この世界には悪が居る。
世を地獄へと変え、民を苦しめる魔王の如き悪が──
この世界には英雄が要る。
世界を救い、民を苦痛から解放せし英雄が──
夜更けに読み聞かせるような、ありふれた物語の主役は何処に居る?
悪を討ち、光をもたらす者が英雄か?
その礎となった者たちは何者か?
誰もその答えは考えぬ。
我らを救いし者こそが、英雄なのである。
例えそれが果てなき邪悪だとしても、この世界を救う者こそが英雄である。
英雄はいずれ正義となる。
しかし正義が英雄になるとは限らない。
新たな道を切り開いた者こそが英雄である。
例えその姿を知らぬとしても、偶像として英雄は存在する。
────────
「不幸を撒き散らした真の悪を打ち倒した英雄か、その悪の罠に嵌められた悲劇の主人公か──」
「まるでおとぎ話のような、そんな人生」
「人は勝手にそれを美化する。ありもしない話を付け足し、事実のように人へと語る」
「それが真実となる事はない。だがそれは世の真理となり、絶対的で不変の世界の歴史として刻まれる」
「──して、今のこの世界に置ける悪は誰だと思う?」
ゼラは唐突に質問を投げ掛けてきた。
だがガラはその質問に言葉では返さず、じっとゼラを睨んで答えた。
「そうだ。そして英雄と成り得る素質を持つのはお前だ」
「我は先の英雄を引き立てる、絶対的な悪でしかない」
「何れ反乱が起きるだろう。我を打ち倒そうと誰かが立ち上がるだろう──」
「だがそんな事は分かっている。虐げられた者が、悪しき闇を討ち滅ぼす。結局求められているのはそんなシナリオだ」
「そんなシナリオになるように、我がしたのだ」
「悪は滅び、英雄が生まれる」
「この世界の王となるのは、
「しかし……我々が公の場に正式に姿を出したのは、産まれたばかりのあの時だけだったな。あの両親が色々と考えた上でそうなったのだろうな」
「お陰で今の我々の姿を知っているのは、この王宮内に居る者ぐらいだ」
「だが、ガラは救世主として崇め奉られるだろう」
「誰も本当の姿なんか知らないのにな……そしてそこに付け足されるのは知らない不幸話か、身に覚えのない英雄譚か……だがそんなものは些細なことだ」
「……ッ⁉」
その瞬間、ガラは理解した。
ゼラの言葉の真意を、ゼラがここに来た目的を──
「
ガラは咄嗟にゼラに飛び掛かったが、足に上手く力が入らず、ゼラに届く前に床に倒れてしまった。
「どうした?鈍ったか?」
「まあ、ろくに動かず、あんな残飯みたいなものばっかり食べてたらそうなるか──」
ゼラは腰を低くし、ガラの姿を近くで見下ろす。
「それにしても、どうやらお前でも我が何を言いたいのかが分かったみたいだな。話が早くて助かるよ」
「そんなお前には褒美として端的に伝えてやろう。いいか?そのちっぽけな脳みそによく叩き込めよ」
床に倒れるガラの頭をグリグリと、わざとらしくゼラは乱暴に撫でる。
「今日からお前が
「……一体いつから……いつからこれを企んで……」
「……さぁな、いつからだろうな?お前なら分かるんじゃないか?」
「いいよなぁ、お前には才能があって……我よりも血に愛されて……分かったんだよ、お前が居たら我は王にはなれないと──」
「恨むなら、お前自身を恨むといい。力を持っただけで何も変えられない、未熟なお前を」
「……殺すのか──?」
ゼラへとそう問うと、頭に乗せられたその手が離れた。
「ガラ……いや、ゼラ。我は優しいからな、殺しはしない。お前の為に特別な部屋だって用意したんだぞ?」
「お前はそこに居るだけでいい。殺さなかった時のリスクよりも、殺し損ねた時のリスクの方が面倒だからな……特別に生かしてやる。感謝するといい」
そう言われて、素直に感謝できるような状況ではない。
ゼラはただガラの神経を逆撫でする為だけにそう言っている。
それでもガラは耐えていた。
カッとなって手を出せば、それこそ相手の思う壺。
そうならないためにも、父の最後の願いに少しでも応えるためにも、ガラはこれ以上の怒りは抑えた。
