【妄想】AKIBA'S TRIP1.5 作:ナナシ@ストリップ
ここは秋葉原。
秋葉原の裏通りにある、とある店の前。
時間は既に深夜をまわっている━━
「お前達は私の子息、ということにでもしておこう。その方がやりやすい」
闇に紛れていた瀬嶋を街灯が淡く照らした。
妹、藍、サカイの三人は何も言わず、薄暗い闇の中、瀬嶋の横でただじっと待機している。
妹は藍の方を見やるが、昼間の様に思いつめた様子は感じられなかった。心配は少し晴れたものの、まだ気にしているのだろうか、なんて少しばかり気を掛けていた。
周りを見渡す限り、店舗は全て閉まっている……物音は何もせず、住民の気配など微かにも感じられない。冬独特の冷えて鋭く研ぎ澄まされた空気が、人一人居ない異様な程の静けさを助長している。息一つするのもはばかってしまうような、張り詰めた、独特の息苦しさのようなものがこの裏通りを支配していた。
瀬嶋の情報によれば、彼らは資金調達の為密かに秋葉原で地下カジノを経営しているという。彼らの基本的な行動拠点がここ秋葉原なのだろう。
"ここに組織のトップがいるという情報も掴んでいる"
加えて瀬嶋は作戦前にそうも言った。事実ならば組織について何かしらの手がかりになるかもしれない。妹はなかなか順調でいい傾向だと思ったが、であるからこそ、不安でもあった。このまま何事もなく進めばいいのだけど……と。
根拠は無い……理屈ではなく、肌でそう感じ取った、という感じで。
真夜中。漆黒のコートに身を包んだこの男、瀬嶋隆二がスーツケースを持って店の裏口へ向かう。その後ろを静かに着いて行くのは妹、藍、サカイの三人……
金属製で、緑のペンキを乱雑に塗りたくった飾り気の無いドア。瀬嶋が裏口のノブを回すと、鍵が掛かっている様子も無く。金属のきしむ音が鳴って、ドアは怪しく一同を招き入れた。中も年季が入ったアパートのような、小汚く、そして味気ないコンクリートの内装。
……瀬嶋を先頭に、階段を下っていく。
一番下まで行き着くと、正面に透明ガラスの自動ドア。……部屋の入り口がある。
入ると、その部屋の趣は今までとは打って変わって、高級感を感じる内装━━黒を基調とするシックで落ち着いた部屋の雰囲気。ロビーだろうか? 観葉植物や壁面上に仕込まれた温色のライトアップによるほのかな明かりがより一層高級感を漂わせていた。
ただ彼女等が部屋の端々をよく見ていく暇もなく、先頭の瀬嶋は足早に先を歩いて行く。
妹はもっとこう、派手派手なイメージをしていた為に拍子抜けした。カジノ=ラスベガス……みたいな、電飾の主張のきつい華やかさや、目に強く訴える赤いシートなんていうのを想像していたからだ。とはいえ、こういうカジノもありかなというのも彼女の思うところで、なによりこういった空気の方が"人目を避けた地下カジノ"っていう気がしてきてなんだかそれらしい。先ほどからいやに物音が静かなのも、そう感じさせる。
……最奥の大きな両扉を開けた瀬嶋は、持っていたスーツケースを手放した。
「入場にはそれなりの金が必要という話を聞いていたが、どうにも必要はないらしい。無駄な用意だったな」
察するに、相当の現金が入っていたらしい。……妹は少々それへ手を伸ばしたくなる衝動にかられながらも、ぐっとこらえて部屋の奥を覗き込んだ。
すると、彼女は瀬嶋の言っている意味を理解した。
閑散としたカジノブース……人自体は居る。そこかしこに、恐らくガードマンだったのであろう黒服が、緑色のカーペットにへたばって、転がっているのである。さらにはテーブルは引き裂かれ、スロットはべこべこの無残な姿になり、シャンデリアは地に落ちている。
そしてカジノの賭け事に興じていたと思えるような見てくれの人々が、一人も見当たらないのだ。
「なんだ……? どういうことだ?」
藍もその様子を見、唖然としていた。
「……先客、らしいな。急げ」
瀬嶋はさらに奥の扉へ向かった。カジノの管理者が控える部屋だろうか。
……先に何者かの襲撃があったということなのか。倒れたガードマン以外に人が見当たらないのは、恐らく逃げてしまったのだろうか?
