【妄想】AKIBA'S TRIP1.5   作:ナナシ@ストリップ

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17.今までと、そしてこれから

夜空を眺めると自然とほっとした。

襲われてもリスクが少ないというのもあるし、何より肌がジリジリとしないのが快適だった。慣れ親しむアキバの街並みを歩きながら、すっかり吸血鬼が板についてしまったとナナシは思う。

もう過去の自分――己が人間で、"カゲヤシ"という存在などまだ知りもしなかった頃が――遠い過去に思えた。今となっては懐かしいとさえ感じる程に……

 

今更こんな事を考えさせられるのは、あの頃使って以来だった第二秘密基地に再び戻ったからだろうか。

 

("俺達の街"……か)

 

今となってはあの場所もがらんどうだが、かつては広い空間が人々で埋め尽くされ、団結し、一丸となった。あの時だけは窮屈で暑苦しささえ覚えた場所だ。

再び戻ってきたとはいえ、あの独特のお祭り騒ぎとでも言うか……良くも悪くもそんな感覚に襲われた当時と現在では、また毛色が変わった。

 

過去の思い出に目を細めていたところ、不思議そうに自分を見る瑠衣にはっとした。

ナナシは個人的な用事を済ませる為に秋葉原駅前へ向かっているのだが、それに瑠衣もこっそり同行している。折角の二人きりなのだが、ところ状況構わず不意にぼやっとしてしまうのがナナシの悪い癖だった。

 

「あ……すまん。ちょっと昔の事を」

 

「……昔?」

 

「まだカゲヤシと人間が争っていた頃の事。色々懐かしくて」

 

「……あの頃かぁ、キミには色々と助けられちゃったね。今こうして懐かしいって思えるのも、ナナシが助けてくれたお陰だし。……うん。本当に、色々と感謝してる」

 

「いや単に俺が……俺達が放っておけなかっただけさ。だから大した事をしたつもりもない。俺は瑠衣の境遇を話でしか知り得なかったけど、それでも辛い思いをしてきたのは分かった。だから助けたいと思った、ってそれだけの話だ」

 

「ううん、感謝してもし足りない位だよ。それに私は最初、エージェントになって狩りに来たんじゃないかって勘違いしてたから、キミには嫌な思いもさせたと思う。それにあの頃は周りに隙を見せてはダメだって思ってて、少しピリピリもしてたし。それでも嫌な顔一つせず助けてくれたんだから」

 

「……そうだったのか? 確かにそう言われればそんな気もするけど」

 

「うん。……ってアレ、気付いてなかったの? むしろ私は意識的にそうしていた。自分の立場がそうさせたんだと思う……。兄弟の仲は悪いし、末端は私に付き従う。それから常にNIROには狙われている。毎日がそうで、いつも気を緩められなかった」

 

「――でもさ、キミと会う時は違ったんだけどね。不思議と緊張が解けたっていうか……気がついたら自然体で話せてたというか……こう、こういうのってなんて言うんだろ?」

 

「……波長が合うとか?」

 

「かな? そう、だからキミは私の中で特別な――」

 

と、思わぬ言葉にナナシは驚愕した。

特別、特別? 特別……!?

脳内で単語が渦巻いていた所で、瑠衣が頬を赤くしながら慌てて訂正した。

 

「――あっ! ううん、えぇっと、とく、特殊な……人なんだと思う」

 

(特殊!? 大分意味が変わってるんだけど……)

 

という事で今度は"特殊"が頭を駆け巡るのだが、どう好意的に解釈しようとしても疑問しか浮かばない。

 

「そ、そうか。それは嬉しい…………のか?」

 

自分の台詞に我ながら首を捻っていると、傍らの瑠衣は不意に立ち止まっていた。

彼女の視線の先にあったものは、前にUD+で目にしたあのクリスマスツリーだ。以前と違い電飾も光り輝いている。

眩いライトアップがとても華やかで……だが瑠衣はその光景に感動するというより、どこか切なげに見えた。

 