「父も母も死んでもらうしかなかったが、お前は生きれるんだぞ?心から喜んでくれてもいいと思うのだが……」
『私たちがもっと──』
「他の奴らと同じ末路を辿らずに済むと言うのに……」
『側に居てやってくれ──』
「感動して声もでないか?そうでないのなら、反論の一つでもしたらどうだ?」
『兄弟──』
「それとも、お前も他の奴らのように死にたかったのか?……もしや、逃げられるとでも思っているのか?」
『お前なら、きっと──』
「心配しなくても、お前の大好きな護衛二人には見つけ次第死んでもら──」
ゼラの言葉は途中で途切れ、代わりに鈍い音が鳴り響いた。
一発──ゼラの頭には、一発の拳が放たれていた。
その拳は、文句無しの強烈な一撃とは言い難い。
実際、弱ったガラの身体が出した拳の威力は、大したものではなかった。
だが、その拳の威力など然程問題ではない。
重要なのはその意思であり、拳に乗ったその想いである。それを示す事ができれば充分だった。
「──ぐぅッ!!」
直後、ガラの身体は後方へと大きく飛ばされた。
ゼラがガラの体を思い切り投げ飛ばしたのだ。そしてガラはそのまま後ろにある、小物入れとして使っているタンスに激突した。
衝突した勢いでタンスは揺れ、上に置いていた物が自身の周りに落ちてくる。
花瓶は割れ、写真立ては砕けて破片が飛び散る。
「……お前がどれだけ怒ったところで、何も変わりはしない。もうどうすることもできない。生温いお前にはお似合いの末路だな」
ゼラがそれを言い終わる頃に、部屋の扉が開いてそこから何人もの人が入ってきた。
(警備隊……まあ、既にそっち側か……)
こちらを捕まえる正当な口実でも欲しかったのだろう。
だからゼラは大人しく殴られた。
警備の者に腕を掴まれ、無理矢理立たせられると、先程タンスから落ちた写真立てが見えた。
(カリエル……シトリウス……)
自分にはどうすることもできない。
もう既に、そんな状況だった。
「一人で後悔でもしてるといいさ。何百年でも、何千年でも──」
----------------
この世界に新たな王が誕生した。
王の名は『ガラ』
一時期王として君臨していた邪悪なる者『ゼラ』を打ち倒し、地下深くの牢獄へと封じ込めた英雄である。
彼はかつて、ゼラの策略によって悲劇の元凶という汚名を着せられた。
それ以前は神の子として謳われていた彼も噂には勝てず、一人、また一人とその側から離れて行ってしまう。
母の死、父の病気、自分を慕う者たちへの不幸、それら全ての元とされたガラは、やがて自身の部屋に閉じ籠るようになってしまった。
そんなある日、ガラはとある秘密に気付いてしまった。
そう、全ての不幸の本当の元凶──ゼラの策略に……
それを知ったガラは奮起した。
母を、父を、己を慕ってくれた全ての者を奪ったゼラに、復讐を誓ったのだ。
そして彼は、ゼラの悪事を見事に暴き、牢へと封じ込めた。彼のお陰で民衆はゼラの支配から解放され、活気が戻ってきた。
その功績を称え、民はガラを新たな王として迎え入れたのだった。
────────
「それで、奴らは見つかったのか?」
夜の闇が深くなった頃、王宮の廊下を複数の側近を引き連れて歩く者がいた。
「いえ……未だ消息は掴めておりません……」
「はぁ……お前らは何をしている?たった二人、それすらも見つけられんのか?」
ガラを牢に入れてから二週間──ゼラは未だガラの護衛二人が見つからぬ事に不満を抱いていた。
「これだけ人を使っておいて、何故そこまで手間取る?」
「そ、それは……」
「それは?何だ、何か言い分でもあるのか?」
ゼラの放つ威圧感に、周りの側近も震え上がった。
「い、いえ……そんなことは……」
「分かったのなら、さっさと探しに戻れ」
「……仰せの、通りに……」
震えながらそう言った彼は、足早にこの場を離れた。
「ランス──」
「はい」
ゼラの呼び掛けに反応したのは、隣を歩く長身の男。
