幻想の空の下で
ある日の昼下がり──
とある森にて、一発の銃声が木霊した。
放たれた銃弾は、森をひたすらに走る一匹の妖怪の足に命中。妖怪は背を押されたように、その場へと倒れた。
「ハッ…ハァッ……」
息が乱れ、足の痛みがじんわりと広がっていく。
その状態でも、急いで身体を起こそうとしたその刹那──冷たい何かが、後頭部に触れた。
カチリと一つ、音が鳴った。
それはこの命に手が添えられた音。
静かで小さなその音は、確かにこの命を掻き消すものがある。
「──で?どこに隠したの?」
端的にそう、彼女は聞いた。
「……」
妖怪は口を閉じ、その質問に答えはしなかった。
「そう、お仲間さんの方にいるのね」
何も喋りはしなかった。身体を動かしもしなかった。
なのに、彼女は何かを察したようにそう呟いた。
「ふーん、図星……ね──」
その事に動揺を隠せず、思わず身体がピクリと動いてしまった。
「い、今からアイツを追ったところで……間に合うと思うなよ……!!」
「……」
「今頃、あのガキは新鮮な肉塊になっているところだろうよ!!」
隠し事がバレて開き直ったのか、妖怪はまるで最後の捨て台詞かのように、そんなことを言い始めた。
その時、ガサリと草を掻き分ける音がした。
ズルズルと、何かを引きずりながら姿を現したそれは、こちらの姿を捉えると、その足を止めた。
今の体勢上、先に見えたのはその引きずられている何かだった。
「……ッ」
それは見知らぬ何かではなかった。
寧ろよく知って、見て、今日も話したものだった。
「言われた通り捕まえたよ~」
そんな気の抜けたような声を、それをここまで運んできた者は出した。
「……っ」
その声に引き寄せられるように上を向いた目が捉えたものに、言葉は出なかった。
思わず出かけた声を、無意識に喉は押し殺した。
その金の髪に、その赤の瞳に、その白黒の服に、本能的な恐怖を妖怪は感じた。
だがその中でも目を引かれたのは、腰まで伸びた長い髪──
(長髪種……⁉)
通常の個体よりも身長が高く、髪も長い。その上言語能力を有し、明確な知性がある。
「ねぇ、その妖怪は食べてもいいの?」
「ええ、子供が無事ならもうその妖怪に用はないわ」
こちらの意思などお構い無しに進む恐ろしい会話に、妖怪は恐怖を隠せなかった。
「嫌ッ!!許して!!お願い──!!」
先程までの反抗的な態度に反し、妖怪は慈悲を乞うた。
だが聞く耳を持ち合わせていない彼女らの前で、それは無意味だった。
ズドンッと脇腹に弾を撃ち込まれ、地面に這いつくばり身動きが取れずにいると、まるで勝利を確信した捕食者のように、一歩一歩地面をしっかりと踏みしめながらそれは近づいてきた。
十分にこちらへと近づくと、それは足を曲げてしゃがみ、ゆっくりと腕を伸ばす。
腕はこちらの背中へ向かい、指先が衣服の上から背骨に触れた。
指は愛おしそうに背骨をなぞり、腰まで来るとうなじの辺りまで手は戻る。
「ヒューッ……ヒューッ……」
か細い呼吸音が虚しく鳴る。
涙を堪え、死んだ振りでもしようとしているのかピクリとも動かない。
「そうねぇ……」
聞こえてくるのは慈悲の言葉ではない。
「干物のように、掻っ捌いてあげようかしら?」
捕食者の戯れの言葉である。
「フフッ、でも私……」
「今は生で食べたい気分なの──」
こうしてまた一人、哀れな
────────
この出来事の始まりはいつの事か──
一人の少女と出会った時か、一匹の妖怪と出会った時か……
それとも知らない所で既に始まっていたのか……
でも今は、少し遡ったとある日を始まりとしよう。
変化に慣れ、それが何気ない日となりかけていたあの日を──
────────
朝日が昇り、光は山に佇む一つの神社を照らす。
落ち葉が舞い、箒の擦れる音がする境内には人影が一つ。
だがそれは、この神社の巫女の姿ではなかった。
同じ金の髪を靡かせる彼女は、人間ではない。
巫女服は着ず、いつもの洋服で彼女は掃除する。