「……ねぇ、ナナシ。……そういえばあのツリー、今日までだね」

 

「……悪い。クリスマスなのに」

 

ナナシは彼女の様子のそれが酷く胸に来て、申し訳なさそうに頭を垂れて言うのだが、瑠衣は「ううん」と首を横に振るった。

 

「ナナシのせいじゃないよ。それに私こそ、色々謝りたいって思うし……」

 

「謝りたい事?」

 

「うん。なんていうかその、最近……ナナシに色々と迷惑掛けちゃってると思う。私がどうしたいのか、どうすれば良いのか……自分にも分からない様な、その迷いのせいで」

 

「何言ってんだよ。そんな事ないし、悩みなら幾らでも聞くし。とにかく今まで通りの瑠衣で良いと思うが」

 

「……ナナシは……ナナシはそれで良いの?」

 

「え?」

 

真剣な眼差しに思わず呆気に取られたナナシは、「あ、あぁ」と気の抜けた返事で応じた。

すると彼女は一転ほっとして、

 

「そっか……うん。そうだよね」

 

と、彼女なりにどうやら納得がいった様だった。

厄介な事が重なっていたし気疲れしていたのかもしれない。ならこうして出歩く事が少しでもリフレッシュになっていれば良いのだが、とナナシは思いつつ……

とはいえ情勢が情勢だ。正直、瑠衣を出歩かせるのが結構なリスクと分かってはいる。既に陽は落ちている事、エージェント同士の衝突から互いに一旦手を引いた事を考慮に入れても、秋葉原の各要所には最低限の人員も配置されているだろう。

それでもナナシが居れば大丈夫だろうと二人をそっと行かせた、ノブの気配りには感謝しなければならない。

今頃サラさんの質問攻めにあっているかもしれないと思うと中々気の毒だし、かくいうナナシ自身、帰ったら何を言われるんだかと思うと気が気ではなかったが。

 

 

 

 

秋葉原駅前に到着した二人は周囲を念入りに警戒しながら、お目当ての洋服屋に立ち入った。とはいえ、傍からは洋服屋だという認識どころか、ここが店舗とすらも気付かない様な建物だ。

裏口から入り先頭を行くナナシこそ慣れているが、瑠衣が想像していた一般的な服屋のそれとはかけ離れていて、彼女は物珍しそうに店内を眺めていた。

というのもまだこの店は開店準備中。今は在庫を整理している途中でシャッターも閉まっているのだが、ナナシだけは特別で、事前の連絡一つで入る事が出来た。

 

「お店っていうより倉庫みたい……ここって洋服屋さんだったんだね。閉まっているから分からなかったけど」

 

「色々と事情があるようで、今の所はネット販売しかやってないらしい」

 

二人が服の積まれた商品棚の迷路を潜り抜けていると、今度はその棚に入りきらなかったのであろう雑多に山盛りされた洋服が迎える。

 

「ったく、もう少し整理しとけよな」

 

掻き分ける様に奥へ進む最中、押し退けられた衣類の中で瑠衣の目につくものがあった。

 

「え、これって……姉さんの……?」

 

手に取ったものは、自身の姉がアイドル活動中に着ている衣装そのもの。

……しかしおかしい。

姉が着ているあの衣装は正真証明一点モノ。ファン向けに販売などしていないし、着ている者など姉の他に見たこともない。と、そこで先を行っていたナナシが、迷路の曲がり角から顔を覗かせた。

 

「ん、そうそう」

 

拍子抜けするほど軽い一言だった。

自身とはギャップのありすぎる反応に、瑠衣はますます首を捻る。

 

「やっぱり? これって姉さんが見たら……この服がどうしてここに……?」

 

瑠衣はダブプリが着ているものと同じアイドル服、その上着を一枚手に取ってまじまじと見ていた。

その表情は複雑だ。

 

「まぁ本人には言えないな」と、隣に立ったナナシが苦い口調で話し始めた。

 