「アイツは誰だ?」
「新入りでございます。お気に召しませんでしたか?」
「……シーダルは確か遠方の捜索に出向いているんだったな」
「ええ、他国との境界も近く、少し長引くかと──」
「……ランス、残っている奴らの指揮はお前が取れ。民衆の聴取も強化しろ」
「はい──」
『ランス』『シーダル』
それが、ゼラに付いた二人の護衛の名である。
彼らはゼラの策略に協力。結果ゼラの地位が変わっても、その立場を失うことなく側近で在り続けている。
現状、ゼラに最も近い存在である。
その時、何やら後ろから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ガラ様!!」
「何だ?騒がしい……」
「正体不明の何者かに、王宮が襲撃されています!!」
「「何──⁉」」
たったその一文で、ゼラの周囲に居た者たちは驚愕した。だが皆が緊迫感に包まれる中、ゼラだけは違った。
「襲撃……」
◆◇◆◇
ゼラが王となり、完全に国を乗っ取ってから、私達はガラ様を救出する手立てを探っていた。
だが王宮の警備がどれ程のものなのかは自分達がよく知っている。故にこれが簡単に解決できるような問題ではないという事はすぐに分かった。
そんな時、風の噂でゼラの政権が崩壊したと聞き、そして新たな王としてガラ様が君臨したとも耳にした。
だがふと見た新聞の一面──そこに載っていたのは、ゼラの姿だった。
自らを悪とし、ガラの名を名乗って再度王座に就く。
何も知らない民からすれば、今ここに載っているのはゼラの悪政から解放してくれた救世主ガラ。
何故私達が指名手配までされて追われているのかの理由が分かった。
奴は──ゼラは、ガラ様の顔を知る者を全て消し去ろうとしているのだ。
おかげで追われる身となった私達は、まともに町を歩くことさえ儘ならなくなった。
出店に並ぶリンゴを一つ手に取り、手で回しながらその形を見る。
いつもこうしてそのリンゴの美味しさや鮮度を見極めているのだが、今回は少し手間取った。
「……あまり見ない品種ですね。何処かからの輸入品ですか?」
正直この品種のリンゴは一度も見たことがない。
確実に他国から持ってきた物だろうというのはすぐに分かった。
(しかしなんだ?この店は……)
リンゴだけではない。他の果物も見たことがないようなものばかりだ。
それに、少し横を見れば何故か魔道具のようなものまで売ってある。
(密売業者か何かか……?)
怪しい匂いしかしてこないような店だが、今の状況ではこういう店に頼る他ない。
全身を覆い隠すような服を着ていても、こういう所ならば怪しまれる事はないからだ。
「……遠くの地に生えていたリンゴだ。見たことがないのは当然だろう」と、店主の彼女は少しぼかすように言った。
「……そちらの魔道具は?」
隣に並ぶ魔道具に、チラリと視線を向けて問い掛けた。
「要らなくなった物を売っているだけだ。だがまあ、品質は保証しよう」
彼女は目も向けずにそう返してきた。
その言葉を聞いて、カリエルはその中の一つを手に取った。
(コンパス……?にしては奇妙なものだな……)
手に取ったのは、ちょうど手に収まるぐらいの大きさのコンパスのようなもの。
「何か迷い事でもあるのか?」
それを手に取った直後、店主はそう聞いてきた。
「時に魔道具と人は引かれ合うものだ。何かを成す者は魔道具を呼び、何かを求むる者は魔道具に引き寄せられる」
「その羅針は進むべき道を示す。人によってその向きも、指し示す数も違う。その道の先にあるものこそが運命だ。お前が選択できる、結末の一つ。その運命を辿るも、逸れるも、お前の自由だ」
カリエルは再度魔道具を見た。
「要るか?」と、店主は問い掛けてきたが少し考えた後にカリエルは断り、その後リンゴだけを買って、カリエルはその店から立ち去った。
「……指し示された道の先が必ずしも幸福とは限らない。彼の選択は、どう転ぶのだろうね……」
店主は立ち去るカリエルの姿を見届けると、また新しくやって来た客の接客を始めた。