彼女は悪魔である。
彼女は巫女ではない。
彼女の名は、エリシア・アールヴェル──
ここ、博麗神社の巫女代理である。
ガラと戦ったあの日から二週間が経った。
魔理沙はまだ目覚めていない。
彩乃は三日で意識を取り戻したそうだが、魔理沙の方は目覚める気配がないとのことだ。
脈はある。呼吸もしている。
だけど、意識は戻らない。
その状態がずっと続いている。
魔理沙の意識が戻らない間、博麗神社には誰も居らず、博麗の巫女が動けないとバレると、息を潜めていた妖怪等が事を起こす可能性もある。
結界の維持等々は八雲紫が何とかするらしいが、それ以外の役割──治安の維持や妖怪退治の依頼等までには手が回らないようだ。
そこで、魔理沙が目覚めて体調が完全に回復するまでの間、エリシアが博麗の巫女代理として、神社の管理や依頼の解決を行う事となった。
「……はぁ、なんでこれも私がやらないといけないのよ」
エリシアは現在、境内の掃除を行っていた。
それも一人で。
「誰か手伝ってくれてもいいじゃない……」
そう不満を洩らしても、誰も手伝ってはくれない。
八雲紫は結界の維持、十六夜咲夜は紅魔館での仕事があると言って断られる。
フランドール・スカーレットはそもそも論外。
あのお嬢様がこんな雑用をやるようには思えない。
──そう、思っていたのだが……
「久しぶりね、巫女代理には慣れたかしら?」
博麗神社に、フランが来た。
咲夜はいない。こんな朝っぱらから一人で来ている。
「フラン……朝から何の用?」
(妖怪退治でも依頼しに来たのか……それとも、私を手伝いに?)
妖怪退治の依頼であれば、自分で何とかしてほしいのだが、手伝いに来たのであればありがたい。
「今日は少し借り物を──」
しかし現実はそんなに甘くは無さそうだ。
「借り物?」
「ええ、結界術に関する書物をね」
「結界術……あなたの館の図書館には、そんな本は無いの?」
「多分あると思うわよ、でもどうせならば専門的な書物に目を通しておきたいじゃない」
(専門的な書物……確かにここにはありそうだけど……そういうのは本来の持ち主に許可を取ってからにしてほしいわね……)
ここにあるのは結構大事な書物だろうに、それを専門書程度に思っているこのお嬢様は何なんだ?と、エリシアは思った。
「ふ~ん、でも何で急に結界術を?いくらあなたでも結界術は苦手?」
「基本的なものはできるけれど、使う機会がなかったのよ」
(できるのかよ……)
「でも、ガラとの戦いを経て、改めて結界術を学ぼうと思って」
「……どうして?」
「戦いの中でガラが見せたあの結界が興味深くて──」
それを聞いて、エリシアはガラとの戦いを思い返す。
そして浮かんだのは二つ。
一つはガラが彩乃に対して使ったあの技。
そしてもう一つは、あの空間そのもの。
そのどちらのことを言っているのかをフランに聞こうとした時だった。
「私が知りたいのは、ガラの使った技の方よ」
先にフランがそう言った。
「確かに、あの空間自体も結界に近いものだとは思うわ。作った目的は分からないけれど──」
「私たちに何か影響を与えるようなものでもない。何かの儀式とかの為に用意されたものとも思えない。それはあの魔界に対してもそう──」
「ただただ魔力のようなもので作った空間。それもかなり強固に作られている。何故かしら?」
そこまで言って、こちらに質問を投げられても答えようはない。
「……たまに間取りとかが変わる時はあったわ」
何とか絞り出せたのはその一言だけだった。
「まあいいわ。それよりも、今私はあの技の方に興味があるの」
思考に耽り、フランの閉じていた目蓋が開いた。
「……私に聞かないでよね。あんなの見たことないから」と、フランに何か聞かれる前にエリシアは先に言った。
「ええ、分かっているわ。だからこの神社の書物を借りようと思っているの」
「……」
少しイラッと来たエリシアは、拳を握りしめて何とか耐えた。
