原作は「神野の悪夢」ですが、本作は「神野事件」という呼称です。
雄英高校会議室。
コの字型の会議用テーブルで教師陣は〝昨日の一件〟で集っていた。
「全寮制を勧めていた西丸都知事の言葉が正しかった。我々の認識が甘すぎた」
数ヶ月前に視察に来た西丸の進言を思い返し、根津校長が苦い顔をしていた。
雄英高校は夏休みの帰還を利用し、情報統制を敷いた上で林間合宿を行っていた。各自の〝個性〟の限界突破を目指して訓練を積む為だ。
しかし昨夜、〝血狂い〟マスキュラーやムーンフィッシュらを擁する
この一件で生徒40名の内、
さらにプロヒーローは、ヒーローチーム「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ」のピクシーボブが重傷、虎が軽傷。マンダレイは無傷だったが、ラグドールは大量の血痕を残し行方不明になってしまった。
一方の
最悪の結果で幕を閉じた林間合宿に、ヒーロー社会を壊す戦争をすでに始めていたのだと身を以て痛感する事となった。
「認識できていたとしても防げていたかどうか…これ程執拗で矢継ぎ早な展開、オールマイト以降組織立った犯罪はほぼ淘汰されてましたからね」
「要は知らず知らずの内に平和ボケしてたんだ俺ら。備える時間があるっつー認識だった時点で」
リスクマネジメントが完全に不足していた事実に、誰もが一様に痛恨の念を抱いていた。
単なる教育機関としての枠組みを越えた、ヒーロー養成機関の度重なる不祥事。襲撃の直後に体育祭を行うという、今までの屈さぬ姿勢はもう取れない。生徒の拉致という雄英最大の失態により、ヒーロー社会への信頼が揺らぐのは明白。現にメディアは雄英の非難でもちきりで、もし爆豪が懐柔されでもしたら教育機関としての雄英はお終いだ。
自らの手で生徒を守れなかった――その事実に、底知れぬ遣る瀬無さを抱いて。
「信頼云々って事でこの際言わせてもらうがよ、今回で決定的になったぜ。いるだろ? 内通者」
疑念の言葉が会議室に響く。
合宿先は教師陣とプッシーキャッツしか把握していないのだ。仮に把握できなかったとしても、位置情報なり使えば探知される。
学校という性善説に基づく空間だからこそ、教師と生徒が
「そういうお前は、自分が100パーセント「シロ」という証拠を出せるか?」
内通者探しは焦って行うべきじゃないとスナイプに指摘され、押し黙るマイク。
根津校長も教師陣を信頼している事を前提に、学校として行わなければならないのは生徒の安全保証だと告げた。
(教え子すら救けられず何が〝平和の象徴〟か…何がヒーローか)
沈痛な表情のオールマイトは、自身が半身浴に興じていた事を心底後悔していた。
しかし、事件はまだ終わってない。
むしろこれは、日本ヒーロー社会史に残る歴史的大事件の始まりであった。
*
「ミカド! 妙な電波を受信したわ!」
「何だと?」
謎の信号をキャッチしたという報告に、ARI代表のミカドが反応した。
ミカドは一瞬で真剣な表情になると彼女の下へ駆け寄り、それに気づいたジェントルと珠緒も近づいてパソコンのモニターに視線を走らせた。
部屋の空気が張り詰める中、ラブラバの指がキーボードの上を滑っていく。
「周波数からして…これは発信機ね!」
「送信源は特定できたか?」
「ええ! 少し妨害電波が飛んでるけど、横浜の
「横浜…伊口君が脳無の格納庫があると言っていた辺りだな」
「……ねぇ、ミカド。これってもしかして…」
「ああ、間違いなく死柄木弔の一味だ。解析が終わったらダークウェブでバラ撒くぞ」
その言葉に、誰もが耳を疑った。
故意の情報漏洩、いわゆる〝リーク〟は、表の法が通用しない裏社会では民事責任や刑事責任など課されない反面、情報屋として信用を大きく損なうリスクを背負う。それを百も承知で敢行するという事は、ミカドは自身の信頼性を引き換えにしてでも
情報屋として予想外の行動方針を突如打ち出したその覚悟に、一同は言葉を失くした。
「俺は連中の舐め腐った態度にお冠なんでな。ここらで落とし前つけなきゃ気が済まねぇ。付き合えよ?」
日本中を奴らの敵にしてやると、ミカドは口角を上げながら意気込んでから玄関へ向かった。
「ミカド?」
「俺の勘が正しけりゃ、動き出すのはヒーローやアウトローだけじゃねぇはずだ。そいつらと接触してくる」