────────
「本当にやるのか?シトリウス」
「大丈夫だ、逃走経路だって確保してある」
王宮から少し離れた路地裏、そこでカリエルとシトリウスは最後の確認を行っていた。
「基本は正面突破で何とかなる筈だ。ランスの野郎一人ぐらい、俺が相手してやるさ」
「ゼラが出てきたらどうする?さすがのお前でも──」
「その時の為のお前だ。頼りにしてるぜ?」
そう言うと、シトリウスは姿を隠すためのローブを投げ渡してきた。
「………」
◆◇◆◇
王宮に襲撃が起こった事を知らせる叫び声が響き渡る。
その中でカリエルとシトリウスが目指すは、ガラが囚われている地下牢。
これは時間との勝負、ゼラが侵入者の正体を察すれば、即座に地下牢へと続く道は封鎖されるだろう。
そうなる前に地下へと入る。
「来たぞ、カリエル」
そう告げるシトリウスの目線の先には、複数の敵の影がある。
それもただの雑兵だけではない。
迫ってくる敵の中には王宮に残っていた精鋭の姿もある。
「一気に行くぞ──」
だがそれでも、彼らの歩みは止められない。
敵を薙ぎ倒し、切り開かれた道を駆け抜ける。
止まることを知らない二人は、すぐに地下への入り口の前にまで辿り着いた。
「
「ああ──」
「頼んだぜ、カリエル。追手は任せろ──」
入り口の周囲に敵がいない事を確認すると、シトリウスはそこで足を止め、追ってくる敵の方を見た。
対してカリエルは、振り返ることなくすぐに地下へと突入した。
────────
薄暗い階段を何段も下り、冷たい空気が漂う通路を駆け抜けた。進んでも進んでも、終わりは見えてこない。
目的地は最下層の牢獄、噂には聞いていたが、やはりそう簡単には辿り着けないようだ。
王宮の地下牢獄──その中でも最下層に位置する特別な牢。話によれば、そこは外界とは時間の流れが異なり、たった数日が何十年にも何百年にも感じられるらしい。
元は短期間で行う用の拷問部屋という噂もある。
黙々と地下に降りて行くと、十分程して漸くそれらしき所へ着いた。
だがそこに明かりらしい明かりはない。
暗闇がこの場を覆い、長い通路の先からどこまでも冷たい空気が漂ってくる。
辺りを見渡すと、足下にランタンのような物が落ちていた。
(かなり古い物のように思えるが……まだ使えるか……?)
落ちていたのは火の代わりに魔力を使って光らせるタイプのランタン。だがそれは見るからに古い物であり、ちゃんと使えるのかどうかは分からない。
試しにカリエルが魔力を込めると、ランタンはうっすらと光出した。まだ完全に壊れてはいないらしい。
心許ない光だが、それでも進む以外に道はなかった。
一歩、足を踏み出す。
コツンと鳴った足音は壁を伝って広がり、反響する。
それ以外の音は聞こえない。それでも警戒を怠る理由はない。
カリエルは一歩ずつ、慎重に通路を進む。
頼りになるのはランタンが放つ僅かな光のみ。
何度も鳴り響く足音が、最早不気味に思えてくる。
しばらく進むと、奥に一つの扉が見えた。
見るからに重い鉄の扉、その扉からは一際異様なものを感じる。この通路に漂う異様さの全ての元凶はここだろう。感覚的にそう感じたカリエルは、歩の進みを速めた。
「……」
扉の前に来たカリエルは、懐から一本の鍵を取り出した。シトリウスから必要になるかもしれないからと事前に受け取った物だが……鍵ならば使うタイミングはここしかないだろう。
取り出した鍵を扉へと近づけると、鍵は微かに光を放った。すると直後に、扉にかけられていた封印が解かれた。その光景を見て、一体この鍵を何処で拾ったのかという疑問が湧いたが、今は胸の内に仕舞い込むことにした。
重い扉を開けると、牢の端に蹲るようにして座っている影があった。
「ガラ様……」
声を掛けた。いくら話しかけ難かろうとも、それをするしかなかった。
「………」
久し振りに対面した主の姿は悲惨なものだった。
