【妄想】AKIBA'S TRIP1.5 作:ナナシ@ストリップ
━━駅前
遠巻きに様子を見守る秋葉原市民と、その視線の先では人々が入り乱れ混戦といった様相。そんな中、まずナナシの目についたのは黒服の存在だった。
黒服姿━━それはまさしくかつてのNIROエージェントそのものの━━そんな連中。そして、奇しくもその相手はバンドマン。バンドマンと黒服が拳を交わし、秋葉原で戦っている……
「なんだこれ、何があったんだよ!?」
ノブにも、それは理解し難いようだった。ナナシは短く、分からん、とだけ答えた。
まるで時を遡ったかのようだ。かつてナナシがカゲヤシと初めて戦った場━━言うなれば、長い戦いの始まりの地とも言えるこの秋葉原駅前。ナナシとしてもここでまた戦う事になろうとは思ってもいなかった。
当然だがバンドマンの特徴的な姿はナナシも見慣れていて、その服装と人間を超越した動きから、彼等がカゲヤシの末端人員であろうことは容易に分かることだった。確かにカゲヤシだけが意図的に襲われている……ヤタベの言っていた通りだ。
彼等は人間と和解し、今では人を襲う事などない。妖主が和解の意思を示している以上、末端たる彼等もそれに必ず従う。つまり、先に手を出すとは考えにくいし、ヤタベもカゲヤシが"襲われている"と言っていた。とすれば、排除すべきは黒服の方ということだ。
そして一方の黒服達、にわかには信じられない事だがこちらも動きを見るに、明らかに"人"の動きではなかった。バンドマンを襲うその目的、集団が何なのかすらナナシには見当もつかない所だが……今は理解よりも事態の収拾が先だった。
「……ナナシ君!」
ゴンがもう見ていられないといった様子で声を上げた。
彼も秋葉原を守りたい気持ちは人一倍ある。しかし残念ながら、力はない。この場ではこうしてナナシに頼らざるを得ないのだ。
「おうよ!」
ナナシもその事は分かっていて、それを断るワケにはいかないし断る気もない。ナナシは自警団にとっての実行力、力なのだから。
「そこのお前ら、やめろ!」
はなから言って聞くとは思えなかったが、やはり制止に意味は無い。であれば、方法は一つだった。
「ええい、やめないなら……こうだ!」
ナナシは暴走集団の中心に飛び込み、彼等黒服の不意を突いた。
『何だ…!?』
『!? ふ、服が!』
次々と黒服の姿が半裸と変わる……同時に、日の元に晒されたその肌は塵となり体全体が焼けていった。
……やはりこの男達もカゲヤシ。カゲヤシがカゲヤシを脱がしていたのか? ━━ナナシはそう疑問を抱きつつも敵の排除を急ぐ。
「……ナナシさんだ!」
危機を救われた形のバンドマンは、ナナシに安堵の表情を向けた。さながら救世主だが、かつて戦っていた相手をこうして救うのはなんとも奇妙な光景だ。
「今の内に全員逃げておけ!」
「次……!」
ナナシが周囲を脱がし尽くして行く様……それはまるで一人、二人と流れるように、踊るように……もしくは、人と人とを最短で経由し走る稲妻のように。彼の脱衣は止まらない、止められない。
『ぐぁぁ!?』
『あ、熱い……!』
次々と霧散していく。そんな中、1人がナナシの背後をとっていた。
『この……!』
ナナシは焦らずに男の右ストレートを、自らの体を捻りかわしつつ、逆にその右袖を掴んだ━━
見事、カウンターストリップが鮮やかに決まる。
「これで全員……」
脱がしきった……と、そこへすかさずノブとゴンが駆け寄ってきた。
「いやー、いつ見ても爽快だな!」
「うん、あの集団を一瞬で。あんなに颯爽と動いてみたいよね……」
うんうんと二人で頷きあっている所に、ヤタベもやってきた。
「三人とも、ありがとう。なんとかおさまったみたいだ」
「いやぁ、ほとんどやったのはナナシ君で。僕らは……」
「まぁ悔しいが、認めざるを得ないな」
ゴンは申し訳なさげに、ノブは腕組みをしながら、それぞれ言う。そこでノブがふと、戦いの後となった駅前広場を見渡した。まだ周囲の住民が新しいパフォーマンスかとザワついてはいたが、徐々に落ち着きは取り戻されている……今となっては脱衣の後に残ったものが散乱しているのみだ。
