弱さは罪。
みじめさは罰。
自分が世界で一番不幸だったなんて言うつもりはない。
それでも、誰にだって悩みや苦しみがあるなんて、したり顔で言う奴には聞いてみたい。
お前は、真っ暗な部屋で、ゴミに塗れて、遥かな朝日を待ちながら、1人きり、寒さと空腹に震えたことがあるかどうか、と。
………。
生物学上の母親は、弱くて、運もないウマ娘だった。
寒門以下の一般家庭の生まれで、それでも中央トレセン学園に入学できる程度の才能があり、つまりは入学するだけで精一杯の実力しかなかった。
ありふれた挫折と、それに伴う退学。
さらに転落を続けて、20代のはじめ頃に父親の分からない
私にとっての不運は、自分を産んだ女が、「母親」の役をこなせるほど大人でなかったこと。
推測だが、祖父母との縁は切れていたんだろう。
一般家庭からトレセン学園に入学させるのだ。
学費に加え、幼少期からのトレーニング費用。
生活は限界まで切り詰められただろうし、借金すらしていたかもしれない。
それが、挫折だけならまだしも、非行に走って散々に迷惑をかけたら、見限られるのも当然だろう。
薄汚れた安アパートの1室。
食事すら満足に与えられず、ひたすらに母親の顔色を窺う生活。
母が独り身の期間は最低。
ちょっとしたことでヒステリックに泣きわめくイカれ女が一日中家にいることになる。
母に男が出来ると最悪。
男の顔色まで窺わなければならない上に、頻繁に屋外に追い払われる。
小学生ですらない私を残して泊まりの旅行に出かけたことも一度ならずあった。
生き残れたのは、ウマ娘の頑丈な身体のおかげだろうか。
「丈夫な体に生んでくれたお母さんに感謝しましょう」
………、反吐が出る。
転機は小学2年の夏。
その時の母の恋人は半端な長髪に日に焼けた肌をした、おしゃべりな男。
母の恋人は全員嫌いだった私は、もちろんそいつの事も大嫌いだった。
殴られたくないから、できる限り、外面には出さないようにしていたが。
果たして、どういう状況だったのか。
とにかく、母は出かけていて埃っぽい部屋で男と私だけが涼しくもない扇風機の風に当たっていた。
「暑いなあ。なあ、〇〇ちゃん」
不意に男が私の名を口にした。
男の顔に張り付いた笑顔に、訳もわからず鳥肌がたった。
部屋の温度が急に下がったように感じるのに、不快感は跳ね上がる。
「暑いだろう?一緒に風呂に入ろう。気持ちいいぞ。」
男は一方的に言って立ち上がり、恐ろしさと悍ましさで凍りついている私を引きずるようにして浴室に連れ込んだ。
クソッタレな人生の中の、さらに最悪な
男の手が身体の上を這い回るたびに絶望感が際限なく湧き上がった。
ただ、男と私に誤算が一つずつ。
男の誤算は母の帰宅が思ったよりも早かったこと。
男が決定的な一線を越える前に帰ってきた母は、ウマ娘の鋭敏な聴覚で男の居場所を補足し、躊躇いなく脱衣所のドアを開けた。
「めずらしい、お風呂洗ってくれてんの?」
そんな、呑気な声をあげながら。
男は母の声がした時点で私の体からは手を離していたものの、浴室の中には異様な空気が充満していた。
私の誤算は、思っていた以上に母がイカれていたことだった。
その時、愚かな私は母が助けてくれると思ったのだ。
「お、お母さ」
覚束ない足取りで、必死に浴室を脱出し廊下の母に駆け寄った。
「アンタたち、なにやってんのヨオオォオオオオ!!」
私の声を、母の怒声がかき消した。
次の瞬間、激しい衝撃とともに身体が宙を舞った。
母の、大人のウマ娘の力で殴られたのだと理解するより前に頭にさらなる衝撃。
咄嗟に頭に手をやれば、水とは違うドロッとした感触。
見れば手のひらが真っ赤に染まっていた。
後から聞いた話では玄関わきの下駄箱に後頭部をぶつけたらしい。
傷は大したことなかったが、ともかく頭のケガは血がよく出る。
私は完全にパニックだった。
(死んじゃう!!)