「……ここの店長に、洋服屋の再建を手伝って欲しいって頼まれた事があった。その時から俺が洋服を持ち寄る様になってさ。当時は脱がした服の処分にも困ってたし、助けになるならと思って。だからここにある洋服の殆ど、自分が脱がしてきたものなんだが――」

 

それは良かれと思ってやった事なのだが、ある時ナナシは気付いてしまう。

持ち寄った服が増殖していたのだ。

日常で着る服なら気付かなかったかもしれない。しかし彼は多種多様な服を脱がしてきて、その中には世に中々出回らず入手困難なものもあった。ITウィッチまりあのコスプレ衣装なんかがそうだったし、まぁ、それは百歩譲って店主が仕入れたと無理矢理解釈もできたが、決定的な出来事があった。

 

それが今瑠衣が手にしているダブプリの服だった。これが何セットにも増えていた。ナナシの知る限り世には流通していないので、どう考えても店主が複製しているとしか思えないのだ。

その瞬間のナナシの戦慄たるや……、というわけである。

 

「姉さんの服がここにあるって……いいのかな」

 

「……それは」

 

ナナシは口詰まってしまう。

 

「そうだ! こんな事している場合じゃない! 先行くぞ!」

 

と、強引に話題を切って、瑠衣の手を引っ張った矢先だった。

 

「あ、どうも」

 

真横にあった一際大き衣類の山からもぐらの様に出てきたのが、何を隠そうここの店主であった。

ナナシは断末魔的な叫びを上げながら仰け反って、そのまま反対側の山に背中から突っ込んだ。

 

「ナナシ……大丈夫?」

 

瑠衣は特に驚いていないようで、それよりも服に埋まるナナシの心配をしていた。

 

「いやーすまん……」

 

ナナシは照れたようにへらへら笑いつつ、ちらと店主の方を見た。ナナシは身体に被さった服も構わずその両肩へ掴みかかった。

 

「驚かすなよ!」

 

「心外ですね。驚かせたつもりはありません」

 

ナナシは逃れるように「それよりだ」と話題を変えた。

 

「頼みたい事があって来た」

 

「頼みたいこと?」店主が首を傾げる。

 

ナナシの用件を掻い摘んで言えば"今着ているこの服をもっと強靭にしたい"というもの。それを説明すると店主はなるほど、と唸る。

 

「自分に生み出せない服は無いという自負はありますよ。ただ、その服は……」

 

「既にケブラー繊維で強化しまくってある。けど念の為それ以上が欲しい」

 

「さすがにそれ以上となると。それこそゴツゴツの防護服でも仕立てれば実現できるのでしょうが、そういう話でもないんでしょう?」

 

「だな、あまり動き辛そうなのは勘弁して欲しい。それにできれば目立ちたくないしこの私服のままで……無理か」

 

店主はいいえ、とナナシを制止した。

 

「考えてはみます。恩がありますから。追ってご連絡しますよ」

 

「マジか! ありがとう、頼む!」

 

「良かったねナナシ」

 

「おう! 後は~……いや、なんでもない」

 

「どうしたの?」

 

「ああすまん、本当になんでもない……」

 

(ついでに瑠衣に色々着せてみたいとか思ったが、そんな余裕は無いか流石に……)

 

 

 

 

服屋を後にした二人が次に向かったのは、裏通りにひっそり構える5階建ての古い建物だった。

両隣の大きな店舗に今にも押し潰されそうな印象を受けるそこは、様々な模造刀を扱っているという噂の武器屋。なんでもあるを体言した街アキバで、名所の一つにも数えられる有名な店である。

 

狭い急階段を上りきって店の入り口を潜った矢先、武器屋の名に違わず数多くの刀剣が並んで出迎えた。  

外から見た建物の印象に違わない限られたスペースだが、棚と壁に飾られた武器のおかげで益々窮屈だった。

壮観に圧倒された瑠衣は目を丸くする。 

 

「ここが武器屋?」

 

「そう。これは全部切れない刃だから、安全で誰でも入れるお店だよ」

 