髪は無造作に放置され、身体はやつれ、虚ろな瞳で虚空を見ている。元気とは程遠いということは、一目瞭然。
「……大変、お待たせしました……」
「…………」
返事すら返ってこない。まるで全てを諦めた廃人のように、ただその場で蹲っている。
それでも、ここまで来た以上このまま放っておく訳にはいかない。多少無理矢理にでもここから連れ出すしかない。
カリエルは蹲るガラを無理矢理動かして背負い、牢の外へと出た。
「こんな所はもう出ましょう」
「…………」
「また、皆で町へ行きましょう」
「…………」
返事がこなくても、カリエルは話しかけた。
「辛かったですね。こんな場所で一人……」
「…………」
「安心してください。もうあの場所に居る必要はありません。こんな場所は出て、もっと広くて、自由な場所に行きましょう」
「……」
「皆あなたを待っています。私も、シトリウスも、あなたが帰ってくるのを待っています」
「……違う」
「……?」
「これは罰だ。きっとそうだ。我への罰なんだ……」
「……あなたは、何か罪を犯しましたか?」
「………」
「罪が無いのなら、罰を受ける必要なんてありませんよ」
「……ある筈だ。罪が……」
「ありません」
「……なら、何故皆は我を責め立てる?」
「……?」
「皆が我を責め立てる……今も!!毎晩毎晩、何故?毎晩……今……?今はいつだ?何年、何十年……何百年経った⁉」
「……ッ」
「うるさい……嫌だ、我じゃない!!」
何かを振り払うようにガラが腕を振ると、その先にあった壁が削られ、ヒビが入った。
その突然の出来事でカリエルはバランスを崩しかけたが、持ち前の体幹でなんとか堪えた。
「……私達と初めて外に出た日を覚えていますか?」
「純粋で、元気が有り余っていたあなたは、町中を駆け回りましたね」
「………」
「初めて誕生日会を開いた日を覚えていますか?」
「あの日はシトリウスの誕生日でしたね。サプライズでケーキを作りたいと言って、一緒に作っている最中に偶々厨房に来たシトリウスに見つかりましたよね」
「……」
「あなたが私達に稽古をつけてほしいと必死に頼んだ日を覚えていますか?」
「私達に泣きついて……その次の日からは鍛錬尽くしでしたね」
「…」
「好きなように生きてください。私達はそれを手伝いますから。力が必要ないと言うのなら、私達は側で見守ります。あなたがその力をどのように使おうと、私たちは止めません」
「だけど、自分だけは傷付けないでください。少なくとも、私とシトリウスはあなたの味方です。あなたがどんな風になろうとも、それは変わりません」
「ここにあなたを責める者はいません。それはただのまやかしです。耳を傾ける必要もありません」
「それでも、今の自分が嫌いと言うのなら、そうでない自分になってください。あなたが今、苦しくない道を選んでくれて構いません」
「既に失ってしまったとしても、どんなにツギハギなものでも、私達は受け入れます」
「……何故?何故そこまで……?」
「私たちはあなたの護衛ですから……誰よりもあなたのことを大切に思っているだけですよ」
カリエルの首にしっかりと腕を回し、その背から落ちないようにしがみつくその腕に、より力が増したかと思うと、ガラはポツリと言葉を洩らした。
「……ごめん」
「ごめんなさい。自分の、罪だなんて言って……」
ガラの頭が背に当たるのを、より強く感じる。
「ごめんなさい。自分の事を……悪いと思って……」
ガラの声に嗚咽が混じる。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい………」
その後も、何度も何度もガラは謝罪の言葉を繰り返した。その言葉の一つ一つを、カリエルはただ静かに受け止めた。
────────
己の過ちを見つめ直す。
人はそれを経て、間違いを正すことで一歩成長する。
だが、その過ちを見つけられなかったとしたら?
人はいつまでも成長することなく、停滞し続けるのだろうか?
一体何処で間違えた?
一体何を間違えた?