ARIの報復措置により、
それをキャッチし、早速動き出す者が現れた。
「
「なに、ホントかそりゃ!?」
「どこにあるんだ!?」
「横浜の神野区らしい!!」
手痛いしっぺ返しを食らったクロス・ギャングは、匿名掲示板に突如投稿された
その付近に必ず脳無の格納庫もあり、拠点には盗まれた金塊50キロと密輸業者のパソコンがあるはず――その考えに至るのは当然であった。
「きな臭いな…情報は確かか?」
「投稿者が「ARI」って名乗ってる。多分本物だね」
「公安の罠って線はねぇだろうな!?」
メンバー達が騒ぎ出す中、トップであるツムジは「黙れ…!!」と一喝。
イスから立ち上がり、不敵な笑みを浮かべて宣言する。
「ビビってる奴はここに残れ!! 行くぞ、横浜!!!」
クロス・ギャングは奪われた物を取り返すべく、横浜への出撃を敢行。
その同時刻、現代に生き残ったヤクザの最大勢力である死穢八斎會も、例の情報をキャッチしていた。
「横浜か……クロノ、〝
「全員揃ってやすが」
「俺達も行くぞ。英雄症候群に罹った病人共に手を貸す義理は無いが、奴らが壊理の〝個性〟に気づくのは時間の問題だ」
若頭の治崎は、自身の右腕であるクロノスタシス――本名は
直属の実働部隊である八斎衆を連れ、
――情報ブローカー・ミカドがダークウェブに載せた一つの情報。
――それは彼の目論見通り、日本の裏社会の猛者達を刺激したのだった。
*
一方、西丸は警察からの調書を終えた相澤に電話をかけていた。
「災難だったね、相澤さん。ケガは?」
《俺は大丈夫ですが…生徒達のケアが大事ですね》
「爆豪君を攫ったんだってね……あの粗暴さで目を付けられちゃったか」
《もう少し矯正できたら、こうはなんなかったんだと…》
もっと早く性格矯正に自分も打って出ればよかった、と相澤は後悔の念を滲ませる。
しかし西丸は、ある意味で心配ないんじゃないかと返した。
「僕に言わせてみれば、人質としても懐柔相手としても人選ミスですよ」
《というと?》
「上っ面だけで判断した彼らは愚かだって事です」
爆豪勝己は「態度は
どこまで行っても「オールマイトを超えるトップヒーロー」を目指す少年であり、オールマイトが勝つ姿に憧れ、ヒーローとしての完膚なきまでの勝利に価値を見出している。この時点で死柄木達と矛盾しており、どんなに勧誘しても平行線のままなのだ。
「僕が死柄木だったら、そのまま帰宅させますよ。ヒーローへの信頼を奪えた方こそ大きな成果でしょうし」
《…まぁ、あなたらしい考えですね》
「少なくとも、彼らは爆豪君を殺せなくなった。むしろ爆豪君の誘拐が目的だったのが僥倖とも見て取れる。なので相澤さん、もし力を借りたければいつでも言って下さい。せっかくタッグ組んでるんですから」
《ええ…ありがとうございます》
電話越しの彼が小さく微笑んでいるのがわかると、西丸は心底安心したように息をついて通話を終える。
その直後、スマートフォンが鳴り響いた。画面を見ると、愛する妻からの電話だった。
「もしもし」
《伸太郎! 大変だ、善治郎が!》
「…落ち着いて。深呼吸をして、ゆっくりでいいから」
激しく狼狽した火伊那の声に、西丸は一旦彼女を落ち着かせようと声を掛ける。
しかし彼自身も、嫌な予感がしてならなかった。
《善治郎が…善治郎が攫われた…!》
「――何だって!?」
その瞬間、西丸の顔は一瞬で蒼褪めた。
爆豪と対峙していた死柄木は、子供を連れてきたNo.6を怒鳴りながら睨みつけた。
「何の冗談だ!! 西丸の
「いや、そんなに怒る事ないっしょ?」
ヘラヘラと笑うNo.6に対し、死柄木は顔面を覆う手の隙間から青筋を浮かび上がらせている。
その圧迫感に、爆豪はおろか仲間達ですら息を呑む。
「西丸が手を出してこねぇように、俺も奴の身内に手を出さないようにしてたんだ。お前のせいで西丸に口実を与えたんだぞ!?」
「でも手札は多い方がいいじゃないっスか」
「黙れクソ野郎!!!」
死柄木はとうとう堪忍袋の緒が切れ、No.6の首を鷲掴みにした。
それを皮切りに彼の身体に亀裂が生じ始め、全身から血を流し始めた。
「か、ぁが……!!」
「いいか、俺達の標的はあくまでもヒーローだ…!! ここにいる者は事情は違えど人に、ルールやヒーローに縛られ苦しんだからだ!! 」