「……しかし残ったのは衣服のみか。なんだったんだろうな?」
「さぁ……?」
ノブの問いにナナシも首を傾げたところで、ヤタベが言った。
「彼等かい? あのスーツ姿は、まるでNIROを思わせるね……嫌な予感だ」
その言葉にゴンが少し怯えた様な態度を見せる。
「NIROが無くなったとはいえ……なんだか嫌な予感には変わりないですよね」
皆一様にうーむ、と、空気が重くなる。尚も訝しんだ様子のノブは、そんな中で言った。
「ところでさ、服を脱がした時のあの音、なんなんだ?」
「え?」
急にそんな事を訊き始めたので、ナナシは驚く。しかも質問のそれが、どういう意味なのかすらもさっぱり分からなかったのだ。
「ほら、シャキーンって」
「……何が?」
「……なんだいそれ?」
ナナシは相変わらず困っているし、ヤタベに至っては、少し心配しているかのような様子さえ感じさせる態度だった……
(えっ……? 聞こえてるの俺だけなのか……?)
それから一同、あれこれと話していた中……そこへ拍手が聞こえ、皆は音のする方向を見やる。ぱちぱちと手を叩きながら、グレーカラーでピッチリなスーツを纏う女性が一人、悠々とした身のこなしで近づいてきていた。
「……素晴らしい」
「非常にすばらしい! 今の! 見させてもらったわ!」
「スタイリッシュ! それでいてエキサイティング! そして、そこはかとなくエロチシズムさえも感じさせる……」
「最高ねあなた!」
彼女は長く艶めいた髪を躍らせて、まるで訓練されたようなキレのある無駄な動きを見せつけつつ、熱い賞賛の内に自警団へ歩み寄ると。
最高ねと、非情に興奮した様子で━━赤紫のマニキュアに塗られた爪先はビシッとナナシを指したのだった。
……これは相手にしない方がいい。そう一同が無言の内に察しあっていた。
「疲れたー。ヤタベさん、マスターのカフェ行かないっすか?」
「おっ、ナナシ君、いいねー」
「俺は今日も積んでたエロゲ消化する仕事だな~」
「あの、ちょっと待ってくれる?」
依然指を差したままで止まっている女性を尻目に、ノブが近所のおばちゃんばりにあからさまなヒソヒソでゴンに言った。
(……知り合いか?)
(さ、さぁ……少なくとも僕は知らないけど)
そうこう言っている内に、ナナシが謎の女性に一人歩み寄る。すらっとした長身の美人で、近くで見るとナナシより背が高いし、そして胸がでかい━━つまるところモデル体型とも言えば話が早い。それになにやら、主張の強い甘い香も漂ってくる。どうやらこれも彼女のものらしい。
「誰?」
「あら。名乗ってなかったわね、これは失礼。戦いぶりについ興奮しちゃったのよぉ……、私は霞会志遠。志遠、でいいわよ」
「うふふ……」
さっきからあざといにも程があるくらい無駄に色気をアピールしてくるし、今も組んだ腕にわざとらしく胸を寄せて微笑んでいる。
やっぱりこの人おかしい、とナナシは思った。
「では急用があるのでこれで」
「ちょっちょっと、待ちなさい!」
志遠は慌てて、強引に立ち去ろうとするナナシの襟首をがしりと掴んだ……ナナシはあからさまに嫌そうな顔で振り向く。
「……なんすか」
「酷いわ! 話くらい聞いてくれてもいいじゃない!?」
「怪しいからだよ!」
「あのね」
そう言うのならと、志遠は慣れた手つきで胸内ポケットから名刺を取り出す。
「……ホラ」
指に挟んだそれをナナシに、ピッと差し出した。と同時にまた、焼いたマシュマロみたいに甘ったる~い香りが漂ってきた。こんなの、嗅いでるだけで血糖値が上がりそうだとナナシは辟易した。しまいには倒れてしまうかもしれない。
「なになに……」
受け取ったナナシは早速その名刺の匂いを嗅ぐ事から始めた━━やはり甘い匂い。この匂いは彼女のものと考えて間違いないだろうと彼は確信した。
「嗅ぐな。というか、何故名刺の匂いを嗅いだ……」
彼女が何か言っていたが、ナナシは気にせずに名刺の字面を読んだ。
