【妄想】AKIBA'S TRIP1.5 作:ナナシ@ストリップ
長くなったので前後編二分割にしました。近い内に後編も投稿する予定です(予定です。)
16話に合わせて15話ラストをほんの少し修正。
視点がナナシに変わり、妹と出会う少し前から話は始まります……
16.三つ巴の開戦(前)
NIROの実働部隊リーダー、瀬嶋隆二は秋葉原に帰還した。
坂口率いるエージェント部隊と対立し、両者はここ秋葉原で睨み合いを続けている。
けれど、この街で戦っている者は勿論彼等だけではない。
それは瀬嶋隆二の宿敵、ナナシもまた同じ……
…………それでその"宿敵"はというと、アキバの通りを現在進行形で爆走していた。
(あぁくそ……馬鹿ばか俺の馬鹿!)
とか嘆きながらだ。
彼には嘆きたい事が山ほどあった。なんせ今も軽く見渡しただけで、エージェント連中が隅々幅を利かせるカオスなこの状況。
それもその上、致命的にデカイ問題が一つ。
問題は瑠衣達が追われ、今も危険に晒されている事。なのだが━━
せめて自身が瑠衣と共にしていたならと、ナナシは後悔していた。
元々手分けをした方が良いだろうと瑠衣本人から提案を受け、自分が場外警備の任に着いたのだが……思えばそれが失敗だった。
……自分が外でエージェントと戯れている内に、瑠衣達と大分引き離されてしまうとは。
運悪くか、最初から狙われていたのか。いずれにせよまんまと時間を稼がれた━━
━━まぁともかく、それで、俺の馬鹿ァー! とか思いながら走るはめになった。
そう言えばなかなか変態的行為に思えるが、別に声に出していないから問題はない。声にならない叫びというやつだ。いや、
……あれやこれや考えていると、不意に一人の青年と衝突しそうになった。
間一髪避けたものの、走り抜けた後方から咎める声が聞こえた気がした。
「すまん、今は許せ……!」
瑠衣達の下へ向かう為、そして事態を収める為にも、今だけは足を止める訳にいかない。
エージェントが目的である彼女達を見失えば、連中も手を引き、混乱もひとまずは収まるはず……だから今だけは急がせてくれ、と。
……甚だ一方的な言い逃れだと思った。
だが嘘をついているという訳じゃない。現状を見れば一目瞭然だろうが、秋葉原が危機的状況というのは事実なのだ。
この街の終わりが近づいている。
それは、少し前まで悪い冗談と思っていた。
今視界に度々映るのは、慌しく行動するエージェントと……その光景に動揺する街の人々。
確かに、この状況はタダ事じゃない。
そして近い内、この街は更に酷い状況になる。……そうヒロは大真面目に言っていた。
……ナナシは気に入らなかった。あのふざけた予言が、現実味を帯びてきてるっていうのか?
そんなのは認めたくもない━━その意地が、自然と彼の瞳を険しくさせた。
この街で普段通りに過ごしていたい……文月瑠衣の、彼女の望みは叶ったと思っていたのに。
だが今の状況は、まるで逆戻りだ。
『また、秋葉原で争いが起こっちゃうのかな』
あの時の、不安を口にした瑠衣の姿が目に浮かんだ。
彼女の想いとは裏腹に、秋葉原は今、あの頃へ戻ってしまっている。
だが……
(……だが、まだ終わりじゃないはずだ)
街は再び危機に立たされている。それでも、まだ終わったわけじゃない。
ナナシは通りを疾走した。だからこそ急がなければならない。全てが手遅れにならない内に、後悔に変わらない内に……
彼は住民達の間を縫っていき、エージェント達の視線を掻い潜り。
白い息を吐きながら、混迷の中を手早く駆け抜ける。
だいたいなんだ。今日はクリスマスだろ? とふて腐れ。
こいつらは本当に中止にしちまうつもりかと、半ば冗談交じりに勘ぐりながら。
それでもナナシは駆け抜けた。
街はこの上なく危機だし、クリスマスのプランも見事に白紙。嗚呼全くそれもこれも、我が物顔で蔓延っているエージェント、連中のおかげで━━
「ええい、好き勝手しやがって……!」
そう考えると腹立たしさに、思わず歯が噛み締められる。
それから邪念を払うようにナナシは首を振るう。今は目の前の状況に集中しろと、己に語りかけた。
……そうだ。瑠衣からのメールによれば、彼女達はこの道を抜けて少し先のはず。
不幸中の幸いか、エージェントは何故か慌てふためいている。それどころか警戒の持ち場を離れ、どこかへ行っている様にさえ見えた。
妙だが、ナナシとしては好都合。危なげなく連中をかわし、順調に突破していく。
しかし、だ。
その一連の流れの中で……異変があった。
路地先で彼の目に留まり、立ち止まらざるを得なかったその光景。
一人の少女が歩道に倒れこんでいた。その横ではギターを手に少女を見下す、パンクロッカー風の女も一人。
(これは……なるほど)
……勘弁してくれと率直に思った。
一難も去ってないのにまた一難。打ち切り直前の連載みたいにぽんぽん出してきやがる……ッ!