「奥に話し声が聞こえる。二人だ。今の内に突入するぞ」
扉に耳を当てた瀬嶋が言って、素早く扉を押し開ける。ばん、と扉が勢い良く開き、彼は部屋へと駆け込んだ。
「……今宵は来客が多いですねェ」
妹達も瀬嶋に続いて部屋へ入ると、そこにはスーツ姿の男、坂口がステッキを持ち、佇ずんで出迎えた。
「どうも夜分遅くに。私は坂口と言う者でしてねェ……このカジノも私が取り仕切っているんですよ」
「貴様か……、この連中の雇い主は」
瀬嶋の問いに坂口という男は「いかにも」と短く答えるなり、部屋の奥隅にある通路へ視線を流した。
「あの狐め……逃げ足だけは速いな」
再び男は瀬嶋の方を見、緩慢な態度で問うた。
「私に何か用かね? 瀬嶋、隆二君」
「ご存知とはね。私もそれなりに有名らしい。……まぁ知っているのも当然か。私の部下を自らの下へ取り込んだ張本人ならば、な……さぞ高崇な言葉に理念、そんなものでも並べ立てたか?」
瀬嶋は坂口が自らの部下を引き込んだのだろうと、当たりをつけていた。実際の所、それは図星だったのだが━━
けれども坂口は指摘に焦る事もなく、そんな問いに開き直ってみせた。
「我々の指標は前NIRO同様、カゲヤシの殲滅による治安の確保。表向きはです。ま、カゲヤシ撲滅なんて嘘っぱちですよ。飼い慣らし、縛りつける為には信義があった方がやりやすいですからねぇ。捕虜と称してカゲヤシを捕縛すれば、血も手に入る」
「まァカゲヤシが絶滅しようともそれはそれで、我が社の製品のプレミアはより高いものとなるのですからホント、NIRO様様ですなァ」
「なるほどな。そうか……私の居ぬ内に随分と好き勝手をしてくれる」
「……この代償、高くつくぞ」
ハットから覗かせた紅い眼光は、切れるように鋭い睨みを利かせている。
そこらの人間ならたちまち震え立ってしまう程、凄みのある様相にもあくまで坂口は余裕を崩さない。彼はふん、と鼻で軽く笑い飛ばした。
「しかし良かったですよ。丁度私も貴方と喋りたかった所だ……」
「突然だが、秋葉原禁書、という書物を知っているかね?」
秋葉原禁書━━妹は反応する。それには聞き覚えがあった。以前会った仏頂面の黒服が言っていたことだ。
その時は名前からして胡散臭すぎて、興味など何も抱かない程度のことだった……
そして瀬嶋も、やはり同じような反応を示していた。
「知らんな。遠い昔に聞いたやもしれんが、どちらにせよそんな代物に興味はない」
しかしそんな言動にステッキの男は驚く。どうも、彼の反応が予想とは違ったらしい。
「これは驚いた。貴方が存じないとは全く予想外ですよ……それに興味もないと。しかし果たして内容を見ても、そう言えますかな」
「……どういうことだ?」
ようやく、瀬嶋の顔色がわずかに変わる。とはいえその目は未だ本気ではないもので、あくまで疑いかかっているものだった。
……坂口は、話を続けた。
「秋葉原禁書。仰々しい名称ではあるがオカルト本等そういう類のものではない。実態はごく細々と記された、ある人物の遺した研究ノートなのだよ」
「そのとある人物とは……NIROの最高権力者。北田清原の手によるものなのです」
━━北田?
NIROについてはそれなりに知っているつもりであった妹にも、それが誰なのかは分からなかった。それは隣に居る藍も同じなのか、彼女は相も変わらず無表情だし、サカイも良く分からなそうに眉をしかめている。
しかしその中でただ一人、瀬嶋だけは違ったのだ。
「……何?」
坂口はその反応を見るや嬉しそうに、ふっと笑みをこぼして言った。
「……少しは、興味を持って頂けましたかな?」
「戦前設立された秋葉原研究所での研究レポート。"禁書"とはこの研究を部外秘とする、北田本人の意向によってつけられたもの」
「しかし、にも関わらず北田は生前これを秘密裏に処分しなかった。何故か? それは最期までこれを最愛の人、姉小路怜という人物へ渡したがっていたからです。それが何故かは知りませんし……実際の所、禁書は私の手の内にあるわけですがねぇ」
姉小路怜というその名を聞いて、今度はぴくりと藍が反応した。姉小路怜、その名には妹も聞き覚えがある。確か昼間、藍が自身の母の名をそう言っていたはず。NIROの最高権力者とカゲヤシの親玉の間に関係があったとは、妹にしてみれば衝撃の事実。
とはいえそれでも、たとえ今までの話を真面目に聞いていようが、結局は細かい事などついぞ分からない。ただ、言葉の端々から何やら危険な臭いがすることは分かっていた。