と、悲鳴を上げながら家の外に飛び出すと隣の家の婆さんがこっちを見ていた。
「あ、アンタ、大丈夫かい!?」
いつもはだらしのない母の様子に皮肉を言うだけの嫌味な婆さんだったが、素っ裸で血まみれの
結果として、婆さんの呼んだ警察に母は逮捕され、私と男は救急車で運ばれた。
逮捕容疑は男への傷害と私への児童虐待。
後から聞いた話では、母の主観では、自分の恋人が娘を襲おうとしたのではなく、自分の恋人と娘が浮気をしていたことになっていたらしい。
だから、私まで殴られたのだ。
………、血がつながっているという事実に、死にたくなる。
男は折れた顎と肋骨の治療を受けてから、改めて私への虐待で逮捕されたらしい。
もっとも、こっちの話もずいぶん後になって人伝に聞いた。
当時の私は何にも知らないまま、児童養護施設で暮らすことになった。
寂しさと解放感、不安に愛情への飢餓感。その他諸々。
不安定な子供ばかりを集めた施設は猥雑で無闇に騒がしかった。
すぐに馴染めたなんてことはなかったが、それでも私の状況は明確に好転した。
衣服は粗末ではあっても清潔になり、食事も1日3回食べられる。
もっとも、ウマ娘にとって十分以上だったとは言えなかったから、私は以前と変わらず、男子に混じって給食のおかわり競争に参加していたし、デザートが余ればジャンケン大会に挑みもしていた。
それでも、給食が文字通りの命綱で、金曜日には子供心に土日を生き延びる術を考える。
そんな劣悪な状態からは脱出できた。
新しい状況に適応していく中で、私の内面にも変化が起きていた。
端的に言えば、自己評価の上方修正。
生まれた頃から精神に刻まれた傷は簡単に癒える物ではなかったが、それでも似たような境遇の子供たちに囲まれているうちに、少しずつ理解し始めたのだ。
どうやら、私の外見と運動能力は大した物らしいぞ、と。
施設でも学校でも近い年頃のウマ娘がいなかったこともあり、衛生面と栄養状態が改善した私は周囲に敵なしの状態だった。
さらに、変化を促した要因が1つ。
ウマソウルが活性化し始めたのだ。
満足な栄養もなく、半ば仮死状態になっていたソレが飢餓の脱出とともに目を覚ました。
ソウルネームはまだ伝わっては来なかったから、本格的な覚醒ではなかったのだろう。
それでも、目覚めたウマソウルは盛んに幼い私を駆り立てた。
「生きたい」「死にたくない」「負けたくない」
凶暴なまでの生存本能は本気の飢えを知るがゆえに強迫観念のようですらあった。
結果、それまでいた24時間腹を空かせて、汚い服を着た、病弱なガキはいなくなり、代わりに食い意地が張って、負けず嫌いなクソガキが誕生した。
私の人生で一番調子に乗っていた。
ある意味で、一番幸せだった時期。
とはいえ、それほど長い間じゃなかった。
精々、1年くらいだろう。
私の人生の二度目の転機。
忘れもしない。
小学三年生の秋、京都競バ場。
発端は多分、誰か偉い人の気まぐれ。
「施設の子どもたちをウマ娘レースに招待しよう。」という。
私たち施設の子供が、秋のGⅠレースの貴賓席に招待されたのだ。
隣の市とはいえ、お出かけに私を含めた年少組は盛り上がっていた。
高学年以上の年長組は複雑な顔をした子供が多く、中には「行かない」と宣言する者もいたが、その時の私はちょっと疑問に思うだけだった。
当日、いつもよりキレイで新しい服を着て、私たちは上機嫌で出発した。
みんな、いつもよりテンションが高くて、バスの中は大騒ぎだ。
バス酔いした子もいて、職員が一張羅を汚さないように必死になっていたのを覚えている。
とはいえ、盛り上がりはソコがピークだった。
京都競バ場の貴賓席に案内されると、しばらく待たされた後、スーツ姿のおじさん達と一緒にカメラマンに囲まれた。
慣れないことへの緊張感と飾り立てられた善意の匂い。
早い話、私たちは見せ物だった。
施設の子供は事情こそ様々だが、総じて自身に向けられる
私も、来たがらなかった子がいた理由を理解した。
さらに私たちを萎縮させたのは、他の貴賓席の客の存在だった。
着飾った男女、特にすぐ近くの席には私と同じ年頃のウマ娘がいた。
彼女たちの身につけた衣装。
施設のお仕着せとの違いが一目で分かる本当の高級品。