◆◇◆◇
「ここに色々置いてあるけど、探すのは自分でしてよね」
エリシアは様々な書物が置いてあった倉に、フランを案内した。
「別にいいわ。探し物は得意だもの」
正直エリシア自身、ここに目的の物があるのかなんて知らないが、フランがいいと言うのならと、気にしないことにした。
フランはその場で目を閉じると、数秒もしないうちに動き出す。倉の奥へと進み、けれど端まで行くことなく途中の棚の前で止まった。そしてその棚の前面に置かれた書物を退かし始めた。
「……場所、知ってるの?」
「いいえ、初めて来たわ」
それにしては行動に迷いがないことに、エリシアは不思議に思った。
「……そういえば、そろそろ
唐突に、フランは聞いてきた。
「……まあまあ、ってとこかしら」
「──そう」
「まだまだ分からないことも沢山あるのよ。異変のことだったりね」
自分はここで生活するようになってからまだ日が浅い。
だから今は少しでも情報を得て、ここの事を理解しなければならない。何も知らなければ、何か起こったとしても対処しようが無いという状況になりかねない。
「……ちなみに、今までどんな異変があったの?」
この際だし異変について聞こうと思ったエリシアは、フランに尋ねた。
フランは過去を振り返るだけの間を空けてから、口を開いた。
「……そうねぇ、昨日まで真夏だった筈なのにいきなり真冬みたいになった事があったわね。確かその時は湖に氷が張って、魚が取れないと咲夜が嘆いていたわ──」
フランはある程度書物を取り出すと、その奥にあった一冊の書物を手に取る。
「他にも5日続けて日蝕が起こったり、幻想郷中のレモンが甘くなったりしたこともあったわ」
「最近だったら……チョコレート味の牛が現れたわね。今はもう見かけないけど……狩り尽くされたのかしら?」
「前半二つの異変との落差酷くない?」
そこまで聞いたエリシアは、思わずそう言った。
「そんなものよ」
フランはさも当然のことのように言った。まあ、ずっとここにいる彼女たちにとっては当然のことなのかもしれないが。
「……異変を起こした人物って見つかってるの?」
「全体で見れば、大体半分くらいが見つかるわね」
「もう半分は?」
「犯人不明、ただの自然現象、後は本当に謎」
「本当に謎って何なのよ……?」
フランは棚へ目的の物以外の書物を戻すと、次の棚の前へと歩いていく。
「チョコレート味の牛とかがそれに該当するわ。逆に、日蝕に関してはただの現象だったわね」
「それをただの現象で済ましていいの……?」
「ただ日蝕が5日続いただけよ?それ以外に何も起こらなかったもの」
それは明らかに異常だろうとエリシアは思ったが、そこに触れたところでまともな回答を期待できないと感じたため、話題を切り替えることにした。
「……異変に関してはもういいわ、後は自分で調べるから……だから、えっと……代わりに、
「……観光スポット的なものをお求め?」
「……もうそれでいいわ」
「……それならば、博麗神社の反対側──西の方へ行くと海があるわ」
ようやく普通の回答が聞けた。そう思っていた──
「……あの時はいきなり海ができたって大盛り上がりだったわね」
「海はいきなりできていいものじゃないでしょ⁉」
「あら、見知らぬ場所が現れるなんてよくあることよ?」
「何?天変地異は普通なの?」
そんなツッコミを入れても、フランは気にすることなく続ける。
「北には氷雪地帯があるわね」
「……それも突然現れたの?」
「これは元からあったわよ……多分──」
何で多分なんだと思ったが、もう触れないことにした。
どうやらまた話題を変える必要があるのかもしれない。
フランはまた一つ、書物を手に取った。
おまけ
日蝕の件は、元々別の世界にあった何かヤバイことが起こる的な時に現れるものだったのが、その何かがこの世界に適応できず、日蝕のみが起こってしまった結果です。
感想、コメント等お待ちしてます。