「彼が最期に遺した何かがあるはずだ。……しかし、この手記には重要な事が書かれていない」
「雑多な研究レポートだけで、肝心の研究施設の場所が書かれていない! 手掛かりは地下研究所という記述のみ……その施設さえ探し出せば、多くの未知の技術を手にする事ができるのだ。それで私は……!」
坂口は苛立ちを隠せないように声を荒げたが、しかし一方の瀬嶋は尚、冷静なものであった。
「書かれていようとも、それ程昔の研究施設が今もまだ現存しているはずはない。……それは火を見るよりも明らかなはずだが? よしんば、今尚秘密裏にそれが政府によって保護、隠匿されていたとしても、その情報はNIRO幹部である私の耳には入っていたはずだ」
坂口は笑った。
「確かにそうだ。普通に考えれば、な。……そんなものはない、と笑うもよし。しかしだ」
「これには北田自身が生きながらえている間に限り、研究所を自らの手の者に維持させるよう命じている、そう本人の記述が残っているんですよ」
「つまりつい最近までこの場所は稼動していた……それと秋葉原について色々調べてみたんですけどねぇ。ご存知かもしれないが、ここ秋葉原には様々な都市伝説がある」
「その中にこんなものがあります。"秋葉原には戦前からの地下施設が存在する"━━」
「━━とね。所詮眉唾な都市伝説ですよ……しかしおかしいですねェ? 秋葉原禁書の内容と酷似しているじゃありませんか」
「禁書はある人間から拝借したモノですが……その持ち主が血眼になって取り替えそうとしてくるのも、尚おかしい。その者もこの施設の存在を確信し、探していたに違いないのです」
「北田の遺産は……今我々の足元にある!」
坂口は興奮に立ち上がり、ステッキを地面へ突き立てた。
事情をある程度知っているような瀬嶋はともかくとして、蚊帳の外の他からしてみれば何のことやらではあったが……
「存在を確信する
「貴様は、私が嘘をついているとでも思っているらしいな」
「そう頑なにせず、私に着くのが一番賢いやり方だと思うがな……瀬嶋隆二。宝探しを手伝ってもらう代わりに、無論君にも旨みは分け与える。悪い話ではない」
「そこまでして、あんたはそれを見つけて何をするつもりだ?」
今まで黙っていたサカイが尋ねた。
「勿論その研究成果を頂く。地下で腐らせるには勿体無い……ノートには興味深いカゲヤシについての新理論が、いくつも記述されていた」
「その蓄積されたカゲヤシ研究を利用し、新たな兵器として……いや兵器だけではない。カゲヤシの理論はその他兵器以外においても多大な進化を与えうる」
どうやら北田の研究とはカゲヤシに関連した研究らしい。
おっさん話が長いよ、校長先生みたいだね。……なんて思いながら今まで聞き流していた妹としても、人間に戻る為の手がかりがもしかしたら? と期待せずにはいられないものだ。
「売り出せば世界は必ず欲しがるはずだ。新たな時代の交渉の切り札となりえる。これがあれば、全世界を座冠するのも夢ではない!」
するとサカイが言った。
「全世界を座冠……? フィクションにありそうだなぁ。おっさんゲーマーですか? あ、それとも洋画とか好きなタイプだろー?」
坂口はそんな彼の軽口を無言で受け流し、いたずらににやり、と不気味な笑みを見せた。そして手に持っていたステッキでサカイを指すと、こう言った。
「まさにそれだよ。フィクション、と言うそれが現実になることの恐ろしさ……想像に難くないだろう!」
「遡ればNIROエージェントという国の特務機関が暗躍し、人ならざる者と戦う。この時点で……既に何かがおかしかったと思わないのかね?」
「それをお前達は楽観的に、いや能天気にカゲヤシとの共存などとのたまい……さぞ騒ぎの当時は楽しかったのだろう? お笑いだった」
坂口の口から笑いがこぼれた。
それから彼はまた背後の高級そうな椅子にどかっと座るなり、再び喋り続けた。
「しかし、人は狡猾だ。貪欲だ。人は
「間違っても共存ではない……そしてその結果」
「有り得ないと嘲笑っていた虚構がそのものとなる世界がもう近くへ来てしまったのだ……それまでの古い常識で保たれていた世界の旋律が狂い始める。カゲヤシという新たな存在によってな」
お前達は幼稚で、カゲヤシという存在の深刻さに気付けなかったのだと。
NIROを打倒してもなお忍び寄る危険な未来を予想できずに、笑っていたのだと……彼は足を組み、教鞭でも垂れるようにステッキを振り回す。
「そしてその記念すべき最初の地は、フィクションを日々楽しむような連中が闊歩する街からそれは、現実となる……皮肉だな!」
