<Side:グレイナイザー>
7月上旬の東京競バ場。
アオイソニドリのデビューは私の時とはちがい、好天の良バ場となった。
パドックでのお披露目を終えたソニドリに彼女の両親とトレーナーと一緒に声をかける。
パドックでカチコチに緊張していたソニドリはまだぎこちない様子で近づいてくると、まずは両親と2言、3言、言葉を交わしている。
「頑張って」「けがのないように」なんていう、内容よりも、そこにいて、声をかけることに意味のある言葉たち。
ソニドリの母親は、彼女によく似た小柄で元気な人で、父親は少し気弱そうだったが、その分優し気な表情をしていた。
「ソニドリ、」
見知った相手と言葉を交わし、わずかに緊張のほぐれたソニドリに声をかける。
「なに?」
まだまだカタさのとれていないチームメイトに意識して笑みを向ける。
「おまじないを、しよう」
「おまじない?」
なんだろう。若干の幼児退行を感じる。
「そう、力が出せるおまじないを教えてあげる」
わかった。と、頷くソニドリ。
「ほら、このサイン。覚えているでしょう?」
言いながら、私は胸の前で両腕をクロスさせ、開いた手のひらを下に向けて、パタパタと動かす。
3人で(主にソニドリが)考えたチームのサインだ。
「うん」
アオイソニドリがコクコクとうなずく。
川蝉(ソニドリ)、夜鷹(グレイナイザー)、ハチドリ(蜂雀)。
3人全員の名前が鳥と関係あることから、連想した羽根のサインだ。
ちなみにソニドリは気に入っていたが、私とトレーナーはそうでもない。
それでも、この場ではわずかながらにソニドリの緊張をほぐす効果があったらしい。
カチコチに強張っていた表情が少し柔らかくなる。
「ソニドリのやることはシンプルだよ。自分の1人前、アリゲーターガーさんがゲートインし始めたら、ゴール前で見てる私たちにこのサインを送って、それから靴紐を締め直してゲートに入る。」
「サインを送って、靴ひもを締めなおしてゲートに入る。」
「ソニドリから私たちは見えないだろうけど、私たちはしっかり見てるからね。
「うん、わかった!」
確認に対して、まだぎこちないまでも笑顔で応え、ソニドリはターフへと向かっていった。
「さあ、私たちも移動しましょう。ゴール横で、見届けないと。」
トレーナーに声をかけると、彼女はうなずいてから、口を開く。
「ええ、急ぎましょう」
指定席をとっているというソニドリの両親と別れ、観客席に移動する最中。
トレーナーから一言、軽い調子で投げかけられた。
「それにしても、いやらしいことをしますね。」
私も軽い調子で尋ね返した。
「ダメでしたか?」
「いいえ、手段を選ぶのは強いモノたちの特権です。私たちは、やれることなら何でもやらないと」
「それでこそ、トレーナーを選んだ甲斐があるというものです。」
「お眼鏡にかなったようで光栄だよ。」
トレーナーは肩をすくめ、私はクスクスと笑った。
数分後、私たちはゴールを目の前で眺められる観客席の最前列に陣取っていた。
トレーナー証を見せると、皆が譲ってくれるのだ。
コースは1400mの左回り。出走は9人で、アオイソニドリは8枠8番。
奇数番からゲート入りするから、最後のゲートインになる。
すでに奇数番のウマ娘たちのゲートインは完了し、偶数番のウマ娘のゲートインが始まっている。
モニターに時折映るソニドリはこちらの方を見つめている様だった。
やはり少し緊張しているのか、きょろきょろとあたりを見回す動きも見える。
「大丈夫でしょうか。」
たずねると、トレーナーはおそらくと前置きして口を開いた。
「パドックよりはましですね。元々、静かに集中するより、やることがある方が落ち着くタイプのようですし」
『6枠6番、アリゲーターガー。気合十分といった様子です。』
ソニドリの前のウマ娘が呼ばれ、ゲートイン。
モニターの中心はゲートインするウマ娘だが、画面端でソニドリがパタパタと羽根のサインを出しているのが見えた。半分、見切れていたが。
『8枠8番、アオイソニドリ。靴ひもを締めなおしているようですが、大丈夫でしょうか。いま。ゲートイン』
続いて、靴ひもを締めなおすと、どこかやり切った表情でゲートに収まった。
横顔からは高揚感が見て取れるが、過剰な緊張は感じられない。
しかし、他のウマ娘はどうだろう。何人かは不安げに足元を気にしている。
君たちの靴ひもは大丈夫か?
締めなおす時間はもうないぞ?