「大師本製薬CEO……これは」
「詐欺会社?」
「……違う」
そこまで疑うかと彼女も眉を疲弊にひそませる。けれども、ヤタベは言った。
「大師本製薬と言ったら、近年急成長しているというあの会社じゃないかい……!?」
その言葉に自警団一同は驚き、その反応を見て彼女も満足気である。
「ご存知の方もいらっしゃるようで、安心したわ。私はそこのCEOを務めさせて頂いているのよ」
皆がへぇーと感嘆している時、ヤタベが言った。
「まぁ、とりあえずこちらも自己紹介しようか。名乗って頂いて返さないのも、失礼というものだ」
「あら、これはご親切に……」
四人はそれぞれ自分達について、ざっと自己紹介をした。
そして反応を見る限り、案外彼女はドン引きしている訳でもなく、非常に楽しそうに紹介を聞いていた。どうやら頭のお固い人という事でもないらしい。まぁ登場時の変人っぷりから察すれば、それは言わずもがななのかもしれない。
そんな前置きを済ませた後、ノブが単刀直入に本題へ切り込んだ。
「で。そのCEOさんが、俺らみたいに価値のない、ただのオタクに何の用なんだ? あ、ヤタベさんとかは別だけど」
「なんかそれ、ちょっと悲しくなる」
ゴンの一言に、何気ないつもりで言っていたノブもハッとした。
「すまん……」
しかしノブの言う事が特段、的を外れているということでもない。とりあえずスカウトでないことは確かかなと、ナナシも考える。しかしそんな自警団の反応に、志遠は声を荒げた。
「価値がないなんてとんでもない! ……あなた達、秋葉原自警団でしょ?」
「……噂には聞いていたわ、そして戦いぶりを見て確信した……この件を任せられるのはあなた達しかいないッ!」
再び志遠はびしりと指差した。「な、何の話だぁッ!?」とたまらずナナシも声を上げた。
「さっき暴れていた奴等。見たでしょ? あの人達、よく分からないんだけど、私達の会社に嫌がらせをしてくるのよ」
「嫌がらせ?」
「我が社の社員を脱がしたり……会社の変な噂を流したり。というか、どうやら連中は秋葉原で、無差別に人を襲っているようね」
「ひ、ひでぇ」
「……、まさか、その集団の排除を依頼したいと?」
黙ったまま聞いていたノブは、真面目な顔になって問うた。
「話が早いわね。助かるわ、そういうこと」
「自警団か。確かに自警団は秋葉原の治安維持が目的ではあるけど、とはいえ、警察に頼んだらまずいのか?」
「警察に頼んだら大事になっちゃうでしょ? それはあなた達も望まないはず。それにね……」
「私もちょっとそいつらのことが気になってるから、色々調べてみたいの」
「何故私達の悪い噂をたてるのか……もしかして他の企業も関係してる? なんてね」
「お願いできるかしら? 報酬は弾むわよー」
「報酬……! 仕方ない、やるか。ナナシ後は任せた」
そうして肩をポンと叩くが、彼は完全に金の目に変わっている。大企業と聞いて目が眩んだか……そもそもお前金持ちじゃないか。と言いはしないけれども、ナナシの文句は絶えない。
「さすが秋葉原自警団ね! それじゃあ」
「いや俺まだ何も言ってないです」
ノブのまりあ語りに負けない程の早口でナナシが制止した。
「というか、秋葉原自警団に頼まれてるんだから当然ノブも手伝うんだぞ」
「もちろん手伝うさ。戦闘以外は。俺戦えないし」
「ぐっ……それは実質俺だけじゃないのか」
ここぞという所に爆発的な行動力を発揮するナナシも、今回は気乗りしていない。そんな彼をヤタベは諭す……
「まぁ、困っている人を助けるのも、我々秋葉原自警団の仕事だ」
「どちらにせよ秋葉原で暴れている集団を放ってはおけない。ここで彼女の頼みを聞いても聞かなくても、結局はやるべきことだというのもある」
ヤタベさんは人が良い。というより自警団はそもそもがそういう者達の集まりではある。"放っておけない"という熱意と正義感の下結成された集団なのだから……しかし、ナナシは引っかかる。治安維持の為に自警団自ら活動開始を宣言するのならともかく……このような形はまるで、企業による雇用みたいでなんだか社会のしがらみを感じさせる。そこがナナシの意欲を削いでいた。