サカイは、マジみたいだなと、ぼそりと、言った。その顔に先ほどまでの軽妙さは無かった。恐怖に染まっている訳でもない。明らかに身体は強張って身構えていたし、その表情には坂口への敵意すら感じられるものだった。
妹もまた唇を尖らせて、坂口の言動に対し理解できない様子を見せた。
「人は利用したがる、間違っても共存じゃないとか……全部あなたがこれからしようとしてることでしょ。人事みたいに……まるで人の総意のように……言ってるけどさ」
「人とはそういう生き物ですからねェ。私は人の本質を言ったにすぎません」
「私の意見をどう思うかは貴方達の勝手ですよ。しかし、止められない
「正義の味方気取り達の反論は、まだあるかね? 他に言いたい事は?」
坂口は皆を
皆、黙っていた……しかしそのまま逃がす訳もないのは明白だ。あくまでも彼女等の目は敵意に染まっているのだから。
「それでは、そろそろ失礼させてもらいますよ。あなた達と違って私は、暇じゃありませんからねぇ」
「黙れハゲ」
とサカイが言うと、先ほどまでの涼しい顔はどこへやら、
「ハゲてねぇだろ!」
逆鱗に触れたようだった。
だ、誰がハゲだこのガキ……とぼそぼそ言いながら……けれども彼は一息ついて、今度は落ち着いた様子で言った。
「こほん。ふん、なかなか愉快な人ですよ貴方は。その減らず口がどこまで続くか見物ですね……」
「おおそうだ瀬嶋君、貴様にも消えてもらう。生かしておくのは厄介そうですから━━元NIRO指令が敵とあればこちらのエージェントの士気を崩しかねませんからな。……それでは」
あくまでも上から見下ろす様な態度を崩さないスタンスの坂口は、そのまま悠々と演じる足並みで部屋奥の通路へ去ろうとした。
……けれど彼は自分が先ほどまで座っていた椅子の足につまづいて、猿みたいな叫びを上げてそれを蹴った。どう見ても余裕の無さが滲み出ている立ち振る舞いに、ああやっぱり髪の事気にしてるんだな……と妹は思うのだった。
そんな事はともかくである。
「子供には付き合っていられないってさ」
妹が去って行くステッキの男を見て言うと、サカイは返した。
「その子供に倒されるんだぜ、あいつは」
「そんな簡単に行くかな……」
彼女の弱気な発言はともかくとして、坂口を追おうとした一行だったが━━奥からなだれ込んで来た数人の、黒いスーツ姿の護衛にその行く手を阻まれた。まさに言ったそばから、である。
まだ護衛を隠していたらしい。とはいえでも無ければ、あれ程余裕で居られるはずも無いというもの。
「う。ほらやっぱり」
彼女はほれみろと顔を歪ませた。予想通り簡単には行かないようだ。
「ここは私一人で片付ける。必ず、捕まえろ」
瀬嶋がおもむろにコートの奥へ両腕を突っ込み振り抜くと、ジャキン、という音と共にたちまち二振りのサーベルが現れた。
飴渡とかいうエージェント達が使っていたサーベルだ。
「追うぞ!」
藍は阻む黒服を殴り飛ばして隙間を掻い潜った。
二人もその隙間に続き、瀬嶋は黒服を切り結んでいく。
「……北田め……なぜそのようなことを」
突破し走り抜ける彼女達を見送りながら、瀬嶋はぼそりと呟いていた。
━━裏通り 駐車場
妹は通路奥にあった階段を駆け上がり、マンホールに偽装されていた出入り口から地上へ出た。
「こいつを用意しといて正解だったよってね。おい、乗れよ!」
サカイは一足先に、最寄のパーキングへ駐輪していたスポーツバイクに乗っていた。
エンジン音は周囲の静寂を吹き飛ばす。ガラスのように繊細で堅かった空気は震えて重く鳴り響き、手で"乗れ"の合図をしたサカイ。妹の後ろからは黒服数名が追いかけてきて、それを藍が迎え討つ。恐らく坂口が乗り込んだと思われる黒塗りの高級車は裏通りから走り去っていった。
急いで走り寄った妹は、焦燥しながらもサカイに尋ねた。
「いつの間にこんなの!?」
「ホラ、
それは彼が予め用意しておいたものだった。万が一の逃走の際役に立つし、そうでなくてもこの深夜に帰るには何かしらの足が必要となる。
そんな訳でバイク好きの親父に頼み込み、今日一日だけという約束で借りていた物だった。
「ありがとう!」
そうして慌しく幾つかやりとりをしてから、彼女はバイク後部へまたがると、それを横目に確認したサカイがエンジンを吹かせた。
幸い免許は取っている。以前にも何度か父に乗せて貰っていた彼が、運転に困る事は無かった。
その時、不意に彼女が声を上げた。
「━━うわぁ!?」
突如飛び出して来た大きな影。
巨大な━━ロボット?