「そうなんだ……私、この街についてもまだまだ知らない事だらけだね」

 

ここには"ひのきのぼう"なんていうどこかで聞いたような代物もあるし、ぐにゃぐにゃと蛇の様に波打った刀身の剣(ナナシの目にはわかめにしか見えない)だとか、これは本当に安全なのか? と問いたくなるトゲ付きのエグい鉄球なんかもある。(こっちはモーニングスターと札に書かれているが、新手のアイドルグループにしか思えない)

といった具合にナナシの感想はともかく、そのレパートリーは広かった。

 

「でもさナナシ、これって誰がどういう理由で買っていくんだろう?」

 

屈みながら眺める瑠衣が訪ねると、ナナシは吠えた。

 

「いいや瑠衣、これは理由とかじゃないんだ。理屈じゃない!」

 

「理屈じゃない!?」

 

「男子っていうのはどこかで闘争を求めているものだ」

 

「闘争……兄さんみたいな?」

 

「う~ん……彼はまぁ……彼として」

 

「どういう事?」

 

「とにかく! 人によって形違えど、ヒーローだったりメカだったり……闘う何かに憧れるものさ。女子がおままごとやっている中、木の枝やなんかで闘う様な生き物なんだ。だから意味もなくお土産で木刀を買ったりもする! つまりは生まれながらに武闘派なんだ」

 

良く分からないと言いたげに数秒首を傾げてから、瑠衣は言った。

 

「でもナナシは穏健派だった」

 

「それはそれだ」

 

「やっぱり良く分からないなぁ」と瑠衣は呟いたきり商品を眺めていたのだが、しばらくして突拍子もなくクスクスと笑い始めた。

 

「なぜ笑うんだ!?」と問い詰めると「キミだって笑ってる」と返されて、そこで初めてナナシはニヤついている己を認識した。自分の事ではあるがキメェ、と思った。

 

「……なんだか、こんな時間がずっと続けば良いのにって思っちゃった」

 

「ぁ、ああそうだな……」

 

はにかむ瑠衣を見て何故か自分まで照れ臭くなってきたナナシは、意味も無くスマートフォンを取り出した。

 

「あ、メールだ」

 

メールの主であるノブからは"上手く行ってんのか?"という文面。

 

(あいつめ……)

 

恥ずかしさの追い討ちを掛けられた様な気分で、ナナシは思わず唇を噛んだ。

 

「メール? もしかして心配されてる?」

 

「まぁそんな感じ……もう早く行った方が良いわこれ!」

 

 

 

 

 

 

本来の目的を果たすべく二人はカウンターへ向かった。

何故なら気恥ずかしさで居ても立ってもいられなくなった。……それもあるが、今は戦いを間近に控えているのも事実。あまり道草を食うのもマズイだろう。

 

聞く所によれば、顔見知りの常連客はオーダーメイドで商品を打ってもらうだとか、はたまた持ち寄った真剣を鍛えてもらうだとか――そんな裏のサービスがある、なんて専らの噂だった。なんでも元々は腕に覚えのある刀工が趣味で店を開いたのだという。

その裏サービスが本来の目的だ。

 

……とはいえ、単なる都市伝説の可能性もある。

真偽を確かめるべく奥へ向かったナナシだが、それを待ち構える様に一人の老人がカウンターで腕を組んでいた。バンダナにサングラス姿のちょっと威圧的な風貌で、いかにも気難しそうである。

 

「まさか出待ちされているとは……暇なのか?」

 

「違う!! お前らがうるさいから裏から出て来たんだ!」

 

老いを感じさせぬ声量にじいさんも大概だぞと思うナナシだが、冷やかし扱いされる前に剣の強化を依頼しに来た旨を伝えた。

噂は本当らしく、拒まれることは無かった。ふくれ面を変えず「見せてみろ」と言う老店主に、早速"えくすかりばー"を手渡す。

老人はサングラスを額へ上げ、目を丸くして、目の前のカウンターへ置かれた剣をまじまじと眺めた。伝説の聖剣、と聞いているナナシは鼻を高くして待っている。

 