そして、そんな高級品でもちょっとした外出着でしかないというウマ娘達の態度。
持てる者の余裕。
愛されている者の傲慢さ。
ハレの日だからこそ、なおさらハッキリと現れる格差。
気まずくて、みじめな気分。
特にオシャレや服装に関心の強い女子の空気は冷えびえとしていた。
対照的に貴賓席のウマ娘達はどこまでも快活に振る舞っていた。
この場の主役が誰かを周り中に知らせているように。
私たちは誰が言うでもなく、目線は伏せがちになり、自分達だけでボソボソとしゃべりながら、ターフだけを見るようになっていた。
それでも、私が彼女たちから注意を逸らせなかったのは、ほとんど初めて目の当たりにする同年代のウマ娘だったからだろうか。
まだ、メインレースまでは間があり、パドックも始まっていなかった。
前座のレースの合間。
1人のウマ娘の興味が気まぐれに私たちに向いた。
「ねえ、お父様。あの子たちはどういう子なの?」
尋ねられた男性は少し声を潜めるようにして、何事かを言った。
その答えに少女は頷いた。
「へぇ、かわいそうな子たちなのね。」
小さな呟きだった。
ウマ娘の聴覚でなければ聞き取れなかっただろう。
実際、私以外に周囲で聞こえたらしい人はいなかった。
しかし、私には聞こえた。
目の奥がカッと赤くなり、頰が熱くなった。
思わず、弾かれたようにそちらを見てしまう。
呟きの主と目があった。
艶やかな鹿毛、三日月型の流星。
華美ではないけれど、一目で高級であると分かる上品なワンピース。
お姫様は無邪気な笑みを浮かべていた。
かわいそう?
かわいそう、だって?
今、私は憐れまれたのか?
幼い私はその時の感情を言語化する術を持たなかった。
しかし、今でも明確に思い出せる。
それは屈辱感。
短い人生の中でも、悲しみも苦しみも嫌悪感や絶望もあった。
みじめな思いも山ほどした。
しかし、この時ほどの屈辱感はなかった。
手が震え、湧き上がる感情に胸が一杯になっているのに、喉につかえて言葉は出てこない。
少女は私をはるかに見下ろしていた。
自分が当たり前に持っている物を、何一つ持っていない私を。
なにより、それが客観的で妥当な評価であると、自分自身で分かってしまうことが、私を傷つけていた。
少女はすぐにこちらに興味をなくし、ターフへと視線を向けた。
ちょうど、メインレースに出場するウマ娘がパドックに姿を現し始めた。
ターフの奥、貴賓席からもよく見える大型スクリーンに、勝負服で着飾ったきらびやかなウマ娘たちか順番に映し出されていく。
鹿毛の少女は立ち上がり、キラキラと目を輝かせていた。
「お父様、わたしも将来、GⅠレースに出るわ。1着になってウィニングライブをセンターで踊るの。」
「そうか。それなら私はお母さんと一緒に最前列でルナを応援しよう。今から楽しみだ」
父親は少女の頭を愛おしげに撫でる。
晴れ渡った秋空の競バ場。その親子は映画のワンシーンかなにかのようだった。
親に愛され、周囲に恵まれ、精神的にも、肉体的にも足りないものなんてなくて。
私が望んでも得られないものを、足元に無造作に転がしながら、眩しい未来まで語ってみせる。
我が物顔、なんてする必要もないくらい。彼女にとって、世界は自分のものだった。
(認 め ら れ る か ?)
私に与えられたものが、持っているものが少ないことは、10年足らずの人生でも身にしみていた。
私より圧倒的に恵まれた誰かがいるのも、どうにか呑み込んだだろう。
しかし、私が望んでも得られず、涙が涸れるほどに渇望していたモノを、持ちきれないほど持ちながら、彼女は言ったのだ。
「もっとちょうだい」と
(許 せ る も の か !!)
私は理解した。
強く、豊かで、既に食い切れないほど抱えた奴らが
なお、「もっと、もっと」と欲しがるから
だから、私が飢えるのだと。
胸の奥深くで、獣が咆哮した。
痩せて、見窄らしい、そのくせ目だけはギラギラと光らせている灰色の四足獣。
グレイナイザー。
秋の京都競バ場。
人生最大の屈辱と憤怒。
その日、私は、私のソウルネームを知った。
主人公が皇帝に向ける怒りは、ほとんど言いがかりで八つ当たりです。
良い、悪い、正しい、間違っているという話ではなく、心底気に食わないから、全身全霊かけて挑む。これはそういう話です。