ディープブルーの基本塗装、そして左肩には斜めに並んだ白い"K R"の文字が塗装されている。足は四本、その末端にはタイヤがついていて、上はずんぐりして四角い箱状の胴体と、首のない頭には蜘蛛を思わせるような赤く光る複眼のカメラアイ。胴体からは人間の様に二本の両腕が生えている……まるで蜘蛛と人間の、キメラの様な見た目で━━
「おいおいありゃあ、アキバのベルサールで展示されてた"クラテス"ってヤツじゃねーか!?」
サカイは恐怖の様な、高揚の様な、入り混じった興奮気味の感情で……機体に気を取られその足を止めていた。
藍が叫ぶ。
「私に任せて先に行け! 最重要は坂口の身柄の確保だ!」
ハッとした。
この際そんな事は気にもしていられない。早く発進しなければ作戦の全てが手遅れになる。
「うっしゃあ! かっ飛ばすぞ!」
サカイのフルスロットルでエンジンが唸り、前輪が浮くほどの急な加速でバイクは走り出した━━
━━中央通り 車道
信号の光さえも解さず、文字通りどこまでも風を切って進むバイクはスピードも相まってその風量は凄まじいものがあり、妹もサカイの背の後ろに乗っているとは言え顔をしかめっぱなしである。とはいえ一向に坂口の乗る高級車は見えそうもない。
だが、しばらくしてサカイは叫んだ。
「見えたぞ!!」
……妹は薄目を片方開けて確認する。あの時と同じような黒塗りの車だった。さすがスポーツタイプのバイクか、彼女の知らぬ内にぐんぐんと坂口の乗る車を追い上げていたようだ。高速域に達したエンジンの甲高い音はそのまま、バイクは更に相手の車へと近づいていく。
「もう少しでアプローチだ! もう少し。もう少し……!」
彼のその言葉から少しして、遂にバイクは黒い高級車に追いついた。
「サカイ! 横につけて! 私があのアホをぶっ飛ばして来る!」
彼の任せた! の一言と共にスポーツバイクは車の左横を併走した。
サカイが合図に声を張り上げる。
「よし、飛び込めぇー!」
「うっりゃああああーー!!」
妹は絶叫と共に、飛び蹴りの要領で足から運転席のサイドガラスに突っ込む。
……成功。
運転席に侵入すると彼女はコントロールを乗っ取って、乗用車はスピンし、タイヤが甲高い悲鳴を上げながらガードレールを破り。中央通りの歩道に少しばかり乗り上げて、ついには停車した━━
━━裏通り
藍は巨大なロボットを見上げていた。
「さて、問題はこのデカブツをどう片付けるかだ」
坂口の護衛は全滅し、彼女の傍らには瀬嶋も居る……既に地下の始末は終わった後だ。
ロボットは瀬嶋の方をターゲットにしたようだった。腕を振り抜き、殴りかかろうとする"それ"に瀬嶋はにやりとする。
「……ほう、来るか!」
向かって来たロボットの右ストレートを最低限の動きで身を逸らし、かわす。瀬嶋はそのまま相手へ飛び込むなり身を横回転させ、スピードを乗らせた刃で回転斬りをお見舞いした……狙いは、右腕の肘関節部。
━━ジャリン! と、金属の擦れる音が響いた。
正面きって一太刀加えた後、敵の背後へ着地した瀬嶋はもう一足跳んで距離を取った。
彼は相手へ向き直り、機体を見上げる。ロボットは独特の駆動音を鳴らしながら胴体を旋回させ、瀬嶋を再びそのカメラアイに捉えた。腕も問題なく動いていて、どうやら有効打は与えられていないようだった。
「駆動部を狙ってはみたが……やはり、この程度の牙では歯が立たんか。お手上げだな」
そう言ってまたひらりと前方へ飛び上がり、機体の頭部に着地した。
すると機体は両腕を振り上げて、蚊でも叩き潰すみたいに、彼目掛けて両方の掌を思い切り叩きつけた。ガキン、と大きな金属音が鳴るものの━━既にそこには彼の姿は無い━━瀬嶋は再び藍の隣へと舞い戻った。
このロボット、見た目は派手なもののやはり図体ゆえか、動きは良くないようだった。とはいえ、いくら鈍重であろうとこちらの攻撃が通らないのでは仕方がない。それでは弄ぶ事が精々だろう。
そんな時、藍が一歩前へ出た。
「私にやらせて貰おう」
「何か策がある、ということか? ……まぁ良い、任せる。私はまだ地下の調査があるのでな」
歩き去る瀬嶋を背に、藍は機体を見上げたまま言った。
「策などない。力でねじ伏せてやる……」
━━中央通り
妹が襲撃した高級車内に居た黒服の二人は、通りの向こうへ逃げ去っていく。
よほど恐怖を感じたのか、脱げ落ちた革靴など気にもせず必死に走る様は滑稽で、それを妹はやれやれといった面持ちで見送っていた。
彼等は逃げた。しかし不可解な事に坂口の姿が見当たらない。
彼女は高級車の車内を再度見回した。
……やはり、坂口の姿はどこにもない。サカイも悔しそうに頭を掻いた。
「車は囮だったのか……やられた」