「そうそう。ならご褒美つきの方を選んだほうが得だって」
そういうノブは不純な動機でしかないが、まぁ言っていることももっともか……そうナナシは考えた。
「ぼ、僕はどっちでも……」
もじもじとするゴンを尻目に、ナナシはよし、と決意を固めるなり二つ返事で答えた。「分かりました、やります」と。
「そう言ってくれると信じてたわ! 頼りにしてるわよー」
それを聞いて、ただでさえ明るい女社長の顔はひときわ明るくなる。期待のウィンクを送る社長の隣に、ぱたぱたと駆け寄る者がいた。
くたびれた中年のサラリーマンと言ったところだろうか? はぁ、はぁ、と息を切らせ、少々よろけながらも、やっとこさ頭を上げると、額の汗拭く間もなく志遠に喋りかけた。
「社長! こんなところに……次の会議まで時間がありません!」
「あら。紹介するわ! こちら我が社の専務の坂口くん」
すがりつくような困り顔の男性をよそに、社長は尚もニコニコしていて……この坂口という人も苦労しているに違いない。
「紹介してる場合じゃあありませんから! ささ、早く! 社長をお連れしなさい!」
「みんなー、また来るわねー」
言いつつ両側からSPらしき人間に肩を担がれて、ズルズルとそのまま路駐したリムジンまで持って行かれていた……
そして彼女本人は、のんきに引きずられながらも手を振っているのだった。
「……な、なんかすごい人だったな」
と、呆然としているのはノブ。嵐が過ぎ去ったような感覚であろうか……実際すごい人だしね、と言うのはゴン。
「それじゃあ、これからは私達で定期的にパトロールしようか」
「そして、何かあったらナナシ君に対処してもらう。というのはどうかな?」
ヤタベの提案に、一同は同意する。
「異議なし。んじゃ一旦アジトに戻って、その後カフェ、行くか!」
ノブの一声で自警団は駅前を後にした……
━━ジャンク通り カフェ
「ここは相変わらず賑わっているねぇ」
ヤタベは盛況な店内を見渡すなり言った。
木製の床タイルに一歩足を踏み入れると、そこに広がるのは明るくゆったりとした店内。店外でも存在感を放つガラス張りの大きな窓からは日の光が良く差し込んで、白く清潔感ある部屋の内装、随所に置かれた観葉植物やシーリングファンが演出するお洒落で温もりのある雰囲気は、来店した者の心を癒してくれる。ニスの輝きが映える濃い木目のテーブル席とカウンター席には多くの秋葉原住民が掛けている。
あの秋葉原の戦い以来、このカフェも有名になった。連日人で賑わっており、マスターのコーヒーを気に入って来る人や、ウェイトレス目当てに来る人も……
当時のひっそりとした空気のカフェも良いものだったし、ヤタベさんもそれを気に入っていた部分もあったろうが、とはいえ、こうして盛況であるのもまた嬉しいものであるだろう。
「いらっしゃい。おっ、ヤタベさんじゃないか。皆も一緒かい」
カウンターで作業をしていたマスターが振り返り、コーヒーカップ片手に手を挙げて一同を歓迎した。
「今日はこの後将棋……やるかい?」
「ええもちろん。負けませんよ」
ヤタベの問いにマスターはナイスガイな笑顔で答えていた。
仲の良い、こうした人の繋がりはナナシ自身をもどこか幸せな気分にさせてくれる……
やっぱり秋葉原っていいなとナナシは再確認する。誰でも受け入れ馴染み易い、そんな所が気に入っているのだ。一同はカウンターではなく、窓際のテーブル席にそれぞれ腰掛けた。
「さてさて、ノートPCも持ってきたしエロゲを……」
「こ、ここでやるんだ」
ノブは今朝早速購入してきたエロゲに胸躍らせる。ゴンの困惑する視線などどこ吹く風だ……
ナナシもリラックスした様子でオムライスを三つ、マスターに注文する。コーヒーもお願いするよ、とヤタベが付け足した。
「了解」
マスターは気さくに答えて、再び背を向けて準備に取り掛かった━━
━━コーヒー、お待たせしました!