振り返る度に、そんなことを思ってしまう。
何か一つでも違えば、こんなことにはならなかったのかもしれない。そう考える時点で、私はもう止まってしまっているのかもしれない。
だけど、私はその答えを知りたくはない。
だがもし、その答えを知っている者がいるのならば、忘れてほしい。仕方無かったと、そう思ってほしい。
ガラ様に示してきた道が、間違いだらけだったとは思いたくはない。あの方がずっと、間違った道を歩んできたとは思ってほしくない。
後悔先に立たず、その言葉を信じるしかないのだ。
後悔だなんて、私が思う権利など無いのだろうが──
────────
ガラが落ち着きを取り戻した頃には、カリエルは地上へと戻る出口が見える所にまで来ていた。
そして、ガラを背負って入り口まで戻って来たカリエルはそれを目撃することとなる。それは、ここまでずっと進んできたカリエルの足を止めた。
シトリウスが相手したであろう者たちが、そこら中に倒れている。見知った者もいれば、初めて見る顔もある。
その中の一つに、
まるで同じ者にやられてしまった一人のように、血塗れで床に寝そべっていた。
「シトリウス……?」
カリエルの口からその名が溢れる。
「カリ…エル……」
床に倒れ伏すシトリウスの発した言葉は掠れていた。
「シトリウス──!!」
彼のもとへ駆け寄り、ガラをそっと下ろすと、カリエルはシトリウスの身体を腕で支えながら起こす。
「カリエル……」
「ほう、久しぶりだな──」
その時、この空間に現れた一人の声が、この場を支配した。その圧倒的な存在感を放つ彼のことは、この場にいる誰もが知っていた。
「ゼラ……」
まるでガラの鏡のように彼はそこに立っている。
そんな彼が見る先に居るのは、同じく自身の鏡のように立っているガラ。
髪の長さや色、身体の状態等、見れば誰でも分かるような違いはあれど、目の前に立つそれは自身の鏡のようにしか感じられなかった。
「ゼラ様──」
「我の事はガラと呼べと言っているだろう、ランス。あいつの為にも、そこの所はちゃんとするべきだろう?」
「失礼いたしました」
「まあいい、それで何の用だ?」
「残っていた兵の殆どがやられました。増援も期待できないでしょう」
「まあ、残りカスのような奴らじゃあそんなものだろう」
「ですが──」
「話はもういい、後で聞く」
ボロボロになりながらも、小声で戦況の報告をするランスに、ゼラはそう告げて話を打ち切った。
その理由はただ一つ──
ガラが既にすぐそこにまで接近していた。
ゼラはガラの拳を片手で受け止め、余裕の笑みを浮かべる。
「赤子の方が力の入った拳を打てるんじゃないか?」
「お前ッ……!!」
「憎いか?真っ暗な部屋がそんなに怖かったか?」
「ふざけるな……我に罪を被せておいて……」
「牢屋に入るのは罪人の仕事だろ?さっさと職場に戻ったらどうだ?」
「違う……それはお前だ!!」
「たった二週間で反抗期か⁉つくづく手の掛かる奴だな」
「何処かの誰かに似てしまったのかもな──!!」
「猿真似で調子に乗るなよ──!!」
────────
「逃げろ……カリエル……」
「お前はどうするんだ……!!」
己の側から離れぬ人影に向けて、シトリウスは告げる。
「置いて行け……俺はもう、足手纏いにしかならない」
「ダメだ──」
「出血は多いが、まだ助かる可能性はある。それなのに置いて行く訳がないだろう!!」
「………」
その言葉に応じてか、シトリウスが立ち上がろうとすると、カリエルは手を差し出した。
「俺は……お前と出会えて良かったよ、カリエル」
シトリウスはその手を掴み、よろけながらも立ち上がった。
「お前も、ガラ様も……俺は、家族のように思っている。俺にとって、大切で……失いたくないものだ……」
「俺は……お前たちと居るそんな特別な時間が好きだった……」
「でも、ガラ様は……学校に行くこともなければ、知らない奴と出会う機会もろくにない。俺は……少しでも、
シトリウスはカリエルの両肩に手を置き、その目をしっかりと見た。
「だけど……最後にもう一度、無理を言っていいか?」
「あの人を……ガラ様を自由にしてやってくれ……」