「じゃあ坂口はどこに……?」
「徒歩で逃げたか……あるいはあのロボットに乗ってる、とか」
「……うん。一旦裏通りに戻った方が良いかな」
「…………あ、ところでさ。良く分かったよね、車がどっちへ逃げてるかって」
「ああ、実はこんなこともあろうかと発信機をいつも持ち歩いてるんだぁ。スマホのGPSアプリと連動して追跡できるロマンガジェットってわけ! かっこいいだろ? ソレを駐車場で走ってく車にポイっと。もしもの時の為に、リュックの中は常に色々入れてあるけどね」
ド○えもんか、お前は。彼女はふっと笑いそうになるのを堪えて言った。
「……戻ろう。裏通りに」
◇
二人を乗せたバイクが道路を疾走していく中、サカイが言った。
「もうすぐ裏通りに着くぜ」
その時、妹の装着するインカム通信機のコール音が鳴った。
連絡用として瀬嶋から人数分を渡された物だった。その通信の先に居たのは瀬嶋だ。
《坂口の確保はどうか?》
「それが見失ったみたい……私達は今裏通りに戻ってる」
ノイズ混じりの声に彼女が答えると、
《なんだと……!?》
瀬嶋の舌打ちが聞こえた。━━とそこで通信が入れ変わり、藍の声が聞こえる。
《だが良い所に来た……》
《あのでかい奴に手を焼いている。加勢してもらえると助かる》
言った傍からバイクは裏通りの路地に差し掛かっていた。
一直線状にその"でかい奴"が見えた。遠い先からでも大きな図体のロボットが居るということが分かる。
「どうするんだ……!?」
サカイの問いに彼女は答えた。
「近づいて! 倒そう、このまま……暴れさせる訳にはいかないから!」
「あんたにとっても大事な街なんでしょ、秋葉原」
あれほどばかでかいロボットが店舗の密集する場で暴れようものなら、どうなるかは容易に想像できる。
なんだかんだで彼女には心配する節があったのだ。
「……驚いた。街の事なんて微塵も気にしてないかと思ったのに」
ほっとけ、という彼女の照れくさそうな一言に、サカイはどこか満足気な笑みを浮かべると、言った。
「…………まぁいいや、俺はあのロボットについて多少だが知ってる!」
「……胴体だ! 胴体のハッチをなんとかできれば……! ヤツの制御は胴体にあるんだよ!」
「あいつの殻を━━ハッチ部分を脱がせれば━━パイロットを覆う外殻を脱がすことができれば!」
そうは言うものの……あんな鉄の巨人を脱がせというのは。
暴れているヤツの胴体まで接近しコックピットを襲うとなると、到底簡単な事ではない。
「一筋縄じゃいかなそうだね」
しかし彼女の言葉は簡単ではないと分かりながら、諦める気が無い事も示していた。
「やるしかないのは確かだ!」
彼も同じ。
同じく、難しいのは承知でやるしかないと思っている。
「うん……!」
サカイの言葉に頷く……覚悟は既に決めた。
今更何が恐かろうか。ここまで来れば、毒を喰らわば皿まで。最後まで恐れずに戦い抜くのみ。
バイクは尚も走り続けて、徐々にヤツへと近づいていく。
通信機から再び藍の声がした。
《こいつを使え!》
言葉と共に藍から投げられたギターは、彼女等が乗るバイク目掛け車輪の様に路面を疾走してくる。
妹は腕を伸ばして"それ"をはしと掴み止めると、藍から再び通信が入った。
《今のお前ならこいつの背後から一撃を加えられる!》
《そいつでお見舞いしてやれ! お前にならできるはずだ!》
《━━ぐぁッ!?》
「藍ちゃん!?」
《大丈夫だ、はぁ、私に両手を振り下ろしてきやがったが、なんとか受け止めた……だが、はぁっ、こいつ、このまま……押し潰そうとしてやがる……!》
苦しむ声。
藍といえども、あれ程の図体の攻撃をまともに押さえ込むのは負担が大きすぎる━━妹の瞳は焦燥に染まっていく。
「くそ……急いで!」
焦る声にサカイはおう、と返した。既にアクセルは全開だ。
《ぐ、ぬぅぎぎぎぎ……》
《こんなモノでぇ━━勝った気にィ━━》
《なるなぁッッ!》
馬鹿力もそれが人外のものとあれば、尚とんでもなく凄まじいもので━━
押しつぶそうとした両腕は上方へ勢い良く振り払われて、機体がバランスを崩していた。
「奴の動きが止まった……! やれるぞ!」
サカイは言った。
バイクももはや、あのロボットまで十数メートルの距離もない、千載一遇のチャンス。
《今だ! 思いっきりやってやれ!》
「行くぞ!」
サカイの言葉と共に、妹はバイクの後部座席を蹴った。
バイクはバランスを崩しスライディングのように路面に外装を擦りつけながらも、彼は上手く機体の股下を縫って行く。次いで彼女は叫んだ。
「く、ら、えぇぇぇぇぇぇ!!」
限界まで身を捻らせ、思い切りギターを振り抜いた全身全霊、渾身の一撃。
━━ガァン!