思わず眩暈がしそうになりつつも、気付けば突き動かされるように倒れた少女へ走り寄っていた。
少女の服装には見覚えがあった。
自身の妹である美咲のものと良く似ている。しかしそれは偶然の一致だろう。本当に"少女"が美咲本人とは夢にも思わなかった、のだが……
彼女は倒れ伏せたまま、自身に気付いたのだろうか、顔をこちらへ上げてきた。
その"少女"は━━思わずナナシは目を疑ったものの。
「お兄ちゃん……! ……お兄ちゃんなの!?」
彼女の肉声を聞いてそんな疑いも吹っ飛んだ。目の前に居る少女は、紛れもなく自身の妹。
どうしてこうなった!? と思い切り叫びたい気分だった。
いやいや、何て日だ! も捨て難い……
伏し目ながらに悩んでいると、ふと前から視線を感じそちらを見返した。
「お兄ちゃん?」と業を煮やした美咲が不信な目に変わっている。
……うるさいな。今お前のせいで悩んでるんだよ。
仕方なくナナシは思案を中断し、そして美咲を問い詰めたい気分もかなぐり捨て、それよりもスマートフォンの画面を見た。
走り寄る際に予め行なっていたミラースナップ、その結果を確認する為だ。
……画面には紛い者の反応が示されていた。薄々予想はついていたが、生憎にもそれを裏付ける結果に歯噛みする。
ダブプリ姉妹と瑠衣の状況も当然気になるが、まずは目の前の状況をなんとかしなければならない。
ナナシは剣を抜き、その切っ先がパンクロッカー風の女に向けられる。
美咲の名を呼び、空いた手で彼女を立ち上がらせながら、その間も目線は常に対面の女を睨み続けた……
動くなよ、動いた瞬間に攻撃する、という威嚇を込めて。
それでも、女は涼しい顔でこちらを眺めている。美咲を背後に庇いながらじりじりと後退する間も、女はふてぶてしい程顔色一つ変えない。
距離を取る事には成功しつつも尚、張り詰めたような緊張が走っていた。
「俺の妹に手ぇ出すとは……あんた、塵にされたいらしいな」
と、3、4メートル程距離を取った所で言った。
……逃げ腰で言う台詞じゃないだろ、と美咲がささやき、確かに……とナナシも苦笑いした。妹もたまには正しい事を言う。
正直虚勢でしかなかったのだが、その言葉に、対面の女が初めて表情を変えた。
「塵にする? 紛い者の私を、単なるカゲヤシのお前が」
女は聞き違いかとでも言いたげに眉を歪ませていた。
それからそのしかめ面を益々むすっとさせて差し向ける。
「身の程知らずも大概にしな」
と。緩慢な態度だが、しかし腹は立たなかった。むしろ、いかにも紛い者らしい。
今まで相対してきた紛い者達も、同じ様に強い自信を持っていた。目の前の女もその例に漏れず……というだけだ。
だがそれは決して根拠の無い自信過剰ではなく、カゲヤシの能力を超えている、確たる自負が紛い者にはあるのだろう。
それこそ、負けるはずがない……という絶対の自信が。ナナシが駆け寄ろうと歯牙にも掛けず眺めていた事からも、その余裕は見て取れる。
……だが「それがどうした」と冷ややかに一蹴したナナシは、そして続けた。
「カゲヤシが勝てないって誰が決めた? ……あんたか? なら勘違いだったな」
「脱がすか脱がされるか、それだけのはずだろ。あんたを脱がすだけだ」
言葉通り、最後に勝負を決するのは、あくまで脱衣の技量差だという気概が彼にはあった。
紛い者に苦戦した過去も以前の話。あれから師匠の元で修行をし、己の業を磨いたのだから。
……無論、それも十分な時間ではない。まだ、対策が万全とは言えないのかもしれない。
しかし、今回の様に一対一なら……そして彼女に、優位だという慢心があるなら。
その油断から生まれた隙を突き━━脱衣のスピードを活かして速攻を仕掛ければ━━必ず勝機はある。
そう信じ、固く剣を握っていた。
対する藍もいよいよギターを構える。その様子を、美咲は動揺しながら見守っていた。