「まっ、じいさんは鑑定人じゃないから分からんだろうが……」

 

「ナナシ。失礼だよ」

 

「ごめんなさい」

 

老人は二人のやりとりなど意に介さず。老人はしばらく光を放つ刃を凝視していたものの、確信を得たように、静かに言葉を漏らした。

 

「こいつはまだ若かった頃に自ら打った剣だ。かなりガタは来ているが間違い無い! 小僧これをどこで……?」

 

「え? え~っと、友人から譲ってもらったというか……うん。しかし伝説の剣と思ってたら、じいさんがつくった趣味の品とは……なるほどそれなら切れないのも、複数あるのも納得だ」

 

露骨にがっかりしていると、人聞きの悪い事を言うな、と老人は憤慨した。

 

「私は常々、現代の技術で至高の剣を造りたいと思っとった。そこで完成したのが、マルエージングの芯にβチタンを張り━━」

 

「あ~良く分からんけど……普通じゃないという事は分かった」

 

「とにかくだ。こいつは疑いようも無く最高の剛剣。エクスカリバー……ハッタリだが、最高の剣に頂く名として悪くないだろうよ。だからこそ商品として創ったモノではない。一振り限りの渾身の作品だった……」

 

「一振り? いやそんなハズは……。まぁいいや、何にせよなら話は早いな。じいさん、こいつを打ち直してくれないか? もっとリーチが欲しいんだけど、倍ぐらいは。大急ぎで頼む。明日とか……」

 

ナナシの要求に「馴れ馴れしい奴め」と老人は首を左右に振るった後、

 

「それもだ、打ち直せだと?」

 

……老人がサングラス越しにも、ぎろりと睨みつけているのが分かった。しわくちゃな顔に一層しわを寄せ、忌々しそうな表情で「無理だな」と一蹴してしまう。

そこをなんとか、と食い下がるナナシと共に、瑠衣もぺこりと頭を下げた。

 

「おじいさん、私からもお願いします」

 

老人はしばし考え込んで、おもむろに電卓を手に取った。

 

「ふむ……娘にまでそう言われちゃ弱いがな」

 

(こ、このじいさん瑠衣なら良いってのか……!? このスケベジジイがぁ!)

 

「ならば大急ぎ特別料金コース……これでやってやろう!」

 

さながら紋所の様に掲げられた電卓を、ナナシはまじまじと見た。

 

━━\1,000,000━━

 

「え~っと、ジンバブエドルかな?」

 

「な訳あるか! 日本円で持って来い馬鹿!」

 

じいさんはカウンターに身を乗り出して叫ぶが、ナナシも負けじと乗り込んだ。

 

「高ぇよ!? 払えるか!」

 

……無駄に金を持っていた頃のナナシでもこれは払えるかというと厳しい。しかも今に至っては、分相応な持ち合わせしかないというのに。

経費を入れたって、いくらなんでも法外な値段に思えた。

ただでさえ有り金の殆どを寄付したナナシには、とてもじゃないが無理な額。だが、だからといって易々と引き下がる訳にもいかない……

暫くカウンター越しに睨み合う二人だったが、先に老人が下がりナナシも引っ込んだ。

ナナシは身の置き所にしばし困るが、財布からあるだけの資金を提示した。

 

「今はこれで全財産」

 

と言ってカウンターに置いたのは諭吉五枚。5万円である。けれども、勿論店主は首を縦に振らない。

 

「たったそれでは足りんな」

 

「たった? あんたの目は節穴か?」

 

「何……?」

 

「こいつは単なる5万円じゃない! グラボを買うためだった涙の滲む諭吉さんだぞ!?」

 

今日はクリスマスセールなのに! と言いたかったが、知るか! で一蹴されてしまった。

 

「提示した金持って来い!」

 

「ぐらぼって?」

 

「瑠衣、グラボというのはだな」

 