「あの人のしたいようにさせてやってくれ……」
「もう、特別でいる必要はない……決められた場所でしか生きられなかったあの人を……好きな所へ、連れて行ってくれ……」
「それがなんであれ、お前だけは……あの方の側に居てやってくれないか……?」
肩に置かれた手を、カリエルは払った。
「……私だけではない。お前も一緒にだ」
少し悲しげに、だけど優しくカリエルは言った。
「……ハッ、そう言うと思っていたさ……ありがとな、カリエル……」
シトリウスの顔は下を向いていたが、カリエルには彼の顔に笑みがある事が分かった。
「必要とあれば、俺も地獄へ着いていくよ」
見ずとも分かった。聞かずとも伝わった。
長年共に居た彼は、カリエルにとっても確かに家族のようなものだった。
それ故に、分かった。
彼がする行動なんて、すぐに分かった。
「だから、頼んだぞ──!!」
シトリウスはカリエルの体を突き飛ばし、ガラのもとへと走り出した。
────────
「ゼラさ──!」
ランスの体が貫かれる。
「や、やめ──ッ」
この場に残る兵士が弾ける音がした。
血が流れる。壁が崩れる。炎が揺れる。
「愚弟が……調子に乗るなぁぁァァーー!!」
ゼラの手に魔力が集まっていく。
ガラは真正面からそれに立ち向かって行く。
手には同じく溜められた魔力、だがそこに差が生まれた。
この二週間、大して動くこともなかった。
食事もろくに与えられず、精神的にも、肉体的にも追い詰められ、もはや歩くことさえ出来ない状態であったのにも関わらず、怒りという感情で身体を突き動かしている。
だがそこにはまだ迷いもある。
ガラにとっては途方もない時間、理不尽を正当化するために抱いてきた罪というものを否定しようにも、未だ完全には拭い切れていない。
それ故か、細かい動作、魔力操作の精度、体力……それらのものが確実に落ちている。そして今彼を動かしている怒りが、彼の動きを単調にしている。
ガラにはもう余力はない。
この一発で終わる。
勝敗は明らかだった。
そこに彼が──シトリウスが割って入った。
彼はガラの体を押し飛ばし、代わりにゼラの攻撃を受けた。
そしてガラの溜めた魔力は、押し飛ばされ本来の狙いを逸れるも、ゼラの腕を貫く。
どちらのものなのかは分からない、小さな苦痛の声が聞こえた。
二つの鮮血が飛び散った。
一つはその胸から、一つは腕の先から、その場に赤い溜まりを作らんとしている。
一方、突き飛ばされたガラの体は、その先に居たカリエルがその身で受け止めた。
「シトリウス……?」
何が起こったのかを完全には理解していないガラは、辺りを見回して状況を把握しようと試みる。
「………」
その光景はすぐに目に入った。
あの頃側に居てくれた者に空いた穴と、その先に覗く景色が──
「……ッ!!」
だがシトリウスは、力尽きて地面に倒れてしまう前に何かをこちらへ投げてきた。地面を一度跳ねて届いたそれは、不思議な形をした一本の鍵。
それを手に取った瞬間、鍵が光だした。
ただ光っているのではない。何かしらの魔法か何かが発動しようとしている。
鍵の光は広がっていき、やがてガラとカリエルの体を包み込んだ。
「まさか……!!」
それに気付いたゼラは、二人を逃がすまいとすぐに動き出した。
ガラの体を抱え、その場で鍵を握り締めるカリエルに対し、ゼラは残っている右手に魔力を溜め始めた。
ゼラはこの状況で何が起ころうとしているのかすぐに分かった。カリエルは襲撃前にシトリウスが言っていた『逃走経路』という言葉の意味を理解した。
その証拠に、彼が最後に見せた顔は笑っていた。
直後にゼラの魔力が放出されるが、その斜線にはもう何も残っていなかった。ただの空を、魔力は突き抜けた。
----------------
「………」
辺りを見回すと、知らない空が広がっている。
あの鍵は何だったのだろうか?
そう思って鍵を握っていた手を見るも、そこに鍵は無かった。
仕方なくカリエルは再度周囲を見回した。
見たことがない。広がっているのはまるで別世界のような景色だった。
(あの鍵は私たちを果てしなく遠い何処かへと飛ばしたのだろうか?)