(脱がすって、お兄ちゃんも戦えるって事……? 分からないけど……けど戦ったら、きっと殺されちゃう)
「━━待ってよ藍ちゃん、こんな事するべきじゃ……!」
その言葉を聞いたナナシは美咲を一瞥した。どうやら美咲は相手を知っているらしい。
ナナシは、藍と呼ばれた女に視線を戻し問い掛けた。
「……エージェントってカッコでもないが、アキバに何しに来た? ここじゃ素直にならないと楽しめないぞ」
「お前に言う必要があるのか?」
威圧的な藍を見るや、ううむ、とナナシは神妙に顎を撫でる。
「なるほど、セール目当てでは無いようだ」
「お兄ちゃん、もう口閉じてて」
「クリスマスセールだぞ!?」
美咲が「どうでもいい」と顔を曇らせた、その直後だった。
藍が前傾姿勢ののち、地を一蹴りして突進した。
凄まじい脚力。踏み蹴ったアスファルトは容易くヘコみ、それによって生じた衝撃さえも置き去る程の突進力。それを以って彼女は小細工なく、正面から一気に間合いを詰めた。
(速い!? マジか……!?)
ナナシはその速度に驚愕しながらも、彼女が振り下ろしたギターを咄嗟に避けた。
それから女は尚も怯まず攻撃を掛けてくるが、ナナシは確実にその一撃を避け続ける。時折自身も剣によるカウンターを仕掛けながら、常に相手の死角へ回り込もうと試みる。
とにかく、相手が紛い者ならまともに打ち合う訳にはいかない。冷静に翻弄し続け隙を突く……それが、修行で得た対紛い者のセオリーだからだ。
しかし実戦はそう上手くも行かないもので、彼女はなかなか隙を見せないどころか、今も自身の動きへ確実に追従してきている。
思った以上に女の身のこなしは軽く、いつの間にか互いに横や裏を取っては切って切り合い、そしてそれを避け。
もはやそこに、翻弄などという余裕も無い。
ナナシとてその動きは研ぎ澄まされている。食い下がり、渡り合っていくその姿は、多くの戦いを経てきた者として伊達ではない。
しかし避け続ける疲れからか、それでもほんの僅かに遅れが見え始めていた。
僅かな遅れは次第に明確な遅れとなり、それは致命的な差にまで広がってしまった。
遂に藍がナナシの動きを捉えたのである。
しまったと後悔した時には、ギターの重い一撃を腹へもろに喰らってしまう。
強烈な衝撃に肺から空気が一気に吐き出され、ナナシの身体はくの字に折れ曲がったまま、後方へ吹っ飛ばされた。
「ぐっ……!」
ギターとにわかには信じ難い威力だった。正直電柱でブン殴られたかと思ったレベルだ。
思わず苦痛に顔を歪めたものの、けれどナナシはすぐに空中で体勢を立て直し、改めて瞳を見開いた。
今は身体の痛みなんか気にしていられない。
すぐ傍で助けを求めている美咲が居て、今も逃げている瑠居達、そして危機に瀕しているアキバの人達が居る。
そう打ち切り直前の如くポンポン来やがってる。
以前までならここで炭化して終わりなんじゃ、なんて思考がチラついたかもしれないが、そんな事考える暇もない。
だからこそその眼は、真っ直ぐと向かいのパンクガールを捉えていた。
彼女はこちらへ一直線に向かっている……そして、気付いた。
この状況に覚えがある事、紛い者と最初に戦った時、あの大男にやられた状況と同じ事を。
あの時も同じく吹っ飛ばされ、そして足を取られている隙に肉薄され、二撃目を叩き込まれたはず。
あの時と同じ事になる、そう直感した。だとすれば……
「……同じ轍踏むかよ!」
歩道へ着地する同時、剣を火花が散るほどに思い切り突き立てた。肉薄される前に、意地でも己の身体を食いとめる為に。
まもなく止めることに成功した直後、既に振り上げられたギターが目前に見えた。
身が凍る思いだった……紛い者の全力の一撃、あれをまともに貰えばタダでは済まない。
(ちッくしょう! 間に合えぇ……!)