此方へ来たウェイトレス姿の瑠衣が、生き生きとした笑顔で銀色のトレーからコーヒーをテーブルへと運ぶ。その姿、まさに天使。それは営業スマイルではない。心からの元気な笑み、純度100%、不純物なし。
コップ一杯につき天使様を一回拝めるんだからこのカフェに来た連中は果てしなくラッキーだな、いや、元よりそれが目的で入っているのかもしれないがと、つくづくナナシは思うのだった。
自警団の面々も、おっす、お邪魔してるよ、と口々に瑠衣へ笑顔を返す。
「皆来ていたんだね。言ってくれればいいのに……あっ。ごめん、また後でね!」
今来たところさ、なんて言う間もなく。瑠衣は笑顔で手を振り、忙しそうにカウンターに戻っていった。
「あの笑顔は……俺には眩しすぎる……」
そんなことを呟いたナナシに「全くだ」と、誰かが耳元でふと、喋りかけた。ここのテーブルに座る他の誰でもない、青年の声で……
「ほんとにな。っつぅおぁ!?」
一瞬肯定しかけたナナシが、イス共々ドガァッ! と跳ねた。突然の物音に皆目を丸くするばかりだが、もっともヤタベだけは冷静にコーヒーブレイクを楽しんでいた。
「な!? なんだよ。びっくりさせるなって、……お? ……ヒロじゃないか!」
ノブがノートPCの画面越しに文句を言ったら、ほどなくしてナナシが驚いた原因を理解したようだった。ナナシの隣に、いつの間にかヒロが居たからである。
ヒロと言えば、秋葉原自警団、そしてナナシ自身がカゲヤシとNIROの争いに深く入り込んだきっかけにして、ナナシの親友。ヒロ自身の都市伝説好きが高じ、結果として安倍野優の手により路地裏で血を吸われ、引き篭もり化してしまった不幸者である。
音信不通のヒロを救う為、一人駆け出したナナシは優によって半殺しの目に合い、瑠衣に救われ、最終的には瑠衣を救う。……なんていう、一連の事柄の始まりはある意味ヒロが居なければ、別の形になっていたか━━さもなくば━━始まってすらいなかったのかもしれない。とはいえ、ヒロにとっては災難でしかないのだが……
画面に釘付けのノブはともかくとして、他の二人はヒロに気付いていたものの、気弱なゴンは特になんとも言い出す事もなく。ヤタベはただマイペースにコーヒーを飲んでいたらしい。というか、彼に関してはナナシが驚く様をちょっと期待していたかもしれない。
「久しぶり」
ヒロは言葉数も少なく、ぶっきらぼうに言った。
相変わらず雑な振る舞いと、だるそうな眼差し。かといって、変に情熱的な部分とか、無謀な所もあったりして、良く分からない……路地裏で血を吸われた時もそうだった。
「お、お前……よくここが分かったな」
ナナシは周囲の目を気にしつつも、恥ずかしげにイスへ掛け直す。
「偶然お前達を見かけたから」
「本当に久しぶりだねぇ。体の方は、大丈夫なのかい?」
ヤタベの言う通り、皆、ヒロを心配していた。当のヒロは、
「ばっちり。……かな。まさか女子の写真を撮ったがために襲われるとは、不覚だったぜ」
どこ見てるんだか分からないくらいにぼうっとしながら、のんきにそんな事を言っている。
「まぁ、普通そうなるなんて思わないわな」
ノブはノートPCを閉じて、言った。それにゴンが付け加える。
「というか……、普通は撮らないかもね」
「欲望に忠実すぎる奴……」
ナナシの蔑む目に、悪びれずに持論を持ち出す。
「秋葉原の住人なんて皆そんなもんだ」
「しかし、引きこもってる間に事件が起こるとは……俺としたことが、祭りに参加できないなんて!」
彼の握り拳が机を軽く打った……悔しさを露にする。彼は元々そういう騒ぎみたいなものが好きな人間だったし、経験していない人間にとっては面白そうかもしれないが、それは経験が無いから羨ましく感じるだけ……