丘のような場所から見えるのは、数多くの星の光。
まるで宇宙にでも投げ出されたかのように、右にも左にも星がある。
その光景を前に言葉は出なかったが、すぐに今自分がすべきことを思い出した。
「──ガラ様!!」
名を呼びながら周囲を見ると、少し離れた所に人影があるのが見えた。
「ガラ様……ご無事ですか?」
その人影のもとに駆け寄り、声を掛ける。
「………」
しかし返事はなかった。
ただボーッと、彼もこの星空を眺めている。
「……ここは?」
ポツリと、ガラの口から言葉が洩れ出た。
「──分かりません。少なくとも、あの場所とはかなり離れた所だとは思われますが……」
「シトリウスは……?」
「……」
一瞬、返す言葉に詰まった。
寧ろそれが答えとなっただろう。
ガラはそれ以上追求することはなかった。
「……檻の中で、ずっと自分の事を考えていた」
「そうでもしないとおかしくなると思った。でも違った。考えれば考えるだけ、自分の事が分からなくなった。自分が何なのか、何のためにいるのか……」
「何であの場所に居るのかが分からなくて、勝手に自分に罪があるからだと思うようにした。もう動きたくもなかった」
「あの時、部屋に閉じ籠ったのもそうだ。何かを失うのが怖かった。何もせずにあの部屋に居れば、何も失わないで済むと思った。自分のせいで何かを失うことが嫌だった。でも、何処に居ようと関係なかった……」
「は、はは……ならばどうしたらよかったんだ……?」
「もっと遠くへ行けばよかったのか?それとも消えたらよかったのか?我がもっと他人に無関心であったらよかったのか?そうすれば、苦しむこともなかったのか?」
「分からない……何も……」
「我が今何を言っているのかすらも分からない……何を言いたいのかも分からない……」
「──でも、これだけは分かる……我には、何も守れない。我がいるのが悪いんだ……我がいるから皆が傷つく」
「シトリウスだって……我のせいで……」
「──違います。あなたのせいではありません」
「シトリウスは、役目を果たして散ったんです。あなたの為に、命を懸けたんです。あなたを守ることが、私たちの責務。それが私たちの使命なんです。それはあなたが何をしようが変わりません。例え立場を失っても、別の名前を名乗っても、あなたという人は一人しかいません。だからあなたは生きてください。彼は使命を全うしたんです。彼はあなたという人を生かす為に、戦ったんです」
「あなたを縛るものはありません。あなたは自由に生きられるんです。今までの事を忘れたって構いません。私たちが願うのは、あなたが生きる事だけです。私はその後を、着いていきます」
「………」
ガラはすぐには答えを出せなかった。
「我は……何をすればいい?」
「それはあなたが決めてください。これからどう生きるのかも、あなたが決めることです」
「我が……」
「はい」
再度、考える。
その脳裏に浮かんでくるのは、見覚えのある者たちの顔。きっとそれが、自分がしたい事なのだろう。
例えそれが、悪と呼ばれたとしても──
「………それならば、我は……父の、母の、シトリウスの仇を討ちたい……奴が築き上げた何もかもも、全部壊す。そして一から我は作り直す」
「我は……王になる。そのためにも、まずは兵が必要だ。奴に対抗するための兵が──」
「そのための手段は選ばない。成し遂げるまでは、止まるつもりはない」
「そんなものでもいいのか……?」
あの牢に居た時と変わらない、絶望を知った目をしている。でも、その中には信念がある。
きっともう、それ以外に見出だせなかったのかもしれない。それでも、私は着いていくと決めた。
カリエルは一度頷いただけで、言葉は発さなかった。そして一歩、ガラへと近づいた。
「奴を倒すためならば、慈悲も、躊躇も捨てる。それでも来るのか?」
「ええ」
カリエルが何気なく答えると、ガラは怪訝な顔をした。
「お前も、好きに生きても……我にはもう、護衛は必要ないのだから──」
「それが、好きな事だからですよ」
「……?」
「護衛が必要ないと言うのなら……そうですね、一人の武人として、私はあなたに着いていきます」
「………」
「あなたに着いていけば、強者に出会えるだろうということで──」
「……何を言っても、着いてくるつもりか……」
「ええ、彼の分まで、私があなたを見守ります」
この先に続く道がどうなっているかは分からない。
でもきっと、真っ暗なものだろうということだけは分かる。目的を果たす前に、私たちが討たれる事になるかも知れない。
それでも、何処へ進むのかを決めるのはガラ様だ。
できれば、もっと明るい道へと向かってほしいのだが……
これが破滅へと続く道だとしても、私はその後を着いていく。
それが彼との約束だから──
この命尽きるまで、私はその側に居続ける。
おまけ
ガラが牢の中に入った期間は二週間程ですが、体感時間では約700年程に感じています。そのためかガラの精神は不安定になり、強烈に残ったゼラとの最後の会話以外牢に入る前の記憶はぼんやりとしか思い出せなくなり、その後の言動はゼラに似たものとなってしまいました。
そしてカリエルはその事をガラに指摘する事はありませんでした。
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