極限の状況にアドレナリンが放出したのか、その一撃は嫌味な程ゆっくりと見えた。
右方向へ全身全霊、歯を食い縛って回避の舵を取ると、迫る一撃は幸運にも、身を掠めるかという所ですれ違った。
「何!?」
大振りの攻撃を外した藍が思わず驚愕の声を発し、それから違和感に気付いた彼女は自身の身体へ目を向け、絶句した。
いつの間にか上半身の服は完全に脱がされていて、下着が露になっていた。
彼女は咄嗟に地を蹴飛ばして退こうとしたものの、思考よりも先に反応したナナシが素早く足元をすくった。
脱がし、次いで逃れようとした相手の足を取って動きを封じる、ナナシの常套手段だった。
後ろ崩れた藍は慌てて立て直そうと、何歩か地を蹴ったものの……いよいよ尻餅をついてしまう。
「この……ッ!」
それでも強気な彼女は、きっ、と顔を上げた。尚も戦闘の意思を見せたものの、がきん、という金属音に起き上がろうとする動きを止める。
突如そちらへ飛来した剣"えくすかりばー"が、倒れこんだ両脚のちょうど間……スカートの布地を巻き込む形で地面に突き刺さり、さしずめ縫い付ける形になっていた。
彼女が驚愕に見開いた瞳の先には、既に迫るナナシの姿があった。
「貰った」
ナナシが素早くスカートへ手が伸ばした直前、藍が強引に後ろへ飛び退いた。
スカートは一部破けてしまったものの、まだ脱げてはいない。
とはいえ首の皮一枚繋がった程には違いないだろう。二人が再び構え相対する中で、藍はいつになく焦っていた。
(あの脱衣の手際といい、普通じゃない……! こいつ何者だ?)
しかし焦燥を隠すように、あくまで気丈な
「ふん、あんな小手先で縫い止めたつもりだったのか……笑わせやがる」
けれども、返された一言に彼女は拍子抜けした。
「まぁな」
そして「避けに動くと思った」……ナナシはあっけらかんと放ち、藍を指差して言った。
「だが今のお前は動けない……だろ」
拍子抜けしていた女の表情が、一転して険しいものに変わった。彼女は押し黙り、狼の様に牙をむき出して、威嚇する表情で睨みつけていた。
対するナナシはそんな事も気に留めず、そのまま続けた。
「見えてるぞ。スカートの裏に手を回しているのが」
彼の文言はからかうようで、その実淡々と言った。
実際ナナシの言う通り、彼女は後ろ手に、今にもずり落ちそうなスカートを押さえていた……スカートのホックが、逃れた衝撃で壊れていたのだ。
「あの状態で無理矢理動けば、ホックへダメージが行くようにしたからな。悪いがここまでだ」
図星を突かれた藍は忌々しそうに顔を一瞬背けたものの、
「お前、本当にただのカゲヤシか?」
結果がよほど理解し難かったのか、苦渋の様子でそう問い掛けた。
「うん? まぁ……元人間の」
「……カゲヤシだと? そんな事あり得るか!」
「それがあり得るかも。死ねないんだよ、彼女と添い遂げ、セールのグラボを買うまでは」
「お兄ちゃん、私の為じゃなかったわけ?」
「一応それもある」
美咲の追及を飄々と交わしていると、悔しそうに唸る藍の声が聞こえてきた。
彼女はまだ負けを認めたくない……らしかった。
「そもそもスカートでなければ私が勝っていた……! だから嫌なんだ! 無駄にひらひらしているし脆いから……!」
(この期に及んで言い訳するのか……)
……子供みたいな負け惜しみに渋い顔しつつも、ナナシはじりじりと彼女を追い詰め、そこへ今度は我が妹の叫びが飛んでくる。
「ちょ! ちょっと待ってお兄ちゃん! やめて! 一旦やめて!」
揃いも揃ってなんなんだと、いよいよ脱力した表情でナナシは振り向いた。