確かに新たな出会いもあったし、ナナシに関しては瑠衣とも会えた。悪いことだけではなかったものの、もう一度やれと言われたら結構キツいものがあるかもしれない。
ヤタベもふと当時を思い出したか、苦い顔をしていた。
「とはいえ、そうは言ってもなかなか大変だったよ。色々と、ね」
「うん。祭りと言えば聞こえはいいけど、色々あったからなあ」
ゴンが遠い目をすると、皆一様にうん、うん、と。当時の感傷にしばし浸りだす━━
「━━でも俺は非日常を味わいたかったんだよぉ!」
そんな様子を羨ましいと見てか、机に突っ伏した彼は泣くかという勢いすら感じさせる。そんなところをノブはなだめた。
「気にするなってヒロ。俺なんてその場にいながらフラグを立て損ねたんだぞ」
「……ノブ君、気にしてたの?」
「え? そ、そんなわけないじゃないか。うん」
ゴンの一言にぎくりとしつつも、ノブは爽やかな笑顔で誤魔化した。軽いなだめのつもりが思わぬ地雷だったようだ。
「ヒロ、欲に負けて写真なんか撮るから……」
ヒロの言う"祭り"に参加できなかったのは自分のせいだぞと、ナナシは暗に言いげだった。
「何言ってるんだよ。お前だって欲くらいある、そうだろ?」
「だとしても道行く他人の写真を撮ったりしないから!」
「いやそうだな、俺も撮らない。撮らないが……何故か彼女だけは無性に撮りたくなったというか……、記憶に焼き付けたかったというか」
「それだけかわいいってことだな……」
もちろんその"彼女"というのは文月瑠衣のことであって、それを知っているナナシは鼻が高い。今となってはかなり親密な仲であり、それをヒロは知らない。知らないからこそ、その不可解な反応に眉をひそめるばかりだ。いや、彼女がナナシと仲がいいだなんて分かれば、眉をひそめるどころの話ではないのかもしれない。
「オムライス、お待たせしました!」
しかし噂をすればやって来るもの。オムライスを運んできたのは文月瑠衣、その本人。ヒロは突然の出来事に石化する。因果な二人はついに出会ってしまったのだ━━
「あれ、君は……。あの時の!」
あまりの興奮にがばっと食い入るものの、彼女はきょとんとした顔をするばかり。
「やっぱりだ。間違いなくかわいい」
「えっ!? えっと……」
突然の事に瑠衣も身を固まらせる。……だがヒロはそんな彼女の、不思議そうにぱちりと開いた目を至極真面目な様子でじっ、とその瞳の奥底までを見つめている。たまらず目を泳がせてその視線を受け流す。……あたふたとした彼女の白く透き通る頬はすっと赤みを差している。かなり動揺しているらしい。
そんな様子を見かねてナナシは言った。
「瑠衣。こいついつもこんな事言ってるから。気にしないでいいよ」
「……そうなの?」
一転、じと……っとした不審げな眼差しに変わる。
「勝手な事言うな。俺は本気だし、他の奴だって同じハズだ。こんな美人は見たことないって思ってる」
「もう……、褒めてくれるのは嬉しいけど。あの、なんというか。どんな顔をすれば良いのか困るかも」
気恥ずかしいのか縮こまって、耳もほんのりと色づいているのが分かった。
「はは。瑠衣ちゃんを困らすものではないよ。しかしなんというか、いいね……若いって」
ヤタベは微笑ましそうに笑いつつも、しんみりと息を吐く。
「ったく、オムライス食えないじゃないか。ヒロも、瑠衣はバイト中なんだからその辺にしときなって」
イスに深くもたれかかって、はいはい、とつまらなそうに2つ返事をするヒロなんか気にせずに、ナナシはすました顔でオムライスを口に運ぶ。自然と、うまい、と意図せずして言葉が零れ落ちた。そんな彼を見てかヒロもまた、彼女に"1"のハンドサインを示して言う。
