから様々に噂されることはあった。
今更、そんなことで揺らぎはしない。
「そうなると、前もってトレーナーとチームメイトくらいにはある程度事情を話しておいた方がいいかもしれないわね。」
面白おかしく脚色された噂話を最初に聞くよりも、前もって私にとって都合のいい形で説明しておいた方が面倒がないだろう。
ちょうど今、挨拶をするべく部室へと向かっているところだった。
と、いうか伴野は最初からそのつもりで話を振ったのだろう。
「トレーナーにはある程度踏み込んだ話を貴方からしてちょうだい。アオイソニドリには私から多少マイルドに伝えるわ。」
「それでは、挨拶がすんだ頃合いでトレーナーに私が切り出しますので、貴方はアオイソニドリさんと一緒に席を外してもらうということで。」
「ええ、それで構わないわ。」
そういうことになった。
ちなみにアオイソニドリはGW中、帰省していたが、最終日の午後に
律儀にも、チームメイト兼ルームメイトの父親に挨拶しておきたいとのこと。
いくら広大なトレセン学園とはいえ、地平のかなたというわけではない。
話しているうちに、部室の前に到着する。
ノックして声をかければ、ドアを開けてくれたのはアオイソニドリだった。
「いらっしゃいませー。」
いつも以上に明るい表情。
どうやら実家での休暇は楽しめたらしい。
「ありがとう、ソニドリ。その様子だとGWは楽しめたみたいね。」
言いながら伴野とともに室内に入ると、トレーナーが応接用のソファの前で立っていた。
「はじめまして、トレーナーの蜂谷雀子です。この度は遠いところをお運びいただきありがとうございます。」
「グレイナイザーの父親の伴野順二です。こちらこそ。お忙しいのに無理にお時間いただき、申し訳ない。」
続くお土産の受け渡しや、コーヒーの配膳等のセレモニーもつつがなく終わり、三者面談じみた普段のトレーニングについての話も一段落ついたところで、段取り通りに伴野が切り出した。
「今日、無理を押してお邪魔したのには、理由がございまして。一つ、人払いをお願いできませんでしょうか。」
「私はかまいませんが」
と、トレーナーがわずかに戸惑いながらうなずくのを確認し、私はアオイソニドリに声をかける。
「父がトレーナーとお話ししたいことがあるみたいだから、私たちは少し外に出ていましょう。」
「う、うん」
「2人でカフェテリアに行っています。話が終わったら、声をかけてください。」
そう言いおいて、席を立つ。
アオイソニドリも戸惑っているが、もとより素直な性格だ。
すぐに立ち上がって私とともに部室の外に出た。
そのまま、中庭をカフェテリアに向けて歩いてく。
5月の夕方、GWの思い出話をしているらしいグループがちらほらと目に入る。
「トレーナーたちが何の話をしているか気になる?」
どこか後ろ髪をひかれている表情のアオイソニドリに水を向ける。
積極的な肯定こそなかったが、内面が表情から明らかだった。
「きっと私の生い立ちの話をしているのよ。」
予定通りに話を切りだす。
「ナイザーちゃんの生い立ち?」
不思議そうな顔をするアオイソニドリに先ほど伴野がした話をする。
GWみたいな連休後は噂話が広がりやすい、と。
「聞いて面白いことでもないから、進んで話すことでもないんだけど、無責任な噂話で誤解されても困るでしょう。特に、近くにいる人たちにはさ。」
足を止めて、アオイソニドリを見る。
丸い目がこちらをまっすぐ見ている。光を宿した影のない瞳だ。
表情はころころ変わるが、中心にあるこの目はいつも変わらない。
「本当に、楽しい話でもないから、嫌なら話さないけど、どうする。聞いてくれる?」
尋ねると、アオイソニドリはわざとらしく頬をふくらませた。
「その言い方は卑怯だよー。」
それから笑顔になる。