さながら人間砲弾といった勢いでぶつかる。
大きな金属音が鳴り僅かながら衝撃に機体が浮いた。元々隙の出来ていたロボットは、背後からの急な一撃に対応できず姿勢を崩した。倒れこんだ機体はアスファルトをガリガリ引っかきながら、そのまま数メートル滑った所で摩擦の白煙を上げ停止した。
すかさず妹は走り、機体上部へよじ登る。丁度人間であれば頭に相当するであろうカメラアイのある部分、そこへ掴みかかり、それからその前方部分に取り付けられていたハッチ部分の取っ手へ、おもむろに腕を伸ばした。
「……これ? これなの!? えぇいままよ!」
「ぬぅおりゃあああ!!」
ミキメキバキ。
丁度、四角い箱にある面の中の一つが剥離していくようだった。
驚異的な腕力でハッチ部分の板金を引き剥がしていく。やがてそれは端まで全て剥がれて一枚の板となり、力任せにやった勢いで吹っ飛んでいったハッチはガラン、という音と共にアスファルトの道路へ落ちた。
中には気絶した、白いパイロットスーツ姿の男が鎮座していた。そいつを座席から引きずり出すと、彼女はようやく安堵の息を吐いた。
「ふぅ……これじゃほんと、あの
有り得ないとあざ笑っていた世界が現実となる。
もはや現時点で大分おかしな状態になっているのだから、坂口の言うそんな世界もあながち妄言ではない有様だと━━
彼女は吐き捨てずには居られないのである。
しかしこのデカイロボットの後始末はどうしよう、というかこれはもしかしなくても私、犯罪者入りでは? なんて考え、彼女が何気なく機体を眺めていると……妙な点に気がついた。
瀬嶋が一撃を加えた関節からアスファルトの地面まで、液体の様なものが流れ出ていた。最初それは恐らく機械油か何かであろうと彼女は思ったが、良く見てみればそれはあるものと似通っている事に気がついた。
「………………血?」
その液体に手を近づけようとした時だ。眩い白光が彼女を襲い視界は遮られた。それは警察車両のヘッドランプから発されたものだった。ああやっぱり捕まるんだな、と思いつつ、しかしその車は不思議とサイレンも赤いランプも、オフの状態であった。
「全員、そこから動かないで!」
車両から降りたスーツ姿の女性、御堂が声を張り上げた……
しかし調査を終え、丁度地上に戻っていた瀬嶋が彼女を制止する。
「待て、御堂」
「あなたは……!? 瀬嶋さん!?」
「その子達は……? あなたが何か唆したのですか?」
「人聞きの悪い事を言う。偶然の目的の一致さ。手伝いをしてもらい、そして私も彼女等を手伝ったまでだ。もっともこの答えが不満ならば、彼女等に直接訊けば良い事だ」
御堂が黙っていると、もう一人の警官の男が彼女の乗っていた警察車両からづかづかと歩いてきた。
「さぁ大人しくしろ! お前達は━━」
警官の男が車両から出た所で、御堂が言った。
「待って。彼女達はこの件とは関係ないわ、偶然居合わせただけ。私と彼女達は知り合いなのよ」
「そ、そう言われたって━━この状況じゃどう見ても━━」
「いや待ってくれ。怪しい奴ならあっちへ逃げてったのを俺は見たぞ? 犯人探しならそっちへ急ぐべきだ」
そんなサカイの言葉を警官はあからさまに訝しんでいる。まぁ、当たり前か……
「御堂さん、これを信じろと?」
「お願い、巡査」
彼女の懇願に警官の男は困り顔だった。
「全く……いくら昔のご恩があるとはいえ、警察車両にあなたを乗せてまでいるというのに……仮に彼女等が犯人だったりなんかした時には、私は……」
ぐずぐずと言っても御堂の意志は変わりそうもない。もうどうにでもなれといった様子で、男は言う。
「全く、分かりましたよ。分かりました」
「……助かったわ。今度、食事にでも行きましょう」
彼女の答えを聞いてから、巡査はまたきりっとした声に戻った。
「ええ。ではすみませんが今は、服務中ですので……これで失礼致します」
「そうね。分かったわ……ありがとう巡査」
「ああ、ちなみに……犯人の特徴は?」
巡査はメモを取り出して、サカイに問う。
あっちへ逃げてった、なんててきとうな事言うからだと妹は思ったが、それを上回るてきとうぶりで、
「犯人? 全身メイド服、筋肉モリモリマッチョマンの変態だったよ」
「そ、そうですか……」
巡査も分かったと言った手前、今更文句も言えないだろう。こんな事をいとも真顔で言うのだから、困った奴。
妹はひと段落ついてほっとすると共に、巡査に心底同情するのだった。
そんな彼女が明日重大な決断を迫られる事になろうとは、本人も知る由は無く━━
━━屋上
それから時は少しして。
瀬嶋は柵の向こう側に広がる夜景を眺め、一人佇んでいた。
そんな彼の後ろから、静かに歩み寄る者が一人……
「……瀬嶋さん」
それは御堂の声だった。NIRO時代に話し掛けていた時とは違い、ぴしりと姿勢を正すような様子は見られなかった。
右手を腰の後ろへ当てゆったりと歩み寄る様は、NIROという堅苦しい囲いを抜け久々の再開を果たした者同士━━であるからか、どこか砕けた振る舞いでリラックスしているような━━それとも、部下として今更彼に正す礼儀は無いということなのか。