「あ、俺もオムライス一つ」
「ぁうん、……じゃなくて。かしこまりましたー」
瑠衣は気恥ずかしさから逃げるように、そそくさと小走りで去っていった……
「お、やっぱうまいな。サラさんが作り方を教えただけあって」
オムライスを一口食べてノブは言う。
「どさくさまぎれに、そのままメイドカフェにしようとしたみたいだけど……」
しかし、その何気ないゴンの一言に皆の動きが一瞬、凍った。ヒロだけは相変わらず気だるい目で片肘をつきながら、暇そうに自分のオムライスを待っている。
ナナシはサラのそんなしたたかさに少々身を冷やしながらも、気を紛らわすように黙々とオムライスをスプーンですくっては飲み込む。
「で、なんであの
ヒロはぐいと顔を寄せて追求する。不満らしい……懐疑の意思を隠そうともしていないどころか、むしろあからさまにひけらかしているとさえ思える。
「うん? ……まぁ、話せば長くなるけど」
「━━というわけさ」
ナナシは行方不明のヒロを助けに行った時から最後の戦いまで、事のあらましを全て説明した。ゴンとヤタベは2人で談笑しているようだ。ノブはというと、ノートPCと延々お見合い状態。
「ふっ。羨ましいか? そうだろうなぁ……」
自慢げな顔をするものの、存外ヒロからの反応が来ない。先程のあの悔しがり方を見る限り、絶対に怒り狂うと楽しみにしていただけに、彼は拍子抜けした。
「……おい?」
「あ、あぁ」
「どうしたー? ショックすぎて声も出なかったか」
ふん、と自慢げに鼻を鳴らす。
「うるせぇ。くっそぅ、謎の特務機関との胸アツな対決、人外の力、その上あんなかわいい子とデートするなどと……!」
「そんな中俺は引きこもりだったのかよ! 俺にだって主人公になれるチャンスはあったはずなんだ……!」
「主人公て。んな大げさな」
「お待たせしましたー」
オムライスを運んできた瑠衣に、ヒロは片手を挙げて応えた。
「お……ありがと、瑠衣ちゃん」
「いえいえ」
「瑠衣、今日は何時まで働くの?」
それとないナナシの尋ねに彼女はしばしきょとんしてから、言った。
「うーんと、特に決まっていないよ。なんとなくお手伝いしているだけ……かな」
「じゃあさ、お客さんもだいぶ落ち着いてきたし……ちょっと外に行かない?」
「うん! いいよ」
「……なんだと!? 俺も━━」
ヒロがガタリと立ち上がる。しかしナナシとしてもそうなるのは分かっていた、だからこそこのタイミングで瑠衣を誘ったのだ。してやったり、にやりと笑って言った。
「おっと……頼んだオムライスはちゃんと食べてからにするんだなぁ」
「グッ、謀ったか!」
「いや自分で頼んだんだよね」
「さ、こんな奴無視して行こ行こ」
「う、うん。着替えてくるね」
瑠衣はヒロの方を少し気にかけつつも、店の裏へ向かった……ナナシも席を立ち、それじゃあと店を後にする。皆は行ってらっしゃいと見送るものの、当のヒロは悔しさを滲ませていた……
「見せつけやがって……」
煮え切らない様子にゴンはまぁ、まぁ、と声をかけて━━仲が良くていいじゃないかとヤタベも笑うのだった。
元ネタ
AKIBA'S TRIP
ナナシの友人(ヒロ)
原作ストーリーの導入部分にて、優によって既に吸血された状態で発見され、その後引き篭もり状態となってしまったナナシの友人。この小説ではヒロという名で進めていきます。
AKIBA'S TRIP2
霞会志遠
若いながら、大師本製薬CEOというポストにつく才女。原作とは多少性格が変わっています。
坂口
大師本製薬の専務。