「うっさいなぁ……なんだよ? 腹でも減ったの?」
「な訳あるか! とにかく駄目、ちょっとだけ待って!」
「待てない! 後でおでん缶買ってやるから我慢しろ!」
「お腹は減ってないっつの!」
なんて言い争っている間に、藍は舌打ちと共に跳躍してその場を離れていた。
二人が気付いた時には既に遅く、ナナシが大口を開けて妹へ詰め寄った。
「あぁ~馬鹿っ! お前のせいで逃がしちまったろ!?」
「あっ……えぇ~っとぉ~……仕方ないよ! うん、仕方ない。それより馬鹿兄に馬鹿って言われたくないんですけど!」
馬鹿兄呼ばわりされたナナシは、俺はお前を助けたんだよな……とモヤモヤしてきた。
本当に兄妹なのか? というのは自分の中で永遠のテーマだが、まぁ、湧き上がる不満を溜め息で吐き出して……気を取り直して再び美咲を見た。
「……んで。知り合いだったのか?」
問いに、「それは……」と視線を落とす。
「……うん。あの人は、私を助けてくれたの」
俯いたまま、物案じた表情で告白する妹。
「助けた? さっき殺意ばりばりだったけどな。助けて今度は始末に掛かるとは、おかしな奴」
なんて、酷使した身体を労う様に肩を撫でつつ、彼は軽い調子で言うのだが……当の美咲は何も言葉を返さない。
…………反応が予想と違う。
まるで借りてきた猫。ナナシは調子崩れだと言わんばかりに、しばらく眉を曲げていた。
けれど尚口をつぐむ妹を遂に見かねて、静かに語った。
「……あいつ、お前に手を下す事を少しためらってた」
美咲が思わず、その言葉にはっと顔を上げた。彼に先程の軽さは無く、今までの軽口とは線引きされたものだと分かった。
「俺が走り寄っても、それをすぐに阻もうともしない……違和感があった。素直な行動じゃないと思ったんだ」
美咲は何も言わなかったが、構わず「事情は後で聞く。けどな」とナナシは続ける。
「あいつが向かってくるなら、先にこっちが塵にするしかない。それは分かって欲しい」
……やはり彼女は何も言わない。
が、決して納得している訳ではないはず。ナナシとしても、決して己が正しい事を言っているとは思わなかった。
(う~む……困ったな)
だからこそ彼は悩んだ。
頭を掻きつつ、ともかく、美咲を守る事に成功したのは違いないと、意識を現状へ引き戻した。
……瑠衣達の下へ急がなければ。あの藍という紛い者も、抵抗せずにさっさと逃げてくれて良かったかもしれない。逃がしたせいで後々面倒になる可能性もあるが……
(……メールだ)
スマートフォンを確認すると、瑠衣からのメールが一通あった。
内容に気が気ではなかったが、ナナシはホッとした……どうやら瑠衣達は、追跡の手を振り切れたらしい。
自分は何もしていないのが少し情けないが。次からは離れない様にしよう、と反省もそこそこに、とりあえず妹にも訊きたい事があった。
「まぁいい……それよりだ、お前……もう人間じゃないな?」
と言うのも、先程のミラースナップ……紛い者の反応があったのは一人ではなかった。美咲も含めた二人だったからだ。
美咲はばつが悪そうに、うん、と頷いた。
「…………お兄ちゃんもさ、人間じゃないの?」
「……だな。まぁさっきのを見れば分かるだろうけど……よし、細かい話は後にして行くぞ」
「行くってどこへ?」
「お前には一人で帰れと言いたいとこだが、さっきの様子を見るにそれは危険だしな……。自警団の仲間と合流するから着いてきてくれ」
「……自警団!?」
「どうした?」
(自警団ってまさか……じゃあ瑠衣ちゃんの言ってた"ナナシ"ってぇ……!?)