「説明せんでいい!」

 

(一々うるさいじいさんだな……)

 

「いいか、冷やかしなら結構。帰ってくれるか。店の邪魔だ」

 

「冷やかしじゃないっ!」

 

「冷やかしだろうが!」

 

またヒートアップしかけるじいさんだったが、こほん、と一息ついて仕切り直した。

 

「……いいか小僧。こいつはいわば私の一生を掛けた腕の値打ち。それを払う価値なしとするその態度、仕事人に対する侮辱と知っての事か?」

 

「それは……! そんな事思っちゃいない。ただ、今は持ち合わせが無いだけなんだ」

 

「なら出直して来い」

 

「……時間が無いんだよ!」

 

切迫した顔をカウンターの向こうへのめり込ませて、その両腕がカウンターをばん、と叩いた。

 

「さっきも言った通り、急ぎで必要なんだ」

 

必死の訴えにも老人は応じず睨みを利かせるだけだったが、ナナシは引き下がらない。

 

 

「頼むじいさん。アルバイトでもなんでもして、料金は必ずここに持ってくる。必ず! けど今は……頼む! いやごめんなさいお願いします! この通りッ!」

 

言って、最後の駄目押しとばかりに頭を下げた。

 

終始顎を摩っていた老人の顔色が、心なしか変わったような気がした。

次の瞬間サングラスをカウンターに置いた老人はううむ、と気難しそうに目を瞑って唸り、やがて瞳を見開いて問い掛けてきた。

 

「……若者よ、そうまでして何を?」

 

「秋葉原で良くない事が起きてる。俺達で止めなきゃならない。俺の友人も……その良くない事に加担してる」

 

「おじいさん。私達は、ただ取り戻したいだけなんです」

 

老人はしばらく無言になり、ただ静かにこちらを見つめていた。

まるで瞳を覗き込まれているようだったが、ナナシは負けじと、老人の瞳を祈るように注視し続けた。

根負けした老人はやがて口を開き、

 

「しかしなぁ、君達は一体……」

 

「俺達は自警団の……えぇっと、ヤタベさんとかって分かります?」

 

「……おぉ! ヤタベさんか。おぉ、なんだ、そうかそうか。話をたまに聞くよ。少し前も騒ぎの収束に大変だったそうだな。ようやるもんだと思ったよ」

 

「知り合いだったんスね……やっぱヤタベさんってすごい人なんだな」

 

「彼の集まりなら信用できるだろう。……なに、それでなくとも君達の熱意は十分に伝わってきた。嘘をついているとは思いたくないな。ただ、私の仕事が何の役に立つのかはさっぱりだが……当然、剣の刃は落とさせて貰うからな」

 

「問題ない」

 

「良いだろ、料金はツケでこうしてやる」

 

再び提示された電卓には、\100と表示されていた。

――って、いくらなんでも安すぎるだろ、と思うナナシ。極端ではあるが、とてもありがたい事である。

二人が喜びに沸くのも束の間、だが心しろ、と老人は釘を打つ。

 

「これは小僧、お前の覚悟を汲んでのもの。いわば金の代わりに、覚悟で本来額の殆どを払ってもらうようなもの……無論その覚悟が偽りと分かれば」

 

「━━つまり"取り戻す"という約束を果たせん場合には、違約金含め、最初に提示した倍額を請求してやるからな!」

 

「……分かったよ。ありがとじいさん」

 

「分かったなら早よ行け。今日は店を閉める」

 

ナナシ達が出て行った後、物陰で恐る恐る様子を伺っていた弟子の店番が歩み寄って問い掛けた。

 

「……あ、あの~、良かったんですか?」

 

老人は店の出口を見送りながら、似ている、と静かに呟いた。

 

「はい?」

 

「わしの若い頃に……」

 

老人の満足気な表情に、また始まったと思いながら肩をすくめた。

 

 

約束を守れなければ倍額請求。借金の危機も新たに背負い、ナナシは戦い続ける!





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