「経験豊富な相手には効果はないでしょうが、メイクデビューなら効くかもしれません。」
「だといいのですが」
周りには聞こえないように、落とした声量のトレーナーのつぶやきに、私も小さく返す。
私の仕込みは単純だ。
ゲートイン待ちの間、ソニドリにハンドサインと靴ひものタスクに集中させて、余計な緊張から目をそらさせる。
さらに、スタート前に単純なタスクをこなさせることで「考え通りに出来てる感、最初のステップをこなした感」をソニドリに与える。
一方でこれ見よがしに靴ひもを正すことで、他のライバルの集中にノイズを走らせる。
いかに、メイクデビューでカチコチのウマ娘とはいえ、全員に影響を及ぼせるわけはないだろうが、逆に言えば何人かには…、
『今、スタート。おっと、これはバラけたスタートになった。好スタートは3番イレブンジャック、8番アオイソニドリ
イレブンジャックはそのまま逃げる構えか、先頭を行く。アオイソニドリはスルスルとウチにおさまり、1番スゴイサイエンス、2番インポータンツと2番手集団を形成。』
スタート直後、私とトレーナーは小さく「ヨシッ」とこぼしていた。
いいスタート、その後の位置取りもよい。
『出遅れたのは、4番エッグノッグ、9番プラネタリューム。おっと、エッグノッグが加速して、一気に順位を上げていく』
『かかってしまっているかもしれません。あのペースではスタミナが心配です。』
『さあ、エッグノッグ、2番手集団に並んで追い抜こうというところ』
『つられる形で全体のペースも上がっています。』
先頭から最後尾までの距離がぎゅっと縮まっていき、エッグノッグが破滅的なペースで先頭のイレブンジャックに並んだ。
「トレーナー」
「ええ、いい流れです。あの娘は意外と目端が利きます。ゴチャついたレースの方が目がある」
そう、身体的なスペックは私同様あんまり高くないソニドリだが、一つ私にない特技みたいなものがあった。
半分勘のようなものらしいが、天然で要領がいいというか、バタバタとゴチャついた状況でも、崩れにくく、気が付くと悪くない選択肢をとっているのだ。
『今、先頭のイレブンジャックとエッグノッグが1000mを通過、のこり400m。おっと、ここでエッグノッグのスピードがガクリと落ちた。』
『出遅れからの無理な追い上げでスタミナを消費しすぎましたね。』
『それを合図にしたかのように、後続がスパートを開始。2番手集団のスゴイサイエンスとインポータンツがイレブンジャックを捉えにかかる。8番アオイソニドリもそれに続く、さらに外から6番アリゲーターガーも上がってきているぞ。』
『イレブンジャックは粘っていますが、これは苦しそうです。』
私もトレーナーも精いっぱいの声援をあげる。
周りの観客も思い思いに自分の応援するウマ娘の名前を呼んでいる。
『残り200m、エッグノッグは完全にバ群に沈んだ。イレブンジャック、脚色が悪いがまだ粘っている。2番手にスゴイサイエンス、アオイソニドリが横並び、僅差でインポータンツとアリゲーターガー。さらにスリーソックス、デスコビートと続くが、後ろの娘達は厳しいか。』
『脚色は遜色ありません。まだ勝負は分かりませんよ』
『ここで8番アオイソニドリ、イレブンジャックをかわして先頭を奪った!アリゲーターガー、スゴイサイエンス懸命に追う!懸命に追うが、届かない!混戦のメイクデビューを制したのは8番アオイソニドリ!2着は半バ身差でアリゲーターガー、さらにクビ差の3着にスゴイサイエンス、……、』
『ある意味メイクデビューらしい混戦でしたが、落ち着いて自分のペースを守れた娘が上位に来た印象ですね。勝ったアオイソニドリは位置取りも味方しました。』
『というのは?』
『2着のアリゲーターガーは終始外目のレースだったので、カーブでのロスが最終的に響いたかと、3着のスゴイサイエンスは失速したイレブンジャックに前を、アオイソニドリに横をふさがれる形になったのが痛かったですね。』
私とトレーナーは思わず顔を見合わせていた。
「トレーナー、勝ちましたね。」
「ええ、何というか。うまく行きすぎた感じはありますが」
展開に助けられた部分は大きいが、それでも、間違いなく、ソニドリが正々堂々勝利した。
「ナイザーちゃん、トレーナー!やったよー。かったよー!!」
ソニドリが大きく両手を振りながら駆け寄ってくる。
『勝利したアオイソニドリが手を振りながら、チームメイトたちに駆け寄ります。』
観客席から、大きな歓声と拍手が降りそそいでくる。
『まだまだ、レース人生は始まったばかりですからね。勝ったアオイソニドリはもちろん、敗れた娘たちも、これからの活躍を期待したいですね。』
「ソニドリ、おめでとう。ゲート前のサインも、しっかり見えてたよ。」
感極まって柵ごしに抱き着いてくるソニドリの身体を受け止める。
「ありがとう。ナイザーちゃんとトレーナーの応援、ちゃんと聞こえてたよ!」
感極まって涙ぐむアオイソニドリ。
私とはちがう。温かい、日向の匂いがした。