……突如として鬼気迫る表情の美咲にナナシは青ざめた。
いや表情のせいもあるが、一番の原因は今にも殴り掛かりそうな拳を見たからである。
「待てぇ! 兄に拳を向ける妹があるか……! しかも助けたのに」
必死の制止に、美咲はハッと意識を戻した。
そうだ、待て、落ち着けと彼女は己に言い聞かせる。
そもそも自警団が一つだと誰が決めたか。一つとは限らない、そう多分三つ四つ位ある。そして瑠衣ちゃんの言っていたナナシはきっと別の自警団の、好青年なイケメンに違いない。
間違っても"こんな奴"では……
一方、その"こんな奴"呼ばわりされたナナシは命の危機を感じ、遠巻きに様子を伺っていた。
すると美咲が割とすまなそうにして、「ごめん」と見る。
「いつもの癖で……えへへ」
いやえへへじゃねぇよ、とナナシは顔を歪ませた。……珍しくしおらしいなあとか、少しでも思った自分を呪いたい。
美咲は今も応急措置的なはにかみで凌ごうとしているが、誤魔化せてない、全然誤魔化しきれてない。それにいつもの癖とか、単にますます物騒なだけだ。
「兄を殴り殺す動作の癖がついてるってどういう事なの? 鬼かよお前……!」
「違うって! ちょっと手を握る癖があるだけだし! ……でもさ、お兄ちゃんが"普通"で良かったなって思うよ」
はにかみながら話題を逸らすと、「……どういうことだ?」と食い付くナナシ。
「エージェントの人でね、私に殴られて喜んでる人が居たの。正直恐かった……嫌がるお兄ちゃんはその点マシなんだなって」
「末期患者だな。……マシってなんだよ」
彼女の物言いに顔を曇らせるナナシだったが、ふと最近の訓練を思い出したナナシ。
それは師匠に、ヒロとの闘いで防戦一方だった旨を伝えた時の事……
◇
「ナナシ。あなたはドMになりなさい」
……それが師匠の御言葉だった。
その時は聞き間違いかな、と思った。
「……もう一度いいですか?」
むしろ聞き間違いであってくれ。そう思い聞き返すと、しかし師匠は変わらず言った。
「ドMになりなさい」
……と。
「えっ?」
「てことではい。目隠しと、手錠。つけなさい」
師匠の言葉の後、下僕が差し出した"それ"をまじまじと見た。言葉通りのシロモノが入っている。……師匠は本気のようだ。
赤い内張りのスーツケースに仰々しく入っているのから察するに、高級品かもしれない。
……それはどうでもいい。
「これっていわゆるSMプレイのあれですよね……」
それよりも気になった事を直球で聞いてみると、師匠は得意げに返してきた。
「言ったでしょう? あなたはMになる必要がある」
「どういう事なんだ……?!」
素でうろたえるナナシにつべこべ言わない、とぴしゃりと放つ師匠。
そんな無茶苦茶すぎる……という思いとは裏腹に、師匠は整然と説明し始めた。
「……よいこと? SとMは対を成しながら、お互いに深く関連しあうの。脱衣のやりとりというものを極める為には、そのどちらをもより深く理解し身に着ける必要がある」
「そしてナナシ、あなたにはMの理解が足りていない!」
と、言われたが、疑問だった。
それもかなりだ。
しかれど今は師匠の面前、場を弁え……たかったがやはり、つい言葉となって漏れてしまう。
「それってほんとに必要……?」
対する師匠は確固たる自信があるように、「必要よ」と放つ。
「相反する二つの要素を巧みに使いこなす事は、己の業を磨く上でとても重要な事。陰陽、快慢、鋼軟、そしてSM」
「あの、失礼ながらテキトーな事を言っているのでは」
「言ってないわ」
それでもまさに有無を言わさずといった勢いで、食い気味にそう言い放たれた━━
◇
その顛末をナナシは思い返していた。
つまり妹から殴られる事を嫌がる自分は、Mに成りきれてないという事。まだ修行が足りていない。
そういう意味では、妹の言う"殴られて喜ぶ"は素晴らしい戦闘素質の持ち主なのかもしれない。
……いや、
はたと考えるなり、「なるほど」と呟くナナシ。
それに疑問顔の美咲。
「なるほどって何が?」
「NIROエージェントが次々下僕に堕ちていた訳、何となく分かった気がするって事さ……」
それはかねてから疑問だった。
もしかしたらああいった訓練のせいで、エージェントは日々潜在的にその……特殊な嗜好を植えつけられていたのでは。
美咲の言う末期患者もその犠牲というわけだ。いや、むしろNIROは元々そういう人選だったのでは?
(まさか御堂さんも……!? いやっ駄目だ、それ以上いけない!)
首を捻る妹を傍らに、彼は狂気に満ちた答えへたどり着いていた。
……何故か鼻息を荒くしながら。
(もうおでん缶ってアキバに無いらしいですね。悲しい)