「うん、聞かせてよ。ナイザーちゃんのこと」
「それじゃあ遠慮なく。」
実際には、かなり手加減するけれど。
当然、私にも人に言いたくない思い出ってのはあるので、悪しからず。
「まず、私とお父さん、血がつながってないのよ。」
「え」
「最初は、私を生んだ女性と一緒に暮らしていたんだけど、そもそも最初から父親はいなくて、私を生んだ女性はその時、その時で恋人がいたり、いなかったりしてた。ここまで、OK?」
「え、えー。おーけー、かな。意味は分かる」
仲のいいご家庭出身のアオイソニドリには中々想像しづらい状況だろうが、まだ序盤である。
なんとか、ついてきていただきたい。
「その人もウマ娘で、でも控えめに言っても良い母親じゃなかった、それでも何とかやっていたんだけど、ある日、その人と恋人がひどい喧嘩をしてね。巻き込まれた私も恋人も大けが。その人は警察に捕まって、私は施設に入れられた。」
「大けが?それに警察って」
青ざめるアオイソニドリ。素晴らしい感情移入能力だと褒めるべきだろうか。
一応、とりなすように軽い口調で言う。
「大けがって言っても、もう完全に治ってるし、心配いらないよ。」
「でも」
「まあまあ、安心してよ。ここから後は悪い話は出てこないから。」
そう言って微笑むと、アオイソニドリも多少は話を飲み込めたらしい。
「で、施設に入った私はいつしかトゥインクルシリーズでGⅠを勝利することを夢見始めるんだけど、一番のネックはお金だった。当然だよね。ただの小学生にトレセン学園の学費が払えるわけないもの。」
「どうしたの?」
「施設に見学に来ていた父さんと父さんの上司に直訴したのよ。トレセン学園に行かせてほしいって。2人は驚いていたようだったけど、私が本気で言っていると分かると養子縁組をして引き取ってくれた。」
話が平和に着地したことにアオイソニドリはホッとしたように笑顔になる。
「そっか、それでナイザーちゃんは学園に入学できたんだ。よかったねぇ。」
「でも、世の中には変な言いがかりつけてくる人もいてね。」
「言いがかり?」
「うん、見ず知らずのウマ娘にそんな援助をするのはおかしい。隠し子か何かじゃないかとかね」
今度は憤慨したように頬を膨らませる。
「そんな、ひどいよ!!」
無邪気な様子に私は笑った。
「面白おかしく、変なことを言う人ってのはどこにでもいるし、私は気にしないよ。でも、もしかしたら私と一緒にいることで、ソニドリも嫌な思いをするかもしれない。その時は言ってくれれば、付き合いかたを考えるから」
私がそう言うと、ソニドリは即座に否定してきた。
「何言ってんの。私たち、いちれんたくしょうのチームメイトだよ!!ナイザーちゃんをいじめる娘がいたら、断固として戦うからね!!」
シュッシュッと切れのないパンチを虚空に繰り出すアオイソニドリ。
この娘がこんな風に言ってくれることを、私は半ば以上に確信していた。
たわいなくて、純粋で、素直。
私とは、ちがう生き物。
「ありがとう。でも、放っておくのが一番だから、ソニドリもあんまり気にしないでね。」
「うーん、わかった」
念のために話しただけだから、心配するほどのことじゃないよ。と笑顔を向ければ、不承不承ながらうなずいてくる。
「さあ、面白くない話はこのくらいにして、そろそろカフェテリアに行きましょう。今度はソニドリの話を聞かせてちょうだい。GWはなにをしていたの?」
「わたし?えーとね」
露骨な話題の切り替えに、ソニドリも気づいた様子だった。
それでも、あえて異を唱えたりはしない。
自然に相手を気遣える。この娘のこういうところが、私は好きだ。
その後は、2人でニンジンジュースを飲みながらおしゃべりに興じることになった。
彼女の語る普通の家庭の話は、とりとめもなく、ドラマチックでもなったが、ある種、私に新鮮だった。