少なくとも死柄木にとって、西丸は有益な存在と見ていた。
悪党の抱える事情やこの社会が見て見ぬフリをしてきた暗部を理解し、少しでも改善するよう努めてるからだ。何よりスネに傷のあるグレーな民衆の信頼と支持が厚く、彼に手を上げれば今後味方になり得る者達から反感を買い、最悪誰も協力してくれなくなる。
作戦は成功したと報告したは良いが、その後で爆豪の他にもう一人余計な〝お土産〟を連れてきたと聞かされては、トップの命令無視も相まって腹立たしい事この上ないのだ。
「そういう連中の〝理解者〟まで敵に回すような間抜けはチームに要らねぇんだよ!!!」
「お、お待ちください死柄木弔!!」
「黒霧、てめぇもこのアホに味方するのか!?」
怒りが収まらない死柄木は、お目付け役の黒霧にも殺意を向ける。
その間にもNo.6の崩壊は進み、ついに虫の息になってしまった。
「西丸都知事への牽制は確かに必要です。首都防衛局は油断ならない。事が済み次第、五体満足で彼の下に帰せばいいでしょう」
「……クソが!」
苛立ちを剥き出しに、死にかけのNo.6をまるでゴミのように捨てる死柄木。
すると、爆豪はズボンを引っ張られる感覚に気づいた。目線を下げると、そこには真っ直ぐ見つめる善治郎が。
「何だよクソガキ」
「……お兄さんも父さんの敵?」
ビシリ、と空気が凍りついた。
何と善治郎は、爆豪も死柄木の仲間だと思い込んでいたのだ。
「んな訳ねーわクソガキ!! ぶっ殺すぞ!!」
「いや、そういう事言ったら絶対間違われるだろ…」
キレ散らかす爆豪に、スピナーは冷たいツッコミを入れる。
すると善治郎は、無言で死柄木に駆け寄ったではないか。
「ああ、悪いな善治郎。あのお兄さん怖いよなぁ」
「お前が怖いわ!! ってか何でそいつに懐いてんだよ!!?」
なぜか死柄木の後ろに隠れる善治郎に、苦笑いを浮かべる連合のメンバー達。
ある意味、ヒーローにとって一番屈辱的な光景である。
《…弔、善治郎君は爆豪君よりも丁重に扱いなさい》
「先生」
刹那、「SOUND ONLY」という文字が表示されたテレビ画面から低い声が発せられた。
死柄木の〝先生〟――オール・フォー・ワンだ。
《彼はあの西丸伸太郎の弱みとなる。もし首都防衛局が総出で乗り込んでも、迂闊には君達に手を出せ――》
――ブツッ
「耳がかゆくなるからヤダ」
『……』
顔を顰めた善治郎は、オール・フォー・ワンに繋がる画面の電源を切った。
悪の帝王の声が相当嫌だったらしい。
「…蛙の子は蛙って事かしら?」
「ハッ! こいつ将来相当な大物になるぜ」
マグネとマスキュラーは、善治郎の人質らしからぬ態度に乾いた笑いを漏らした。
同時刻、建設の仕事を終えた荼毘は街のモニターに映る雄英高校の謝罪会見を観ていた。
「……哀しいなァ、ヒーロー」
それが、荼毘の思った全てだった。
家族でゴタゴタがあり、ド底辺を這いつくばり、西丸に出会い……荼毘は世界を俯瞰できるようになった。
だからこそ、ヒーローが責められてる状況に少しばかり憐れみを感じた。
誰にだってミスの一つや二つはある。
少し対応がズレる事もある。
だがヒーローは、それが許されない。完璧であれと一般人からもマスコミからも求められ続けるのだ。
「…父さんもいつかああなるんだろうなァ」
そうボヤきながら、タバコを取り出して蒼炎で火を灯し、紫煙を燻らせる。
その時、ふと視界に想定外のものが映った。
「成程…変装か」
「そういう事ですわ」
「この格好は何だ?」
「後で教えっから。緑谷、もっとアゴでクイクイやんだよ!」
「オッラァ!!」
おそらく高校生くらいの、五人の若者。
よく見ると、見慣れた顔が混じっていた。
「……しょ、焦凍?」
まるでホストみたいな格好になった弟に、荼毘は思わずタバコを落としてしまった。
ついに始まった神野事件。
原作との現時点の相違は、以下の通りです。
・連合側はほぼ無傷、逮捕者はゼロ
・No.6はオール・フォー・ワンのおかげで脱獄、生徒達とプロヒーローを脳無失敗作と共に蹂躙
・No.6が独断でオリ主の息子を誘拐
・オリキャラ達に加えて治崎も連合壊滅に動き出す
・荼毘が別ベクトルで介入
次回は神野事件の本番を予定してます。