……少しばかり距離を置いて、立ち止まる。
瀬嶋は振り向かずに、黒く染まった空を眺めながら言った。
「……御堂か。なんだ?」
「……立ち寄っただけ、……いや、」
彼女は煮え切らない返しをするだけで口ごもっている。
すると、瀬嶋が尋ねた。
「よく私達が居ると勘付いたな。あの、裏通りに」
「……それは。騒ぎがあったと、聞きつけましたので……」
「そうか……御堂は優秀だな」
「今更おだてたって」
御堂は思わず瀬嶋から視線を外す。複雑な面持ちで、そしてどこか拒絶するような言い振る舞いだった。
……今度は、御堂が追及した。
「まだ、この秋葉原で何か企んでいるのですか? ……まだ妖主の血を、身柄を……狙っているというのですか、瀬嶋さん」
「そうするのなら、私も容赦はしませんから。私は貴方の部下では無くなった人間……」
「それでも、私は貴方に訊きたい事があるのです。訊いて、納得したい」
「そこまでさせる理由は何なのです? 地位も同僚も、全て失ったというのに。貴方は尚━━」
「御堂、少し昔話にでも付き合ってくれるか」
畳み掛けるような御堂の追求を瀬嶋は遮った。
そしてコートから安煙草のケースを取り出し、その中の一本を口に咥えると、白銀に光るオイルライターの蓋を指で弾いた。
キンッ、という音と共に暫くして、瀬嶋の頭上から紫煙が上がる。一息ついてから、瀬嶋は喋りだした。
「私にも、愛人とでも言うか……そう呼べる人間が生涯で一人だけ居た。遠い昔の古ぼけた話だ。聞け、というわけじゃない。話を気に入らんなら、立ち去ってくれてもいい」
御堂がその場から動くことはなかった。
瀬嶋は立ち去るつもりが無いと知るや、ゆっくりと喋りだした。
「……続けよう。彼女はNIROの同僚、私の部下だった。そして……職務中に、死んだ。何が原因か分かるか?」
「襲撃だ、カゲヤシのな。私が傍に居たにも関わらず、彼女は死んだ……悔やんでも悔やみきれん。力さえあったならと、己を呪ったものだ……」
「それからだ。私がカゲヤシ狩りと、血の力に執着し始めたのは」
煙草を指に挟み、ふーっと口から煙を吐き出した。
瀬嶋は夜景の向こうへ溶けて行く紫煙を見送りながら呟いた。
「私は狂っていたのかもしれん」
彼女は黙って聞いていたが、彼が妖主の血に固執し続ける事をどうしても解せなかった。
「しかし、今更力を手に入れて何になるというのです? 瀬嶋さん。あなたが守りたかった者はもう……それともカゲヤシ狩りにその力を使おうと? ……いえ、解せません」
「あのオフィスビルで妖主を追い詰めたにも関わらずあなたは……まだ力を、血を欲していた。カゲヤシの殲滅という大義を投げ捨ててまで」
「命や単純な力の為に何十年もカゲヤシを追い続けていたのですか……? 何故です、瀬嶋さん」
「……確かに化け物狩りよりも、いつしか力を手にする事こそが目的となっていたか」
「何故だったかな……その
「私には思い出せんのだよ。さもなくば、思い出すことを拒んでいるのかもしれん」
「そんな臆病者だ……私は」
「瀬嶋さん……」
「しかし命や力、それらは考える余地もなく極単純に、何十年もかけるほど魅力的な要素と思うがね」
そうは言うが。
永い命という目的だけなら、何も末端の血を少量摂取しては、中途半端に己の寿命を食い繋いでまで……妖主の血に拘らなくとも良かったはず。半カゲヤシ状態を長らく続けた結果、彼は妖主よりもよほど老いてしまったというのに。
血で寿命を延ばすことはできても、若返る事等できはしない……当然彼は知っていながらそれを続けてきたのだろう。であれば、単なる自己満足の為に身体能力を求めたというのだろうか。
御堂は答えの出ない問いを巡らせていた……
そんな中、瀬嶋は低く笑いながら言う。
「……これでいいさ」
「このままの、狂ったままの私でいい。カゲヤシ狩りも更なる力の入手も、何者にも邪魔はさせん。まだ満足など、していない」
ようやく振り返るものの、御堂の事など気にも留めずに屋上の出口へ向かい、足を踏み出した。彼女も何ら言葉を発する事はなく、堅い表情で自身の横を通り過ぎるのを待っている。
だがいよいよ横切ろうかという瞬間、ふいに彼は足を止めた。
「私は、諦めはしないさ」
硬く執念に満ちた言葉を最後に、彼は秋葉原の闇に消えていく。
彼女は決して振り返らず。見送るわけでもなく……ただその場に立っていた。
しばらくして彼女は腰に当てていた右手を下ろした。
手には、鈍く光る拳銃が握られていた。
いつでも発砲できるよう、解除の位置にセットされていた安全装置を再び
「瀬嶋さん。今、分かりました……」
「あなたの大切な人になろうなどという想いは、最初から無理な願いだったのですね」
「もう今のあなたは、そんな者など必要としていない……」
彼女は複雑な面持ちのまま悲しげに目蓋を閉じると、また、ゆっくりとその瞳を開いた……表情に先程までの曇りはない。
眼差しはどこか強い決意を感じさせるものだった。
都市伝説の件は実際の秋葉原にある(らしい)都市伝説を使わせてもらいました。